第534話 お嬢様を励まします!
年末の浅草。すっかり暗くなった路地を、黒乃は一人で歩いていた。
「うー、さぶさぶ」
黒乃は白ティーの裾から吹き込んでくる風に震えた。足元にはうっすらと積もった雪。ここ数日の寒波は、都内にも積雪をもたらした。
「こんな寒い日は、メル子の温かい料理を食べてさっさと寝るに限るよ」
黒乃はボロアパートの階段を上った。いつもの金属がきしむ音が心を踊らせた。愛しのメイドロボが、部屋で出迎えてくれるのを知っているからだ。しかし黒乃はいつもとは違う感覚を覚えていた。
「あれ? お客さんがきているのかな? ただいまー」
黒乃は小汚い部屋の扉を開けた。返事を返したのはメイドロボではなかった。
「お帰りなさい」
床に正座をした少女が頭を下げた。すらりと伸びた手足、長いポニーテール、切り揃えられた前髪、切れ長の目、大和撫子といった風情のボーイッシュガールだ。
「あれー? 小梅じゃん」
「お久しぶりです」
梅ノ木小梅。中学三年生。マリーの同級生で、マッチョマスターの空手道場に通っている。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
コートをメル子に手渡し、床に巨ケツを落とした。メル子はすかさず黒乃に紅茶を差し出した。
「小梅ちゃんが、ご主人様に相談があるそうですよ」
「相談? なによ?」
小梅は正座をしたまま背筋を伸ばした。黒乃とメル子は並んで言葉を待った。
「黒乃山」
「誰が黒乃山じゃい」
「黒乃さん。相談というのはマリーちゃんのことなんです」
「だろうね」
「知っていました」
黒乃とメル子は弛緩して、同時に紅茶のカップに口をつけた。
「実は最近、マリーちゃんの元気がないんです」
「え? そう?」
「あらら」
確かにここ数日、お嬢様の高笑いを聞いた記憶がない。いつもは五分ごとに聞こえてくるのだが。
「特別合同課外授業のあとから、ずっと落ち込んでいるんです」
「ああ」
「その話ですか」
無理もない。あれだけのことが起きたのだ。落ち込むのは不思議でもなんでもない。ロボヶ丘高校五百名、ロボヶ丘中学校五百名、小学生一名、クズ一名が参加した特別合同課外授業。彼らが太平洋に浮かぶ無人島肉球島で遭難するという事件が起きた。学生達は島で前代未聞の大冒険を繰り広げた。ゾンボの恐怖に晒され、魔王ソラリスとも戦う羽目になった。精神的なショックは計り知れないだろう。
「マリーちゃんはその責任を感じているようです」
「ええ? 責任を感じるようなことあったか?」
「マリーちゃんは島でがんばったって聞いていますよ」
黒乃とメル子は腑に落ちないようだ。マリーはロボヶ丘中学校の代表として、中学生達を導く立場にあった。一方、高校生達を統率するのは生徒会長の茶柱初火。けっして両者は一枚岩ではなかった。船内での活動を巡って、対立することもあった。だが、最終的には手を取り合い、巨悪と戦った。
「学校でもずっと塞ぎ込んでいるんです。いつもなら五分ごとに高笑いをしているのに、最近はそれもなくて……」
「うーむ」
「マリーちゃんはなにか言っていますか?」
「それが、私ともまったく口を聞いてくれないんです」
「あらら、そこまで酷いのか」
二人は首を捻った。確かにおかしい。マリーは黒乃とともに、数々の冒険を潜り抜けてきた猛者だ。百戦錬磨のお嬢様だ。そこまでへこたれることがあるだろうか?
「じゃあもう、手っ取り早くマリーに聞こうか。メル子! 連れてきて!」
「はい!」
メル子は立ち上がると、軽快に階段を下っていった。
——二十分後の小汚い部屋。
マリーは、床に正座するアンテロッテの膝にしがみついて伏せていた。マリーの光り輝く縦ロールは、錆びた銅線のように色褪せていた。それを囲むように見つめる黒乃とメル子と小梅。
「やあ、マリー。元気かい?」
「マリーちゃん、こんにちは!」
二人が声をかけるが、マリーは顔を上げようともしない。膝の上でプルプルと震えるばかりだ。
「ダメだな、こりゃ」
「ダメですね。アン子さん! マリーちゃんはどうしてそんなに落ち込んでいるのですか!?」
「……」
「アン子さん?」
アンテロッテは無言でマリーの縦ロールを撫でるばかりだ。
「アン子さん! なぜ黙っていますか!?」
「こらこらメル子、落ち着いて。いくらマリーが超人といえども、やはり中学生。肉球島で大勢の命を預かる重責は、この小さな体には重すぎたんだよ」
黒乃は慈しむようにマリーの頭に手を乗せた。マリーはその手をペチンと払いのけた。
「なにすんじゃい」
たまらず小梅がにじりよった。
「マリーちゃんは肉球島で立派にリーダーシップを発揮しました! 茶柱三姉妹が喧嘩ばっかりしていたのを、うまくまとめて導きました! 一番近くで見ていた私はそれを知っています! 自分を責める必要はありませんよ!」
小梅はマリーの頭を撫でた。マリーはその手に自分の手を重ねた。
「なんで小梅は頭撫でてもええんじゃい。なんか腹立ってきたな」
黒乃はマリーの脇に手を差し込み、指をワシャワシャ動かした。
「おりゃおりゃおりゃ!」
「ご主人様! なにをしていますか!?」
「黒乃さん! やめてください!」
黒乃はマリーの脇をくすぐりまくった。お嬢様は顔を真っ赤にさせて恥ずかしめに耐えた。
「ずるいです! 私にもやらせてください!」
小梅もくすぐりに参加しようと迫った。次の瞬間、二人は顔面にマリーの蹴りをくらって吹っ飛ばされていた。
「ぎゃぴー!」
「マッチョメイド師範なみの蹴りです!」
「ご主人様! 小梅ちゃん!」
マリーはいよいよアンテロッテにしがみつき、完全に防御を固めてしまった。今度はメル子が進み出た。
「ここは私にお任せください」
メル子はそっとマリーの脇に腕を差し込んだ。今度はくすぐるためではない。
「私が抱っこしてさしあげます」
すると、マリーはおとなしくメル子にしがみついた。
「おーよしよし」
メル子がマリーの体を揺らすと、そのうちIカップの胸に顔をうずめた。
「うふふ、かわいいです」
「かわいいです!」
「ちぇー、調子いいなあ」
マリーは眠くなってきたのか、メル子にしがみついたまま目を閉じてしまった。
「こらこら、もう来年高校生だよ!? いつまでも赤ちゃんみたいに甘えてたらダメでしょ!」
黒乃はマリーの足を引っ張った。マリーは引き剥がされまいと、必死にメル子にしがみついた。
「こら! うちのメイドロボとイチャイチャすな!」
「マリーちゃん! 私がメイドロボの代わりになってもいいですよ!?」
黒乃と小梅は二人でマリーの足を引っ張った。今度は蹴飛ばされないように両手で足を抱えた。すると、マリーの体は足足乳乳の四点で支えられて宙に浮いた。
「イダダダダダ! 痛いです! マリーちゃん! お乳を掴まないでください!」
「メル子のおっぱいを離せ!」
黒乃と小梅は根負けして両足を離した。支えを失ったマリーは床に叩きつけられた。しばらく床でプルプルと震えていたマリーは、猫のように飛び跳ねてアンテロッテの懐へ戻った。
「ハァハァ、なんだ、けっこう元気じゃんよ」
「ハァハァ、すごい力です!」
「マリー、そろそろ勘弁してくれ」
「マリーちゃん! 本当にどうしてしまったんですか!?」
黒乃と小梅は、息を切らして床に寝転がった。
「そういえば、アン子さんもまったく喋りませんね?」
メル子はアンテロッテの顔を覗き込んだ。
「アン子さん? なぜ喋りませんか? アン子さん?」
「……」
金髪縦ロールのメイドロボは、目を合わせようとしない。メル子は両手でアンテロッテの顔を挟み込んだ。マリーを抱いているので抗う術がない。
「あれ? なにか喉が腫れていますね?」
「……は゛れ゛て゛い゛ま゛せ゛ん゛の゛」
「なんと言いました?」
「は゛れ゛て゛い゛ま゛せ゛ん゛の゛!」
アンテロッテの声を聞いた三人は仰天した。いつもの麗しく宙を舞う黄金の蝶のような声は消え失せ、葉っぱの上を這いずり回るどどめ色の芋虫のような声がメイドロボの口から飛び出してきたのだ。
「なんですか、その声は!?」
「アン子、どうしたの!?」
いつも完璧な美しさを見せてくれるアンテロッテのこの有様に、黒乃は衝撃を受けた。
「ひょっとして、マリーも!?」
黒乃はマリーの顔を挟み込んだ。やはり喉がぷっくりと腫れ上がっている。
「や゛め゛て゛く゛た゛さ゛い゛ま゛し゛ー!」
「うわっ!? なんちゅう声じゃ!?」
「マリーちゃんもアン子さんも、声を隠すために無言だったのですか!?」
そう、お嬢様二人は喉の過度な炎症により、声が出せなくなっていたのだ。お嬢様としてあり得ない失態である。マリーとアンテロッテは抱き合って泣いた。
「なぜこんなことになってしまったのですか!?」
「もしかしたら、あれが原因かもしれません!」
小梅は船での出来事を思い出した。肉球島からの帰りの船。マリーとアンテロッテはずっと大号泣していた。一ヶ月もの間離れ離れになり、お互い孤独に戦っていた。マリーは自分に課せられた重責により、弱音を吐くことも許されなかった。消耗し、体力を使い切り、寝込んだこともあった。それでも最後まで戦い切った。
「あの状態で大声で泣けば、喉をやられてもおかしくはありません」
小梅は悔しさでいっぱいだった。マリーは一度も小梅には涙を見せなかった。マリーが心を許すのはこの世でただ一人、愛しのメイドロボだけなのだ。島ではずっと自分が隣にいたのに、少しも距離は縮まらなかったのだろうか?
「アン子さん。お医者様には診てもらったのですか?」
「み゛て゛も゛ら゛い゛ま゛し゛た゛の゛」
どうやら浅草一の名医と名高いブラックジャッ栗太郎から、薬は処方されているようだ。
「マリーちゃん、そうならそうと言ってくれればいいのに」
小梅は沈んだ声でつぶやいた。自分には弱みは見せてくれないのかという絶望すら感じていた。
結局、マリーとアンテロッテは下の部屋に戻った。症状がわかったのなら、安静にしておくしかない。喉の炎症はじきに治まるだろう。
小梅も帰り支度を始めた。
「黒乃さん、メル子さん。今日はありがとうございました」
小梅は靴を履き、ドアノブに手をかけた。
「ああ、小梅よ」
「はい?」
黒乃は床に寝転がり、巨ケツをかいた。
「メイドロボとご主人様の絆は強い」
「はあ」
「これは主従関係を超えた、種すら超越した、世界一強い絆なのだ」
「……」
小梅とメル子は黙って聞いた。
「でも小梅は、その間に入っていくと決めたんだろう?」
「……はい、決めました」
話はそれで充分だった。小梅は暗い夜道で、一人回し蹴りを放った。自分の体にまとわりつく陰の気を祓うように。強い相手にこそ胸を張って挑む。小梅はマッチョマスターとマッチョメイドの教えを心の中で繰り返した。
「押忍!」
正拳突きが暗闇を切り裂いた。




