第510話 DYING ROBOT その十一
特別合同課外授業八日目の深夜。
豪華客船美食丸、第十二デッキ、船長室。そこで緊急会議が開かれていた。
「これより、ローション対策会議を始めます」
生徒会長茶柱初火は宣言し、参加者を見渡した。床に固定されたテーブルの向かいに座るは、美食丸船長、美食ロボ。
「では、教えてくれ。ローションのションとはなんのことだ」
初様の右手側に座るは、前生徒会長茶柱茶鈴。
「もう夜も遅いさかい、早う寝かせとぉくれやす」
初様の左手側に座るのは、帰宅部部長茶柱江楼。
「おい、初姉! こんなところで、チンタラくっちゃべってる暇あんのかよ!?」
その隣に座るのは金髪縦ロールのお嬢様、マリー・マリーと、ボーイッシュな少女梅ノ木小梅だ。
「夜更かしは縦ロールに悪いですの」
「マリーちゃんの言うとおりですよ!」
初様は、好き勝手言いたい放題の参加者達を前にして、プルプルと震えた。あまりに危機感のない態度に、苛立ちを募らせた。
「ふぅふぅ……」
深呼吸をして心を落ち着かせた。両の手のひらを机に貼り付け、たっぷり五秒間目を閉じた。
「では、改めてローション対策会議を始めます。はじめに現在のロボローションの侵食被害をまとめたので、報告します」
ローションの侵食は、第十一デッキのプールから始まった。ローション部がオープンデッキのプールにロボローションを撒き、増殖させていたのだ。ローションは徐々にプールから染み出し、空調用のダクトを通って階下へと侵入していった。
最も被害が甚大だったのは、第二デッキの乗務員用船室だ。ローションが最終的に流れ込んだのはここだ。乗員ロボ百名は、全員ローションに呑まれ機能を停止してしまった。第二デッキは封鎖された。
生徒会執行部は速やかにローションの出所であるプールを清掃。ローション部部員を捕獲。これでローションの拡散は食い止められたはずであった。
しかし、それでもローションの被害は止まらなかった。各層でローションに倒れるロボットが頻発。新たな対応に追われた。
「そしてたどり着いたのが化学部です」
初様は姉の茶々様に視線を送った。その情報を授けてくれたのは彼女だ。茶々様は、扇子で首元を煽ぐだけで素知らぬ顔だ。
「化学部は、第四デッキのショッピングモールのドラッグストアで、ロボローションを生成していました。プールのローションなど、それの隠れ蓑に過ぎなかったのです。ローション部部長のべっぴんロボ……いいえ、ハイデンの目的は別にありました」
初様はゴクリと喉を鳴らした。ハイデンと対峙した時の恐怖が蘇ってきたが、それも飲み込んだ。
「ハイデンは、なにかのローションを生成していました。その効果を試すために、船内にローションを撒いていたのです」
話を聞いていた江様が太々しく言った。
「んで? そのローションはなんなんだよ?」
「わかりません」
「んで? そのハイデンってのはどこにいったんだよ?」
「わかりません。船内にはいないと思います」
「んで? 誰なんだよ、ハイデンってのは? どこから、なんのためにきたんだよ」
「わかりません」
「んだぁ!? なんもわからねーのかよ! ぶっコロすぞ!」
初様と江様が激しく睨み合った。茶々様はクスクスと笑った。マリーと小梅は呆れて見ていた。
「ハイデンについては、わたくしが説明をいたしますの」
初様と江様は渋々マリーに注目をした。
「ハイデンは、タイトバースの世界からやってきたタイト人ですの」
大手ゲームパブリッシャー、ロボクロソフトがリリースしたゲーム『タイトクエスト』の世界『タイトバース』。そこの住人をタイト人と呼ぶ。タイトバースの世界は、ロボット達の電子頭脳をリンクさせて作り出した超AI『神ピッピ』の中に存在しているのだ(300話からのロボなる宇宙編参照)。
そして、そのタイトバースの中で、邪神ソラリスの信徒として世界に大混乱を巻き起こした張本人がハイデンだ。巫女サージャに仕える三つの騎士団のうちの一つ、ハイデン騎士団を束ねる騎士団長だったのだが、巫女を裏切ってソラリスを信奉するようになった。彼女の野望とソラリスは、黒乃の活躍でいったんは退けられた。
しかし、ハイデンの野心はそれで終わらなかった。なんと彼女は、タイトバースから現実世界に飛び出してきてしまったのだ。べっぴんロボのボディを得て、浅草の地で大戦争を巻き起こした。目的はもちろん、ソラリスの復活だ(400話からのメイドロボは電気お嬢様の夢を見るか?編参照)。
再び黒乃の活躍により、ソラリスの復活は阻止された。ハイデンはソラリスの海に飲み込まれ、行方不明となった。
しかし、彼女は生きていた。三度人類の前に立ち塞がったのだ。目的はもちろん、ソラリスの復活。
「恐らく、ハイデンが生成していたローションはソラリスの種。ハイデンはこの島で、ソラリスを復活させるつもりですの!」
会議室が静まり返った。初様は言葉を失い、茶々様は扇子で口元を隠し、江様は怒りで震えていた。
「んだって!? そんな漫画みてーな話を信じろってのか!?」
「マリーちゃんは何度もソラリスと戦っています! 誰よりもソラリスを知っています!」
小梅が江様を非難した。今度は二人の間に火花が散った。
「フハハハハ! フハハハハハハ!」
沈黙を貫いていた美食ロボが大笑いを始めた。
「ソラリスときたか! フハハハハ!」
「美食のおじ様、ソラリスを知ってはるんどすか?」
茶々様は興味深そうに聞いた。知っているもなにも、一時期美食ロボは、ソラリスに乗っ取られていたのだ。タイトバースではアキハバランド機国の元首、美王として悪行の限りを尽くした。
「女将、このソラリスは本物か?」
「……」
「……」
「……」
無駄な問答が始まりそうだったので、全員スルーした。
「んでよ、ようするに、そのハイデンを捕まえりゃいいんだろ?」
「無理です。危険過ぎます」
「あーん? 中学生にビビって逃げ出した程度のやつだろ? あ、初姉はその程度のやつにビビって、腰抜かしたんだっけ?」
「江楼!」
再びケンカが始まりそうなところに、マリーが割って入った。
「ハイデンさんは戦いのプロですの。タイマンで勝つには、マッチョメイドクラスの戦闘力が必要ですの」
もちろん、そんな猛者は船には乗っていない。学生達でハイデンを捕まえるのは無謀だ。
「帰りまひょか?」
「え?」
茶々様の唐突な一言に、初様は面食らった。
「特別合同課外授業を中止して、尻尾巻いて、日本に帰りまひょか?」
初様は拳を握った。以前なら間髪いれず否定をしただろう。自分の不甲斐なさを知った今でも、気持ちは同じだ。終わらせたくはない。これは危機的状況だ。そうも言っていられない。だが、姉の言い方がどうにも許せなかった。
「本土に……連絡を入れます」初様は汗を垂らして続けた。
「どのみち乗員ロボは機能を停止しているため、船は動きません。救援を要請し、船が復旧するまではこの島で耐えなければなりません。船が復旧したら、授業を続けられるかどうか判断します」
「どうにも中途半端どすなあ」
「茶々姉様は続けたいのですか!? 帰りたいのですか!?」
「あてはどちらでも、初の判断に従うだけどす」
「〜〜ッ!」
初様は怒りと屈辱のあまり、顔を真っ青にさせたが、生徒会長としてのプライドがかろうじて正気を保たせた。
「明日、学校側に連絡を入れます。ローションのこと、ハイデンのこと、ソラリスのこと、すべて伝えます。これより、救助がくるまでの数日間は、船外に出ることを禁止します! 会議は以上です!」
重い空気が漂い、誰もすぐには動けなかった。
特別合同課外授業九日目の朝。
外出禁止令が出された船内は、戸惑いの霧が立ち込めていた。
「ねえ、聞いた? 授業が中止になるかもって」
「そりゃねーよ。まだロボット完成してないんだぜ」
「変なやつが船に紛れ込んでいたらしいよ」
「こわーい」
「乗員ロボが倒れたってよ!」
「なんで外に出たらいけないんだよ!」
「ローションでこの島が覆い尽くされるって噂だよ」
生徒達は船内をうろつき回り、状況を把握しようとやっきになっていた。放送部による特別合同課外授業の一時停止と、外出禁止令が通達されたあとはそれに拍車がかかった。船長室には生徒会執行部による対策本部が設置され、その前には生徒達が押し寄せていた。
「初様!」
「初火様! 説明をしてください!」
「授業は中止なんですか!?」
「ロボット作りがしたいんです!」
「初様!」
口々に説明を求めるが、初様は部屋から出てこない。代わりに出てきたのは、生徒会執行部の呉木獅子男だ。
「静粛に! 静まれ! シャラップ! 初様は問題の対応に忙しい! 諸君らがやるべきは、おとなしく船内で過ごすことだ! 無駄な行動、無用な詮索、無根な情報の流布は御法度である! 必要な情報は随時船内放送で伝える。それまで待つように!」
呉木は部屋に戻った。納得できない生徒達が騒ぎ立てたが、その扉が開くことはなかった。
——第十一デッキ、オープンデッキ。
船内に漂う閉塞感から逃げ出すように、多くの生徒がオープンデッキに集結していた。鏡乃と朱華と紅子も、新鮮な空気を吸うためにやってきていた。三人は並んで手を繋ぎ、そびえる掌山を見上げた。
「たいくつ〜」
「せやね〜」
「うん……」
ここから見ると、肉球島は平和そのもののように見える。港内には工場で生産された作業ロボがうろつき、森の中から鳥が飛び立つのが見えた。掌山の工場からは煙が立ち昇り、稼働しているのがわかった。しかし、このどこかに野望を抱えた邪教の徒ハイデンが隠れているのだ。
「ロボット〜、つくりたい〜」
「せやね〜」
「うん……」
三人の間に吹き抜ける風は、体だけでなく心まで冷やした。
——第十二デッキ、船長室、生徒会対策本部。
「どういうことです!?」
初様は、マイクを握りしめた。船に搭載された特別仕様の高出力通信機を使い、学校側に連絡は入れた。初めの数回は正常に通信ができていたのだが、ある瞬間から誰も応答しなくなったのだ。
ローション、ハイデン、ソラリスに関する情報は伝えた。学校側はすぐさま救援の準備に入ると約束をした。状況を確認しようと再び連絡を入れたが、返信はなくなった。
「ロボロボ! ロボロボ! 応答願います! ロボロボ!」
必死に通信機を操作するも、虚しく雑音が返ってくるだけだ。その様子をマリーは考え込みながら隣で見ていた。
「おかしいですの」
「おかしいに決まっています!」
「この島の工場には、元々通信を妨害するシステムがありましたの」
以前マリー達が遭難した時には、デバイスによる通信が妨害され、救助を要請することができなかったのだ。
「通信は問題なくできていますの。問題があるのは、向こう側。学校側でなにかがあったように感じますの」
「この期に及んで、まだ問題が!?」
その時、通信機が鳴った。初様は慌ててマイクを握った。
「ロボロボ! こちら美食丸! ロボロボ!」
『ひゃひゃひゃ! みんな無事かの?』
スピーカーから老人の声が聞こえてきた。
「無事です! 救援の件はどうなっていますか!? いつ到着しますか!? ロボロボ!」
『救援の件は心配せんでいい。ワシに任せておきなさい。それよりも、ハイデンが持っていたローションについてじゃが』
「ローションですか!? それがどうしました!? ローションよりも救援を……」
『どんな具合じゃった? 色は? 匂いは? 形は?』
がっつく老人に、マリーは違和感を覚えた。
「お待ちくださいまし。あなた、どなた様ですの? 学校の関係者ではございませんわね? 先生と代わってほしいですの」
『ひゃひゃひゃ! 学校関係者じゃよ! 博士じゃもん! おっと……』
通信はそれで途絶えた。マリーと初様は顔を見合わせて呆然とした。
特別合同課外授業十日目の朝。
美食丸を脱走する生徒が続出した。




