第506話 DYING ROBOT その七
特別合同課外授業四日目の昼。
掌山山頂の火口に作られた謎の城の前は、立ち並ぶ学生達の喧騒で震えていた。
「嘘だろ? コトリンじゃん!」
「コトリンだ!」
「本物!?」
「なんでこんなところにアイドルロボが!?」
ロボヶ丘高校、ロボヶ丘中学校、ロボヶ丘小学校一千名の前に現れたのは、緑色のロングヘアとフリルがついた衣装がかわいらしい少女型ロボット『コトリン』。そしてその後ろに泰然と構えているのは、ぴちりとした藍色のスーツと、頭の上の大きなお団子、細長い角メガネが凛々しいお姉さん『藍ノ木藍藍』だ。
コトリンはマイクを持って進み出た。
「みんなー! デスマってるー!?」
プログラミングアイドルロボは、学生達に向けて呼び出しした。一瞬間があき、思い出したかのように戻り値が返る。
「いえー!」
「一曲歌うよー! 『ようこそ! 肉球藍藍道へ!』」
「ふぉー!」
突然明るいポップな曲が鳴り響き、城の照明が光を放った。コトリンはマイクを握り締め、スラリと細い脚を弾ませて踊った。コトリンのかわいらしくも力強い歌声が、掌山の火口に響いた。浅草から遥か肉球島まで船で数日。厳しい登山。疲れ切った学生達は、最後に残った力を振り絞ってコトリンの歌に応えた。
「みんなー! ありがとー!」
曲が終わった時には、疲れ果てた生徒達が床に座り込む光景が広がっていた。コトリンは藍ノ木にマイクをバトンタッチすると、マスターの後ろに控えた。マイクを受け取った藍ノ木は、座り込む学生をゆっくりと見渡した。
「皆さん、そのままお聞きください。初めまして。私はこの肉球藍藍道の支配人、藍ノ木藍藍と申します。後ろにいるのは私がマスターを務めます、プログラミングアイドルロボのコトリンです。お見知りおきを」
藍ノ木とコトリンが揃って頭を下げると、拍手が巻き起こった。
「ここ肉球藍藍道では、様々なロボットを製造しております。元々は人間の手を介さない完全自立型の工場として、長年稼働してきました」
何十年も前、肉球島に建設された工場はロボキャットだけで運営されていた。ロボキャットがロボキャットを作り、ペットロボとして輸出をする。それを取り仕切っていたのが、ロボキャットのリーダー『ハル』だ。
「国際情勢の変化、ロボットが持つ権利への配慮、老朽化。様々な理由から、この工場は閉鎖の憂き目にあいました」
閉鎖といえば聞こえがいいが、実際は見捨てられたに等しい。この肉球島は突然の海底火山の噴火によって現れた島。複数の国家が領有権を主張していた。結果、アンタッチャブルな領域として、長年放置されてしまった。
「その工場を私とコトリンが前任者から引き継ぎ、まったく新しい工場へと生まれ変わらせたのです!」
再び拍手が巻き起こった。その演説を鏡乃は複雑な表情で聞いていた。鏡乃は知っている。『引き継ぎ』などではないことを。ハルはこの工場を追い出されたのだ(468話参照)。
「この素晴らしい工場を、世界の皆様に知ってもらうべく、私どもは新たな試みを始めました。それがロボット作り体験です! 皆様にこの工場で自由にロボットを作っていただきます。二十二世紀に入り、ロボットはいよいよ身近な存在となりました。人間のパートナーとして、労働力として、愛すべき隣人として、ともに歩む存在になりました。しかし、皆様はロボットがどのように作られているか、知っているでしょうか? 人間の最も身近な存在について、知らないことの方が多いのではないでしょうか?」
生徒達は周りを見渡した。学校内にもロボットの生徒は大勢いる。確かに彼らについて、知らないことは多い。いて当たり前の存在として受け入れていた。だが、それが当たり前になったのは、ほんのここ十年のことだ。彼らについて知るのには時間が短すぎた。
「ロボット作りを通じて、人間とロボットがもっとお互いのことを理解する。それが、真の共生へ向けての第一歩だと思います」
藍ノ木が頭を下げると、大きなお団子が前に突き出した。拍手が起こり、演説は締めとなった。
生徒達が動き出した。いよいよロボット作りが始まる。まずは工場内に作られた講堂へいき座学を受ける。そして各施設の見学。それで今日は終わりだろう。本格的な作業は明日から始まる。
夕方。学生達は豪華客船美食丸に帰ってきていた。島内には人間が宿泊できる施設はない。ロボット作りの拠点は相変わらず美食丸なのだ。ちゃんこ部は第五デッキの和食屋でちゃんこの仕込みをしていた。
「いやー、工場すごかったな!」まるお部長が興奮冷めやらぬ様子で言った。
「コトリンもかわいかったッス!」ふとしはライブが気に入ったようだ。
「船と山頂の往復がつらいッス!」でかおはすでに疲労困憊だ。
「早くロボットを作りたいデス!」新弟子ロボは誰よりもやる気を見せた。
盛り上がる彼らとは裏腹に、鏡乃は上の空で野菜を刻んでいた。心配したまるお部長がまな板を覗き込むと、鏡乃の包丁は虚空を切っていたのだった。
「鏡乃山。おい、鏡乃山。大丈夫か?」
「ごっちゃんです……」
「明日からよ、ロボット作りが始まるからな。頼むぜ」
「ごっちゃんです……」
鏡乃の丸メガネから、光が消えていた。島を追い出されたロボキャットのリーダー、ハルを憂いているのだ。彼は今、鏡乃の実家がある尼崎の丸メガネ工場の隣に建設された角メガネ工場にいる。ハルはどうしているだろうか? 鏡乃は遠い故郷に思いを馳せた。
夜。登山をしてくたくたになった生徒達が、食事を求めて動き出した。とりわけちゃんこ部は大盛況で、部員達は対応にてんやわんやだ。
「鏡乃山! そっちの鍋を頼むぜ!」
「ごっちゃんです!」
「新弟子ロボ! お皿が足りないッス!」
「お任せくだサイ!」
「鏡乃〜、すごいぎょうれつ〜」
厨房に紅子が駆け込んできた。列の整理に対応しきれなくなったようだ。
「なんでこんなに混んでるの!?」
鏡乃は和食屋の外に飛び出た。理由はすぐにわかった。大人数をさばけるはずのメインダイニングが、閉鎖されていたのだ。ここは乗員ロボが運営するビュッフェ形式のレストランだが、料理は一つも並んでいなかった。そのため、生徒達が運営する飲食店に人が集まっているようだ。
「乗員ロボはどこにいったの!?」
「鏡乃山! こっちを頼む!」
鏡乃は状況を理解する間もなく暖簾をくぐった。
——第二デッキ、乗務員用船室。
生徒会長茶柱初火、通称初様は第二デッキに足を踏み入れた。ここは美食丸を運航する役目を担った乗員ロボが暮らすエリアだ。本来の美食丸の乗員定数は千名。実際に乗り込んでいる乗員はたったの百名。これは船を動かすのに最低限の人員だ。特別合同課外授業の理念、生徒の自主性を促す目的でこのようになっている。
その乗員ロボが、生徒達が肉球島に出向いている間に姿を消したのだ。初様一行は、彼らを調べにきた。
「誰もいませんね……」
初様は生徒会執行部を引き連れて廊下を歩いた。乗員用のエリアのため、上層に比べると地味で質素だ。人影はまったくなく、声も聞こえない。もう夜だが、寝るにはまだ早い時間だ。
「初様、あの扉が開いています!」
「調べましょう」
ほとんどの扉は閉まっているが、一つだけ開いている部屋があった。近づいてみると、なにかが床に倒れているのだった。
「これは!?」
「初様!」
倒れていたのは乗員ロボであった。うつ伏せになり、扉に挟まれていた。
「大丈夫ですか!?」
慌てて初様が駆け寄るが、その姿を見て飛び退いてしまった。
「うっ!?」
乗員ロボのボディは透明な粘液に覆われていた。ヌルヌルテカテカのボディをよく見ると、粘液が動いているかのように見えた。
「なぜロボローションが……」
「初様! 天井を見てください!」
生徒会執行部が指をさしたのは、天井に埋め込まれた空調だ。その穴から粘液が滴っていた。
「上の階は『監獄』……江楼が支配するデッキですか」
「初様、どうしましょう。上の階を調べますか?」
「いえ、どうせ江楼は私を監獄に入れないでしょう。いけば無用な争いを生むだけです。それよりも、下のデッキを確認しましょう。第一デッキは物資が収められている船倉です。ローションによる被害があるかもしれません」
——第一デッキ、船倉。
「ダメです! ここは通せません!」
「なんだあッ!?」
船倉の入り口で揉めているのは、中学生の倉庫番と、帰宅部部長の茶柱江楼、通称江様だ。
「上の層からローションが垂れてきて、ここもやられてるかもしれねえんだ! 邪魔するとぶっコロすぞ!」
江様は傷が浮き出た筋肉質の足を踏み出し、中学生を威嚇した。
「ダメなものはダメです。誰も入れるなとマリー様の指示です」
「んだぁ!? 力ずくで通ってもいいんだぞ!」
「ダメです!」
埒が明かないので、江様はいったん引き下がった。
「まろみ里!」
「はいしゅ。なんでしゅうか、江楼しゃま」
「さすがに、中学生をぶちのめすのは気が引ける。お前がやれ」
「いやでしゅ」
「じゃあ、別の入り口を探す……」
突然、船倉の温度が下がったような感覚に襲われた。江様は後ろを振り返り、ベーゴマを手に握った。
「初姉……」
「江楼、あなたもここにいましたか。どきなさい」
「ああッ!?」
船倉に降りてきたのは姉の初様であった。茶柱姉妹の次女と三女が薄暗い通路で向かい合った。初様の氷のような視線と、江様の燃えるような視線がぶつかった。
「ローションについて、なにか知っていることがあったら話しなさい」
「知ってても教えねー」
「生徒会長命令です。教えなさい」
「俺は誰の命令も聞かねえ!」
初様は妹を無視して中学生の倉庫番に迫った。
「生徒会長命令です。そこを通しなさい」
「できません。生徒会長の命令が通るのは、ロボヶ丘高校の生徒だけでしょう。マリー様の許可を取ってください」
初様は思わず指示棒を握り締めた。
その時、ほの暗い船倉に春の野原を思わせるような華やかな風が吹き荒れた。
オーホホホホ……オーホホホホ……。
「なんです!?」
「なんだ、この声は!?」
「オーホホホホ! ここは矛を収めてくださいましなー!」
「我々が管轄するデッキで、好き勝手は許しません!」
現れたのは金髪縦ロールのお嬢様マリー・マリーと、ポニーテールがかわいらしいボーイッシュな少女、梅ノ木小梅だ。
「またなんかきやがった!」
江様はベーゴマを構えた。それに応えるように、小梅はマリーの前に出て拳を構えた。
「マッチョマスター直伝の空手をお見せしましょうか?」
「上等だぁ! ぶっコロすぞ!」
「お待ちなさいな」
マリーが間に割って入った。小梅はおとなしく拳を下ろしたが、江様は渋った。
「わたくし達中学生の調査で、ローションについては把握しておりますわ。どうやら、第十一デッキのプールが出どころのようですの」
「プール……?」
初様は記憶を辿った。暗躍するローション部。彼らは初日に真っ先にプールを狙っていたではないか。
「上層から下層へ、徐々にローションが侵食してきているのですわー!」
初様と江様は震えた。ローションの脅威もそうだが、中学生に出し抜かれたという感覚が二人にのしかかった。
「すでに船倉内の調査はしておりますの。今のところは問題ありませんわ」
マリーは二人を見下ろした。小さなマリーでは、背の高い二人を見上げるはずなのに。
「生徒会長さん。ここであなたが判断すべきは、特別合同課外授業を続行するか否かですわ。もう事件は起きましたの。それは取り返しがつかないことですわ。被害を最小限に抑えるには、ここで学校側に連絡をして応援を呼ぶことですの。続行か、中止か、ですの」
「続行に決まっています!」
初様は思わず叫んでいた。特別合同課外授業の最高責任者は、生徒会長である茶柱初火に他ならない。自分の責任と信念と誇りの下に執り行われている。開始早々引くわけにはいかない。
「『我々』生徒の自主性によってこの授業は執り行われています。よって、我々の間で起きた問題は、我々の力で解決をし、我々の力で最後までやりきります!」
「……そこまで言うのなら、わかりましたの」
マリーは小さな真白い手を差し伸べた。
「みんなで協力をすれば、きっとやりきれますの」
初様は汗だらけの手を拭うと、マリーの手を握った。マリーは江様の方を見たが、江様はそっぽを向いた。




