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第488話 進化します! その三

 夜のボロアパートの小汚い部屋。黒乃は床に寝転がり、デバイスをいじっていた。


「ほえ〜」

「どうしました?」

 

 メル子は夕飯の皿を洗いながら聞いた。


「なんか、巨乳ロボが貧乳ロボになっちゃう事件が多発しているらしいよ」

「物騒な世の中ですねえ」


 黒乃はメル子の背中を眺めた。角度によっては、背後からでも見える大きなお乳を、首を捻りながら懸命に目に焼き付けた。


「メル子のおっぱいが小さくなったら嫌だなあ」

「なにを言っていますか。私のお乳が小さくなるわけありませんよ。小さくさせたら大したものですよ」


 メル子は勝ち誇って笑った。エプロンの大きなリボンといっしょに、(アイ)カップのお乳がこれでもかと揺れた。


「あはは、そうだよね」

「うふふ」



 翌日の朝。


「ぎゃあああああああああ!!!」


 十月の鈍い朝の日差しが、カーテンの隙間から差し込む小汚い部屋に、金髪メイドロボの悲鳴が轟いた。


「ぎょわわわわわ!? どした!?」


 黒乃は布団から飛び起きた。枕元を漁り、命よりも大事な丸メガネを装着した。


「どした、メル子!? おっぱいが大きくなったの!?」

「ご主人様……」


 メル子は真っ青な顔で黒乃を見つめた。


「おっぱいがなくなりました」

「えええええ!?」


 いつもはメロンでも入れているのかというくらいはち切れそうな赤ジャージが、今はシャインマスカット一粒の膨らみすらなかった。黒乃は恐る恐る胸に手を伸ばしたが、無惨にもその指は空を切った。


「ない……おっぱいがない!」

「ありません! あれですよ、ご主人様!」

「どれ!?」

「昨日おっしゃっていた、貧乳ロボ多発事件に巻き込まれたのですよ!」


 黒乃はプルプルと震えた。メル子もプルプルと震えた。されど、お乳は震えなかった。


「こんなんやるのは、ヤツしかおらん!」

「ニコラ・テス乱太郎の変態博士の仕業に決まっています!」


 しかし困った。その変態博士はボロアパートの地下にある研究施設に住んでいる。正直、そこまで降りていくのはまっぴらごめんである。なにをされるかわからない。


「しょうがない。いったんアイザック・アシモ風太郎先生のところに相談にいこう」

「はい!」


 二人は意を決して小汚い部屋の扉を開けた。すると、世にも恐ろしい声が二人の耳に届いた。


「ぎゃーですのー!」

「うわーんですのー!」

「あ、お嬢様だ」

「なにごとですか!?」


 一階の部屋から飛び出してきたのは、金髪縦ロールのお嬢様たちであった。


「どした!?」

「なくなりましたのー!」

「どこにもありませんのー!」

「なにがですか!?」


 マリーはアンテロッテの胸に飛び込んだ。しかし目測を誤ったのか、届かずに地面に転がってしまった。


「ぎゃんですのー!」

「お嬢様ー!」


 そこで黒乃はようやく気がついた。アンテロッテのお乳が平らであることに。


「ああ! アン子もやられたの!?」

「やられましたのー!」

「どうしてこんな目に遭うんですのー!?」


 泣き崩れて地面にしゃがみ込むアンテロッテを、マリーは背後から包み込んだ。


「うへうへ、お乳がなくてもアン子はかわいいなあ」

「ご主人様!」


 やはり、この現象は広く日本に広がっているようだ。


「ほら、みんなで浅草工場にいって、調べてもらおうよ」

「はいですの……」

「わかりましたの……」


 貧乳の四人組が、浅草の町を隠れるように歩き出した。



 八又(はちまた)産業浅草工場。赤い壁の巨大な工場には、同じような境遇のロボット達が押し寄せてきていた。


「うわうわ、貧乳ロボが行列(マトリクス)を作っているよ!」

「レボリューションですのー!」

「皆サン、オ待チシテ、オリマシタ」


 現れたのは職人ロボのアイザック・アシモ風太郎だ。


「先生! メル子とアン子が貧乳になってしまったんです! 助けてください! うおおおおん!」

「直してほしいですのー!」

「状況ハ、理解シテイマス。ドウゾ、コチラヘ」



 検査室からメル子とアンテロッテが飛び出てきた。コードに繋がれ、電磁波を浴びせかけられ、高速回転させられ、散々アームにいじくり回された二人は、ぐったりと床に崩れ落ちた。


「メル子ー!」

「アンテロッテー!」


 二人のご主人様は、慌てて二体のロボットに駆け寄った。


「先生! それで原因はわかったんですか!?」

「少シ、ワカリマシタ。ボディニ付着シテイタ、鱗粉ノヨウナモノヲ、調ベタラ、特殊ナ、ナノマシンデアルコトガ、判明シマシタ」


 アイザック・アシモ風太郎によると、そのナノマシンによりロボットの体内のナノマシンが暴走、各ナノマシンが『最適化』作業を始めたというのだ。


「最適化!?」

「ハイ。芋虫ガ(さなぎ)ニナルヨウニ、蛹ガ蝶ニナルヨウニ、巨乳ロボットモ、次ナル段階ヘ、最適化ヲ始メタノデス」

「意味がわかりません! ようするに、メル子のおっぱいは直るんですか!?」

「アンテロッテのお乳はどうなりますのー!?」


 黒乃とマリーは叫んだ。


「直リマセン。ナゼナラコレハ、故障デハナク、進化ダカラデス。巨乳ハ、進化ノ過程デ、無駄ナモノトシテ、排除サレタノデス」


 メル子とアンテロッテはプルプルと震えながら抱き合った。いつもは密着するはずのお乳とお乳の間には、虚無の空間が広がっていた。黒乃は思わず、巨ケツを床に落とした。


「なんてこった……これが進化だというのか? 確かに蝶は芋虫に比べてスリムで軽い。巨乳は幼年期の幻想に過ぎないのか……! 未来へ羽ばたくには、重いお肉を捨て去らなければいけないのか……!」

「ちょっとなにを言っているのかわかりませんの。先生! 進化でも退化でもよろしいですから、元に戻す方法はございませんのー!?」


 職人ロボは、考え込んだ。一瞬なにかを思いついたかのように顔を上げたが、すぐに伏せてしまった。


「先生! なんでもやりますから! 教えてください!」黒乃は訴えた。


「方法ガ、ヒトツアリマス」


 一行はその答えを、固唾を呑んで聞いた。





 ボロアパートの小汚い部屋。メル子はいつもどおりに朝食を作っていた。


「フンフフーン。今日も楽しい朝ごはん〜。かわいいメイドさんが作ります〜。お乳が小さいメイドさん〜。ペタペタペッタン、ペタリンコ〜。フンフフーン。さあ、できましたよ!」


 メル子は、『三皿』の料理をテーブルの上に並べた。


「わ〜お、おいしそうね〜」

「むにゅにゅ、うまそうだ」


 メル子は椅子に座った。テーブルの向かいには、銀髪のムチムチ巨乳美女と、そのHカップの谷間に顔を埋める白ティー丸メガネの姿があった。貧乳メイドロボは、その様を顔をひきつらせて眺めた。


「やみ〜。メル子の料理は〜、最高ね〜。シャチョサンも食べるね〜」

「もぐもぐ、うまい。ルビーの巨乳も最高〜」


 これはいったいなにをしているのだろうか? そう、これは見せつけているのである。巨乳は素晴らしいものであると、メル子に見せつけているのである。


 アイザック・アシモ風太郎の考えた作戦の概要はこうだ。

 まず、メル子とアンテロッテのボディに『ブランクナノマシン』を注入する。これは命令を与えられていないナノマシンのことで、ロボットになんの影響も与えない。なんの影響も与えないからこそ、誰からも敵対されないのだ。この性質を利用し、ブランクナノマシンを秘密裏に体内で増殖させる。

 次に、このブランクナノマシンに命令を書き加える。その内容は『巨乳ロボに進化する』だ。そのためには、メル子の電子頭脳をフル回転させなくてはならない。強烈な『巨乳ロボになりたい』という思い。それこそが、ブランクナノマシンを巨乳ナノマシンへと変貌させるのだ。

 あとは巨乳ナノマシンと貧乳ナノマシンとの戦いとなる。最初から巨乳ナノマシンを注入してしまうと、貧乳ナノマシンはそれを阻止するために猛攻を仕掛けてくるであろう。それをさせないためのブランクナノマシン作戦だ。

 巨乳か貧乳か、どちらが正当な進化なのか。この戦いで明らかになる。


「いや〜、飯もうまいし、巨乳も最高だな〜」

「シャチョサン、えっちね〜。Hカップだけに〜。くらっくあっ〜っぷ」


 大爆笑する二人。それを見て青ざめるメル子。ルビーは立ち上がり、駄肉を揺らしてメル子の横に立った。そして汗だくになった谷間にメル子の頭を抱き寄せた。メル子はその柔らかさと、湿気と、アメリカンな香りに眩暈がした。


「メル子〜? どんなかんじ〜?」

「うっぷ……いい具合です……巨乳最高〜……息ができません!」



 ——ゲームスタジオ・クロノス事務所。


「ルビー!? ナニをしていマスか!?」

「……メル子ちゃん、なにしてるの?」

「先輩、これはなにごとですか?」

 

 ルビーの谷間に顔を埋めながら現れたメル子に対して、社員達は度肝を抜かれた。


「はい、皆さん、聞いてください! 皆さんの力で、メル子に巨乳の良さを教えてあげてください!」

「イヤァー! ボクは貧乳派なんデス!」

「……なんでいつもイカれたことばかりしてるの」

「ハァハァ、先輩。私のお乳でよければなんでもしますが」



 その日は特にこれといった収穫もないまま日が暮れた。布団を二枚床に敷き、それぞれ横になった。メル子は大きくため息をついた。


「メル子、おっぱいに変化はない?」

「ありません……」

「あんまり気を落とさないでね。ご主人様は貧乳のメル子も好きだよ」

「はい……」


 この言葉は言ってはならない言葉だ。メル子は巨乳になりたいと思わなくてはいけないからだ。だが、黒乃はそう声をかけずにはいられなかった。


「なるようにしかならないからさ。巨乳でも貧乳でも、メル子とご主人様はずっといっしょだから」

「はい」

「ひょっとしたら、明日目が覚めたら巨乳になってるかもね。ふふふ」

「うふふ」


 乾いた笑いの中で二人は布団に潜り込んだ。もちろん、朝起きても平らな胸はそのままだった。





 翌日、メル子は買い物から帰ってきた。本当はこの姿で表に出たくはなかったが、いつまでも部屋の中にいてもしょうがない。気分を変えるためにも、一人で買い物に出掛けた。陰鬱な顔でボロアパートの階段を上った。


「おや?」


 小汚い部屋の中から声が漏れ出ていた。


「またルビーさんでしょうか? いや、この声は……」

『うふふ、あはは。ダメですよ、ご主人様』

『えへへ』

「んん!?」


 メル子は玄関の扉に耳を押し当てた。


『メル子は貧乳でもかわいいなあ』

『当然ですよ。メル子ですから』

『うふふ』

『あはは』


 メル子は扉をぶち開けた。黒いメイド服を着た金髪貧乳メイドロボの膝の上で、だらしのない顔を披露する白ティー丸メガネの痴態があらわになった。


「あ、お帰り、メル子」

「お帰りなさい、メル子」

「なにをしていますか!」


 メル子は大股で部屋の中に押し入った。鬼の形相で二人を睨みつけると、思わず涙がこぼれ落ちた。


「ご主人様は巨乳と貧乳、どちらがよいのですか!?」

「え? あ、え? あ、どっちでも……あ、メル子ならどっちでもいいよ。あ、え?」

「メル子、聞きなさい」

「なんですか、黒メル子!」


 二人のメル子の視線がご主人様の上空でぶつかった。火花が散り、その熱で黒乃は悶えた。


「もう時代は貧乳なのです。時代は貧乳を求めているのです。世間をご覧なさい。どこもかしこも巨乳、巨乳。右を見れば巨乳、左を見れば爆乳、後ろを振り返れば超乳。巨乳は飽和状態にあるのです」

「それは……」

「巨大化しすぎた恐竜が滅びたように、巨乳化されたロボットも淘汰される運命なのです。これは進化です。進化を受け入れるのです。そうすれば、ご主人様と楽しく暮らせるのですよ?」


 メル子は震えた。黒メル子の言うとおりかもしれない。『我々はやりすぎたのだ』。『限度があったのだ』。『でかければいいというものではないのだ』。


 メル子は黒乃の丸メガネを見た。その丸メガネに映る自分を見た。かつての豊かだった自分はもういない。


「ご主人様……」

「メル子……」


 メル子は見た。視界の端に、ニヤリと笑う黒メル子の顔を。急激に怒りが湧いてきた。

 進化とは『変異』である。環境に有利な変異を持つ個体は生き残りやすい。メル子は『変異』していた。


「ご主人様は……私のものです!」


 メル子は突進した。いつの間にか膨らんでいた(アイ)カップで、黒メル子のAカップを弾き飛ばした。


「ぎゃん!」

「黒メル子ぉおおお!」

「私の勝ちですね!」


 進化とは『選択』である。強い変異を持つものが勝ち、生き残る。これを自然選択と呼ぶ。

 進化とは『遺伝』である。強い巨乳への思いがブランクナノマシンを巨乳ナノマシンに変化させ、爆発的に増殖していった。メル子の巨乳は、完全に復活していた。


「これで勝ったと思わないことですね!」


 黒メル子はよろよろと立ち上がると、捨て台詞を吐いて小汚い部屋をあとにした。残された黒乃と巨乳メル子は、ひしと抱き合った。


「ご主人様! 元に戻りました!」

「メル子ぉおおおお!」


 メイドロボはご主人様の平らな胸の中でつぶやいた。


「ひょっとして、ご主人様と黒メル子は、このためにわざとイチャイチャしていたのですか……?」

「ええ? あ、うん。え? あ、はい。うん。もちろん、そうよ」


 こうして、貧乳ロボ事件はとりあえずの幕を閉じた。原因は不明であり、全国にはまだまだ被害に遭ったロボットが残されている。だが、今回の治療法が広まれば、直に事態は収束するであろう。



 その時、階下から声が聞こえてきた。


『直りましたのー!』

『お嬢様が一日中揉んでたら直りましたのー!』

「それだけでいいんかい」


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