第483話 ラーメン大好きメル子さんです! その十四
天を貫く巨大な日時計。その足元を白ティー丸メガネ黒髪おさげののっぽと、金髪巨乳メイドロボが歩いていた。
「ふぅふぅ、ようやく涼しくなってきたな」
「本当ですね。まだ秋らしさは感じませんが」
街路樹の葉は青く繁り、空気は湿り気を帯びている。夏の余韻を色濃く残した町は、幾分物憂げに人々を迎えた。
ここは東京ソラマチというショッピングモールだ。スカイツリーに隣接したこの巨大な施設は、昼夜、平日休日を問わず、大量の観光客が出入りをしている。
「ご主人様がソラマチとは珍しいですね」
「うん、本当はあんまりきたくないんだよね。知っている人に出くわすからさ」
黒乃は会社を起こす以前は、この付近のゲーム会社に勤務していたのだが、とある事件をきっかけに首を切られてしまった(115話参照)。この業界は狭い。会社を移ったとしても、どこかしらで繋がりというものはあるものだ。
「しかし、賑やかですね。浅草とはまた違った雰囲気です」
「うん、それが、苦手、なのだ。なんかおしゃれでさ」
二人はソラマチの施設に入り込んだ。浅草に比べて客層は若く、女性が多い。OL、OLロボ、女学生、子連れの母、マダム。おしゃれさん、おしゃれさん、そしておしゃれさん。黒乃は場違いな場所にきたのではないかと思い、白ティーを縮こまらせた。
「ご主人様、もっと堂々と白ティーを張ってください。それがご主人様の正装なのですから」
「うん……」
メル子は自身の正装である和風メイド服の裾をなびかせた。この場の誰よりもおしゃれさんであることに、微塵の疑いも抱いていないその姿は、黒乃を元気付けた。
「ところでご主人様。今日はどのようなラーメンをいただけるのでしょうか?」
「今日はね、ご主人様の宿敵とも言っていいラーメンだね」
「宿敵!? どういうことですか!?」
二人はエスカレーターを幾度も乗り継ぎ、上階へと昇っていった。窓から見える景色は青さが増し、天空へといざなわれているかのように思えた。
ようやくたどり着いたのはソラマチの六階、グルメタウンだ。多くの飲食店がひしめき合い、店の前にはお上品な行列ができていた。黒乃とメル子は奥に向かって歩いた。
「ここ、ここ」
「ここですか! 『ロボCH』ですね! ここ……ラーメン屋さんですか!? バーかなにかの間違いでは!?」
メル子の言うとおり、その店構えはラーメン屋にも、中華料理屋にも見えなかった。窓はなく、分厚い扉があるだけだ。黒乃はその扉を押した。扉が重すぎて開かなかったので、気合いを入れ直して押した。
「ええ!? なんですか、ここは!?」
メル子が推察したとおり、店内はまるでバーを思わせる雰囲気で満ちていた。薄暗い間接照明、流れるジャズの音色、分厚い一枚板のカウンター、座面が高めのスツール。どこをどう見てもラーメン屋の要素はない。他の客も、いるのがわからないくらい静かだ。
「ご主人様、ずいぶん雰囲気を作り込んでいますね」
「だね」
二人は静かにカウンターに座った。すかさず店員ロボがグラスを二つ持ってきた。メル子はそのグラスを見て首を捻った。
「なにか……平べったいグラスですね」
普通グラスは縦に長いものだが、これはなぜか平べったい。手に持って一口飲む。
「うーむ、飲みにくい」
「普通の水ですね。ご主人様、そろそろ教えてください。今日のラーメンはいったいなんなのですか? 醤油ラーメンですか? 塩ラーメンですか? 家系ですか? 背脂チャッチャ系ですか?」
黒乃は持ちにくいグラスを思い切り傾けた。高さがないため、簡単に水が溢れ、白ティーの襟を盛大に濡らした。
「ゴホッ! ゴホッ! ハァハァ、今日はね、『意識高い系ラーメン』を食べにきたんだよ」
「意識高い系!? なんですか、それは!?」
意識高い系ラーメン。二十一世紀初頭に生まれたラーメンの一種。
「意識高い系ラーメンとはなにか? それは一言で言い表すことはできない。具体的な定義がないからね。どこかの地方のラーメンでもないし、特定の味でもない。特定のスタイルかと言われても違う」
「では、なんなのですか!?」
「それは食べればわかる。意識高い系にはいくつかの共通の『こだわり』があるからね」
「こだわりですか?」
黒乃はカウンターに置かれたメニュー表を手に取った。筆ペンで書かれたそれは、おしゃれさと読みにくさの境界をさまよっていた。
こだわりポイントその一、メニューが筆ペンの手書き。
なめらか地鶏のちゃあしゅうらぁMen……¥1500。
ジンジャー純牛の煮込みブラックらぁMen……¥1700。
イベリコ豚の天空ベジつけMen……¥1800。
〆のリゾットご飯……¥400。
クラフトビール……¥600。
「なにか……まったく想像ができないラーメンなのですが……」
「うむ……」
こだわりポイントその二、メニューがわからない。
「そして、結構なお値段しますね……」
「うむ……」
こだわりポイントその三、料金がお高い。
「素直にラーメンと言わないのはなぜなのですかね……」
「なんでだろうね……」
こだわりポイントその四、ラーメンとは呼ばない。
「やたらと化学調味料を使用していないことをアピールしてきますね……」
「うん、あと国産食材使用もね……」
こだわりポイントその五、国産と無化調にこだわる。
二人はなめらか地鶏のちゃあしゅうらぁMenをオーダーした。
聞き慣れないジャズが、二人の右耳から左耳へと通り過ぎていく。厨房からはなにも聞こえてこない。鍋を振る音も、餃子を焼く音もない。後ろの席に座る客が立てる食器の音すらも聞こえない。
「ご主人様、今なんの時間ですか?」
「今ね、ラーメンができあがるのを待ってるの」
「そうでした。忘れていました」
こだわりポイントその六、調理時間が長い。
いよいよ料理が運ばれてきた。メル子の前に巨大な器が置かれた。メル子はその器を覗き込んで仰天した。
「ええ!? なんですかこれは!?」
麦わら帽子をひっくり返したようなその姿は、とてもラーメン丼には見えなかった。通常の丸くて白い丼ではなく、いびつな形に無造作に釉薬が塗られたような、良く言えば前衛的、悪く言えば出来損ないといった風情のものだ。
こだわりポイントその七、器がえぐい。
しかし、メル子が驚いたのは器ではなかった。
「量が少ない! どういうことですか!? 丼の底の方にちょびっとだけしか入っていません! しかも、具がまったく乗っていません! これで千五百円!? 店長! 出てきてください店長!」
「こらこら、落ち着きなさい。実際量は少ないんだけど、器が大きい分、ちょっぴりしか入っていないように見えるだけだから」
黒乃は興奮するメル子をなだめた。
「ハァハァ、そういうものですか。これは失礼しました」
こだわりポイントその八、なんか量が少ない。
「いやでも、ご主人様。見た目はすごくきれいですよ!」
メル子は改めて器を眺めた。丼の底には透き通ったスープに、整えられた細麺が浸かっていた。具が乗っていないのは、器のへり(麦わら帽子のつば)の部分に乗っているからなのであった。
こだわりポイントその九、具は分けて置く。
「これはね、具をスープに入れてスープが濁るのを避けるためなんだよね」
「なるほど……では!」
「「いたーだきーます!」」
メル子は異様にでかいレンゲでスープをすくった。
こだわりポイントその十、レンゲがでかい。
「んん! おいしい! やたらと色が薄いから塩ラーメンかと思ったのですが、しっかりと醤油の味を感じます! そして、なんとも優しくて複雑な味わいです!」
「これはタレに白醤油を使っているんだね。無化調だと、いろんな食材から出汁を取らないといけないから、味が複雑になるんだよね。そこをうまくまとめているよ」
次は麺だ。真白いストレートの細麺を箸で持ち上げる。そのまま顔を近づけ、勢いよくすすった。すると、あっという間に口の中に吸い込まれていった。
「ちゅるちゅるです! スッと口の中に入ってきました!」
「麺が整えられていて絡んでいないから、一すすりでいけちゃうね」
こだわりポイントその十一、麺線を整えることに異常な情熱を燃やしている。
「このプツプツとした歯応えもたまらないですね。それに噛んだ後にスッと鼻に抜ける小麦の香り。これが国産の小麦の力ですか」
「小麦を石臼で挽いているから、熱が出ずに香り豊かな粉になるみたいよ」
こだわりポイントその十二、石臼が好き。
いよいよ具である。丼のへりには、鶏チャーシュー、メンマ、刻みネギ、三つ葉、粒マスタード、柚子胡椒がきれいに盛り付けられていた。
こだわりポイントその十三、盛り付けに命を懸けている。
「ご主人様……この鶏チャーシュー、うっすらと赤さが残っていますが、大丈夫なのでしょうか?」
「低温調理でしっかりと温度管理はしているから、大丈夫だとは思うけど……」
こだわりポイントその十四、チャーシューは赤い方がいいと思っている。
*注意
ここで作者から読者の皆様へご注意です。このような赤いチャーシューをレアチャーシューと言いますが、赤い肉は食中毒の危険があります。このお店は温度管理をしっかりしているので問題ありませんが、管理が不十分で肉に火が入っておらず食中毒を起こす事件が実際に発生しています。レアチャーシューは自分の判断で充分に安全を確認し、危険だと思ったら食べないようにしてください。
二人はレアチャーシューをスープにつけ、口に運んだ。
「ふわああああ、このチャーシュー、信じられないくらいなめらかです」
「パサパサ感がまったくないね。低温調理で時間をかけて熱を通しているから、硬くならずに肉汁も逃げないんだよ。味付けはタレじゃなくて、スパイスを使っているから、スープを濁らせずに味変を楽しめるよ」
具は必ずしもスープに浸ける必要はない。黒乃はメンマに柚子胡椒をつけ、そのまま齧った。
「あ〜、これもうおつまみになってるわ」
メル子はレアチャーシューに粒マスタードをつけて食べた。
「淡白な鶏に粒マスタードの鋭い辛味。たまりません!」
麺をすすり、スープを飲み込み、具を齧る。いつの間にか、おしゃれな器は恥ずかしげもなく底を晒していた。それを見届けると、二人は手を合わせた。
「「ごちそうさまでした!」」
こだわりポイントその十五、なんだかんだでうまい。
二人は、エスカレーターを下っていた。心地がよい腹具合。人間として、一つ大人になったかのような錯覚。不思議な満足感を覚えていた。
「ご主人様、おいしかったですね。初めは戸惑いましたけど」
「戸惑うのも無理はないかな。実はね、意識高い系ラーメンって、揶揄の意味も含まれているんだよ」
「揶揄ですか?」
「ラーメンってそもそも庶民的な安い食べ物でしょ?」
「もちろんそうですね」
「でも彼らは、庶民的ではないお値段でラーメンを提供するわけさ。しかもラーメンらしからぬ、おしゃれな演出を込めたりしてね」
「はあ」
「人によっては、それが気に入らなくて馬鹿にしたりもするのさ。ラーメンは安いもの、無骨なもの、おしゃれとは正反対のもののはずってね」
「まあ、わからなくはないですが」
二人はエスカレーターを下り、ソラマチの施設から抜け出した。
「彼らはその常識を打ち破ろうとしているんだよね。ラーメンは高くてもいい、おしゃれでもいい、自由でいいっていうこだわりを持ってね。そのこだわりが、その足掻きが、素っ頓狂に見えてしまうこともあるわけさ。実際すべってる店もあるしね」
「なるほど」
「でもご主人様は、その足掻きを評価したいね。ひょっとしたら彼らの中から、新しいスタイルを生み出す職人が現れるかもしれないしね」
「……」
黒乃は空を見上げた。遥かな高みにそびえ立つスカイツリーの威容。
「ご主人様もそろそろ、次なる一歩を踏み出さないと。新しいものを生み出すために、足掻かないと」
そのためにここにきたのだ。黒乃はちらりと以前勤めていた会社があるビルに視線を向けた。
黒乃は歩き出した。浅草へ向けて歩き出した。メル子は一歩下がってそのあとを歩いた。
「背中からお支えします、ご主人様」
「えへへ」
愛しのメイドロボが後ろにいるのなら、ご主人様はひたすら前に進むだけでいいのだ。




