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第482話 浮気です!

 九月の日差しが遠慮なく差し込む教室で、黒いセーラー服を着た少女は大きく伸びをした。開けられた窓からねっとりとした風が吹き込み、ごんぶとおさげを左右に揺らした。大きな丸メガネはようやく光を取り戻し、目の前の紙切れが用済みになったことを知らせた。


「ふぁ〜、やっと課題が終わった〜」

鏡乃(みらの)ちゃん、お疲れ〜」

「鏡乃ちゃん、がんばったね〜」


 鏡乃が教室に居残って課題に取り組む姿を、両脇から挟み込むようにして見守っていたクラスメイト二人は、必要以上に鏡乃に引っ付いた。


「うん、がんばった! でも、これからもっとがんばらないと!」

「今から部活?」

「ちゃんこ部なの?」

「うん! 来週、ちゃんこ部と茶道部の対決があるから! 稽古しないと!」


 鏡乃は馴れ馴れしく触ってくる二人を跳ね除けた。教室を飛び出していく鏡乃を、二人は名残惜しそうに見送った。


「鏡乃ちゃん、がんばってね〜」

「対決、応援にいくからね〜」

「ごっちゃんです!」


 鏡乃は走った。途中、風紀委員にそれを注意されたが、勢い余って巨ケツで弾き飛ばしてしまったので、知らんぷりして走り去った。真っ先に浅草寺の近くにある美食ロボ部へいきたいところではあるが、先に部室棟に寄らなければならない。


「美食ロボ、お腹空かせてるかな」


 元茶道部かつ元ちゃんこ部かつ現美食ロボの棲家である部室を目指した。校庭からは野球部やサッカー部の掛け声が響いてくる。荒川の河川敷へ、ペグマタイトを採掘しに向かう地学部に出会した。軽音部の部室からはギターの音色が溢れ、自転車部の部室からはアニメソングが漏れ出ていた。

 ここ浅草私立ロボヶ丘高校は、部活動に力を入れており、すべての生徒はなんらかの部活に所属することが義務付けられている。どの部活も活気に満ちていた。


「あ、帰宅部のまろみ里君! 今日はお帰り!?」

「あ、黒ノ木しゃん、帰宅部なので帰りましゅ。またあしゅた」

「また明日ね!」



 スキップをしながらようやく部室にたどり着いた。扉を開けると、四畳半の囲炉裏の前に、腕を組んで座る着物姿のロボットがいた。


「美食ロボ! ごっちゃんです!」

「ほう、鏡郎(みらろう)か。遅いではないか」

「ごめんごめん、居残りで課題やってたの」

「居残りときたか。フハハ、フハハハハハ!」

「はい! おやつのジェノベーゼおにぎり! ゆっくり食べてね!」


 美食ロボはおにぎりを受け取ったが、それを見つめたまま動かなくなった。


「どったの、美食ロボ? お腹減ってないの?」

「鏡郎、お前は大事なことを見落としているようだな」

「どゆこと?」


 鏡乃は首を傾げたが、答えが得られないのはわかりきっていたので部室を出ることにした。


「ふぁ〜、じゃあ美食ロボ部にいこっと。先輩達、稽古がんばってるかな」


 その時、隣の部屋から声が聞こえた。そこは元相撲部かつ現茶道部の部室だ。


「シューちゃんの声だ! でも、もう一人いるみたい。誰だろう?」


 急がなくてはならないが、ルームメイトが誰と話しているのか知りたくて、部室の窓からそっと覗き込んだ。


「あ、シューちゃん、いたいた」


 奥の座敷に正座し、落ち着いた動作で竹製の茶筅(ちゃせん)を動かす桃ノ木朱華(もものきしゅか)。その明るい色のショートヘアと、真っ赤な厚い唇が、茶筅の動きに合わせて揺れた。


「シューちゃんもお稽古がんばってるな〜……あ!」


 鏡乃は座敷の奥にいる人物に気が付いた。長い白髪を頭の上で結い上げた切れ長の目の女生徒が、膝をついたまま朱華の横に擦り寄った。


「茶鈴先輩だ!」


 茶柱茶鈴(ちゃばしらちゃりん)。通称茶々様。ロボヶ丘高校三年生。茶道部の部長である。生徒会長を務めたこともあり、そのカリスマ性により、生徒達からアイドル扱いされている。

 茶々様は朱華の手を握った。


「あ……」

「茶筅はこう動かしますえ」


 茶々様の滑らかな所作が、手のひら越しに朱華に伝わり、抹茶が泡立っていく。それとともに朱華の丸い顔も朱く染まっていった。


「どないしたんどすか、朱華はん。顔が桃みたいになってますえ」

「茶鈴部長、近すぎです」

「こら指導どすえ。なんか勘違いをしてまへんか?」


 茶々様の『指導』はますますエスカレートし、その真白い腕は腰に回され、尾骨と尾骨が密着した。その様子を鏡乃は窓の外からプルプルと震えながら見ていた。


「はわわ! はわわわわ! シューちゃんと茶鈴先輩が! はわわわわ!」


 茶々様は扇子を懐から取り出し、片手で器用に広げた。それを扇ぐと、見えない桜吹雪が部屋中に舞い散ったかのように感じた。鏡乃はその光景から、目が離せなくなっていた。


「暑おすなぁ。窓から虫入ってきそうどす」


 桜吹雪柄の扇子がパチリと音を立てて閉じられ、その先端は鏡乃のいる窓に向けられた。


「あ、閉めて冷房効かせますね」


 我に返った朱華は立ち上がると、窓を閉めようと近寄ってきた。


「あれ? 誰かおったんやろか? バジルの香りがしてはる」


 朱華が周囲を見渡してみると、そこには人の気配はなかった。


「虫入るさかい、閉めとぉくれやす」

「あ、はい」


 朱華は窓を閉めた。





 ボロアパートの小汚い部屋。黒乃とメル子は夕食後のティータイムを楽しんでいた。いつもと違うのは、二人の目の前に少女が正座していることだ。


「朱華ちゃんが一人でうちにくるなんて珍しいな」

「なにかありましたかね?」


 朱華は差し出された紅茶を一口飲むと、つぶやいた。


「結構なお手前で」

「ふふふ、メル子の紅茶は世界一だからね」

「うふふ、当然ですよ。世界一の紅茶ですよ」

「ふふふ」

「あはは」


 目の前で繰り広げられるイチャイチャに、朱華は憧憬を抱いた。


「ええなあ」

「ん? なにが?」

「朱華ちゃん、鏡乃ちゃんはどうしたのです?」


 メル子の問いかけに、朱華は萎れた花のような表情になった。しばらく視線を泳がせたのち、ようやく語り出した。


「ミラちゃん、部活から帰ってからウチと口聞いてくれへんの」

「ええ?」

「あらら。喧嘩でもしたのですか?」

「たぶんやけど……」


 朱華は、茶道部の部室でのことを二人に話した。


「なるほどねえ」

「まずいところを見られてしまいましたね」


 事情を察した黒乃は、腕を組んだ。メル子は、うなだれる朱華の頭を優しく撫でた。


「まあ、メル子もご主人様が他のメイドロボとイチャイチャしていると、烈火の如く怒るからねえ」

「怒りませんよ! なにを言っていますか! どうして私がそんなことで怒る必要がありますか! キー!」

「そんでさ、実際のところ朱華ちゃんとしてはどうなのさ? ほら、茶柱さんとはさ、ぐへへ」

「ご主人様! デリカシーがなさすぎですよ!」


 朱華は間をおかず言い切った。


「ウチは、茶鈴部長を尊敬してはります。茶道のお手前はピカイチやし、指導は的確やし(エロいけど)、みんなをまとめ上げるカリスマもあるし」

「おお」

「それにキレイやし、いい香りするし、やわらかいし、温かいし……」

「あかーん! 軽く落とされている!」

「とんでもないタラシの部長さんですね!」


 次第に熱が入ってきたのか、朱華の顔が桃色に染まった。


「せやけど、ウチがいっちゃん好きなのは、ミラちゃんや!」

「おお!」

「言いました!」


 息を切らす朱華の背中をメル子は撫でた。紅茶を一飲みし、ようやく落ち着きを取り戻した。


「桃智姉ちゃんは言いました」

「はいはい、桃ノ木さんね」


 朱華は、黒乃の後輩である桃ノ木桃智(もものきももち)の妹なのだ(427話参照)。


「ぜったいにミラちゃんを逃したらあかんって!」

「ヒェ」


 朱華は改まって二人に頭を下げた。


「だから、ミラちゃんの誤解を解くのに協力してください」


 黒乃とメル子は顔を見合わせた。そして、お互い少し困ったような笑顔を見せた。


「学生らしくていいねえ。私の学生時代はそんな甘酸っぱいことなかったよ。けっこうモテはしたけど」

「ご主人様、協力してあげましょうよ!」


 黒乃は重すぎるケツを上げた。


「よっこらショッピング。ふふふ、姉として、一肌脱ぎますか!」

「朱華ちゃん、ご主人様がおケツを上げたからには、もう平気ですからね!」

「黒乃さん! メル子さん!」


 朱華の表情が、桃の花のように明るく咲いた。





「おいーっす、鏡乃いるかー?」

「鏡乃ちゃん、入りますよ」


 黒乃とメル子は、ボロアパートの一階の角部屋にやってきた。黒乃の部屋とは対角線上の位置にある。二人が呼びかけるも、中からの反応はない。別に鍵がかかっているわけではないので、黒乃は遠慮なく扉を開けた。


「鏡乃ー? 飯は食べたのかい?」

「まだですよね? 私が作って持ってきましたよ!」


 黒乃と鍋を持ったメル子が部屋に侵入した。間取りは黒乃の部屋とまったく同じの小汚い部屋だ。女子高生らしくファンシーなグッズで溢れており、ぬいぐるみの山ができていた。その山の中から、巨ケツが一つはみ出ていた。


「いたいた、鏡乃。クロちゃんだよ」

「鏡乃ちゃん! ご主人様がきてくれましたよ!」


 三人は巨ケツの前に座った。しかし巨ケツは黙して語らなかった。


「鏡乃、話は聞いたよ。ほら、誤解なんだよ。朱華ちゃんはぜったいに浮気とかしていないから」

「そうですよ、鏡乃ちゃん! ただちょっと指導に熱が入りすぎて、ちょっとエロくなってしまっただけなのですよ! 決してやましい気持ちがあったわけではないのですよ!」


 次々と巨ケツに言葉を投げかけるが、巨ケツはすべてを跳ね返した。たまりかねた黒乃は、思わず巨ケツをべチンと叩いてしまった。


「ぎゃぴー!」


 プルプルと震える巨ケツ。いつしかそれは哀愁を放ち始めていた。


「ミラちゃん、聞いて」


 朱華の言葉に巨ケツの揺れが止まった。


「ウチは茶鈴部長を尊敬してはる。でもね、ウチが好きなんはやっぱりミラちゃんだけなんよ。ウチはミラちゃんのお嫁さんやもんね。昔誓ったもんね。ぜったいにミラちゃんのお嫁さんになるって。今もその気持ちは変わってへんよ。ミラちゃんもそうでしょ?」


 巨ケツが一回縦に揺れた。


「ミラちゃん……」

「ケツで返事すな」


 ぬいぐるみの山の中に巨ケツが引っ込むと、代わりに丸メガネが顔を出した。


「鏡乃ちゃん! ようやくお顔を見せてくれましたね! さあ! 仲直りです!」

「ずるい……」

「え?」


 鏡乃はつぶやいた。丸メガネから雫がこぼれ落ちた。


「ずるいとは?」

「シューちゃんだけ、茶鈴先輩とイチャイチャしてずるい!」

「え?」

「え?」

「え?」


 丸メガネが引っ込み、再び巨ケツが尻を覗かせた。


「鏡乃も茶鈴先輩とイチャイチャしたかった!」


 巨ケツから咽び泣く音が聞こえた。プルプルと震える一同。黒乃も、メル子も、朱華も、巨ケツも震えた。


「あの、朱華ちゃんが茶鈴ちゃんに取られたと思って怒っていたのではなかったのですか?」

「違う」

 メル子は思わず巨ケツを叩いた。「ぎゅぽー!」


「お前、朱華ちゃんが悲しんでクロちゃんのところに相談にきたんだぞ? わかってんのか!?」

 黒乃も思わず巨ケツを叩いた。「ぽきー!」


「ミラちゃん、ウチがどれだけ心配したと思っとるん?」

 朱華も遠慮なく巨ケツを叩いた。「にゃりー!」


 たまらずぬいぐるみの山から飛び出してきた鏡乃は、散々転がり回った挙句、そのまま動かなくなった。


「判(ケツ)を言い渡す。有罪(ギルティ)!」

「では、これで解(ケツ)ですね」

「ミラちゃん、来週の対(ケツ)、楽しみやね」


 ケツだけに!


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