第478話 サボりマス!
浅草寺から数本外れた静かな路地に佇む趣きのある紅茶店『みどるずぶら』。その店の前を、クラシカルなヴィクトリア朝のメイド服を纏ったメイドロボ、ルベールがほうきを手に掃除をしていた。
『貴様らーッ!!』
隣の古民家から、怒号が漏れ出してきた。ルベールは思わず目を丸くした。
勢いよく立ち上がり、血走った丸メガネで社員達を睨めつける白ティー黒髪おさげののっぽ。ここゲームスタジオ・クロノスの社長黒ノ木黒乃である。
「よく聞けー!!」
「……夏休み明けそうそう、うるさい」
左隣に座るお絵描きロボのフォトンは、青いロングヘアを黄色に変色させて両耳を塞いだ。
「先輩、どうしました?」
向かいの席からモニタ越しに覗き込んできたのは、真っ赤な厚い唇が色っぽい桃ノ木桃智だ。
「わ〜お、シャチョサン、わっつろ〜ん?」
左向かいに座っているのは、ボリューム満点の銀髪を盛大に広げているムチムチボディのアメリカ人、ルビー・アーラン・ハスケルだ。そばかすの浮いた顔に、死んだ魚のような目が乗っている。なぜか頭部に、発光素子をつけていた。
「貴様らーッ! いつまでも夏休み気分でいるつもりじゃあるまいなー!?」
「……なんでさっそく宿題忘れたクロ社長が偉そうにしてるの」
黒乃は本日提出するはずの資料の作成をすっかり忘れており、徹夜で作業をしたものの、結局間に合わなかったのだった。
「えへへ。それはそうと、FORT蘭丸ぅ!」
黒乃は左向かいのムチムチ美女を怒鳴りつけた。すると、その頭の発光素子が激しく明滅した。
「わ〜お?」
「夏休み前に渡しておいたデータ解析は、終わっとるんだろうな!?」
「だーりん、やってなかったよ〜」
「なんだと、貴様ーッ!」
黒乃はプルプルと震えて椅子に座った。
「まあいい、まあいい。だが明日までにはやってこいよ!」
「だーりんに伝えるね〜」
「ハァハァ」
黒乃は額から流れる汗を拭った。
「先輩、とりあえず先方に提出する資料については、向こうが定めた要件の不備を見つけたという理由で、提出の延期を打診しておきました」
「おお! さすが桃ノ木さん。助かるよ。フォト子ちゃん!」
「……なに?」
「夏休みはどうだったの!?」
「……陰子先生と山に修行にいってた」
「そうなんだ! 楽しかった!?」
「……えへへ、楽しかった」
「よかったね!」
こうして午前の業務は滞りなく進められた。
正午。壁掛け時計がアラームを鳴らした。その音を聞いた途端、フォトンが立ち上がった。
「……お昼、お昼。クロ社長、早くいこ」
フォトンは黒乃の白ティーを引っ張った。本日メル子は、仲見世通りで出店の営業中だ。
「はいはい、白ティーを引っ張らないで。FORT蘭丸ぅ!」
「ほわ〜っつ?」
「どうした、ランチにいくぞ! さっさと準備しろ!」
「あいむすと〜く」
クロノス一行は残暑厳しい浅草の町に繰り出した。もう世間の夏休みは終わったが、浅草にとっては関係ない。いつもどおりに人で溢れ、いつもどおりの活気がさらに町を暑くしていた。
太陽に炙られ、白ティーはあっという間に汗を吸い込んだ。その横を歩いているルビーのタンクトップは、汗でスケスケになっていた。
「あついね〜、今年はあついね〜」
「……大丈夫?」
フォトンはふらつくルビーのムチムチおケツを後ろから押した。ようやくメル子の南米料理店『メル・コモ・エスタス』にたどり着くと、そこでは金髪巨乳メイドロボが元気よく調理をしていたのだった。
「皆さん! いらっしゃいませ!」
「……メル子ちゃん、ランチちょうだい」
「フォト子ちゃん! どうぞ!」
フォトンはプレートを受け取った。本日のメニューはトゥルーチャ・ア・ラ・プランチャ。トゥルーチャは鱒で、プランチャは鉄板焼きだ。
フォトンはプレートを持って出店の横に回り込んだ。ベンチが設置されており、座って食べられるのだ。
「あら、まあ。お代は払わなくていいのかしら?」
先にベンチに座っていた老婆から声をかけられた。
「……うちの社員は、ここのお店のランチがただで食べられるの」
「まあ、いい会社ねえ」
「……えへへ、いいでしょ」
フォトンはご満悦でランチを頬張った。それに対し、ルビーは不審な目をプレートに向けていた。
「どした、FORT蘭丸?」
「わた〜し、お魚苦手ね〜」
「貴様ーッ! メル子の料理を愚弄するかーッ! 残さず食べんかい!」
ルビーは頭の発光素子を明滅させながら料理を口に運んだ。
ランチのあとは、みんなでお昼寝タイムである。事務所の二階は仮眠室になっており、男性用の部屋と女性用の部屋に分かれている。
「さーて、お昼寝して、午後からも元気に働くよ」
「……うふふ、みんなで寝るの久しぶり」
「先輩、電気を消しますよ」
「わ〜お、このお布団、ぺったんこね〜」
黒乃、フォトン、桃ノ木、ルビーはそれぞれ布団に潜り込んだ。
「ん?」
「先輩、どうかしましたか?」
「あれ!? FORT蘭丸、貴様ーッ!」
「わっつ?」
「どうして、女子の部屋におるんじゃい! お前は向こうの部屋でしょうが!」
「そ〜すり〜ぴ〜」
ルビーは構わず布団にもぐり込んだ。黒乃は布団を勢いよくもぎ取ると、駄肉満載の脇に腕を回して引きずり出そうとした。
「あれ? なんか、やわらかい!? いつもの硬いボディはどうした? あれ?」
「シャチョサン、やめて〜」
「あれ? ルビーじゃん! FORT蘭丸じゃない! ルビーだ!」
黒乃はルビーを床に放り投げた。ムチムチの駄肉が盛大に波打ち、揺れまくった。
「……今気がついたの?」
「先輩、朝からずっとルビーさんでしたよ」
「ええ!? うそでしょ!?」
フォトンはルビーの頭に張り付いている発光素子をもぎ取った。地面に転がるダイオードを見て、黒乃はプルプルと震え出した。
「うわあああああ! FORT蘭丸ぅぅうう! お前こんなんなってしまったのかああああッ!」
「……夏休みボケで、クロ社長がおかしくなってる」
「先輩、それはFORT蘭丸君ではなく、単なるダイオードです」
「なんだ、びっくりした」
黒乃はダイオードを床に投げ捨てた。
「てか、なんでルビーとFORT蘭丸が入れ替わってるのよ!? やつはどこにいったの!?」
「だーりんは〜、ハウスに隠れてるよ〜」
「なんで!?」
「仕事にいきたくないって〜、ずっと泣いていたよ〜」
「あんにゃろう! ものども! 出陣じゃ! 支度せぇ!」
黒乃は鬼の形相で、仮眠室の扉を開けた。
——東京湾に面した倉庫街の一角。
水上バスで隅田川を下り、コンテナがあちらこちらに積まれた殺風景な場所に、FORT蘭丸の自宅はあった。コンテナを改造したサイバーパンクな造りで、あちらこちらにコードが伸びており、あちらこちらでビカビカとランプが明滅している。
「ここかーい! 久しぶりにきたな」
「ご主人様のおさげがここで暴走した時以来ですね(224話参照)」
クロノス一行がずらりとコンテナの前に立った。ルビーの話では、夏休み明けで出社するのを嫌がったFORT蘭丸が、ここに立てこもっているらしい。
黒乃は一歩前に進み出た。ルビーの死んだ魚のような目が、不安で濁った。
「シャチョサン、どうか〜、どうか穏便に〜」
「それはやつの出方次第だな。FORT蘭丸ぅ!」
黒乃は声を張り上げた。数秒の沈黙のあと、ハウスのスピーカーから声が響いた。
『黒ノ木シャチョー! ナニをしにきまシタか!?』
「貴様、今日が出勤日だということは知っているな?」
『知りまセン!』
「うそこけ! なぜそんなに出勤したくないんだ? そんなに働きたくないのか!?」
『働きたくありまセン!』
「働く喜びを感じたくないのか!?」
『感じたくありまセン!』
「締切の緊迫感を味わいたくないのか!?」
『味わいたくありまセン!』
「残業の切なさと、寝袋の愛しさを確かめたくはないのか!?」
『確かめたくありまセン!』
「じゃあ、お前はなにを求めているんだ!?」
『働かなくてもお賃金だけくだサイ!』
「貴様ーッ!」
桃ノ木が一歩進み出た。
「FORT蘭丸君、コトリンがロボクロソフトに残していったドライブを一つ預かっているわよ。中身を知りたくない?」
『ちょっと知りたいデス……』
フォトンが一歩進み出た。
「……蘭丸。メル子ちゃんのランチを食べたくないの?」
『食べたいデス……』
メル子が一歩進み出た。
「蘭丸君、皆さんがあなたを頼りにしていますよ。どうか、ご主人様を助けてあげてください!」
『女将サン……』
ルビーが駄肉を揺らした。
「だーりん、みんながだーりんのこと〜、心配してるよ〜。出てきて〜」
『ルビー……』
しばらくの沈黙のあと、コンテナハウスの扉が開いた。
『わかりまシタ……ミンナ、アリガトウゴザイマス。こんなに心配をしてくれるナンて、うれしいデス。ドウゾ、入ってくだサイ』
「蘭丸君!」
「……蘭丸、えらい」
「よかったわ」
「だーりん〜」
一行は吸い込まれるようにコンテナハウスの中に入った。しかし、その中は薄暗く、ほとんどなにも見えなかった。
「蘭丸君? 灯りをつけてください。どこにいますか?」
メル子が声を出した瞬間、入口の扉が自動的に閉まった。外からの光が途絶え、真っ暗闇となった。
「ぎゃあ! なにをしますか!? 開けてください! 蘭丸君! どこですか!?」
『女将サン! ゴメンナサイ! ヤッパリ働きたくありまセン! ボクは旅に出マス! 探さないでくだサイ!』
コンテナハウスに閉じ込められた一行は、暗闇の中、呆然とするしかなかった。
そのころ、FORT蘭丸はコンテナハウスの裏手から逃げ出そうとしていた。いつも通勤に使っている自転車に跨り、ペダルを踏み締めた。
「サヨウナラ、ルビー! ボクは無人島で静かに暮らしマス!」
しかし、なぜか自転車は進まなかった。さらにペダルに力を込める。若干錆びついた車輪は、耳障りな音を立てて空回りするばかりだ。
「アレ? アレ? 故障デスか!? アレ? イヤァー!!!!!!」
後ろを振り向いたFORT蘭丸は、サドルから無様に転げ落ちた。なんと、黒乃が後輪を持ち上げていたのだ。
「イヤァー! シャチョー!? ドウシテ!? 閉じ込めたハズなノニ!?」
「くくくく、こんなことだろうと思ったよ」
自転車を放り投げ、黒乃が一歩迫った。完全に腰を抜かしたFORT蘭丸は、地面を這って逃げようとした。
「イヤァー! 助ケテ! 誰か助ケテ!」
「ああ、助けてやるともさ。お前がしっかりと働けるように助けてやるさ!」
「イヤァー!」
黒乃はFORT蘭丸の腕を掴み引っ張り起こすと、そのメカメカしいボディを抱き締めた。黒乃山の必殺技のさば折りで、木っ端微塵に破壊されるのを覚悟したFORT蘭丸であったが、いくら待ってもその時はこなかった。
「シャチョー……?」
黒乃の目は慈愛に満ちていた。社員に対する労りと、ねぎらいと、思いやりがあった。
「FORT蘭丸よ、働きたくない気持ちはわかる。うちの会社は小さいし、お賃金は安いし、業務も過酷だ。でもな、うちにはお前が必要なんだ。他に代わりはいないんだ。どうか、力を貸してくれないか」
「シャチョー……」
黒乃が腕の力を緩めると、プログラミングロボは膝から崩れ落ちた。
「シャチョー……働きマス。働かせてくだサイ。シャチョーのところで働きたいんデス。明日から働きマス!」
「FORT蘭丸……」
黒乃は寂しく明滅する頭の発光素子を優しく撫でた。夕日が、磨かれたツルツル頭にきれいな輪を描いた。
次の日、FORT蘭丸は普通に仕事をサボった。
「出陣じゃー!」




