第476話 稽古をします! その三
ボロアパートの小汚い部屋に、二人の白ティー丸メガネ黒髪おさげののっぽが寝転んでいた。そのだらしのない姿を正座して見つめているのは、メル子と朱華だ。
「ご主人様」
「ミラちゃん」
二人がそろって声をかけるが、黒乃と鏡乃はピクリとも動かない。
「メル子さん。ミラちゃん、ずっとこんなんなんです」
「ご主人様もそうです。二人そろってダウンとは、なにかありましたかね?」
メル子はうつ伏せに眠る黒乃の巨ケツを手でゆすった。微かに肩を揺らして唸り声を出したが、そのまま再び動かなくなってしまった。
「ミラちゃん、どしたん?」
朱華も鏡乃の巨ケツを執拗にゆすった。二人でケツを揺らしまくるのがだんだんと楽しくなり、そのうちドラムのように叩き始めた。
演奏会が終わると、黒乃は一言つぶやいた。
「大相撲パワーが完全に切れた……」
メル子と朱華は顔を見合わせた。恐る恐るメル子が切り出した。
「あの、ご主人様。前から思っていたのですが、大相撲パワーが切れる理屈がわからないのですが。そもそも、大相撲パワーとはなんなのです?」
「わからん……」
「百歩譲って、大相撲パワーがあるとしまして、それが切れるとご主人様が動けなくなる理由もわかりません。すべての生命エネルギーが大相撲パワーに置き換わっているのですか?」
「わからん……」
朱華は鏡乃の口元に耳を近づけた。
「ミラちゃん、どうやったら大相撲パワーが戻ってくるん? 戻ったら元気になるんやろか?」
「わかんない……」
鏡乃が大相撲パワーに目覚めたのは、わずか半年ほど前のことだ。冬に行われた浅草場所での出来事である(392話参照)。
「以前にも大相撲パワーが切れかけたことはありまして」
「そうなんや。その時はどうしたんやろか?」
「相撲部屋に稽古にいきました(284、357話参照)」
朱華は立ち上がると、床に寝転がるルームメイトの両腕を引っ張った。鏡乃に比べてずいぶんと小さな体の朱華では、引っ張り起こすのに一苦労だ。
「ミラちゃん、いこかー」
「シューちゃん……どこいくの……?」
「浅草部屋やでー」
それを聞いたメル子もご主人様を引っ張り起こした。こうして寝ていても仕方がない。無理矢理にでも大相撲パワーを補給するしかないのだ。
——大相撲浅草部屋。
浅草寺の裏手にある由緒正しい相撲部屋。質素な和風建築の表には、筆書きの大きな看板が掲げられていた。
「たのもー!」
メル子は声を張り上げた。気力を失いゾンボのようにうなだれて立つ白ティー姉妹は、その声に驚き体を震わせた。
「メル子さん! 待っていたッス!」
入り口から現れたのは、二メートルを超える巨躯ボディを持つ大相撲ロボだ。立派な幕内力士である。
「大相撲ロボだぜ!」
「かっこいいッス!」
「でかいッス!」
「ステキデス!」
口々に歓声を上げたのは、浅草市立ロボヶ丘高校ちゃんこ部の面々だ。全員はち切れそうな白ティーで身を守っている。朱華が彼らに連絡を取り、呼び寄せたのだった。
「君達がちゃんこ部の力士ッスね!」
「「ごっちゃんです!」」
大相撲ロボは、快くちゃんこ部を迎え入れた。部屋の中は午前の稽古の真っ最中だ。ぶつかり合う肉と肉、響く勇ましい声、圧倒的な熱気。
「おい、鏡乃山! 本物の相撲部屋だぞ! すげえ!」
「ごっちゃんです……」
興奮するまるお部長に、しおれた返事をする鏡乃。黒乃も同様、二人は稽古部屋の隅に座り込んでしまった。
ちゃんこ部は白ティーを脱ぎ捨てた。ここなら遠慮はいらない。マワシをパンパンと叩き、気合いを入れた。
「いくぜ! お願いします!」
「くるッス!」
まるお部長は、大相撲ロボにぶちかました。しかし、ビクとも動かない。簡単に投げ捨てられた。
「お願いするッス!」
ふとしも遠慮せずにぶつかっていったが、結果は同じだ。
「今度は自分ッス!」
ちゃんこ部で一番体が大きいでかおがぶちかました。一瞬大相撲ロボの体が揺らいだものの、そのまま電車道となった。
「イキマス!」
新弟子ロボが飛び出した。ぶちかますと見せかけて変化をし、横から大相撲ロボのマワシを取った。大相撲ロボは慌てずに上手でマワシをつかむと、そのまま新弟子ロボを吊り上げてしまった。
「マイリマシタ!」
目の前で繰り広げられる稽古を、黒乃と鏡乃は体育座りで見ていた。
「ご主人様は稽古はしないのですか?」
「ええ……? めんどい……」
「ミラちゃん。ちゃんこ部の人達ががんばっとるでー」
「ええ……? そうなんだ……」
メル子と朱華はなんとか姉妹を動かそうと画策するものの、二人は微動だにしないのであった。
午前の稽古が終わり、いよいよちゃんこの時間が近づいてきた。
「みんな! ちゃんこ部の腕の見せどころだぜ!」
「手伝うッス!」
「任せてほしいッス!」
「美食ロボ部の経験を活かしマス!」
ちゃんこ部の四人は厨房へ殺到していった。鏡乃はそれを横目で見送った。
「ミラちゃん、ええのん? みんな手伝っとるで?」
「うん……」
さすがに申し訳ないと思ったのか、鏡乃はわずかに体を動かした。朱華の肩を借り、歩き出した。そのまま厨房に消えた二人を黒乃は呆然と見送った。
「ご主人様、まだ調子は戻りませんか?」
「うん……」
稽古を見ていれば、そのうちパワーを取り戻すかと思っていたが、当てが外れたようだ。
それでもちゃんこはできあがった。大相撲の力士に混じり、学生力士も鍋を囲む。目の前にはグツグツと煮えたぎる塩ちゃんこ鍋、焼き鳥、煮物、刺身。学生達が稽古にくると聞いた大相撲ロボが、奮発してくれたようだ。
「うひょー! うまそうだぜ!」
「たまらんッス!」
「すごい量ッス!」
「大相撲ロボ! 食べてもいいデスか!?」
大相撲ロボは一同を見渡したあと、手を合わせた。
「では、いただくッス!」
「「いたーだきーます!」」
鍋をすすり、焼き鳥にかじりつき、刺身を頬張る。本物の力士とのちゃんこは、学生力士にとって夢のような時間となった。
「まるお部長! 最高ッスね!」
「誘ってくれた朱華ちゃんに感謝ッスね!」
「嬉しいデス!」
「ほんとだな。夏休み明けの茶道部との勝負に弾みがつくぜ! あとは……」
まるお部長は横に座る鏡乃に視線を向けた。
「鏡乃山が復活してくれりゃーなー」
皆が盛り上がる中、ボソボソとちゃんこをすする陰キャが二人。
「ご主人様、おいしいですか?」
「おいしい……」
「ミラちゃん、うまか?」
「うまか……」
なかなか箸が進まないが、それでも二人は食べた。食べなければならないと思ったからだ。
食後のお昼寝のあと、午後の稽古が始まった。秋場所が近いこともあり、力士達の間にピリついた空気が走っていた。それに躊躇したちゃんこ部は、なかなか土俵に入れずにいた。
「冤罪の山! 誤解を恐れず当たるッス!」
「ごっちゃんです!」
大相撲ロボが皆に発破をかけた。その声に背中を押され、弟弟子達は激しくぶつかり合った。
「ルーレット黒! 一か八かはやめるッス!」
「ごっちゃんです!」
「とんでもない四股名ですね……」
メル子は呆気に取られた。
「立ち食いの里! 慌てずじっくり攻めるッス!」
「ごっちゃんです!」
「誰ですか、この四股名を考えたのは」
立ち食いの里は慌ててかっこみ過ぎたのか、相手に身をかわされ地面を転がった。
「バット蹴り! マナーはちゃんと守るッス!」
「ごっちゃんです!」
「時事ネタを四股名にするのはやめた方がいいかと思いますが」
バット蹴りはけたぐりを仕掛けたが、逆にバランスを崩して倒れるはめになった。
「焼きたてのパン! いい焼け具合ッス!」
「ごっちゃんです!」
「この相撲部屋は食いしん坊ばかりですか?」
焼きたてのパンはモチモチキツネ色の肌を勢いよくぶつけていった。
「パッキャラ窓! どうするッス!?」
「パオパオパッス!」
「なにをほざいていますか」
どの力士も必死になって稽古に励んだ。それぞれが長所を磨くべく、弱点を克服するべく、目標を持って取り組んでいる。その姿を見た黒乃と鏡乃は、お互いを支えながら立ち上がった。
「ご主人様!」
「ミラちゃん!」
稽古部屋が静まり返った。皆、稽古の手を止めて二人の動きに見入った。最初に土俵に入ったのは黒乃だ。
「さあ……くるっしゅ」
「お願いするッス!」
闇バイト海がぶちかました。その一撃で黒乃はあっさりと吹っ飛んだ。
「ご主人様!?」
「次は……鏡乃っしゅ」
鏡乃が土俵に入った。タコの罪は簡単に鏡乃を寄り切ってしまった。
「ミラちゃん!」
朱華はその様子を心配そうに見つめた。黒乃と鏡乃は、交代しながら土俵に入った。徐々にではあるが、土俵に立っている時間が長くなっていった。
「次っしゅ……」黒乃山は息を切らしながら言った。
「まだまだっしゅ……」鏡乃山は丸メガネにしたたる汗を拭った。
「黒乃山!」
「鏡乃山!」
その姿を見たちゃんこ部も、我慢できずに土俵に飛び込んできた。活気が、勢いが、大相撲パワーが、神聖なる土俵に戻りつつあった。
「ふにょにょにょにょにょ! これが黒乃山のサバ折りっしゅよー!」
「ぷきょきょきょきょきょ! これが鏡乃山の突っ張りぽき!」
弟子達が土俵の外に吹っ飛ばされた。白ティーから蒸気を迸らせながら蹲踞をする黒乃山と鏡乃山のその姿は、まさに力士そのものであった。
「黒乃山と鏡乃山の復活ッス!」
大相撲ロボも思わず吠えた。その時……!
「おごれる人もひさしからず。尋ねありくほど待ち遠にひさしきに」
稽古部屋が一瞬で凍りついた。先程までの熱気は嘘のように消えた。真夏の稽古部屋が、氷河のクレバスのように音を失った。
「横綱だ!」
「藍王だ!」
「横綱!」
「横綱!」
突如現れた横綱。正確には元第九十四代横綱、藍王。浴衣の下からうっすらと鋼のような筋肉が浮き出ている。髷は落とされているものの、その姿は現役時代となんら変わることがない威厳を放っていた。
「藍王関! いったいなんの御用ッスか!?」
大相撲ロボが慌てて応対にあたった。
この藍王、一見すると人間の力士に見えるが、その正体は超AI仏ピッピを構成する多数の仏像ロボの一体、不動藍明王なのだ。かの浅草事変では宇宙傘を使い、日本中を大混乱に陥れた(400話〜424話参照)。現在はその責任により仏ピッピのユニットから卒業され、独立した一体のロボットとして扱われている。
その藍王が黒乃山の前に再び現れたのだ。
「汝黒乃山調伏の由ちゅうしんしたりける」
「なんて!?」
「ほどへば、へさきに望んできさきをもって吐くべし」
「ええ!?」
「ちよろづのいくさなりとも、えたたかはぬなり」
「ちょっ!?」
それだけ言うと、藍王は岩のような背中を見せて浅草部屋をあとにした。残された面々は、しばらく言葉を発することができなかった。しかし、思っていたことは皆同じだ。
((なにを言っているか、まったくわからん……))
——夕方。黒乃達はボロアパートを目指して歩いていた。
「ご主人様、大相撲パワーはどうですか? 補給できましたか?」
「うーん」
黒乃は両腕を上げて大きく伸びをした。夕日が白ティーを赤く染めた。
「藍王がきたら急に戻ってきたような気がするよ」
「ねえ、クロちゃん! 横綱はなんて言ってたの!?」
「わからん」
「そうなんだ!」
あの横綱の言葉がわかるのはこの世でただ一人であろう。藍ノ木藍藍。横綱の妹である。だが彼女は太平洋に浮かぶ無人島、肉球島へ島流しにされている最中だ。
「ご主人様……」
「ん?」
メル子はうつむいて話した。その目には不安の色が宿っており、それを隠しているかのようだ。
「横綱がなにを言っているのかは、私の超高性能AIでもまったくわかりませんでしたが、雰囲気は伝わってきました」
「ほう? 同じロボットだから通じるものがあるのかな?」
メル子はようやくご主人様の目を見た。
「警告をしにきたのではないでしょうか」
「警告? なんの?」
「わかりませんが……」
緊張したメル子の頬を、黒乃の手が優しく撫でた。メル子はその手に自分の手を添えた。
「なにがあっても、メル子はご主人様が守るから。心配しないで」
「はい……」
それを見た鏡乃は朱華の肩を抱き寄せた。
「なにがあっても、シューちゃんは鏡乃が守るから!」
「ミラちゃん……」
二つの人影は一つに重なり、地面に長く長く伸びた。




