第472話 ちゃんこ部がんばります! その二
八月のボロアパートの駐車場に、白ティー丸メガネ黒髪おさげの少女と、赤みがかったショートヘアに厚い唇が色っぽい少女がいた。
「クロちゃん、いってきます!」
「おう、鏡乃。がんばってね」
「朱華ちゃんも気をつけてくださいね」
「メル子さん、おおきに」
鏡乃と朱華は、見送る姉とメイドロボを背にして歩き出した。今日は部活動の練習日だ。真夏の日差しが二人の黒いセーラー服をチリチリと焦がした。
「暑かねー」
「うん〜。今日は浅草動物園にいきたかったよ〜」
鏡乃はブーたれた。浅草動物園では氷祭りが開催されているらしく、姉がそのチケットを手に入れたのでいっしょにいかないかと誘われたのだ。もちろんいきたかったが、部活があるからと断った。
「残念やね」
「でも、今はちゃんこ部が大事だから、鏡乃がんばる!」
鏡乃は両手の拳を握りしめ、鼻息を荒くした。鏡乃は一つの変化を感じていた。己の中にある、些細な変化だ。
「しーちゃんがね、高校卒業したら父ちゃんの丸メガネ工場に就職するんだって!」
「うん、聞いたでー」
「そんでね、ロボキャット達を肉球島に返してあげるんだって!」
「すごかね」
先日、突如として実家の丸メガネ工場の隣に建てられた謎の工場。その正体は、肉球島を追われたロボキャット達の悲しき工場であった。それを見た姉の紫乃は、彼らのために働くことを決意した(469話参照)。
「かっこよかねー」
「うん! しーちゃん、かっこいい! だからね、鏡乃もがんばらないといけないんだよ。まだなにをがんばるのかわからないけど。えへへ」
朱華は太陽の光を反射する丸メガネを見上げた。陰キャながら、燦々とした光を放つルームメイトの腕にしがみついた。
「ミラちゃんもかっこよか」
「えへへ」
——浅草市立ロボヶ丘高校。
部室棟にやってきた二人は、元茶道部からの元ちゃんこ部であり、かつ現美食ロボ宅の部室の扉を開けた。
「美食ロボ! 元気してる!?」
「ご飯を持ってきたで〜」
四畳半の畳に正座をしていた恰幅のよい初老のロボットは、着物をはためかせてこちらを向いた。
「遅いではないか、鏡郎よ」
「ごめんごめん、朝ご飯作るのに手間取っちゃって」
「はい、食べてや〜」
朱華が鞄から取り出したのは、まんまるたこ焼きだ。
「なんだこの食べ物は!?」
「これね、たこ焼きっていうの。大阪で食べたたこ焼きがおいしかったから、作ってみた」
「フハハハハハ! たこ焼きときたか! いただこう。モグモグ、なんか丸くて柔らかくてうまい! 中になにかが入っていてうまい! この上にかかっている黒いなにかが甘くて酸っぱくてうまい! フハハハハハ! 女将、腕を上げたな!」
美食ロボは大喜びでたこ焼きを完食した。
「全部食べた! えらい!」
「えらかねー」
食事を終えた美食ロボは、囲炉裏の前で腕を組んだまま動かなくなった。
「寝たみたい」
「お昼寝やね」
二人は顔を見合わせて微笑んだ。昼寝の邪魔をしないように、そっと部室を出た。
そのお隣、元相撲部にして現茶道部の部室の前に二人は立った。
「じゃあ、ウチは茶道部にいくね」
「うん! あ、茶鈴先輩いるかな?」
「部長おるで」
朱華は部室の扉を開けた。中には土俵があり、奥の座敷には白髪の女性がいた。
「部長、おはようございます」
「茶鈴先輩! おはようございます!」
「朱華はん、鏡乃はん、おはよう」
この女性は茶柱茶鈴。通称茶々様。ロボヶ丘高校三年生で茶道部の部長だ。切れ長の怪しい瞳が、鏡乃を捉えた。
「クンクン! クンクン! 今日も抹茶ラテのいい香りがしますね!」
「おおきに。そやけど抹茶ラテやのうて、抹茶どすえ。ここは茶道部どすさかい」
挨拶を済ますと、鏡乃は一人で裏門へと向かった。夏休みで誰もいない静かな校舎裏で待ち構えていたのは、巨漢の力士達であった。
「ごっちゃんです!」
「おお、鏡乃山。ごっちゃんです!」
「まるお部長! 遅れてすみません!」
「また、美食ロボに餌をあげてたのか?」
「そうです! ふとし先輩! ごっちゃんです!」
「ごっちゃんです!」
「でかお先輩! 今日もでかいですね!」
「鏡乃山、ごっちゃんです!」
「新弟子ロボ! ボディの調子はどう!?」
「ゴッチャンデス! メンテナンス明けナノで、快調デス!」
こいつらはちゃんこ部の面々だ。みな丸く、体が大きい。張り裂けそうなピチピチの白ティーがチャームポイントだ。
「よし、いくか!」
「「はい!」」
まるお部長の号令の元、ちゃんこ部は走り出した。校門を抜け、目の前を流れる隅田川の土手に登った。隅田川沿いはよく整備されており、ランニングを行うにはうってつけだ。
ちゃんこ部は隅田川沿いを下っていった。真夏の太陽により、全員一瞬で汗だくになった。
「暑すぎるから、十分ごとに休憩をいれるぞ!」
「「はい!」」
大きな体を弾ませ、部員達は必死に走った。川沿いを散歩する老夫婦が、微笑みながら声をかけてきた。
「まあ、お相撲の稽古かしら」
「ちゃんこ部の稽古です! ごっちゃんです!」
「まあ、そうなの」
走る走る。走れば走るほどちゃんこはうまくなる。必死に走ってたどり着いたのは、浅草寺近辺にある高級料亭『美食ロボ部』であった。
足をよろめかせ、数寄屋門をくぐり抜けた。浅草の喧騒が消え、和の静けさにとって代わる。
「ちゃんこ部の皆さん! お疲れ様です!」
屋敷の中から元気よく現れたのは、割烹着姿が初々しい坊主頭のロボットだ。美食ロボ部の若手板前のロボ三である。
「ロボ三! ごっちゃんです!」
「ちゃんこの用意をいたしますので、お待ちください!」
その言葉に部員達は歓声を上げた。現在美食ロボ部はちゃんこ部の傘下に入っており、この料亭はちゃんこ部の部室扱いになっている。先日の鏡乃と美食ロボの相撲勝負の結果、なぜかこうなってしまったのだ。
ちゃんこを待つ間はもちろん稽古だ。料亭の中庭でぶつかり稽古を行う。池に仕掛けられた古風なししおどしの音に、肉体と肉体がぶつかり合う音が交じった。
「鏡乃山! 遠慮せずに当たれ!」
「ごっちゃんです!」
「ふとし! 右脇がお留守だぞ!」
「ごっちゃんです!」
「でかお! でかさに頼り切るな! 動きで翻弄しろ!」
「ごっちゃんです!」
「新弟子ロボ! 関節の可動域が広がったな!」
「ゴッチャンデス!」
ちゃんこができ上がるころには、全員へとへとだ。座敷に折り重なるようにして倒れると、なんともいえぬ芳しい香りが鼻を刺激した。
「さあ皆さん、ちゃんこです!」
ロボ三が黄金色に光り輝く鍋を運んできた。座敷に並べられた料理を見て、疲れは吹っ飛んだ。鍋を囲うように座り、手を合わせた。
「「いたーだきーます!」」
今日の鍋は海鮮ちゃんこだ。白身魚を中心に、貝類と海藻でまとめられている。熱々の魚をいっせいに口の中に運んだ。
「ほふほふ! おいしい! ロボ三! このタラ最高!」
「鏡郎さん、ありがとうございます! フグです!」
「ワカメがたくさん入っているからか、出汁にとろみがついていて味が絡みやすくなっているぜ」
「まるおさん、ありがとうございます! 鏡郎さんが差し入れてくれた、ロボローションから着想を得ました」
「えへへ、クロちゃんの部屋にたくさんあるから」
鍋はあっという間に空になった。大満足の部員達に、ロボ三が茶を振る舞った。
「ロボ三! この茶碗、すごくきれい! 宇宙みたい!」
「あ、はい。先生の蔵から発見したものです。『よーへんてんもく』というらしいです」
「こっちの茶碗も渋いッス!」
「それは『うのはながき』というものらしいです。小汚いので捨てようかと思っていました」
次々に出てくる古めかしい茶器。一行は訝しげにそれを見つめた。
「ロボ三、ずいぶん茶器に詳しいね」
「いえ、俺は詳しくないです。全部茶々様に教えてもらいました」
その言葉にちゃんこ部の面々は動きを止めた。
「茶鈴先輩が!?」
鏡乃は驚いたが納得もした。茶々様は美食ロボ部の会員であり、頻繁にこの料亭を訪れている。加えて茶道部の部長だ。茶器に造詣が深いのだろう。
「それで……あの……」
急にたどたどしくなったロボ三は、一通の封筒を畳の上に置いた。
「それなに?」
「預かったものです。読んでください」
鏡乃は封筒を手に取ると、顔を近づけて匂いを嗅いだ。
「クンクン、抹茶ラテ! 抹茶ラテの匂いがする! これ、茶鈴先輩が書いた封筒だ!」
部員達の間に緊張が走った。宿敵茶道部の部長からの手紙。
「えーと」
『果たし状
浅草市立ロボヶ丘高校ちゃんこ部部長 まるお殿
夏休み明け、美食ロボ部を賭けた決闘を申し込む
茶道部部長 茶柱茶鈴』
「だって!」
まるお部長はプルプルと震える手で、小汚い茶器を床に叩きつけた。
「クソッ!」
「まるお部長!」
「やられたぜ!」
本来ならば、果たし状を叩きつけるのはちゃんこ部の方だった。茶道部との戦いに負け、部室を奪われること二回。根無草になった彼らは、ようやく美食ロボ部という稽古場を手に入れた。部室を取り返すために、ここで厳しい稽古を積んできたのだ。
「それを……それすらもまた奪おうっていうのか!」
皆、顔を真っ青にして震えた。予想外の先手に、ある種の絶望すら感じた。静まり返る座敷に、カタカタと震える音が聞こえた。
「鏡乃山?」
震えていたのは鏡乃の丸メガネであった。鏡乃は思い出していた。父の丸メガネ工場の半分が取り壊される光景を。ロボキャット達の肉球島の工場を。そして今また、大事なものが奪われようとしているのだ。
「させない……」
しかし、鏡乃の心の中には希望があった。それは姉の姿だ。
「しーちゃんは、ロボキャット達のためにがんばるって言ってた。だから、鏡乃もちゃんこ部のためにがんばる! みんな! 戦おう!」
鏡乃は拳を握りしめて立ち上がった。
「鏡乃山! よく言ったぜ!」
「鏡乃山! さすがッス!」
「みんなでもっと稽古するッス!」
「今度コソ、勝ちまショウ!」
全員立ち上がり、拳を突き上げた。
——夕方。
ボロアパートに戻ってきた鏡乃を朱華が出迎えた。
「ミラちゃん、おかえり」
「シューちゃん、ただいま」
鏡乃は両手を大きく上に伸ばし、大欠伸をした。
「まだ眠い」
あのあと、力士らしくしっかりお昼寝をしたのだった。
「なんか、また茶道部と決闘することになった」
「知っとるでー」
朱華は茶道部の部員だ。情報は筒抜けである。
「なんでも茶鈴部長は、美食ロボ部にある茶器がほしいみたいやね」
「そうなんだ! なんか小汚いから、ほしければあげるのにー」
「部長は奪い取るのが好きみたいやで」
「そうなんだ! 変なの!」
そこへ黒乃、メル子、マリー、アンテロッテが浅草動物園から帰ってきた。黒乃の背中には、眠る紅子が背負われていた。
「なんだなんだ、また鏡乃がなんかやらかしたのか?」
「部活でなにかありましたか?」
「あ、クロちゃん! メル子! あのね、聞いて聞いて! 茶鈴先輩がね……」
「ああ、あのすごいべっぴんの子でしょ。今度うちに呼びなよ」
「ご主人様!?」
「すごい! 呼びたい!」
「ミラちゃん!?」
「なんの話ですのー!?」
「やかましおすわいなえー!」
夏休みのボロアパートは、今日も賑やかだ。




