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第471話 動物園です! その三

 八月の太陽が照りつけるボロアパートの小汚い部屋。黒乃とメル子は床に寝転がり、天井の板を眺めていた。


「ああ……暑い……」

「暑いですね……」


 二十二世紀現在、地球は寒冷化傾向にある。二十一世紀の後半にかけて起きた灼熱ともいえるような異常気象に対応するため、全世界規模の巨大プロジェクト『宇宙傘計画』が実行された。地球と太陽の間にあるラグランジュポイントに、巨大な日傘をさそうというものだ。これにより太陽光を細かく制御し、二十二世紀にさしかかるころには、気候は安定傾向へと向かっていた(395話参照)。


「なのに、どうしてこんなに暑いの……?」

「ご主人様がやらかしたからですね」


 400話からの『メイドロボは電気お嬢様の夢を見るか?』編において、宇宙傘の制御権を持つ最強の横綱『藍王(らんおう)』がご乱心。散々に気候をいじくり回したおかげで、現在地球は不安定な状態へと遷移してしまったのだ。


「ご主人様のせいなの!?」

「ご主人様がめいどろぼっちを作ったのが発端ですね……」


 黒乃はプルプルと震えて頭を抱えてしまった。


「それにしても暑いですね……」


 メル子は額から流れる汗を拭った。暑いのには宇宙傘とは別に理由がある。屋根が吹っ飛んでいるからだ。先日の台風によって、ボロアパートは大損害を受けてしまった(464話参照)。雨が入り込まないように、一応の補修が施されてはいるものの、エアコンがまったく効かないくらい雑なものだ。


「早く業者の人きてくれないかな」

「来週にはくるそうです」

「おい、林権田! 暑さで死んでないか!?」


 黒乃はお隣さんに向けて声をかけた。屋根がないので生活音が筒抜けだ。


『平気だぜ!』元気な声が返ってきたが、明らかに無理をしているようだ。


 その時、部屋の扉がノックされた。


「はいはい、どなたでしょうか?」


 メル子が扉を開けると、そこには真っ黒い壁が立っていた。


「ウホ」

「ゴリラロボ! どうしましたか!?」


 体長二メートルを超える巨大な塊は、部屋の外で元気そうに跳ねた。


「暑くないのですか? 部屋に入ってください。いや、部屋の中の方が暑いかもしれませんが」

「ウホ」


 ゴリラロボはメル子にチケットを手渡した。


「なんでしょうか、これは? 浅草動物園、氷祭り開催中!? これをくれるのですか!? ありがとうございます!」

「ウホ」


 ゴリラロボは満足そうに帰っていった。


「ご主人様! 浅草動物園で、なにやら涼しげな催し物があるそうですよ!」

「かー、ゴリラロボのやつ、気が利くねえ。さっそくいってみようか!」

「はい!」


 二人はサウナ状態の小汚い部屋から飛び出した。



 ——浅草動物園。

 隅田川を渡ってすぐの場所に建てられた、動物ロボ専門の動物園。園内に檻はなく、動物ロボ達がのびのびと自由に暮らしているユートピアだ。

 その正門前に黒乃とメル子はいた。


「オーホホホホ! お誘いありがとうございますわー!」

「オーホホホホ! 夏休みで暇しておりましたわー!」

「「オーホホホホ!」」


 金髪縦ロールの少女マリーと、金髪縦ロールのメイドロボ、アンテロッテは動物園の前で高笑いを炸裂させた。そばにいた幼女が指をさした。


「ママー、あれなにー」

「あれはお嬢様という生き物よ。危険だから近づいちゃダメよ」


 謎の幼女とは別の幼女が、マリーのシャルルペロードレスにしがみついた。


「マリ〜、アン子〜、はやくいこ〜」

「オーホホホホ! 今日は紅子(べにこ)さんの面倒は、わたくしが見てさしあげますわよー!」

「オーホホホホ! お嬢様はベビーシッターのジュニアチャンピオンなんでございますわよー!」

「ベビーじゃないもん〜」


 三人は手を繋いで園内に入っていった。それを見た黒乃とメル子も、手を繋いで歩き出した。


「うふふ、今日はのんびり過ごそうか」

「はい! でも、鏡乃(みらの)ちゃんと朱華(しゅか)ちゃんは残念でしたね」

「二人は部活だからね。また今度さ」

「はい!」


 ゴリラロボから貰ったチケットを使いゲートを潜り抜けると、そこには別世界が一行を待ち構えていた。


「うわわ! すごい!」

「雪山です!」


 視線の先には、以前にはなかった巨大な雪山がそびえ立っていた。浅草動物園は森林エリア、岩山エリア、流氷エリアに分かれている。今回のイベントでは、全体が氷エリアになっているのだ。


「涼しい! あちこちに氷が設置されているんだ!」

「ご主人様! あれを見てください! 売店が氷で覆われています!」


 あらゆるものが凍りついている。凍ったベンチ、凍った自販機、凍った案内板。よく見ると、数人のロボット達があちこちに氷を吹き付けているようだ。


「あれだ! 氷結ストロングロボだ!」

「ああやって、園内を凍らせているのですね!」

「紅子さん、いきますわよー!」

「いく〜」


 お嬢様と紅子は真っ先に流氷エリアへと向かっていった。


「ご主人様! まずはどこから回りますか!?」

「いつもどおり、森林エリアにいこっか」

「はい!」


 木が生い茂る森林エリアは雪山エリアへと変貌を遂げていた。葉には雪が積もり、幹は凍りつき、土を踏み締めると霜が砕ける音が聞こえた。


「うひょー! 涼しい!」

「真夏に雪を楽しめるなんて、最高ですね!」 


 メル子は地面に積もった雪を両手ですくい上げ、宙に撒いた。雪の結晶が真夏の太陽に炙られ、光を放ちながら消えていった。


「あはは! あはは! あ、ご主人様! さっそく動物ロボがいましたよ!」


 メル子は木に寄りかかって寝ている白馬へ駆け寄った。


「真っ白できれいです! なんという動物ロボでしょうか!?」

「白い馬なんていたかな? ん?」


 黒乃は白馬の腹を撫でた。すると白い膜が剥がれ、内側から黒い毛皮が現れた。


「これ、雪を体にまぶして涼んでいたんだ! ってかお前、オカピロボ!?」


 全身を撫でていく。すると特徴的なシマシマ模様の後ろ足があらわになった。ようやく黒乃に気がついたオカピロボは、黒乃の頬を舐めた。


「オカピロボ! お前元気だったか!? あはははは、くすぐったいな。あ、靴にうんこした」


 黒乃とオカピロボは、ともにタイトバースで冒険をした相棒である(307話参照)。



 次にやってきたのは流氷エリアだ。巨大なプールに氷が浮いているのが元々の姿なのだが、氷祭り中は全面が氷に覆われ、吹雪が吹き荒れるエリアに変貌していた。


「ひゃー! こりゃ気持ちえー!」

「最高ですね!」


 寒いくらいの風が火照った体を冷ましてくれた。二人で氷の上を走り回っていると、ペンギンロボの群れが横を通り過ぎていった。


「よちよち歩いていてかわいいです!」

「ははは、抱っこしちゃお!」


 黒乃がペンギンロボに手を伸ばすと、フリッパーで思い切りはたかれてしまった。その横でメル子はペンギンロボを抱き締めていた。


「あはは! 羽毛がツルツルしていて気持ちがいいです!」

「なんでメル子は抱っこできるのよ。ん?」


 黒乃は吹雪の中になにかを見た。なにかが氷の上に座っているのだ。


「なんの動物ロボだろ? って、ビカール三太郎やんけ!」

「なにしにここにいますか!?」


 筋骨隆々の肉体、勇ましい髭、鋭い目付きの登山ロボのビカール三太郎は、黒乃達とは視線を合わせずにつぶやいた。


「休む時は死ぬ時だ。生きている間は休まない」

「いや、じゃあ、さっさと歩けよ」

「相変わらず山言語は、なにがなにやらわかりませんね」



 最後に訪れたのは岩山エリアだ。エリア全体が氷結ストロングロボ達によって氷河と化しており、神秘的な風景を楽しむことができる。


「お〜! 見て見てメル子。ライオンロボ達が雪の上で寝ているよ」

「かわいいです! みんな気持ちよさそうですね!」


 子猫のような猛獣の仕草に、二人は思わず吹き出してしまった。雪山には白熊ロボや、キタキツネロボ、シマエナガロボが楽しそうに氷を満喫していた。


 黒乃とメル子は一際大きな雪山へとやってきた。南極海に浮かぶ氷山かと思うような巨大な氷の塊には、多数の動物ロボが群がっていた。


「うわ〜、大きいな〜。メル子のおっぱいのように大きい」

「あれ? ご主人様。氷山のてっぺんを見てください!」

「ん?」


 メル子が指をさした先を見た。巨大な絶壁の上にいたのは、見慣れたグレーのモコモコであった。


「んん!? あれは、チャーリー!? チャーリーだ! なにやってんだあいつ!?」


 青みがかったグレーの毛皮を時々震わせ、優雅に昼寝を決め込んでいるのは、ロボット猫のチャーリーだ。


「あいつ〜、偉そうにてっぺんでふんぞり返りやがって〜」

「涼みにきたのですかね? まあ、放っておきましょう」


 その時、マリーとアンテロッテが慌てた表情で駆けてくるのが見えた。二人とも汗だくなのに、顔が真っ青だ。


「マリー、どしたん?」

「なにかありましたか?」


 お嬢様たちは乱れた息を整えると、ようやく話を始めた。


「紅子さんがいませんのー!」

「急に消えてしまったのですわー!」

「あらら」


 紅子は存在する状態と、存在しない状態が重なり合った量子人間。突然現れたり消えたりするのは、日常茶飯事である。


「まあ、よくあることさ……」黒乃が言い終わらないうちに、悲鳴が聞こえた。


 来園客達が揃って氷山を指さしているのだ。それを見た黒乃とメル子の顔も、お嬢様と同じ青さに染まった。


「ええ!? 紅子ちゃん!? 紅子ちゃんが、氷山の上にいます!」

「うわうわうわ! 危ない!」


 どうやら紅子は、量子人間の特性を利用して氷山の上に登ってしまったようだ。チャーリーに駆け寄ると、グレーのモコモコを思い切り抱き締めた。


「紅子ちゃん! 降りてきてください!」


 メル子が叫んだ。それに気がついた紅子は氷山の上から手を振った。しかし、徐々に様子が変わっていった。その場から動けなくなってしまったのだ。

 紅子はチャーリーを抱えたままへたり込んでしまった。それを見て、さらに客が集まってきた。


「そうか! 観測者が多くなり過ぎたからだ!」


 量子人間は、観測者がいないと存在が消え、観測者が増えると存在が確定する。こっそり氷山に登ったまではいいものの、注目を集めた紅子は、頂上から降りられなくなってしまった。


「やばい、どうしよう!」

「ご主人様!」

「足がダメなら歯で歩け」


 その時、黒乃は背中に熱気を感じた。横を筋骨逞しいロボットが通り過ぎていく。


「ビカール三太郎!?」

「歯もダメになったら目で歩け」

「目で!?」


 登山ロボは二本の斧を氷山の絶壁に打ち込んだ。つま先のスパイクを引っ掛け、三点で体を支える。右手を伸ばし、さらにアックスを打ち込む。ほんの一分足らずで、崖の上までよじ登っていった。


「なんというロボだ……!」


 大きな音が聞こえた。真夏の日差しで氷山の一角が崩れたのだ。それに巻き込まれ、足を滑らせた紅子は、氷山を滑り落ちた。


「紅子!」

「紅子ちゃん!」


 悲鳴が上がった。ギリギリのところでビカール三太郎が紅子の襟を掴んで落ちるのを食い止めた。しかし、全員落ちるのは時間の問題だ。


「やばい! どうすれば!?」

「ウホ!」

「ゴリラロボ! ふんふん、なになに? よし! こい!」


 ゴリラロボは黒乃の脇を両手で掴むと、宙に放り投げた。そして落ちてくる巨ケツに向けて、張り手(マーシーストライク)を炸裂させた。


「ぎゃばばばばばば!」


 黒乃は空高く打ち上がった。その軌道の途中にいる紅子をしっかりと掴む。黒乃、紅子、チャーリーの三人は、凍り付いた浅草動物園を上空から見下ろした。


「ぎゅぼぼぼぼぼ! 死ぬぅうううう! あれ?」


 黒乃は宙に浮いていた。いや、飛んでいた。黒乃の両肩を、フィリピンワシロボの鉤爪がしっかりと掴んでいたのだ。二メートルもの羽を持つ大ワシは、必死に羽ばたいた。


「うおおおおお! フィリピンワシロボ! きてくれたのか! なんか、前にも同じことがあった気がする!(306話参照)」


 しかし、巨鳥といえど三人の重さには耐えられずに徐々に高度を落としていった。


「イダダダダダ! 肩が痛い! フィリピンワシロボ、がんばれ! 落ちるぅぅううう!」


 三人は放り投げられた。あわや地面に激突かと思ったが、そこに走ってきたのはオカピロボだ。見事オカピロボの背に着地を決めた三人に向けて、客達から大歓声が上がった。





 夕方、一行は浅草の町をトボトボと歩いていた。紅子は黒乃の背中で眠ってしまっているようだ。


「マリー、元気出しなよ」

「そうですよ、アン子さんも気にしないでください」

「……」

「……」


 肩を落として歩くお嬢様たち。二人は、紅子を預かったにも関わらず、事件を起こしてしまったことを悔いているようだ。


「少し目を離しただけでしたのに……」

「いつの間にかいなくなっていましたの……」


 近代ロボットの祖、天才隅田川博士の娘にして、好奇心旺盛な量子人間。さすがのお嬢様の手にも余ったようだ。いったい誰が、こんな破天荒な娘を制御できるのであろうか? メル子はご主人様の背で眠る少女に微笑みを投げた。


「ところで、ビカール三太郎さんはどうしましたの?」

「いつもどおり凍りついて動かなくなったから、放置してきた」


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