第469話 里帰りです! その五
角メガネ工場の門から、黒乃、メル子、紫乃が現れた。
「あ、クロちゃん! しーちゃん! メル子!」
「皆さん、無事ですか!?」
それを門の前で待っていたのは、黒ノ木家次女黄乃と、四女鏡乃だ。角メガネ工場の前に、白ティー丸メガネ黒髪おさげ姉妹が勢揃いした。
「ふふふ、黒ネエに任せればオールオーケー!」
「クロちゃんすごい!」
鏡乃は長女の大平原に飛び込んだ。
「グフフ。ほら、みんな見て」
紫乃が抱きかかえているのは、黒豹を思わせる巨大なロボキャットだ。憮然とした表情でおとなしくしていた。
「ええ!? しーちゃん、この子、ハルだ!」
「なんでハルさんがいるんです!?」
鏡乃と黄乃は大いに驚いた。黒ノ木姉妹は全員、肉球島の工場にいったことがある。ハルとは顔見知りだ(348話参照)。
「ふん、私に屈辱的な身の上話をしろとでも言うのか?」
その言葉で、黄乃はある程度の事情を察した。ハルは恐らく、なんらかの理由で肉球島を追われてここにいるのだ。とてもそれを聞ける雰囲気ではない。
「うん、してして! 聞きたい!」
鏡乃は無邪気に言うと、紫乃の腕からハルを引ったくろうとした。しかし見事に逆襲にあい、爪で頭を引っ掻かれてしまった。
「痛い! なんで!?」
——クロノキメガネ工場。
「では、第一回全日本統一メガネ工場大会議を開催する!」
長女黒乃は高らかに宣言した。次女黄乃、サード紫乃、四女鏡乃、父黒太郎、メル子は勢いよく手を叩いた。ここはクロノキメガネ工場内の会議室だ。テーブルにはマンゴーラッシーと水がずらりと並べられた。
「ご主人様! この会議の議題はなんでしょうか!?」
メル子はマンゴーラッシーを飲みながら聞いた。
「うむ、『丸メガネ工場と角メガネ工場の未来』についてである!」
丸メガネ工場こと『クロノキメガネ』は、日本の丸メガネシェアの九十パーセントを誇る企業だ。
対して角メガネ工場こと『新生チャーリーのロボキャット工場』は、太平洋に浮かぶ無人島『肉球島』に存在するロボキャット生産工場を追放されたハル一味を主体とした工場である。
角メガネの製造は表向きのカムフラージュであり、本業はロボキャットの製造だ。ハルは語った。
「角メガネ工場へ偽装しているのは『工場長』の案だ」
工場長とは、肉球島ロボキャット工場の初代管理人の老人のことである。肉球島に取り残されたハル達を案じ、島へ戻ってきた。島でロボキャットが暮らせるように、様々な支援を続けているのだ。
「しかし、我々は工場長もろとも島を追い出されてしまった。あの憎き藍ノ木藍藍とコトリンによって」
ハルは憎々しげに吐き捨てた。藍ノ木とコトリンは、『めいどろぼっち事変』の責任を取らされ、肉球島に島流しにされた。だが、彼女達はそれを逆手に取り、持ち前のスキルでロボキャット達を虜にし、ハルと工場長を逆に追放したのだ。
「奴らが島でなにを企んでいるのかは知らん。私はいつか肉球島に舞い戻り、島を取り返すつもりだ」
それだけ言うと、ハルは唸り声をあげて机に伏せた。鏡乃はその背中を撫でた。
「大変だったんだねえ」
「……」
肉球島を追放されたハルは尼崎港へたどり着き、工場長の力添えでこの角メガネ工場を立ち上げたのだ。
「今思えば、ここを新しい工場に選んだのは、工場長の思惑があったのかもしれん」
その言葉を飲み込むのに、少しの時間を要した。黒太郎は言った。
「ひょっとして〜、我々に助力を求めようとしたのかね〜?」
「……」
ハルはその言葉には無反応を貫いた。工場長があえてクロノキメガネの隣に角メガネ工場を作った理由。それは、ハルと黒乃達を引き合わせるためではなかったのだろうか。幾度となく戦いを繰り広げた両者。だが決して、お互いの間に憎しみがあるわけではない。あったのは、行き違いだけだ。(黒乃とメル子が、バカンスを楽しみたいがために戦った件は除く!)
黒太郎は続けた。
「だとするなら、我々はお互い助け合えるのではないのかね〜?」
黒ノ木姉妹は顔を上げて父を見た。
「父ちゃん!」
「父ちゃん!」
「父ちゃん!」
「父ちゃん!」
「お父様!」
ハルはかすかに唸った。その声には、多くの怒りや悔しさ、諦め、わずかばかりの希望がこもっていた。
「助け合うだと!? 人間と!? 我々は人間によって見捨てられ、人間によって故郷を追われたのだぞ! なぜ助け合わなくてはならないのだ!」
「うーむ」
どうすればロボキャットの信頼を得ることができるのか、黒太郎は悩んだ。
「まず、君達はロボキャットをたくさん生産しなくてはならない。しかしロボキャットの生産ラインを動かすには、莫大な資金が必要だね」
「当然だ」
「そのために、カモフラージュとして角メガネを製造している。それでロボキャットの製造費を賄う計画だねえ」
「そのとおりだ」
「角メガネの販売ルートは持っているのかね〜? 安定した素材の供給ルートは〜?」
「これから探す!」
「少し考えただけでも、協力できる部分は山程出てくるのさ〜」
ハルはしなやかな尻尾を机に打ちつけた。
「それは助け合う理由ではないだろう!」
「そうだね〜、私には協力する理由はないね〜」
黒太郎は横に座る紫乃の肩に手を置いた。紫乃の体がビクンと震えた。
「だが、この子にはあるみたいだね〜」
「!?」
陰キャ四姉妹の中で最も陰キャな紫乃は、口を何回か開閉させたあと、ようやく言葉を発した。
「助けたいから、助ける。それだけだ」
「……」
「……」
「……」
「いや、それだけかい」
黒乃は思わずつっこんだ。
「私は〜、グフ、やりたいことがなくて、もう来年高校を卒業するのに、進路も決まってなくて、グフフ」
紫乃の肩が大きく震え出した。
「黒ネエは会社を作ったし、きーネエは大学でロボット工学を学んでるし、グフン。鏡乃は浅草に出ていったし……」
その言葉に、鏡乃はハッとして顔を上げた。
「自分だけ、まだなにも選んでない、グフグフ」
紫乃は浅草に出ていった鏡乃を恨んでいた。一番仲がよかった姉妹が突然いなくなり、不貞腐れていた。もちろん鏡乃が悪いわけではない。鏡乃が自分の意思で選択をした結果だ。
自分はまだなにも選んでいない。その負い目が、紫乃をより陰キャにしていたのだ。
「だから〜、私は高校を卒業したら、父ちゃんの丸メガネ工場に就職する! そんで、ハルの角メガネ工場と業務提携して、父ちゃんの工場を大きくする! そんで、ハルといっしょに肉球島にいって、そこにも丸メガネ工場を作る! そこの社長になるんだ!」
紫乃はいつの間にか立ち上がっていた。拳を握り締め、プルプルと足を震わせた。皆、黙って紫乃を見上げた。しばらくすると、紫乃は電池が切れたおもちゃのように椅子に崩れ落ちた。黒乃がその頭を撫でると、妹は姉の胸で黙って泣いた。
「……なにを、勝手な……」
ハルは言葉を絞り出そうとしたが、いかにもそのトーンは弱かった。代わりに堂々と黒太郎は言った。
「ハル君、これはあくまでビジネスの話さ。お互いの利益になるならやる、ならないならやらない。それだけさ」
黒太郎は机の上のハルに向けて手を差し出した。しばらく爪を出したり引っ込めたりを繰り返したあと、ようやく黒太郎の手に自分の前足を重ねた。これは『お手』ではない。『握手』だ!
こうして、クロノキメガネと新生チャーリーのロボキャット工場の業務提携が結ばれた。人材、技術、販売力を交換し合い、より強いシナジーが生み出されるであろう。
実家での生活は終わり、帰る日がやってきた。黒乃、メル子、鏡乃は浅草へ戻らなくてはならない。黒ノ木家は工場の前に勢揃いしていた。
「じゃあ、父ちゃん、母ちゃん、体には気をつけてね」
「黒乃も部下達の体を気遣いたまえよ〜」
「お賃金もちゃんとあげるんやで!」
黒乃は父と母を順に抱き締めた。
「黄乃ちゃん! 紫乃ちゃん! また浅草に遊びにきてください!」
「メル子さん!」
「メル子〜」
メル子は二人をまとめて抱き締めた。もちろんしっかりお乳を揉まれた。
「しーちゃん」
「鏡乃」
紫乃と鏡乃はお互い見つめ合った。もうわだかまりはない。それぞれの道を歩むだけだ。二人はお互いをしっかりと抱き締めた。それを見たメル子はプルプルと肩を震わせた。
「はわわ、美しい姉妹愛です!」
黒乃は隣の工場の壁の上に座る黒猫をチラリと見た。黒猫は一度だけ視線を合わせると、壁を飛び降りて工場の中に消えた。
浅草に帰ればいつもの日常が待っている。郷愁に浸るのはもう終わりだ。三人は歩き出した。
その時、焼けた鉄板を鍛造機で打つかのような恐ろしい音が、尼崎の工場地帯に響き渡った。
オーホホホホ……オーホホホホ……。
「ぎゃあ! なんですか、この声は!?」
「オーホホホホ! しんみりしているところ、お邪魔しますわー!」
「オーホホホホ! 新工場のお披露目ですわいなー!」
「「オーホホホホ!」」
現れたのは金髪縦ロール、シャルルペロードレスの二人組だった。
「お二人とも! 新工場とはなんの話ですか!?」
「お隣に縦ロール工場を新設したのですわー!」
「丸メガネ工場も角メガネ工場もぶっ潰してやりますわえー!」
なんと、クロノキメガネの隣に縦ロール工場ができていたのだった。
「まさか、工場被りとはなあ」
「相変わらずやることがお嬢様ですね」
「すごい! お嬢様すごい!」
「「オーホホホホ!」」
三人はお嬢様を無視して歩き出した。別に、丸メガネと縦ロールは競合しないのだ。好きにすればいいのだ!
「「オーホホホホ!」」




