第468話 里帰りです! その四
デバイスに届いた『お姉ちゃん、助けて』のメッセージを見た瞬間、黒乃は応接室を飛び出していた。弾け飛んだ扉が向かいの壁に激突して床に転がった。それを踏みつけ、廊下の奥へ走った。
「うおおおおお! 紫乃〜! 今、黒ネエがいくぞー!」
「ご主人様!」
それを慌てて追うメル子。応接室の椅子に座っている中間管理職ロボは、呆然と硬直したままだ。
黒乃は奥の重厚な扉にぶちかましを仕掛けた。最強の横綱をも倒した大相撲パワーの前には、この程度の扉は紙切れも同然だ。
「この先かーい!」
メッセージの発信位置は、デバイスで確認済みだ。工場に潜入する前に、黒乃と紫乃のデバイス位置情報をあらかじめリンクさせてある。それを辿っていけばいいのだ。
倉庫と思しき部屋を突っ切る。途中に積まれていたダンボール箱に激突し、中身をぶちまけた。
「これは!?」
「ご主人様! これは角メガネです!」
確かにこの工場はメガネ工場であるようだ。しかしそれだけではないはずだ。なにか秘密が隠されているに違いない。単なるメガネ工場であるなら、堂々と素性を明かして商売をすればいいのだ。角メガネの製造はカモフラージュだ。
黒乃は製造エリアにやってきた。職人ロボ達が何事かといっせいに黒乃を見つめた。黒乃は机に置いてあった裂きイカをつまんで口に入れると、手近な職人ロボを捕まえて締め上げた。
「モグモグ、おいしい。紫乃はどこじゃーい!」
「誰デス!?」
「ご主人様! ここにキャットドアがあります!」
「よし!」
黒乃はキャットドアに上半身を滑り込ませた。しかし案の定、巨ケツがつかえてしまった。
「ぎゃぼー!」
「ご主人様! 早くいってください!」
「ケツが!」
メル子が巨ケツを必死に押すも、まるで通らない。紫乃に比べてわずかに体が大きい黒乃では、通るのは無理なようだ。穴にはまり込んでしまった。
「助けて!」
「お任せください!」
メル子はメイド服の懐からロボローションを取り出した。それを黒乃のケツに塗りたくる。メル子はヌルヌルテカテカになった巨ケツに向けて、渾身の蹴りを放った。
「ぎゃぴー!」
蹴りの勢いで、シャンパンのコルク栓のように穴から飛び出す黒乃。そのままカーリングのストーンのように床を滑走した。
「これは!?」
黒乃は床を滑りながら驚愕の光景を見た。そこは先程までのレトロな町工場とは違い、最新鋭の機材で埋め尽くされた製造ラインであった。
黒乃はそこで作られているものに驚愕した。そして、それを作っているもの達に驚愕した。
「ロボキャット!? ロボキャットがロボキャットを製造している!?」
黒乃が見たもの。それはロボキャットの製造ラインだったのだ。そのラインを動かしているのは、またロボキャットなのだ。
「ご主人様! これは!?」
Iカップのお乳を詰まらせながら、キャットドアの通路からようやく這い出てきたメル子も同じ光景を見た。異様な光景。黒乃とメル子はこの光景に見覚えがあった。
「これはロボキャット工場だ。チャーリーのロボキャット工場だ!」
チャーリーのロボキャット工場。
それは太平洋に浮かぶ無人島『肉球島』に存在する、ロボキャットを製造する工場だ(233話参照)。かつて黒乃達は肉球島に漂着し、サバイバルをする羽目になった。そこで出会ったロボキャット達。彼らは遥か昔に人間に見捨てられた、寂しきペットロボだったのだ。
そのロボキャットが、なぜ日本の本土へ?
「ご主人様! どういうことですか!?」
「わからん!」
大騒ぎをする二人に気が付き、ロボキャット達が集まってきた。肉球島で初めて見た彼らは、一目でロボットとわかる古い型式のものだった。しかしこの工場にいるロボキャットは、最新の型式のように見える。
「ニャー」
「ニャー」
ロボキャット達が口々に鳴いた。侵入者を責め立てているようだ。その不協和音に、黒乃とメル子は耳を塞いだ。
「紫乃はどこ!?」
「あの扉の向こうです!」
いつまでも驚いているわけにはいかない。今は工場の秘密を探るよりも、紫乃を救出する方が先だ。黒乃は扉へ向けて駆けた。
「紫乃はどこじゃーい! どけどけどけ!」
黒乃は群がってくるロボキャット達を蹴散らして進んだ。扉をブチ破ろうとしたその時、横から強い衝撃を受けて弾き飛ばされた。
「いだッ!? なんだ!?」
扉の前に黒い影が降り立った。黒豹を思わせるしなやかな毛皮、他のロボキャットに比べて明らかに大きいボディ、そして知性を湛えた鋭い眼光。
「お前はハル!?」
製造ID、HAL4000。通称『ハル』。肉球島のロボキャット工場で生産され、工場の管理を任されたロボキャット達のリーダー猫だ。
「またお前か。つくづく縁があるな」
ハルは人間の言葉を喋った。人間よりも低い位置に頭があるが、その視線は人間を見下していた。
「紫乃はどこだ!?」
「お前の妹はこの扉の向こうだ」
「紫乃を返せ!」
「勝手に侵入してきて、返せはないだろう。逆に聞こうか。なぜこの工場に侵入してきた? まさか、また我々から居場所を奪おうとするつもりか?」
「いや、そんなことは……」
ハルが言っているのは『肉球島リゾート化計画』のことだ(344話参照)。美食ロボが主導するプロジェクトで、無人島である肉球島に高級リゾートを作ろうというものだ。その計画はハル達の安全をおびやかすものであり、ハルと美食ロボは真っ向から対立した。そしてあろうことか、黒乃は美食ロボ側についてハルと戦ってしまったのだ。
「いや、あれは本当にごめん。悪かったよ。休みがなくてどうかしていたんだ……紫乃を返してもらおうか!!!」
「くくく、よかろう。では人質の交換といこうか。お前がおとなしく捕まれば、妹は解放してやろう」
「その言葉! 二言はないな!」
「もちろんだ。ただし、私と仲間達に危害を加えれば、妹の無事はないと思え」
「わかった……」
黒乃は地面に膝をついた。ロボキャット達が縄を持って黒乃に迫った。次の瞬間、黒乃は目の前のハルのボディに、巨ケツを乗せていた。
「ぐおおおお! なにをするッ!?」
「グハハハハハ! 油断したな!」
最新鋭のボディを持つハルも、メガトンヒップに押さえつけられてしまっては手も足も出ない。それを見たロボキャット達はいっせいに黒乃に飛びかかろうとした。黒乃はケツ圧を高めてそれを制した。
「ぐああああ!」
「おっと、全員動くな! ハルがせんべいになるぞ!」
「貴様! 妹がどうなってもいいのか!?」
「グハハハハハ! その扉の先に紫乃がいないことはわかっているんだよ!」
「なにッ!?」
ハルは巨ケツの下で悶えた。すると、別の扉が開き、二つの人影が現れた。
「ご主人様ー!」
「黒ネエ!」
工場の奥から現れたのは、メル子と紫乃であった。
「二人とも無事だね!?」
「もちろんです!」
「ぐっ! なぜだ!? なぜこの中に妹がいないとわかった!?」
「ぐっきょっきょっきょ」
黒乃は不敵に笑った。
「どうせその中にあるのは、紫乃のデバイスだけなんだろ? お前はデバイスを使って私にメッセージを送って、罠にかけようとしたんだ。『お姉ちゃん、助けて』ってね。紫乃は生まれてから一度も、お姉ちゃんなんて呼んだことはないんだよーん」
紫乃はロボキャット達に襲われた際、特殊スキル『あれ? あの子いつの間に帰ったの?』を使い、工場内に隠れ潜んでいたのだ。その後発見できたのは、紫乃が落としたデバイスだけであった。
黒乃はメル子に、紫乃が隠れていそうな場所を教えて探させたのだった。あとは適当に会話をして、時間を稼げばよかった。
「グハハハハハ、私と知恵比べは百年早い!」
「ご主人様は、悪知恵だけは天下一品です!」
「グフフ、黒ネエは私がどこに隠れても必ず見つけ出してきた」
完全に形勢は逆転した。
——角メガネ工場の応接室。
黒乃、メル子、紫乃の三人はテーブルの上に乗ったハルを取り囲んでいた。
「さあ、ハルよ。話をしよう」
「我々は決して、あなた達に危害を加えようとやってきたのではないのです!」
「……」
メル子は必死にハルを宥めにかかっていた。だが、過去数度に渡って戦いを繰り広げた間柄だ。そう易々とは信じられまい。
「ハル、どうして肉球島から出てきたんだい? 肉球島の工場はどうしたんだい?」
「……」
ハルは机の上で体をよじった。艶やかな黒毛が光を反射して輪を作った。そして、まるで人間のように笑った。
「私は肉球島を追い出されたのさ」
「!?」
「!?」
思いもよらない言葉。ロボキャット達の楽園にいったいなにがあったというのか。
「追い出されたって、誰に!?」
「お前も知っているはずだ。藍ノ木藍藍とそのロボットであるコトリンさ」
「!!」
「!!」
さらに追い討ちをかける思いもよらない言葉。藍ノ木藍藍とコトリン。二人のことは忘れられるはずもない。つい数ヶ月前、黒乃と藍ノ木は『めいどろぼっち』と『おじょうさまっち』の覇権を巡って激しく争ったのだから。
「ご主人様!」
「そうだ……そうだった! 藍ノ木さんとコトリンは、肉球島にいるんだった!」
プチロボットであるめいどろぼっち、プチドロイドであるおじょうさまっち。二つの陣営は激しく戦った。その戦いをタイトバースからきた暗黒巫女であるハイデンの策略により利用され、浅草は壊滅状態になってしまった。
これにより責任を取らされた藍ノ木とコトリンは、巫女サージャの沙汰により、肉球島へ島流しの刑に処されたのだった(424話参照)。
ハルは震えながら話した。
「やつは……藍ノ木はロボキャット工場を乗っ取り、角メガネ工場に作り変えてしまったのさ。やつの命令に従わなかった我々は、島を追われてここにたどり着いたというわけだ」
その話を聞き、黒乃は思い出した。藍ノ木の細長い角メガネと、コトリンの愛らしい瞳を。黒乃は思わず言葉を漏らしてしまった。
「ふふっ、藍ノ木さんらしいなあ」
「貴様ッ!」
ハルは鋭い爪を剥き出しにして机に突き立てた。
「ああ、ごめんごめん! 悪気はなかったんだよ」
さもありなん。藍ノ木はおとなしく肉球島で反省をするようなタマではない。藍ノ木のプロデュース力、コトリンのカリスマとハッキングスキル。それらを駆使すれば、ロボキャット達を手玉に取るのは容易であっただろう。
「工場長とともに追い出された我々は、尼崎の港へ辿り着き、新たな工場を作ったのだ」
それには肉球島ロボキャット工場の『工場長』の助けもあっただろう。敢えて角メガネ工場に擬態をして、新しい『チャーリーのロボキャット工場』を作り上げたのだ。
「いつか、肉球島を取り戻すために……!」
ひとしきり話し終えると、ハルは机の上に伏せた。応接室は静まりかえっていた。
「グフフ、グフフ」紫乃が急に唸り出した。
「小娘! なにを笑うか!」
「あ、これ、紫乃が泣いているのね」黒乃が慌ててフォローを入れた。
「グフフ、ゴフッ、グフフフフン」
黒乃の言葉どおり、紫乃の丸メガネから大粒の涙がこぼれ落ちてきた。
「うちとおんなじだ……父ちゃんの工場も半分取られちゃったから……グフフフ」
紫乃はハルを抱き締めた。黒い毛皮はその雫を弾いて、机の上に水溜りを作った。幼い黒ノ木四姉妹の心に深く刻まれた光景。工場が取り壊されるのを呆然と眺めていたあの日が今、目の前に蘇っていた。
「グフフン、グフン。ハル〜、いっしょに工場を守ろう〜、グフフフフ」
「……」
一人と一匹の奇妙な鳴き声が、新生チャーリーのロボキャット工場に響いた。




