第466話 里帰りです! その二
兵庫県尼崎市の工場地帯を、白ティー丸メガネ軍団と金髪メイドロボが歩いていた。先頭を進むのはスキップしながら歩くメル子だ。
「ご主人様! 早くいきましょうよ!」
「ははは、メル子、待ちなさいよ。危ないよ」
「メル子さん! 今日は楽しんでくださいね!」
「黄乃ちゃん! もちろんですよ! 丸メガネ工場の見学、楽しみです!」
子供のようにはしゃぐメル子に対して、最後尾を歩くサード紫乃と四女鏡乃の足取りは重かった。
紫乃を置いて家を出ていった鏡乃。一人で勝手に浅草の高校に進学を決めた鏡乃。最も仲のいい姉妹だった鏡乃。紫乃と鏡乃の間には、複雑な想いが巡っていた。
「しーちゃん……」
鏡乃のつぶやきは、工場地帯を行き交うトラックの轟音にかき消された。
「あれですか!? あれですか、ご主人様!」
メル子が指をさした先には、こじんまりとはしているが、立派な建物があった。青い壁にかけられた『クロノキメガネ』のロゴ。太陽の光を反射するガラス張りのエントランス。ダンボール箱を積み下ろしするトラック。ここが世界に誇る『クロノキメガネ』本社工場だ。
「すごいです! ここでご主人様の丸メガネが作られているのですね!」
「うちの一家全員ね」
「すごいです!」
黒乃に促され、メル子は重いガラス製の扉を押して開けた。その途端、入り口にいた女性の事務員から声をかけられた。
「お嬢! 黒乃お嬢! お帰りなさい!」
「やあ、久しぶり」
「お嬢!? ご主人様がお嬢!?」
この騒ぎを聞いた事務員達が、全員黒乃の元へ群がってきた。この工場の社長はもちろん黒乃の父黒太郎、副社長は母黒子だ。黒乃達四姉妹は社長令嬢にあたるのだ。
事務部屋の隣には社長室、その隣には会議室が並んでいた。残りのスペースはすべて製造エリアとなっている。規模的には、大きめの町工場といった風情だ。
そこに一体の見た目メカメカしいロボットがやってきた。
「お嬢! お帰りなサイ!」
「お! ディッ君! ただいま! メル子、この人は工場長のフィリップ・K・ディッ君ね」
「よろしくお願いします!」
工場長に案内され、メル子は作業部屋に入った。そこには大小様々な工作機械がずらりと並び、職人達が真剣な表情で丸メガネに向き合っていた。
「作っています! 作っています! 丸メガネを作っています!」
「デハ、順に製造工程をお見せしまショウ。マズは、マシニングセンタでフレームの削り出しを行いマス」
マシニングセンタとは、様々な切削加工を自動で行なってくれる工作機械だ。ディッ君は、複雑な色合いの板を取り出した。
「きれいな板ですねえ」
「コレはナノアセテートというナノテク加工された半合成繊維デス。これでフレームの削り出しを行いマス」
板をマシニングセンタにセットし、データを入力した。すると板が丸メガネの形状に削られていった。
「速い! 速いです! もう丸メガネの形になりました! これで完成ですか!?」
「何十もある工程の一つが終わっただけデス。次はフレームにカーブをつけマス」
職人がプレス機を使い、フレームを絶妙な角度に曲げていった。これにより、顔にフィットする丸メガネが出来上がるのだ。
「次はキサゲかけデス。職人が一つ一つ、手作業で形を整えマス」
フレームの表面を、刃物を使って削ぎ落としていく。この削ぎが甘いと、皮膚を傷つけてしまう。完璧な精度が求められる。
「かっこいいです!」
「ふふふ、職人の技だねえ」
「いよいよ、研磨に入りマス。ココが一番時間がかかりマス」
巨大なバレルに研磨剤と丸メガネのフレームを入れる。バレルを回転させることで、フレームの表面をツルツルに加工するのだ。
職人ロボがバレルのレバーを掴んで回し始めた。
「あの……ご主人様」
「なんだい?」
「なぜバレルを回転させるのは、人力なのでしょうか?」
「いや、ロボットが回しているんだから、オートメーション化されているでしょ」
「そういうものですか?」
「そうだよ」
しばらく回していると、パートのおばちゃんがやってきて回転を引き継いだ。
「あの……ご主人様」
「なんだい?」
「人間が回したら、もうそれは人力なのであって、オートメーションではないですよね!?」
「どゆこと?」
バレル研磨が終わったら、バフ研磨で仕上げる。回転する研磨布にフレームを押し当て、光沢を出していくのだ。
そのあとは、ノーズパッドの取り付け、金具取り付け、ネジの取り付けなどの工程を経て、ナノマシン加工に入る。
「ココがクロノキメガネが、世界のクロノキメガネと呼ばれる所以デス!」
ディッ君は興奮した様子で、職人ロボの作業を説明した。フレームに慎重に数種類の液体を垂らしていく。その液体はウネウネと動き回り、フレームに染み込んでいった。
「なんですかこれは!?」
「ナノマシンをフレームに移植していマス! 移植がうまくいくと、常在ナノマシンとなって、フレームに定着するのデス! コレぞ職人の技デス!」
ナノマシンが定着すると、フレームが傷付いたり、割れたりした時に、ナノマシンが自動的に修復してくれるのだ。これを形状復元ナノフレームと呼ぶ。
「すごいです!」
「いやー、いいもん見れた」
こうして、日本の丸メガネシェア九十パーセントを誇るクロノキメガネが完成した。メル子はフレームを受け取ると、うっとりと眺めた。
「ピカピカできれいです! あとは、レンズをはめたら終わりですね!」
「うーん、まあねえ。レンズは外注なんだよね」
「はあ」
「昔はうちの工場で、レンズの製造もやっていたんだよ。でも今は縮小してしまったのさ(348話参照)」
「なるほど……」
その話を聞いた鏡乃の丸メガネから、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「うう……うう……」
「ああ! どうしました、鏡乃ちゃん!?」
慌てたメル子が鏡乃の頭を撫でた。
「父ちゃんの工場が……うう……」
幼少期、鏡乃は父の工場が取り壊されるのを見ていた。偉大な父、偉大な母の宝石箱のような工場が、無惨にも砕かれる様を見ていたのだ。
紫乃もその時のことを、昨日のことのように覚えていた。呆然と立ち尽くす幼い四姉妹。巨大な重機が工場の壁を破壊した。皆で長女の白ティーを掴み、ただ震えていたあの時の記憶。紫乃は鏡乃の頭に手を伸ばしたが、ためらったあとその手を引っ込めた。
工場見学を終えた黒乃達は、会議室でくつろいでいた。事務員がドリンクの差し入れをしてくれた。
「どうぞ、マンゴーラッシーです」
「ありがとうございます!」
「お嬢、お水です」
「おお、ありがとう」
ストローを咥えてマンゴーラッシーを飲み干したメル子は、輝く瞳で言った。
「ご主人様! いい工場ですね!」
「ふふふ、そうでしょう。みんなが家族のようで、アットマークな職場だよ@」
「メル子〜、楽しかった〜?」
「鏡乃ちゃん! 楽しかったですよ!」
メル子がハッスルしていると、扉を開けて父黒太郎が会議室に入ってきた。
「お父様!」
「やあ、メル子さん。工場はどうだったかね?」
「はい! すてきな工場でした! この工場で働ける人達は、皆さん幸せだと思います!」
「ふふふ、そう言ってもらえると嬉しいね〜」
黒太郎は視線を左右に泳がせた。黒乃はめざとくそれを察した。
「黒乃、ちょっといいかね〜?」
「ああ、うん」
黒乃と黒太郎は会議室を出た。すぐ隣の社長室に入る。社長室といっても、豪華な椅子や飾りなどはなにもない。平凡な机、平凡な椅子、書類が詰め込まれた棚。そして、代々の経営者の写真が並べられていた。
「どしたん、父ちゃん」
「なにかありましたか?」
「おや、メル子さんもきてしまったのかね。まあ、無関係ではないからいいだろう」
黒太郎は棚からワイングラスを取り出し、ミネラルウォーターを注いだ。ワインを回すようにグラスを動かし、一口含んだ。手のひらに握られた二つのクルミを、音を立てて転がした。
「実はね、最近隣に、ある工場が建ったんだよ」
「工場?」
「もともとうちの工場だったのが取り壊されて、そこに別の工場が建ったのは知っているだろう?」
「うん、大手資本のブランドバッグ工場でしょ?」
「その工場が潰れて、また別の工場が建ったんだよ」
「あらら。でも、それがどうしたのさ。うちになんか関係あるの?」
「お父様、もしかしてその工場というのは……」
メル子はなにかを察したらしく、肩をプルプルと振るわせた。
「そう、新しく建った工場は、メガネ工場だったんだよ」
黒乃は衝撃を受けた。クロノキメガネのシェアは、日本の丸メガネ市場の九十パーセントを占める。まさか、そこに食い込んでこようとしているのだろうか。だとしたら一大事である。ただでさえ、昨今の丸メガネ需要は減りつつある。少ない牌を、さらに奪い合わなければならないのか。
その時、社長室の扉が開いて姉妹達がなだれ込んできた。
「父ちゃん! 丸メガネ工場、潰れちゃうの!?」鏡乃が叫んだ。
「鏡乃!? こら、盗み聞きしてたな!」黒乃が鏡乃をたしなめた。
「だって!」
「父ちゃん、お隣は本当に丸メガネ工場なの?」黄乃も必死だ。
「メガネ工場であることは間違いないんだよ〜。そこで黒乃に相談なんだがね」
「相談?」
黒太郎はグラスを机に置いた。その表面に、四姉妹の八つのレンズが映り込んだ。
「黒乃に、隣の工場の偵察にいってもらいたいんだよ〜」
「偵察!?」
「本当にうちの工場の脅威となるのか、競合はするのか、保有している技術はどのようなものか、いろいろと調べてもらいたいんだね。まさか、社長の私が直接いくわけにもいくまいよ」
黒乃は考えた。確かに、メガネ工場の隣にメガネ工場を作るのは穏やかではない。大手資本による乗っ取り計画の一端かもしれない。まずはいち早く情報を得るのが得策だろう。
「わかった。やってみるよ」
「おお、黒乃。やってくれるかね」
「鏡乃もいく!」
突然、末妹が割って入ってきた。興奮した様子で手のひらを机に叩きつけた。
「鏡乃!?」
「絶対またうちの工場を潰しにきたんだよ! 今度は鏡乃がそんな工場、ぶっ潰してやるもん!」
「みーちゃんはダメだよ!」
次女黄乃が静止するが鏡乃は止まらない。幼少期のトラウマがそうさせるのか、鏡乃は頑として譲らなかった。
その時、背後から鏡乃の頬を両手で挟み込んだ者がいた。
「ムギュ! しーちゃん!? なにするの!?」
それはサード紫乃だった。紫乃は鏡乃の顔を挟み込んだまま言った。
「ぐふふ、ここはしーちゃんに任せなさい」
紫乃の丸メガネには、決意の光が宿っていた。




