第461話 ちゃんこ部がんばります!
浅草の一等地に、日本庭園に囲まれた料亭がある。食通、各界の著名人、政治家、成金、成金ロボが集う食の魔境。ここは会員制高級料亭『美食ロボ部』。その中庭に、激しくぶつかり合う音が響いていた。
「そうだ! 鏡乃山! おっつけろ!」
「ごっちゃんです!」
鏡乃山と呼ばれた白ティー丸メガネの女性力士は、巨漢の力士を投げ飛ばした。
「ぎゃふん!」
「どうした、でかお! 次! ふとし、いけ!」
「ごっちゃんです!」
姿勢を低くしてぶちかますあんこ型の力士を、鏡乃山は真正面から受け止めた。一瞬力が均衡したかと思われたが、一気に土俵の外まで押し出してしまった。
「次! 新弟子ロボ! 油断するなよ!」
「ゴッチャンデス!」
見た目メカメカしいロボット力士は、遠慮なしに鏡乃山に突進した。しかし、その勢いは軽くいなされ、勢い余った新弟子ロボは、鯉で溢れる池の中に真っ逆様に突っ込んでしまった。
「新弟子ロボ!」
皆で慌てて池から新弟子ロボを引っ張り上げた。金魚を口から吐き出したロボットは、仰向けに転がった。
「ハァハァ。ヤッパリ、鏡乃山サンは、強いデス!」
「ごっちゃんです!」
「ところでお前、防水だよな?」
まるお部長の一言で、笑い出す部員達。
彼らは、浅草市立ロボヶ丘高校ちゃんこ部の面々だ。彼らが美食ロボ部で相撲の稽古をしているのは、鏡乃が相撲勝負で美食ロボを追い出したからだ(449話参照)。
現在美食ロボは、ロボヶ丘高校の元茶道部の部室であり、ちゃんこ部の部室になったと思ったら、また茶道部の部室になった部室で暮らしている。
その美食ロボと入れ替わるようにして、彼らはこの料亭を根城にしたのだった。
「いや〜、しかし美食ロボ部の庭園で稽古とは、鏡乃山考えたな!」
「えへへ。まるお部長、ごっちゃんです」
ここであれば広さは充分だし、人目を憚らず稽古に精を出すことができる。久々に稽古で汗を流した彼らの瞳には、学生らしさが宿っていた。
「ちゃんこ部の皆さん! ちゃんこができました!」
縁側から呼びかけたのは、美食ロボ部の若手板前ロボ三だ。坊主頭に白い割烹着が、若々しさを主張していた。彼の声を聞いた部員達は歓声を上げた。
「やったぜ!」
「ちゃんこッス!」
「待ってまシタ!」
襖を開けると、そこには大きな鍋が待ち構えていた。低い音を出して煮える具材達。鶏肉、豆腐、きのこ、葉物、ツミレ。盛大に湯気を立ち昇らせている。その香りに涎を垂らさずにはいられなかった。
「「いたーだきーます!」」
力士達はいっせいに鍋に手を伸ばした。たっぷりと脂が浮いた出汁をすする。稽古で汗を流したあとの塩気の強い出汁は、スポンジに垂らした水滴のように体に染み込んでいった。
「おいしい!」
「すげーぜ!」
「最高ッス!」
「たまりまセン!」
「おかわりッス!」
高級料亭の鍋がおいしくないはずがない。しかもこれは、鏡乃が考案した特製ちゃんこ鍋だ。
「くんくん、この独特な香りがいいよなあ。鏡乃山、これはなんなんだよ?」
「まるお部長! これはハモン・セラーノのツミレです!」
「ハモン・セラーノ!?」
読者の皆様はご存知ないと思うので説明をすると、ハモン・セラーノとはスペインの生ハムのことである。
「クロちゃんがたくさんくれたから、美食ロボ部に差し入れました!」
「黒乃山が!?」
ロボ三が説明を付け加えた。
「黒郎さんが持ってきてくれたのは、最高級のハモン・セラーノです。それでツミレを作り煮込むことで、出汁に特別な香りが出るんです。鏡郎さんの発案です」
「鏡乃山、すげーな!」
「さすがッス!」
「えへへ、ごっちゃんです」
鏡乃は照れながらちゃんこをがっついた。
食事のあとは力士の必須科目、お昼寝だ。料亭の座敷に転がり、雑魚寝をする。日本庭園を見ながら座敷に入り込む七月の風を受けていると、いともたやすく瞼が落ちてきた。
カポン、カポン。
池に設置されたロボおどしの音が、それに拍車をかけた。
目を覚ましたらすっかり夕方だ。稽古が終わり、このまま帰宅をするのかと思ったらそうではない。ここからが本番と言っていい。
「よっしゃ! やるか!」
「「はい!」」
まるお部長の号令の下、ちゃんこ部はいっせいに動き始めた。全員浴衣に着替え、それぞれの持ち場へと散った。
「ここに置いておくッス!」
一番ガタイがよいでかおは、食材を担いで厨房に運び入れた。
「ここは任せるッス!」
あんこ型のふとしは箒を持って玄関を掃いた。
「キレイに並べマス!」
正確な動作をする新弟子ロボは、座敷の座布団や調度品を整えていった。
「ロボ三! 準備は大丈夫!?」
「鏡郎さん! 順調です!」
鏡乃は厨房に入り、料理のチェックを行う。開店に向けて慌ただしく動き回る料理人や仲居ロボ、部員達をまるお部長は満足げに見つめた。
「しかし考えたな鏡乃山。まさか、美食ロボ部でちゃんこ屋を開くとは」
そう、鏡乃は美食ロボとの勝負の末、この美食ロボ部をちゃんこ屋として生まれ変わらせたのだ。部員達はアルバイトとして、部費を稼いでいるのだった。
「みんなでバイトをして! 部費を稼いで! 稽古をして! そんで、茶道部から部室を取り戻そう!」
「おうよ!」
日も落ち、いよいよ美食ロボ部が開店の時間を迎えた。今日も予約は埋まっている。有名人達が食の桃源郷へ押し寄せてきた。
厨房は千秋楽の両国国技館のような喧騒で溢れていた。飛び交う怒号、走り回る仲居ロボ、身を焦がす熱気。部員達はプロの仕事についていくのに必死だった。
「鏡郎さん! 富士の間に鍋をお願いします!」
「ごっちゃんです!」
若手板前のホープとして活躍するロボ三の指示に、鏡乃は素早く応えた。鍋を抱え、廊下を突き進む。目的の座敷の前までくると、勢いよく襖をぶち開けた。
「ごっちゃんです! 特製ちゃんこ鍋、お待たせしました!」
鏡乃は部屋に乱入すると、膳の上のコンロに鍋をぶち置いた。
「これは鏡乃が考案した、生ハム鍋です! クロちゃんが生ハムをたくさんくれたから、たくさんツミレにして入れました! 食べてください!」
呆気に取られる銀行の重鎮達に、山盛りのツミレを取り皿に移して渡していく。
「なんだこれは!? 生ハムの鍋だと!?」
「そんなものがあるのか!?」
「うまい! うまいぞ! 香りが最高に引き立っている!」
「やるな、女将!」
「えへへ」
鏡乃は照れながら立ち上がると、勢いよく襖をぶち閉めて部屋をあとにした。
上機嫌で廊下を歩いていると、厨房から大きな音が響いてきた。それを聞いた鏡乃は、廊下を駆けた。
「どうしたの!?」
鏡乃が厨房を覗き込むと、プルプルと床で震える新弟子ロボと、それを取り囲む仲居ロボ達の姿が見えた。
「新弟子ロボ、大丈夫!?」
「鏡乃山サン……やってしまいまシタ……」
新弟子ロボの足元には、砕けた陶器が散らばっていた。
「新弟子ロボ、怪我は!?」
「平気デス……デモ、鍋を割ってしまいまシタ……ウワアアアアン!」
仲居ロボ達が慌てて掃除を始めた。部員達はそれを呆然と眺めた。板前達は調理の手を止め、様子を伺った。
「どうしよう、どうしよう!? 代わりの鍋がもうないよ!」
「やばいッス!」
「もう終わりッス!」
うろたえる部員達。鍋がなければちゃんこ鍋は出せない。そもそも美食ロボ部には、ちゃんこ用の鍋など端からないのだ。慌てて取り揃えたので、予備など用意していない。
「落ち着け、鏡乃山!」
「まるお部長!?」
取り乱す部員達を部長が一喝した。
「取り組みは慌てたら負けだぜ。ここが土俵際。力士が追い詰められた時に出す技はなんだ!?」
「うっちゃりッス!」
「それだ!」
部員達は散った。ふとしは近場にある浅草部屋へと走った。でかおは仲見世通りの骨董屋へ。超高級料亭である美食ロボ部で出す鍋だ。そこらのスーパーマーケットで売っているような安物ではダメだ。
「俺は待たせている客のところに、謝りにいってくるぜ!」
「まるお部長! お願いします!」
鏡乃は床で震える新弟子ロボの腕を掴み、引っ張り起こした。
「ほら、新弟子ロボ! 鏡乃達は倉庫を漁りにいくよ!」
「鏡乃山サン……ゴッチャンデス!」
二人は庭園を走り抜け、敷地の隅にある蔵にたどり着いた。
「ここは美食ロボのコレクションがある蔵だから!」
「ココならあるかもしれないデスね!」
鏡乃は鍵を差し込み、重い扉を開けた……。
「ええい、ちゃんこ鍋はまだか!?」
「いったい、いつまで待たせるつもりだ!」
「我々を誰だと思っている!」
騒ぎ立てているのは、政治家ロボとその秘書ロボ達だ。まるお部長は必死に頭を下げ、事情を説明した。
「今、みんなががんばってちゃんこ鍋を用意しています! どうか、もう少しお待ちを!」
「だいたい貴様は誰だ!? 美食ロボ部の者ではないな!?」
「ちゃんこ部のアルバイトです!」
「なんだ、そのちゃんこ部というのは!?」
「ふざけているのか!?」
「女将を呼べ!」
権威という名の槍が、まるお部長を刺し貫いた。しかし彼は、力士の名にかけて耐えた。その時……座敷の襖が勢いよくぶち開けられた。
「ごっちゃんです!」
「うわッ!?」
「びっくりさせるなッ!」
「お待たせしました! 特製ちゃんこです! しかも皆さんのために、特別な鍋を用意しました!」
鏡乃と新弟子ロボが協力して運んできた鍋を、コンロの上にぶち置いた。
「ぐわわッ!? なんだこれは!?」
「馬鹿な!? こんな鍋があるのか!?」
「まぶしいッ!」
それは光り輝く黄金の鍋であった。細かな装飾が施された鍋肌は、見る者を鍋の世界へ引き摺り込み、部屋の灯りを反射したそれは、中で煮える具材達を宝石のように輝かせた。
「これは、純金の鍋です! めちゃ高いです! 純金の鍋は熱伝導率が高いので、食材に均一に火が通ります! 嫌な金属臭もしません! あとは、めちゃ高いです!」
「すばらしい!」
「こんな鍋があったのか!」
「古ぼけた小汚いいい香りのする鍋と、こっちと迷いましたが、皆さんが好きそうな方を選びました!」
「ガハハ!」
「女将! でかした!」
政治家ロボは、大喜びでちゃんこ鍋をがっついた。
戦のような営業が終わった厨房は静まり返っていた。ちゃんこ部の面々は、部屋の隅で床に転がっていた。
「あ〜、疲れた〜」
「鏡乃山、お疲れ様ッス!」
「部長もお疲れッス!」
「おうよ」
部長は一人うなだれる新弟子ロボに声をかけた。
「新弟子ロボよ、あんまり落ち込むなよ」
「部長サン、アリガトウゴザイマス……デモ、ボクはロボットなのに、ミスばかりしてしまって……」
「大丈夫! メル子だって、お皿割ったりするもん! ロボットだって、失敗はするよ!」
「鏡乃山サン……アリガトウゴザイマス」
戦のあとの余韻が部員達を心地よく包んだ。そこへ仲居ロボが現れた。
「鏡郎さん、桜の間にお茶をお出ししてくれるかしら」
「はい! でも、茶碗は割れちゃったから……あ、これでいいか」
鏡乃は蔵からついでに引っ張り出してきた器を持ち、桜の間に向かった。
「ごっちゃんです!」
襖をぶち開けた鏡乃を待ち受けていたのは、白髪を結い上げた切れ長の目の女学生であった。
「相変わらず、やかましおすなあ」
「あれ!? 茶鈴先輩!?」
茶柱茶鈴。通称茶々様。ロボヶ丘高校の三年生で、茶道部の部長だ。彼女は老舗製茶会社の創業者の孫であり、そのツテで美食ロボ部の会員になっているのだ。
茶々様は桜吹雪の扇子で鏡乃をさすと言った。
「さ、早うお茶を淹れておくれやす」
「あ、はい!」
鏡乃はぎこちない所作で茶を注いだ。奇妙な形の器を、茶々様の前に差し出した。
「どうぞ! けっこうなお手前です!」
「自分で言うものとはちゃいます」
茶々様は器を手に取り、しげしげと眺めた。
「この子、どこにあった器どすか?」
「ここの蔵の中にありました! 他にも山ほどあります!」
茶々様は茶を飲まずに床に置いた。
「こら『楢柴』いう肩衝どすえ。茶を入れるのやなしに、抹茶を入れるものどすえ」
「なら漬け!?」
「楢柴どす」
「しば漬け!?」
茶々様はため息をついた。
「まあ、なんにしたかて、大切にしもうとっておくれやす」
「ごっちゃんです!」
鏡乃は襖を勢いよくぶち開けて出ていった。茶々様はそれを見て、もう一度ため息をついた。
「この美食ロボ部、丸ごとほしなってまいましたなぁ」
桜吹雪の扇子の裏で、茶々様の口元が怪しく歪んだ。




