第459話 ニキビです!
朝のボロアパートの小汚い部屋。白いメイド服の金髪爆乳メイドロボは、床に正座をして髪の毛を整えていた。目の前の置き鏡を覗き込み、念入りにブラシを通していく。
「フンフフーン、今日もかわいいメイドさん〜。おめかしおめかし、あら不思議〜。世界一の美少女が〜、世界一のメイドロボ〜、フンフフーン」
その様子を白ティー丸メガネののっぽが、床に寝転がり眺めていた。
「フフフ、今日もメル子はかわいいな〜」
「当然ですよ。世界一のメイドロボですから、世界一かわいいに決まっていますよ」
「あはは」
「うふふ」
黒乃はふと顔に手をやった。指で顎の下をつつく。
「うーん……」
「どうかしましたか? ご主人様」
「うーん?」
黒乃は首を傾けて顎を見せた。メル子はそれを覗き込んだ。
「ニキビですかね?」
「あー、やっぱりそう?」
顎の下に微かな膨らみ。先端は赤く腫れていた。黒乃はそれを指でいじった。
「ご主人様! あまり触ってはいけませんよ」
「うーん、気になっちゃって。それにしても、ニキビなんてできるの久しぶりだな。学生のころ以来だわ」
「まだお若いという証では」
メル子は押入れから赤いボトルを取り出すと、液体を指先に取りニキビに塗りつけた。
「とりあえず、ベビーローションソラリスで応急処置をしました。これで様子を見て、よくならないようなら病院にいきましょう」
「うん、そうしようか。ありがと……おや?」
覗き込んでくるメル子の顔を見て、黒乃はふとある違和感に気がついた。
「あれ? メル子、そこどしたん?」
「なにがですか?」
「ここよ、これこれ」
黒乃はメル子の小さな顎の下の部分を指でつついた。
「いたッ! なんですか!?」
メル子は置き鏡を手に取ると、首を捻って鏡面を覗き込んだ。
「ぎゃああああああああああ!!!」
「うわッ!?」
メル子は仰向けに勢いよく倒れると、ピクピクと体を震わせた。
「どした!?」
「ニキビです……」
「ええ?」
「ニキビができました!!!」
「うるさッ。そんな騒ぐようなことではないでしょ。てか、ロボットってニキビできるんだ」
「できます……」
ロボットの体内には大量のナノマシンが住んでいる。人工筋肉や人工血管から生まれる老廃物を処理し、体外に排出するのも彼らの役目の一つだ。しかし、中にはグータラなナノマシンもおり、老廃物を体外に排出するのをさぼり、一箇所に溜め込んでしまうのだ。こうして生まれた老廃物の塊を『ロボニキビ』という。
「ほえ〜。ニキビができるなんて、メル子も子供から大人になったってことかもね」
「私は最初から大人ですよ!!!」
黒乃はベビーローションソラリスをメル子のロボニキビに塗りつけた。よく見ると、顔のいくつかの部分に同じようなニキビができていた。
「ほら、これでしばらくしたらよくなるでしょ。でも、ニキビくらいで騒ぎすぎだよ」
「ニキビだらけのメイドさんを見たことがありますか!?」
「ないけど、中にはそういう人もいるでしょ。気にしすぎだって」
黒乃はメル子を引っ張り起こした。
「さ、朝ごはん頼むよ」
「はい……」
朝食後、黒乃は玄関で靴を履いていた。
「さあ、いこうか、メル子。メル子?」
黒乃は床でうずくまるメイドロボを見下ろした。
「なにやってるの? お仕事いくよ?」
「いってらっしゃいませ」
「いってらっしゃいじゃないでしょ。今日は事務所でご飯を作る日でしょ」
「本日のメイドさんは閉店いたしました」
黒乃は大きく息を吐いた。靴を脱ぎ部屋に上がると、メル子を無理矢理引っ張り起こそうとした。
「ぎゃあ! やめてください!」
「ちゃんとお仕事しなかったら、そんなのメイドさんじゃないよ!」
「こんな顔で、お仕事ができるわけないです!」
「たかがニキビでしょうが!」
「されどニキビです!」
黒乃は大相撲パワーを発揮してメル子を持ち上げた。そのまま抱きかかえて階段を下る。
「ぎゃあ! 離してください!」
「危ないから! 暴れないで!」
「ロボットには働く権利も、休む権利もあります! 新ロボット法で定められています!」
「ニキビで休む権利はないの!」
その時、朝の爽やかな日差しを鈍色に変えるような恐ろしい声が響き渡った。
オーホホホホ……オーホホホホ……。
「ぎゃあ! なんですか、この声は!?」
「オーホホホホ! 朝から騒がしいですわねー!」
「オーホホホホ! 静かにしてくだしゃんせー!」
「「オーホホホホ!」」
ボロアパートの一階の部屋から現れたのは金髪縦ロール、シャルルペロードレスのお嬢様たちであった。
「やあ、マリー、アン子、おはよう」
「おはようございますわー!」
「メル子さん、おはようございますわー! メル子さん?」
メル子はお嬢様たちから顔を背けたまま立っていた。アンテロッテはメル子の正面に周り、様子を伺おうとした。するとメル子は、ボロアパートの壁におでこを貼り付けてしまった。
「メル子さん? なぜご挨拶をしないんですの? メル子さん?」
「……おはようごにょにょ……」
「聞こえませんわよ?」
アンテロッテは、メル子と壁の間に無理矢理入り込もうとした。
「ぎゃあ! なにをしますか!?」
「おはようと言っているんでございますのよ?」
「おはようございます!」
「おニキビができていますのね」
「隠しているのに、なぜ一瞬でバレますか!?」
するとマリーが高笑いを炸裂させた。
「オーホホホホ! おニキビ程度で落ち込んでいるなんて、オリーブですのねー!」
「ナイーブとオリーブをかけた、地中海おジョークですわー!」
「ジョークを言うなら、おフランスジョークにしてください!」
——ゲームスタジオ・クロノス事務所前。
「えへえへ。ルベールさん、おはようございます」
「黒乃様、おはようございます」
ヴィクトリア朝のメイド服にその身を包んだメイドロボは、七月の暑さをまるで感じさせない爽やかさを纏い、箒で路地を掃除していた。
「メル子さん、今日もお暑いですね。メル子さん?」
ルベールに背を向け、壁沿いを歩くメル子。
「えへえへ、思春期の女の子みたいな状態なんです。放っておいてください」
「はぁ……」
黒乃は古民家の扉を勢いよく開けた。
「おはよう!」
「シャチョー! おはようございマス!」
「……クロ社長、おはよう」
「先輩、おはようございます。今日も白ティーが白いですね」
「まあね」
メル子は玄関から廊下を通り、足早に台所へ向かおうとした。しかし、目の前の黒乃の背中にぶつかってしまった。
「女将サン! おはようございマス!」
「蘭丸君……おはようございます……」
「ニキビがたくさんできていマスね!」
「FORT蘭丸、貴様ーッ!」
プログラミングロボの配慮のない言葉に、事務所の作業部屋は凍りついた。
「ニキビだらけで、悪うございましたね……」
「イヤァー! ゴメンナサイ!」
プルプルと震えるメル子は、視界の片隅にぷりぷりのお肉を見た。
「あれ? ルビーさんがいますね」
「ヒマだからって、きちゃいまシタ!」
ルビーは作業部屋の隅に椅子を二つ並べ、盛大にムチムチお肉を揺らしながら熟睡していた。黒乃はそのはみ出た腹肉をペチンと叩いて言った。
「ほら、メル子。ルビーを見てごらん」
「なんでしょうか?」
「ルビーの顔にはソバカスが結構あるね?」
「はい」
「でもルビーはとてもチャーミングじゃないか。メル子の顔にニキビがあっても、メル子はとてもチャーミングなのさ」
「いえ、ご主人様。ソバカスはチャームポイントになりますが、ニキビはなりませんよ」
「ああ、そう」
メル子は台所にいき、食事の準備と掃除を始めた。FORT蘭丸のデリカシーのない発言は、かえってメイドロボの心を緩ませたようだった。
——昼食後。
台所でまったりと寛いでいると、マッチョメイドが和菓子を持ってやってきた。
「おお! マッチョメイド!」
「黒乃 おで おかし つくってきた」
「いつもありがとさん!」
マッチョメイドは包みを広げた。透明な円筒の中に小さな団子が浮かんでいた。これは寒天を型に入れて固めた『錦玉』という和菓子だ。
「イヤァー! ステキ!」
「……夏にぴったり」
「爽やかでいいわね」
社員達には大好評のようであった。しかし、メル子だけは寒天に映る自分の顔に震えていた。
「メル子 ニキビ できてる」
「え!? はい……今朝起きたらできていました。マッチョメイドはニキビができたりしませんか?」
「おで ニキビ できたら ゆびですぐつぶす」
「いや、ダメですよ! そんなことをしたら!」
——夕方。
黒乃とメル子はルベールの紅茶店『みどるずぶら』のテーブル席に座っていた。横から差し込む夏の日差しが、レトロな店内の雰囲気をノスタルジックに彩った。
「まあ、それでメル子さんは落ち込んでおられるのですか」
「えへえへ、そうなんですよ。まったく、ニキビ程度で」
「程度ではありませんよ! 大問題です!」
ルベールが差し出したのは薄いベージュのミルクティーだ。水面に顔が映らないように、ルベールが気を利かしたのだ。二人はそれを一口含むと、安堵のため息を漏らした。
「ふ〜」
「は〜」
「うふふ、お二人とも、お疲れのようですね」
「今日はメル子がいちいち駄々をこねるから、困りました」
「むきー!」
メル子はミルクティーが入ったカップを揺らしながら、遠慮がちに聞いた。
「ルベールさんは、ニキビとかできたりすることはありますか?」
「私はできたことはありませんよ」
ルベールのボディは隅田川博士の特製であり、現代のロボットのボディとは設計思想が異なる。
現代のボディは高い汎用性、低い製造コスト、低いメンテナンスコスト、そしてより人間らしくを旨としている。そのための手段として、ナノマシンが活発に使われている。
ナノマシンはあらゆる分野、用途で非常に有用ではあるが、その分制御が難しい。人類はナノマシンを『なんとなく』使っているのに過ぎない。それを完璧に制御できる方法はなく、なんとなく正しく動いているように見えるから、なんとなく使っているのだ。
誤動作があったとしても、利便性で勝るなら危険性を無視してしまうのが人類の性だ。その結果生まれたのが、ローション生命体『ソラリス』だったりする。
メル子はルベールの人形のような顔を眺めた。傷一つない、その顔……。
「あ……」
あった。傷が一つ。なんとなくではわからないが、しっかりと見ればわかる傷が。
「ルベールさん、あの……」
「気付かれましたか?」
ルベールは右あごの下を撫でた。そして左耳の裏だ。微かな傷。
「それはどこでついた傷なんですか?」無礼かと思ったが、黒乃は思い切って聞いてみた。
「ここは中東で、ここは北欧です」
「え!?」
「え!?」
「傷くらい、全身にありますよ」
二人は言葉を失った。そしてうっすらとではあるが、なぜ傷がついたのかを察した。ルベールは元々、戦闘用ロボットだったのだ(238話、452話参照)。
「あの……あの、傷があるのはいやではないのですか?」
メル子は自分のニキビに手を添えながら尋ねた。ルベールは少し困った笑顔を見せた。
「これも……私の人生の一部ですから」
ロボットの人生は長い。AIに寿命はなく、ボディは換装可能だ。傷など、直そうと思えば簡単に直せる。永遠の美しさを持っていると言っていい。
だがルベールは、損なった美しさをよしとしているかのようだ。
チリンチリン。
夕方の焼けた日を背にして、着物姿の老女が店内に入ってきた。
「奥様」
ルベールのマスターであり、裏の洋装店『そりふる堂』の店主でもある老女は、奥のテーブル席に座った。
「あ、奥様。こんばんは」
「奥様! こんばんは!」
「二人とも、今日も元気ね。いえ、少しくたびれているかしら?」
「えへえへ、そうなんです」
「でも、くたびれているのは私も同じね」
女主人は震える右手をテーブルの上に乗せた。
「奥様、どうされましたか?」メル子は聞いた。
「いえね、書道教室で指導をし過ぎてしまったみたいね。今日は子供達が大勢きたから」
「あらら」
「平気でしょうか?」
ルベールは女主人の手を取ると、愛おしそうに撫でた。シワが刻まれ、骨が浮いた手を。
「とてもお綺麗な手です。ご自愛ください」
「ありがとう、ルベールさん」
ロボットと違い、人間は歳を取る。寿命もある。ボディの取り替えは効かず、脳も衰える。しかし美しい。
メル子は自分のニキビを撫でた。
「このニキビ、ご主人様のニキビと同じところにありますね」
「ええ? ああ、うん。そうだね」
永遠の美しさを持つロボット。刹那的な美しさを持つ人間。メル子は少し、人間に寄り添うことに決めた。




