第457話 個展を開きます!
浅草寺から数本外れた静かな路地に佇む古民家から、今日も元気な声が響いた。
「貴様らーッ!!!」
「シャチョー! 聞いてくだサイ!」
「うわ、なんだ?」
見た目メカメカしいロボットのFORT蘭丸は、頭の発光素子をリズミカルに明滅させた。
「マタ温泉旅行にいきまショウよ!」
「この前いったばっかりだろうが」
「マタいきたいデス! 今度はルビーも連れていきマス!」
「遊ぶことばかり考えてないで、働け!」
「イヤァー!」
叱りつけられて大人しくなったプログラミングロボは、いそいそとキーボードを叩き始めた。
「貴様らーッ!!!」
「……クロ社長、聞いて」
「ええ? なになに、もう」
横から口を挟んできたのは、青いロングヘアが可愛らしい子供型ロボットの影山フォトンだ。黒乃の隣の席に座り、床に届かない足をバタつかせていた。
「……えへへ。はい、これあげる。えへへ」
「んん? なにこれ?」
フォトンは紙切れの束を黒乃に手渡した。黒乃はそれをまじまじと見つめた。
「えーと、『影山フォトン初個展〜暗黒大魔王の襲来〜』だって? 個展!? フォト子ちゃんが個展を開くの!?」
「……えへへ」
その言葉に、FORT蘭丸と桃ノ木は勢いよく立ち上がった。黒乃の席に群がり、チケットに食い入るように見入った。
「イヤァー! 個展なんてスゴイデス!」
「いつの間にそんなことになっていたのかしら」
「……仕事の合間をぬって、ちょこちょこ描いてた。先生がそろそろ、一人で個展をやったらどうかって」
先生とはフォトンのマスターである影山陰子のことだ。著名な書道家であり、浅草に書道の道場を構えている。
「ほえ〜、こりゃびっくりした。よし! 今度の休みの日に、みんなでいってみようか!」
「「はい!」」
すると、台所からメル子の声がした。
「皆さん、なにをしていますか!? もうお昼ですよ!」
その言葉を合図に、フォトンとFORT蘭丸は弾かれたように台所へと消えていった。
——雨の休日の昼。
ゲームスタジオ・クロノス一行は、浅草寺の裏手にある画廊にやってきていた。
黒い壁にはまった大きなガラス張りから漏れる暖かい光は、雨の日の憂鬱な気分を多少ほぐしてくれた。
一行は傘をさしたまま、画廊の前で呆然と立ち尽くした。
「お〜、ここか。いかにも町の画廊って感じだな」
「ご主人様! 私、画廊なんて初めてですよ! 楽しみです!」
「落ち着いたいい雰囲気ね」
「ナンカ、ルビーもきちゃいまシタ!」
「わぁ〜お、シャチョサン。お誘い、サンクスね〜」
「ふふふ、楽しんでいってね」
五人は重いガラスの扉を通り抜けた。浅草の喧騒が嘘のように消え、途端に緊張感が背筋に走った。受付ロボにチケットを渡すと、代わりに特典のポストカードを受け取った。多くの場合、画廊は入場無料なので、誰でも気兼ねなく入ることができる。
カウンターには芳名帳が置いてあるので、来場者は好きに名前と連絡先を記してもよい。後に招待状が届くこともあるのでお得だ。
黒乃は周囲を見渡した。さほど広くない部屋がいくつかあるだけの一般的な画廊だ。暖色の照明はいかにも頼りなく、スポットライトによって作品は際立たせられていた。
すでに数名の来場客が、スポットに照らされた水彩画を熱心に眺めていた。その最初の絵の横にフォトンの姿があった。いつものペンキまみれのニッカポッカではない、カラフルなデザインの着物を着ている。
「フォト子ちゃん!」
メル子は瞳を輝かせてフォトンに走り寄った。
「……メル子ちゃん、みんな、きてくれたの」
「もちろんですよ!」
「今日はみんなで楽しませてもらうからね」
「……えへへ。クロ社長、ゆっくり見ていってね」
各々が自由にフロアに散っていった。フロアは三つあり、絵画スペース、書道スペース、特別展示スペースに分けられている。
黒乃とメル子は並んで絵画スペースを巡ることにした。
「お〜……」
「あ〜……」
二人の目の前のキャンバスには、なんともグロテスクなモンスターが描かれていた。
「これはなんでしょうか、蜘蛛のような、山羊のような」
「いや、どちらかというとバナナに見えるけど。それとも、コンクリートかな」
フォトンはこの手のモンスターデザインが大の得意であり、業務でもそのデザインセンスは活かされていた。
「よくわからんが、なにか宇宙的なものを感じる……」
「ですね……」
壁にかけられた絵を順に見ていく。抑えられた照明とスポット、外から微かに聞こえる雨の音、そして静寂。日常から切り離された空間で、次々に現れる非日常を描いた作品を見ていると、だんだんと心から日常が削られていくような感覚を味わった。
最初のフロアを見終えた二人は、よろける足取りで通路へと抜けた。
「あれ? なんだろう。足が動かない」
「ご主人様、ここに椅子があります。座りましょう」
二人は支え合って椅子に腰掛けた。周りを見ると、同じように呆然と座る客や、頭を抱える客が見受けられた。
次のフロアは書道スペースである。影山陰子譲りの達筆にして闊達な書が、びっしりと並んでいた。
「おー、これはわかりやすくていいね」
「ですね! えーと、『租税』『納税』『血税』『国税』『税と申告』『完納』『公的負担』……」
「……力強い筆だなあ」
「……ですね」
最後にやってきたのは、特別展示スペースだ。なにやら一連の絵が、時系列順に並んでいるようだ。
「なんだろう。ここから順に見ていけばいいのかな?」
「そのようですね」
そこに、着物を着た壮年の女性が現れた。黒い髪を結い上げた意志の強さを感じるその目は、二人に緊張感をもたらした。
「あ、陰子先生」
「お久しぶりです!」
「黒乃さん、メル子さん。いつもフォトンがお世話になっています」
陰子は深々と頭を下げた。顔を上げた時には、先程までの鋭い視線は消え、穏やかな雰囲気に変わっていた。
「ここの展示は特殊でして、説明がなければ理解することは難しいかと思います」
「特殊ですか?」
「どういうことでしょう?」
黒乃とメル子は首を捻った。特殊なのは、もうとっくに味わったと思っていたからだ。
「この作品達は、フォトンと世界を表しているのです」
黒乃は最初の絵を見た。赤ん坊と、その上で両手を掲げて覆い被さる黒い影の絵だ。黒乃は違和感を感じた。これは絵なのだろうか?
「お察しのとおり、これは普通の絵ではありません。印刷したものです」
「印刷ですか?」
「正確には、AI空間でフォトンが思い描いた情景を、私が印刷したものです」
黒乃はそれで合点がいった。黒乃は毎日のように、隣でフォトンの作業を見ている。何回もその絵の品質チェックをしてきた。それとはまったく違う筆致。それもそのはず、この絵を描いたのはフォトンではないというのだ。
次の絵を見た。今度も赤ん坊が黒い影に覆われている絵だ。
その次の絵は。ようやく立ち上がったばかりの幼女が、黒い影に取り憑かれているように見える。
「ご主人様……なにか怖いです」
「うーむ」
これをフォトンが自分で描いたというのなら、理解はできる。しかし、フォトンがこの世界に生まれる前、AI空間で暮らしていた時に思い描いた映像だと陰子は言うのだ。
黒乃はさらに次を見ていった。わかったのは、一年ごとの絵だということだ。三歳の時のフォトン、四歳の時のフォトン、そして十七歳の時のフォトン。年齢とともにフォトンと黒い影は大きくなり、十七歳では影の大きさは世界を覆い尽くすまでになっていた。
「ご主人様……この次がおかしいですよ」
「うむ……」
メル子の指摘どおり、ここからは明らかに様子が異なっていた。
「なんか……大人になったフォト子ちゃんが、子供に戻ってないか?」
「はい……」
十八歳の時の絵。それはわずかにフォトンが小さく描かれているのだ。十九歳の時の絵は、さらに顕著だ。結局フォトンは、十二歳まで退行してしまったらしい。だがそれとともに、黒い影も小さくなっていった。
「そして私は、十二歳の子供に戻ったフォトンを、この世界に生み出したのです。あの子が消えてしまう前に……」
こうしてフォトンは、子供ロボットとしてこの世に生を受けた。十二歳相当の子供型ボディを備えたフォトンではあるが、この時点でAIとしての年齢は二十歳、つまり成人済みなのだ。
「ここからは、私が印刷したものではなく、フォトンがこの世界で自ら描いた絵になります」
先程までの絵と言っていいのかわからないものと違い、輪郭がはっきりとしたイラストと呼べるものに変わっていた。しかしその内容は相変わらずで、フォトンが黒い影に覆われそうになっているものであった。
「フォト子ちゃんは、なにかと戦おうとしているのかな」
「でもそれも十八歳までです。きっと、成人すると破滅が待ち受けているのを悟ってしまったのでは? だから十二歳まで退行したのですよ。あれ? なにかが現れましたよ?」
次の絵に描かれていたのは、巨大な丸メガネであった。その丸メガネは、巨大なケツで黒い影を切り裂いていたのだ。
「これ……これ、ご主人様では!?」
「これが!?」
その次の絵では、メル子や桃ノ木、FORT蘭丸、陰子と思しき人物が、フォトンの周りを取り囲んでいるのだった。
「あ、ご主人様! 色です! 色がついていますよ!」
「ほんとだ! 今まではモノクロの絵だったんだ。急にカラフルになったぞ!」
ここからの絵はわかりやすかった。富士山に登る絵、月にいく絵、無人島にいく絵、異世界にいく絵。すべて、黒乃達といっしょに経験したことが描かれていたのだ。
「ああ……なんでしょう。すごく晴れ晴れとした気分になってきます!」
「黒い影が消えたからだ!」
黒い影とはいったいなんなのか。それは、フォトンにしかわからないことなのだろう。大人になることに怯え、現実世界に怯え、AI空間に閉じこもっていた色を失った少女はもういない。彼女は仲間達と出会うことで、光を得たのだ。
「ご主人様! 見てください! 最後の絵です!」
「ええ!? これは!?」
それは、丸メガネが鬼の形相で社員達を怒鳴りつけている絵だった。その絵の下に貼り付けられていたプレートには、こう書かれていた。
「『暗黒大魔王の襲来』ですって」
「暗黒大魔王って私のことかい!」
メル子はケラケラと笑った。静かで厳かな画廊に、華やかさが一つ加わった。
画廊の前の通りにゲームスタジオ・クロノス一行はいた。フォトンは呆然とする四人を、笑顔で見送ろうとしていた。
「……みんな、今日はきてくれてありがとう」
「フォト子ちゃん! すてきでしたよ!」
「楽しかったデス!」
「またきたいわね」
口々に褒め称えられ、フォトンは偏光素子が編み込まれたロングヘアを赤く変色させた。
「……クロ社長はどうだった?」
フォトンは恐る恐る聞いた。それに対し黒乃は、両手を上げてフォトンに覆い被さろうとした。
「がおー! 暗黒大魔王だぞー!」
それを見たフォトンは、慌ててメル子の後ろに隠れた。桃ノ木とFORT蘭丸はそのサイドを固めた。
「なにが襲ってきても、仲間がいればなんとかなるでしょ。たぶんね」
「……うん」
黒乃は巨ケツをフォトンに向けて歩き出した。いつの間にか雨は止み、雲間から差し込む虹色の光が白ティーを鮮やかに照らした。
「だーりん、どこいったの〜?」
グロいモンスターによってSAN値が削られまくったルビーは、一人通路の椅子でダウンしていたのだった。




