第456話 ガキ大将です!
夕日が差し込むボロアパートの小汚い部屋。黒乃とメル子は床に座り、ミニチュアハウスのプチ小汚い部屋を眺めていた。
その中ではプチ黒が床に寝そべってケツをかき、プチメル子がキッチンでフライパンを振っているのだった。
「相変わらず、プチメル子はメル子そっくりでかわいいな〜」
「そういうプチ黒も、ご主人様そっくりで愛嬌がありますよ」
時間を忘れるほど見入っていると、突然二人の目の前に、赤いサロペットスカートの少女が現れた。
「ぎゅぼぼぼぼ!」
「ぎゃあ!」
二人はその衝撃で後ろに倒れ、ひっくり返ったカエルのようにピクピクと震えた。
「黒乃〜、メル子〜、きいて〜」
「紅子ちゃん! いきなり出現しないでくださいと、あれほど言ったでしょう!」
なにもない空間から突如として現れた少女は紅子。小学二年生。近代ロボットの祖、隅田川博士の娘にして、存在する状態と存在しない状態が重なり合った量子人間である。現在は黒乃の娘ということになっている。
その娘の顔がいつもと違うことに、黒乃は気がついた。歳の割には落ち着いた雰囲気を持つ顔が、真っ赤に染まっていた。
「なんだなんだ、どしたん?」
「紅子ちゃん、なにかありましたか?」
紅子は真っ赤なほっぺを風船のように膨らませている。
「丸メガネ〜、ちょうだい〜」
「ええ!?」
「どういうことですか!?」
黒乃とメル子は顔を見合わせた。
「白ティーも〜」
紅子は黒乃にしがみつくと、白ティーを引っ張り始めた。メル子は慌てて紅子を引き離すと、自分の膝の上に座らせた。
「なになに? どうしたの?」
「紅子ちゃん、学校でなにかありましたか?」
メル子が紅子のくるくる癖っ毛を撫でていると、ようやく話し始めた。
「クラスの子が〜、丸メガネはダサいって〜」
「丸メガネが!?」
「白ティーも〜、かっこわるいって〜」
「白ティーも!?」
二人は再び顔を見合わせた。
「いいかい、紅子。この丸メガネはね、世界のクロノキメガネが作った、世界一の丸メガネなんだよ。だから、世界一かっこいいんだよ」
そう、クロノキメガネとは、尼崎に実家がある黒ノ木家が経営している丸メガネ工場であり、日本の丸メガネ市場の九割を占めているのだ(122話参照)。
「しってる〜。でもダサいって〜」
「紅子ちゃん、そのお友達は、どうして丸メガネがダサいと思ったのですか?」
「丸いから〜」
「ふふっ」
黒乃は笑った。
「いいかい、紅子。丸メガネがなぜかっこいいか、わかるかい? それはね、丸いからなんだよ。丸というのは世界を表しているんだ。紅子、地球がどんな形をしているか、わかるかい?」
「球〜」
「そうだね、丸だね」
「丸と球はちがう〜」
その言葉に黒乃は力を失い、床に伸びてしまった。
「ああ! ご主人様!」
「黒乃〜、どんまい〜」
二人に慰められた黒乃は、むくりと起き上がると、ない胸を張った。
「紅子、見てごらん。これはなにかな?」
「白ティ〜」
「お友達は、これがかっこわるいって言うのかい?」
「うん〜」
「どうしてだい?」
「もようがなくて〜、じみだから〜」
「くっくっく」
「ワロてる〜」
黒乃は自信満々に白ティーを撫で回した。
「いいかい、紅子。白ティーがなぜ白いのか、わかるかい? それはね、純粋さ、神聖さ、無垢を表しているんだよ」
「すべてご主人様にはないものですね」
メル子の言葉に黒乃は力を失い、床にへたり込んでしまった。
「ああ! ご主人様!」
「黒乃〜、どんまい〜」
メル子と紅子が必死に黒乃の背中を撫でていると、ようやく起き上がってきた。
「それで、なんで丸メガネがほしいのさ?」
「学校に〜、丸メガネと白ティーきていく〜」
「どうしてですか?」
「クラスの子に〜、白ティー丸メガネがかっこいいって〜、おしえる〜」
紅子は両手の拳を握り締め、鼻息を荒くして言った。どうやら本気のようだ。メル子は黒乃の顔を見た。
「ご主人様、どうしますか?」
「うーん、まあ、紅子がやりたいっていうなら、やらせてあげればいいさ」
「やる〜」
こうして、紅子黒乃化作戦が始まった。
——翌朝。
ボロアパートの前の駐車場に住人が勢揃いしていた。その真ん中には白ティー丸メガネ姿の紅子が、ランドセルを担いで立っていた。
「かわいいですのー!」
「ミニ黒乃様ですわー!」
マリーとアンテロッテは、目の前にいる小さい白ティー丸メガネに群がった。
「すごい! 紅子すごい!」
「かわいかー」
黒乃の妹の鏡乃と、桃ノ木桃智の妹の朱華は、小さい白ティー丸メガネを撫で回した。
「しかし、よく丁度いいサイズの丸メガネがありましたね」
「ふふふ、黒ノ木家では毎年丸メガネを新調するからね(167話参照)。小学二年生の時の丸メガネを、引っ張り出してきたのさ」
すると、ボロアパートに紅子のクラスメイトの持子と睦子がやってきた。
「おはよう!」
「わぁ、白ティー丸メガネ。かわい」
「学校〜いこ〜」
三人は仲良く手を繋いで通学路を歩いていった。
——夕方。
黒乃とメル子が仕事から帰ってくると、ボロアパートの駐車場に一人佇んでいる少女がいた。
「あれ? 紅子」
「紅子ちゃん! どうしました!?」
紅子の手には丸メガネが握られていた。黒乃の白ティーに飛び込むと、肩をプルプルと震わせた。
「黒乃〜」
「あらら、なになに。またなにかあったのかな?」
「紅子ちゃん! 話してください!」
白ティーにうずめた顔を上げると、紅子の目には涙が浮かんでいた。
「丸メガネ〜、かっこわるいって〜」
「ええ!?」
「やはりダメでしたか!」
「やはりとは?」
「あ、いえ!」
紅子は白ティーを離し、まっすぐ黒乃の目を、いや、丸メガネを見た。
「だから〜、ちょうせんじょう〜、たたきつけた〜」
「なぬ!?」
「誰にですか!?」
「クラスの〜、ガキ大将ロボ〜」
「ガキ大将ロボ!?」
「なんですか、そのやばそうなロボットは!?」
——隅田公園。
夕日に照らされた隅田川を一望できる、緑あふれる公園に黒乃達はいた。
わけもわからず立ち尽くす黒乃とメル子。その前に壁を作る紅子、持子、睦子。
それに対するは、件のガキ大将ロボとその取り巻きだ。ずんぐりむっくりのボディ、オレンジの横縞ティーシャツ、丸い鼻。我こそはガキ大将でござるという風体だ。
「よく〜、にげずにきた〜」
紅子は腕を組み、威張るように言った。
「あたりめーだぜ! そっちののっぽが黒乃山だな!」
黒乃に指を突きつけるガキ大将ロボ。
「ええ!? 私!?」
「あれ? これ、子供の喧嘩に親が出てくるという、みっともない状況なのでは……」
メル子は青ざめた顔で成り行きを見守った。
「黒乃山! さいきょうの横綱の藍王を、たおしたそうだな!」
「ええ? ああ、うん。倒したけど(422話参照)」
その返答により、ガキ大将ロボ一味の間にざわめきが広がった。
「うそくせぇ!」
「トリックだろ!」
「ようかいケツでかメガネ!」
「おっさん!」
「誰がおっさんじゃい」
ガキ大将ロボは、腕を横に振って取り巻き達を制すると、進み出た。
「ここに、おあつらえむきの土俵があらぁ!」
木の枝で地面に掘られた円の中で、ガキ大将ロボは腰を落とした。
「かかってこい!」
「ええ!?」
黒乃はメル子を見た。メル子は汗を垂らして首を振った。黒乃は紅子を見た。紅子は光り輝く瞳で黒乃の視線を跳ね返した。
「ああ、うん。じゃあ、やるか」
黒乃は直径4.55メートルの円に入った。両者土俵の中央で睨み合い、ぶつかった。
「どりゃああああ!」
「おっと」
ガキ大将というだけあって、ボディはそれなりに大きく当たりも強い。しかし、しょせん小学二年生だ。百戦錬磨の黒乃山の敵ではない。
「ご主人様! 手加減をしてくださいよ!」
二人は土俵の中央で押し合った。
「おりゃああああ! 丸メガネも白ティーも〜、ぜんぜんたいしたことないな〜!」
「おっとっと」
一応二人の力が拮抗しているふりをして、適当に転がして終わろうとしたその時、黒乃山の視界に紅子の顔が入った。
次の瞬間、逆に黒乃山は投げられ、地面に転がっていた。
「ぎゃふん! やられたー!」
「どうよ!」
まさかのガキ大将ロボの大金星に、取り巻き達は大歓声を送った。
「紅子! これでにどと、黒乃山が最強だなんて、じまんするなよ! 最強は、おれさまだ! がははははは!」
ガキ大将ロボはふんぞり返って大笑いした。紅子はプルプルと震えて下を向いたままだ。そんな彼女達を尻目に、ガキ大将軍団は凱旋しようとした。
「紅子〜」
黒乃は震える手で自分の丸メガネを外した。
「黒乃〜」
慌てて駆け寄る紅子に、黒乃は丸メガネを手渡した。
「いいかい、紅子。この丸メガネはね、世界一の丸メガネなんだ。世界一かっこよくて強い、正義の丸メガネなんだ。だから、大人が子供相手に戦う時にはね、効果が出ないんだよ」
「だったら、紅が丸メガネでたたかう〜」
丸メガネを受け取った紅子は、天高く掲げた。そのレンズは夕日を反射し、ガキ大将ロボを照らした。
「まぶしっ! 紅子〜、まさかおれさまとやるってのか〜!?」
ドスドスと大股で歩き、土俵に戻るガキ大将ロボ。紅子は明らかにサイズの合わない丸メガネを装着すると、土俵の中央で構えた。
「しょうぶ〜」
「のぞむところだぜ!」
二人は土俵の中央で組み合った。明らかに体格差のある二人だ。勝負は一瞬かと思われた。
「紅子ちゃん! 気をつけて!」
メル子が声援を送るも、すぐにあることに気がついた。
「あれ? なんでしょうか……ガキ大将ロボがモジモジしていますが……」
ガキ大将ロボは顔を赤くして気まずそうに手を動かした。明らかに攻めあぐねているようだ。
「どうしたのでしょうか? 変ですね?」
「くくく」
「ご主人様?」
笑う黒乃は、地面に巨ケツを乗せて解説を始めた。
「これは小学生特有の、好きな子をいじめたくなる現象! ガキ大将ロボは紅子の気を引くために、わざと黒乃山の悪口を言ったのだ!」
「ええ!? どういう現象ですか!? 悪口なんて言ったら、紅子ちゃんに嫌われてしまうではないですか!?」
「そこが少年ロボの複雑なAIの作用! 男としてのプライドと、好きとの感情の狭間で揺れるこの矛盾を、ロボット心理学では『ロボットアグレッション』と呼ぶ!」
ガキ大将ロボがモジモジして視線を逸らしている隙を狙い、紅子は一瞬だけ自分の存在を消した。支えを失ったガキ大将ロボは前につんのめり、ギリギリつま先でリングアウトを耐えた。しかし、無惨にもケツに紅子の蹴りをくらい、土俵を割ってしまったのだった。
「紅子のかち!」
「わぁ、たおした。すごい」
持子と睦子は、紅子に駆け寄りお互いを抱き締め合った。地面に転がり悔しがるガキ大将ロボに、黒乃は優しく声をかけた。
「ガキ大将ロボよ、聞くがよい」
「黒乃山……」
「紅子の気を引きたいなら、丸メガネと白ティーの魅力がわかるくらい、大人にならないとダメだZe」
「黒乃山……おれ、おとなになるよ。いつまでもガキ大将じゃいられないからね」
黒乃は将来の大将ロボの肩に手を置いた。
「黒乃〜、丸メガネの力でかった〜」
「おお! かっこよかったよ!」
「紅子ちゃん! すごかったですよ!」
紅子は黒乃とメル子の元に走り寄ろうとした。しかし、度もサイズも合わない丸メガネのせいで足を引っ掛け、思い切り前に倒れてしまった。そのはずみで吹っ飛んだ丸メガネを、ガキ大将ロボは勢い余って踏み付けた。
パキン。
軽い音とともに、木っ端微塵に潰される丸メガネ。砕け散った破片を見て、黒乃はプルプルと震えた。
「あ……」
「あ……」
「あ……」
静まり返る一行。恐る恐る黒乃の顔を覗き込むと、皆いっせいに逃げ出した。
「貴様らーッ!!! 命より大事な丸メガネになにすんじゃー!!!」
黒乃山は逃げ惑うちびっ子達をちぎっては投げ、ちぎっては投げした。この件は学校に連絡が入り、後日黒乃は小学校に呼び出されて四時間説教をくらった。




