第452話 常連です!
梅雨の浅草。
浅草寺から数本外れた静かな路地に居を構える紅茶の名店『みどるずぶら』。その小さいながらも落ち着いた雰囲気に惹かれた人々が、今日も癒しを求めて訪れる。
店の表はガラス張りになっており、通りを歩けばいやでもその姿が目に入る。クラシカルなヴィクトリア朝のメイド服を纏った、麗しきメイドロボの姿を。
カランカラン。
店の扉が開いた。この店の最初の客はいつも決まっている。
「ルベールさん、お疲れ様」
「奥様、いらっしゃいませ」
濡れた石畳の上で上品に傘を畳んで店に入ってきた老婦人は、二つしかないテーブルの一番奥の席に着いた。この老婦人はルベールのマスターにして、裏の洋装店『そりふる堂』の店主でもある。また書道教室も運営している。
「奥様、お待たせいたしました」
「ありがとう」
いつもどおりのダージリンのストレートティーを差し出した。老婦人は少しの間、その真紅の水面に映る雨の景色を楽しんだあと、カップを傾けて一口含んだ。
「いつもより蒸らし時間が長いのね」
「はい、この時期は茶葉が水分を吸い込みますので」
「でも、苦味が出ていないところがさすがね」
「恐れ入ります」
すると、ガラス張りの向こうに黒い影が動くのが見えた。
「あら、お客さんね」
「お届け物のようです」
ルベールは店の外に出た。軒先で神経質に雨を避けていたのは、二メートルを超える巨大な黒い塊であった。
「ゴリラロボ、お疲れ様です」
「ウホ」
ゴリラロボは胸に大事に抱えたバナナの房をルベールに手渡した。これは浅草動物園の最高級バナナである。
「まあ、ありがとうございます。これでおいしいバナナパイを作れますね」
「ウホ」
バナナを手渡したゴリラロボは、雨の中を帰ろうとした。大きな雨粒が首筋に垂れ、大きな体を震わせた。
「ゴリラロボ、お待ちください」
「ウホ」
そう言うと、ルベールは傘を差し出した。ゴリラロボはそれを受け取ると、嬉しそうに頭の上にかざした。その巨体に対して、明らかに面積の小さい傘ではあるが、それでも飛び跳ねるように傘を上下させながら帰っていった。
老婦人が店を出たあとは、店先に飾ってある植木鉢の手入れだ。雨粒で花が傷まないように、雨よけのシートを被せてやる。作業に没頭していると、背後から声をかけられた。
「えへえへ、ルベールさん、おはようございます」
「おはようございます!」
一つの傘で仲良く石畳を歩いているのは、白ティー丸メガネ黒髪おさげののっぽと、青いメイド服が鮮やかな金髪巨乳メイドロボであった。
「黒乃様、メル子さん、おはようございます。生憎のお天気ですね」
「えへえへ、そうですね。でも相合傘ができるので、そう悪いものでもないですよ」
「もう! ご主人様ってば!」
「うふふ」
仲睦まじい二人を見送ると再び花の世話に戻る。しばらくすると……。
『貴様らーッ!』
『イヤァー!』
お隣から元気な声が響いてきた。思わず笑みがこぼれ、わずかに肩を揺らした。
昼前になると、茶葉を買い求める客がチラホラと訪れる。壁一面に敷き詰められた箱から素早く茶葉を取り出し、袋に詰めていく。
「オーホホホホ! ヌワラエリアのハイグロウンをくださいましなー!」
「オーホホホホ! たっぷりくださいましなー!」
「「オーホホホホ!」」
金髪縦ロール、シャルルペロードレスの二人組がやってきた。黄金色に輝く縦ロールは、湿気のせいかいつもより垂れ下がっているように見える。
「アニー様、マリエットさん、いらっしゃいませ」
この二人はマリーの姉のアニーと、そのメイドロボのマリエットである。アニーはマリーのメイドロボのアンテロッテとそっくりであるし、マリエットはアニーの妹のマリーとそっくりなのである。
「いつも上野からお疲れ様です」
ルベールは汗ばんだ二人にサービスのアイスティーを差し出した。
「ここのお紅茶は最高でございますので、いくらでも参りますわよー!」
「お嬢様の言うとおりですわー!」
「「オーホホホホ!」」
腰に手を当ててアイスティーを一気飲みしたお嬢様たちは、雨の中を元気よく帰っていった。
次にやってきたのは、褐色肌が美しいショートヘアの美女マヒナと、ナース服ベースのメイド服からのぞく褐色肌が美しいショートヘアのメイドロボ、ノエノエだ。二人は傘もささずにこの雨の中を駆けてきたようだ。
「ふー! いい汗かいた」
「雨の日のトレーニングは最高ですね」
汗だか雨だかわからないずぶ濡れの姿で店内に入ろうとするのを、慌てて止めた。バスタオルを被せ、全身を拭いてやる。
「おお、ルベール、すまないね」
「お二人とも、傘はどうなされたのですか?」
「あはは、月には雨は降らないからね。傘という概念がない!」
「まあ……」
二人は窓際の席に腰を下ろした。体に張り付く服を鬱陶しそうに指で引っ張ると言った。
「なにか、ガツンとエネルギー補給できるものが食べたいな」
「マヒナ様、名案です」
ルベールは笑顔でそれに応じた。しばらくすると、パイと紅茶のセットを運んできた。
「パスティとパイナップルティーです」
「ほう!」
「おいしそうです」
パスティとは半月状のパイで、イギリスはコーンウォール地方の伝統料理だ。牛肉、タマネギ、ジャガイモを生地で包んで焼き上げる。鉱山で働く人々が汚れた手で食べられるように、端っこに持ち手がついている。
「うむ! ザクザクとした食感がたまらんな。まさに労働者の味だ」
「マヒナ様、ご覧ください。紅茶には輪切りのパインが浮いています。まるで満月のようです」
気の利いた食事にご満悦の褐色美女達は、鋭い視線をルベールに投げかけた。
「さて、ルベール」
「はい」
「そろそろ、教えてくれないか?」
「またお兄様のお話でしょうか?」
「もちろんだ」
ルベールの兄に相当するロボットは数人いる。一人はトーマス・エジ宗次郎博士、一人はニコラ・テス乱太郎博士、そしてアルベルト・アインシュ太郎博士。近代ロボットの祖、隅田川博士によって作られた最古のロボット達である。
マヒナとノエノエは、アインシュ太郎の行方を追っているのだ。
「アインシュ太郎は月を消滅させようとし(219話参照)、タイトクエスト事件を起こした張本人だ(300話参照)」
「博士は超危険人物です。野放しにはできません。居所を教えてはもらえないでしょうか」
ルベールは人形のように整った眉を寄せた。
「申し訳ございません。私はお兄様の居場所は存じ上げません。まったくの音信不通でして……」
二人は目を閉じ息を吐いた。紅茶の残りを飲み干すと席を立った。
「わかった、ありがとう。もしなにか情報を得られたら教えてくれ」
「お役に立てずに申し訳ございません」
ルベールは店を去る二人を店の前で見送った。すると、屋根の上から巨大ななにかが胸の中に飛び込んできた。
「ニャー」
「まあ、チャーリー。ご飯ですか?」
グレーのモコモコことロボット猫のチャーリーは、甘えたような声で鳴いた。
「なにが食べたいですか? スターゲイジーパイにしますか?」
それを聞いたチャーリーは、地面にうずくまって頭を抱えてしまった。スターゲイジーパイとはイギリスの伝統料理で、パイから突き出たイワシの頭が、星を眺めているように見えることから名付けられた。
「あら? お嫌いですか? 困りましたね。では、もっと食べやすいシェパーズパイにしましょうか」
チャーリーの尻尾がピンと立った。
軒下でチャーリーがパイをがっついていると、次第に客足が伸びてきた。巨大なモコモコを撫でようと手を伸ばした客に対し、爪を剥き出しにして威嚇するロボット猫。チャーリーは食事を邪魔されるのが嫌いなのだ。
雨の中、三つの小さな傘が迫ってきた。赤、青、緑。時には上下させ、時には回転をさせてチャーリーの目を惑わせた。
「チャ〜リ〜」
「おっきい! ロボット猫だ!」
「わぁ、かわいい。なでよ」
「ニャー」
三人組の少女は次々にチャーリーに手を伸ばした。もみくちゃにされたロボット猫は、一声鳴くと、塀を伝って逃げていった。
赤いサロペットスカートの少女は紅子。小学二年生。黒乃の娘だ。
メガネをかけた元気な少女は持子。小学二年生。紅子の同級生だ。
嘘みたいに長い黒髪の少女は睦子。小学二年生。紅子の同級生だ。
三人はチャーリーに手を振ると、店の中に入っていった。
「まあ、小さなお客様。いらっしゃいませ。今日は学校は午前で終わりですか」
三人はいっせいにルベールの純白のエプロンにしがみついた。三人が手を差し出すと、その中には百円玉が握られていた。
「うふふ、いつものですね」
ルベールはテーブルの上に、ガラス製のボトルを並べた。その中には色とりどりのお菓子が詰まっているのだ。三人はそれを見て、瞳を輝かせた。
これはイギリスの伝統的なお菓子、ボイルドスイート。いわゆる『飴』だ。サワーアップル、シャーベットレモン、ミントハンバーグ。多様なキャンディが、無作為に詰め込まれている。
三人は我先にボトルの中に手を突っ込み、キャンディを掴み取った。
「ミントハンバーグばっかり〜」
「カスタード! とれた!」
「わぁ、フルーツサラダ。きれい」
さっそく口の中に放り込み、その甘酸っぱい味を全身で堪能した。
夕方は、仕事帰りのサラリーマンや主婦が茶葉を買い求めにやってくる、一番忙しい時間帯だ。そのテーブル席に黒乃とメル子はいた。
「ふーい、今日も働いた〜」
「お疲れ様です、ご主人様」
二人は紅茶を飲みながら、次々に現れる客を眺めた。
「しかし、今日はまた一段と客が多いな」
「ですね。雨の日は暖かいお紅茶がほしくなるからでしょうか?」
メル子はカップを置くと、おもむろに立ち上がった。
「ん? どした?」
「手伝ってきますね」
「おお」
メル子は跳ねるようにカウンターの中に入っていった。ルベールが茶葉を梱包し、メル子が会計を処理する。メル子が食器を洗い、ルベールがオーブンからパイを取り出す。メイドロボらしい見事な連携で、店の中はアジサイの花が咲いたかのように彩られた。
黒乃はその様子をだらけきった顔で眺めた。
「ぐふふ、いやー、いいもん見れた」
夜。店の前の通りはすっかり暗くなっていた。街灯はあるものの、いかにも頼りない。二十二世紀では、環境に配慮して町の照明は抑えられているのだ。
その暗がりの中から、しょぼくれた老人が現れた。店の中に客が誰もいないのを確認すると、ゆっくりと扉を開けた。
「アインシュ太郎お兄様……」
ルベールは息を呑んだ。音信不通の兄が突然現れたのだ。
アルベルト・アインシュ太郎。理論物理学ロボット。マヒナ達が探す危険人物だ。乱れた白髪を後ろに撫でつけ、分厚いスーツをぎこちなく纏った小柄な老人ロボットは、奥のテーブル席に腰掛けた。
「ひゃひゃひゃ! 久しぶりじゃの、ルベール」
「お兄様、今までどちらにおられたのですか?」
アインシュ太郎は、差し出された紅茶のカップを指でつまんだ。
「まあ、どこにでもじゃの」
「どこにでも?」
「ワシャ、量子ロボットじゃからの。ワシの電子雲は地球全体に広がっておって、存在する状態と存在しない状態が重ね合わさっておるんじゃ」
「はぁ」
「だから、どこにでもいると言われればいるし、いないと言われればいないのじゃ。ひゃひゃひゃ!」
ルベールは甲高い声で笑う兄を呆れて見つめた。
「お兄様、そろそろ一つのところに落ち着かれてはどうでしょうか?」
「お主のようにか? ワシもなにか店でもやってみるかのう」
おどけてみせる兄に、妹はますます呆れてしまった。その様子を兄は遠い目で見つめた。
「確かにお主は店を持って落ち着いたのう。むかしはあちこちで暴れ回っておったのに」
「やめてください」
「マスターを持つと、そんなに変わるものかの」
その言葉を聞いたルベールの目が、突如として光り出した。白髪が後退して広くなった博士のおでこが、その光を反射した。
「奥様になにかありましたら、お兄様といえど許しませんよ」
ルベールは両手の拳を握り締め、頭の横に構えた。そのあまりの迫力に、理論物理学ロボは思わず後ろにのけぞった。
「ひゃひゃひゃ! 勘違いするな。なにもせんよ! ひゃひゃひゃ」
次の瞬間、アインシュ太郎の姿は霧のようにかき消えていた。それと入れ替わるようにしてやってきたのは、黒乃とメル子であった。
「えへえへ、まだやっていますか?」
「ルベールさん! 忘れ物を取りにきました! あれ? どうかしましたか?」
呆然とするルベールを、不思議そうに見つめる二人。ルベールは迷った。この出来事を告げるべきか、告げないべきか。