表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
452/462

第452話 常連です!

 梅雨の浅草。

 浅草寺から数本外れた静かな路地に居を構える紅茶の名店『みどるずぶら』。その小さいながらも落ち着いた雰囲気に惹かれた人々が、今日も癒しを求めて訪れる。

 店の表はガラス張りになっており、通りを歩けばいやでもその姿が目に入る。クラシカルなヴィクトリア朝のメイド服を纏った、麗しきメイドロボの姿を。


 カランカラン。

 店の扉が開いた。この店の最初の客はいつも決まっている。


「ルベールさん、お疲れ様」

「奥様、いらっしゃいませ」


 濡れた石畳の上で上品に傘を畳んで店に入ってきた老婦人は、二つしかないテーブルの一番奥の席に着いた。この老婦人はルベールのマスターにして、裏の洋装店『そりふる堂』の店主でもある。また書道教室も運営している。


「奥様、お待たせいたしました」

「ありがとう」


 いつもどおりのダージリンのストレートティーを差し出した。老婦人は少しの間、その真紅の水面に映る雨の景色を楽しんだあと、カップを傾けて一口含んだ。


「いつもより蒸らし時間が長いのね」

「はい、この時期は茶葉が水分を吸い込みますので」

「でも、苦味が出ていないところがさすがね」

「恐れ入ります」


 すると、ガラス張りの向こうに黒い影が動くのが見えた。


「あら、お客さんね」

「お届け物のようです」


 ルベールは店の外に出た。軒先で神経質に雨を避けていたのは、二メートルを超える巨大な黒い塊であった。


「ゴリラロボ、お疲れ様です」

「ウホ」


 ゴリラロボは胸に大事に抱えたバナナの房をルベールに手渡した。これは浅草動物園の最高級バナナである。


「まあ、ありがとうございます。これでおいしいバナナパイを作れますね」

「ウホ」


 バナナを手渡したゴリラロボは、雨の中を帰ろうとした。大きな雨粒が首筋に垂れ、大きな体を震わせた。


「ゴリラロボ、お待ちください」

「ウホ」


 そう言うと、ルベールは傘を差し出した。ゴリラロボはそれを受け取ると、嬉しそうに頭の上にかざした。その巨体に対して、明らかに面積の小さい傘ではあるが、それでも飛び跳ねるように傘を上下させながら帰っていった。



 老婦人が店を出たあとは、店先に飾ってある植木鉢の手入れだ。雨粒で花が傷まないように、雨よけのシートを被せてやる。作業に没頭していると、背後から声をかけられた。


「えへえへ、ルベールさん、おはようございます」

「おはようございます!」


 一つの傘で仲良く石畳を歩いているのは、白ティー丸メガネ黒髪おさげののっぽと、青いメイド服が鮮やかな金髪巨乳メイドロボであった。


「黒乃様、メル子さん、おはようございます。生憎のお天気ですね」

「えへえへ、そうですね。でも相合傘ができるので、そう悪いものでもないですよ」

「もう! ご主人様ってば!」

「うふふ」


 仲睦まじい二人を見送ると再び花の世話に戻る。しばらくすると……。


『貴様らーッ!』

『イヤァー!』


 お隣から元気な声が響いてきた。思わず笑みがこぼれ、わずかに肩を揺らした。



 昼前になると、茶葉を買い求める客がチラホラと訪れる。壁一面に敷き詰められた箱から素早く茶葉を取り出し、袋に詰めていく。


「オーホホホホ! ヌワラエリアのハイグロウンをくださいましなー!」

「オーホホホホ! たっぷりくださいましなー!」

「「オーホホホホ!」」


 金髪縦ロール、シャルルペロードレスの二人組がやってきた。黄金色に輝く縦ロールは、湿気のせいかいつもより垂れ下がっているように見える。


「アニー様、マリエットさん、いらっしゃいませ」


 この二人はマリーの姉のアニーと、そのメイドロボのマリエットである。アニーはマリーのメイドロボのアンテロッテとそっくりであるし、マリエットはアニーの妹のマリーとそっくりなのである。


「いつも上野からお疲れ様です」


 ルベールは汗ばんだ二人にサービスのアイスティーを差し出した。


「ここのお紅茶は最高でございますので、いくらでも参りますわよー!」

「お嬢様の言うとおりですわー!」

「「オーホホホホ!」」


 腰に手を当ててアイスティーを一気飲みしたお嬢様たちは、雨の中を元気よく帰っていった。



 次にやってきたのは、褐色肌が美しいショートヘアの美女マヒナと、ナース服ベースのメイド服からのぞく褐色肌が美しいショートヘアのメイドロボ、ノエノエだ。二人は傘もささずにこの雨の中を駆けてきたようだ。


「ふー! いい汗かいた」

「雨の日のトレーニングは最高ですね」


 汗だか雨だかわからないずぶ濡れの姿で店内に入ろうとするのを、慌てて止めた。バスタオルを被せ、全身を拭いてやる。


「おお、ルベール、すまないね」

「お二人とも、傘はどうなされたのですか?」

「あはは、月には雨は降らないからね。傘という概念がない!」

「まあ……」


 二人は窓際の席に腰を下ろした。体に張り付く服を鬱陶しそうに指で引っ張ると言った。


「なにか、ガツンとエネルギー補給できるものが食べたいな」

「マヒナ様、名案です」


 ルベールは笑顔でそれに応じた。しばらくすると、パイと紅茶のセットを運んできた。


「パスティとパイナップルティーです」

「ほう!」

「おいしそうです」


 パスティとは半月状のパイで、イギリスはコーンウォール地方の伝統料理だ。牛肉、タマネギ、ジャガイモを生地で包んで焼き上げる。鉱山で働く人々が汚れた手で食べられるように、端っこに持ち手がついている。


「うむ! ザクザクとした食感がたまらんな。まさに労働者の味だ」

「マヒナ様、ご覧ください。紅茶には輪切りのパインが浮いています。まるで満月のようです」


 気の利いた食事にご満悦の褐色美女達は、鋭い視線をルベールに投げかけた。


「さて、ルベール」

「はい」

「そろそろ、教えてくれないか?」

「またお兄様のお話でしょうか?」

「もちろんだ」


 ルベールの兄に相当するロボットは数人いる。一人はトーマス・エジ宗次郎博士、一人はニコラ・テス乱太郎博士、そしてアルベルト・アインシュ太郎博士。近代ロボットの祖、隅田川博士によって作られた最古のロボット達である。

 マヒナとノエノエは、アインシュ太郎の行方を追っているのだ。


「アインシュ太郎は月を消滅させようとし(219話参照)、タイトクエスト事件を起こした張本人だ(300話参照)」

「博士は超危険人物です。野放しにはできません。居所を教えてはもらえないでしょうか」


 ルベールは人形のように整った眉を寄せた。


「申し訳ございません。私はお兄様の居場所は存じ上げません。まったくの音信不通でして……」


 二人は目を閉じ息を吐いた。紅茶の残りを飲み干すと席を立った。


「わかった、ありがとう。もしなにか情報を得られたら教えてくれ」

「お役に立てずに申し訳ございません」


 ルベールは店を去る二人を店の前で見送った。すると、屋根の上から巨大ななにかが胸の中に飛び込んできた。


「ニャー」

「まあ、チャーリー。ご飯ですか?」


 グレーのモコモコことロボット猫のチャーリーは、甘えたような声で鳴いた。


「なにが食べたいですか? スターゲイジーパイにしますか?」


 それを聞いたチャーリーは、地面にうずくまって頭を抱えてしまった。スターゲイジーパイとはイギリスの伝統料理で、パイから突き出たイワシの頭が、星を眺めているように見えることから名付けられた。


「あら? お嫌いですか? 困りましたね。では、もっと食べやすいシェパーズパイにしましょうか」


 チャーリーの尻尾がピンと立った。



 軒下でチャーリーがパイをがっついていると、次第に客足が伸びてきた。巨大なモコモコを撫でようと手を伸ばした客に対し、爪を剥き出しにして威嚇するロボット猫。チャーリーは食事を邪魔されるのが嫌いなのだ。


 雨の中、三つの小さな傘が迫ってきた。赤、青、緑。時には上下させ、時には回転をさせてチャーリーの目を惑わせた。


「チャ〜リ〜」

「おっきい! ロボット猫だ!」

「わぁ、かわいい。なでよ」

「ニャー」


 三人組の少女は次々にチャーリーに手を伸ばした。もみくちゃにされたロボット猫は、一声鳴くと、塀を伝って逃げていった。

 赤いサロペットスカートの少女は紅子(べにこ)。小学二年生。黒乃の娘だ。

 メガネをかけた元気な少女は持子(もっこ)。小学二年生。紅子の同級生だ。

 嘘みたいに長い黒髪の少女は睦子(むっこ)。小学二年生。紅子の同級生だ。

 三人はチャーリーに手を振ると、店の中に入っていった。


「まあ、小さなお客様。いらっしゃいませ。今日は学校は午前で終わりですか」


 三人はいっせいにルベールの純白のエプロンにしがみついた。三人が手を差し出すと、その中には百円玉が握られていた。


「うふふ、いつものですね」


 ルベールはテーブルの上に、ガラス製のボトルを並べた。その中には色とりどりのお菓子が詰まっているのだ。三人はそれを見て、瞳を輝かせた。

 これはイギリスの伝統的なお菓子、ボイルドスイート。いわゆる『飴』だ。サワーアップル、シャーベットレモン、ミントハンバーグ。多様なキャンディが、無作為に詰め込まれている。

 三人は我先にボトルの中に手を突っ込み、キャンディを掴み取った。


「ミントハンバーグばっかり〜」

「カスタード! とれた!」

「わぁ、フルーツサラダ。きれい」


 さっそく口の中に放り込み、その甘酸っぱい味を全身で堪能した。



 夕方は、仕事帰りのサラリーマンや主婦が茶葉を買い求めにやってくる、一番忙しい時間帯だ。そのテーブル席に黒乃とメル子はいた。


「ふーい、今日も働いた〜」

「お疲れ様です、ご主人様」


 二人は紅茶を飲みながら、次々に現れる客を眺めた。


「しかし、今日はまた一段と客が多いな」

「ですね。雨の日は暖かいお紅茶がほしくなるからでしょうか?」


 メル子はカップを置くと、おもむろに立ち上がった。


「ん? どした?」

「手伝ってきますね」

「おお」


 メル子は跳ねるようにカウンターの中に入っていった。ルベールが茶葉を梱包し、メル子が会計を処理する。メル子が食器を洗い、ルベールがオーブンからパイを取り出す。メイドロボらしい見事な連携で、店の中はアジサイの花が咲いたかのように彩られた。

 黒乃はその様子をだらけきった顔で眺めた。


「ぐふふ、いやー、いいもん見れた」



 夜。店の前の通りはすっかり暗くなっていた。街灯はあるものの、いかにも頼りない。二十二世紀では、環境に配慮して町の照明は抑えられているのだ。

 その暗がりの中から、しょぼくれた老人が現れた。店の中に客が誰もいないのを確認すると、ゆっくりと扉を開けた。


「アインシュ太郎お兄様……」


 ルベールは息を呑んだ。音信不通の兄が突然現れたのだ。

 アルベルト・アインシュ太郎。理論物理学ロボット。マヒナ達が探す危険人物だ。乱れた白髪を後ろに撫でつけ、分厚いスーツをぎこちなく纏った小柄な老人ロボットは、奥のテーブル席に腰掛けた。


「ひゃひゃひゃ! 久しぶりじゃの、ルベール」

「お兄様、今までどちらにおられたのですか?」


 アインシュ太郎は、差し出された紅茶のカップを指でつまんだ。


「まあ、どこにでもじゃの」

「どこにでも?」

「ワシャ、量子ロボットじゃからの。ワシの電子雲は地球全体に広がっておって、存在する状態と存在しない状態が重ね合わさっておるんじゃ」

「はぁ」

「だから、どこにでもいると言われればいるし、いないと言われればいないのじゃ。ひゃひゃひゃ!」


 ルベールは甲高い声で笑う兄を呆れて見つめた。


「お兄様、そろそろ一つのところに落ち着かれてはどうでしょうか?」

「お主のようにか? ワシもなにか店でもやってみるかのう」


 おどけてみせる兄に、妹はますます呆れてしまった。その様子を兄は遠い目で見つめた。


「確かにお主は店を持って落ち着いたのう。むかしはあちこちで暴れ回っておったのに」

「やめてください」

「マスターを持つと、そんなに変わるものかの」


 その言葉を聞いたルベールの目が、突如として光り出した。白髪が後退して広くなった博士のおでこが、その光を反射した。


「奥様になにかありましたら、お兄様といえど許しませんよ」


 ルベールは両手の拳を握り締め、頭の横に構えた。そのあまりの迫力に、理論物理学ロボは思わず後ろにのけぞった。


「ひゃひゃひゃ! 勘違いするな。なにもせんよ! ひゃひゃひゃ」


 次の瞬間、アインシュ太郎の姿は霧のようにかき消えていた。それと入れ替わるようにしてやってきたのは、黒乃とメル子であった。


「えへえへ、まだやっていますか?」

「ルベールさん! 忘れ物を取りにきました! あれ? どうかしましたか?」


 呆然とするルベールを、不思議そうに見つめる二人。ルベールは迷った。この出来事を告げるべきか、告げないべきか。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ