第450話 捨てられた美食ロボです! その二
ここは隅田川沿いにある浅草市立ロボヶ丘高校。文武両道を謳うこの名門校は、すべての生徒になんらかの部活に所属することを義務付けている。彼らは日々勉学に勤しみ、部活に明け暮れ、学園生活を謳歌していた。
その名門校に相応しい整った設備の部室棟に、人だかりができていた。
「なんだろ?」
「なんやろね?」
黒ノ木家四女鏡乃と、その同居人桃ノ木朱華は、人の波をかきわけて進んだ。そこは茶道部と、ちゃんこ部の部室の前であった。
「ねえねえ、どしたの?」
「あ、鏡乃ちゃん。あのね、ちゃんこ部の部室に変なロボットがいるの」
クラスメイトの女生徒は、顔を赤らめて答えた。
「変なロボット?」
鏡乃は扉に手をかけたが、そこで動きを止めた。正確には、ここはちゃんこ部の部室ではない。元々は茶道部の部室であり、茶道部と相撲部が争い、茶道部と相撲部の部室が入れ替わってしまったのだ。部室を取り戻すため、相撲部が茶道部に再び勝負を挑んで負けた結果、相撲部はちゃんこ部へと転身した(386話参照)。さらにちゃんこ部が部室を取り戻すために、再び茶道部へ挑戦。その結果、またもや負けてしまい、とうとう完全に部室を失ってしまった(446話参照)。
つまり、この部室は現在茶道部のものなのだ(元々茶道部のものなのだ)。なにを言っているのかわからないと思うが、そういうことなのだ。
にも関わらず、謎のロボットがこの中にいるのだという。鏡乃は恐る恐る扉を開けた。
「ええ!?」
「なんやの!?」
鏡乃と朱華は、驚愕の声をあげた。中にいた人物は、鏡乃に気がつくとゆっくりと四畳半の畳から立ち上がった。
「女将、この部室は本物か?」
それは、着物を着た恰幅のよい初老のロボットであった。
「美食ロボ! 美食ロボだ!」
「なんで美食ロボが、こんなところにいるん?」
「遅かったな、鏡郎よ。フハハハハ、フハハハハハ!」
鏡乃は呆気に取られつつも、事態を飲み込んでいった。食の世界を牛耳り、各界の重鎮達を支配下に置く美食の大家がここにいる理由。それは鏡乃が、高級料亭美食ロボ部から、美食ロボを追い出したからに他ならない。行き場を失ったロボットは、鏡乃と入れ替わるようにここに落ち着いたのだ。
「大変だ。鏡乃が美食ロボと相撲をとって追い出したから、ここに居着いちゃったんだ。どうしよう!」
その時、部室棟にざわめきが起きた。抹茶の香りがあたりに広がり、生徒達はうっとりとした表情を浮かべた。
「クンクン、この抹茶ラテの香りは、茶鈴先輩!?」
人だかりの中からしゃなりしゃなりと登場したのは、白髪を頭の上で結い上げた切れ長の目の女生徒だ。純白の長髪と、黒い制服の対比が実に侘びている。
「茶々様!」
「茶鈴様!」
「茶々様ー!」
彼女は茶柱茶鈴、通称茶々様。ロボヶ丘高校三年生で、茶道部の部長だ。過去には生徒会長を務めていたこともある。茶々様は桜吹雪柄の扇子を広げて扇いだ。
「どいとぉくれやす。暑苦しおしてかなわしまへん」
生徒達は次々に道を開けた。鏡乃は丸メガネを輝かせて茶鈴を出迎えた。
「茶鈴先輩だ! こんにちは!」
「鏡乃はん、おはようさん。ほんで〜? 朱華はん、うちの部室でなにがおましたか?」
「茶鈴部長、変なロボットがいるんです」
「へんな?」
茶々様は扉を開けた。
「なんや、美食のおじ様ちゃいますか」
「ほう、京都は宇治の老舗製茶会社ロボ寿園の創業者、茶柱伊右衛門の孫か。フハハハハ!」
「茶鈴先輩! 美食ロボの知り合いなんですか!?」と鏡乃。
「うちの抹茶を美食ロボ部に卸している関係で、ようしてもろうてます。あても会員どすえ」
茶々様は扇子で首筋を扇ぐと、一つため息をもらした。
「まったく、美食のおじ様にはほんまに困るなぁ。まあええどす。しばらく放っといたってください」
茶々様は扇子を音を立てて閉じると、言い放った。
「さあ、解散どすえ解散。散っとぉくれやす」
その言葉どおり、集まった生徒達はそれぞれの部活動に戻っていった。
「フハハハハ! 女将! 飯はまだか!? フハハハハハ!」
部室の中で一人腕を組み、ふんぞり返る美食ロボ。その姿には捨てられた子猫ロボのような哀愁があった。いや、なかった。
「ミラちゃん、じゃあウチは茶道部にいくね。ミラちゃん?」
朱華は同居人を見上げた。その一本おさげは、寂しげに垂れ下がっていた。
——翌日の昼休み。
鏡乃はこっそり教室を抜け出して走っていた。おさげと巨ケツが揺れ、すれ違った生徒を驚かせた。元ちゃんこ部の前にやってきた鏡乃は、扉の前で笹の葉の包みを取り出した。そして勢いよく、扉を開けた。
「ごっちゃんです! 美食ロボ、いる!?」
中に入った鏡乃は、驚きの光景を見た。数人の生徒達が、四畳半の畳に正座して囲炉裏をいじる美食ロボを取り囲んでいたのだ。
「ほら、美食ロボ。ロボこの山だよ」
「いやいや、美食ロボ。こっちのロボのこの里の方がいいよな?」
「こっちには、ロボいぼう明太子味があるよ。それともサボテン味の方がいいかな?」
次々に美食ロボに餌を与えようとする生徒達。
「ええい! なんだこのスカスカとした食べ物は! 口が乾いたではないか! 女将を呼べい!」
「あははは、おもろー」
「次はこっちを食べてよ」
鏡乃は手にした包みをプルプルと震わせた。そして思わず叫んでいた。
「ダメダメ! 美食ロボにそんなの食べさせたらダメ! 美食ロボはこう見えて、グルメなんだから!」
生徒達は、突然の乱入者に目を丸くした。
「出ていって! 美食ロボには私がご飯を作ってきたから! 出ていって!」
あまりの剣幕に驚き、慌てて部室から退散する生徒達を見送った鏡乃は、大きく息を吐いた。そして笹の葉の包みを美食ロボに手渡した。
「ほら、美食ロボ。おにぎりを作ってきたよ。食べてごらん」
美食ロボが笹の葉を解くと、中から巨大なまんまるおにぎりが三つ出てきた。
「ほう、これは?」
「右からシャケ、サーモン、ぼだっこのおにぎりだよ」
「ほほう、いただこう」
美食ロボは、海苔すら巻いていない無骨な握り飯を手に取ると、勢いよく齧り付いた。
「ほう、これはロボにしきとロボひかりのブレンド米。しかも備蓄米ではない、正真正銘の新米だ。店頭価格四千円はくだらないだろう」
「うん、美食ロボ部にたくさんあったやつ」
「そして具は……なにかわからんが、しょっぱくてうまい! このオレンジ色をしたこのなにかがうまい! こっちの木の皮のような具はなんだ? ほう、これはしょっぱい。フハハハハ! しょっぱい! 女将! 腕を上げたな!」
美食ロボは、一心不乱におにぎりを頬張った。ものの三分も経たないうちに、すべて平らげてしまった。
鏡乃は釜の湯で茶を立てた。朱華がボロアパートの小汚い部屋で練習しているのを見ていたので、見よう見まねをしてみた。
「ほら、これ飲んで落ち着いて」
「いただこう。ほう、これは静岡の深蒸し煎茶だな」
「茶道部が使ってる宇治の抹茶だよ」
「フハハハハ! 抹茶ときたか!」
鏡乃は、美食ロボが豪快に茶を飲み干すのを待った。
「あのさ、美食ロボ、ごめんね」
「鏡郎よ、なんの話だ?」
「鏡乃が美食ロボ部を追い出しちゃったから、こんなところに棲むしかなくなっちゃったんだよね?」
「……」
美食ロボは着物の懐に手を入れて腕を組んだ。
「だからさ、お家に帰りなよ。相撲勝負はなかったことにするからさ。ね?」
「……」
「美食ロボ?」
美食ロボはおもむろに立ち上がると、土間に降りた。扉を開け、隣の部室へと入る。ここは元相撲部の稽古部屋、現茶道部の部室だ。
その中には一人の生徒が待ち構えていた。
「あれ? 茶鈴先輩!?」
茶々様は土俵の奥の座敷に正座をしていた。美食ロボは堂々と土俵の中央に進み出ると、目を閉じた。
「鏡郎よ、お前は重大な勘違いをしているようだな」
「え? 勘違い?」
「この美食ロボを誰だと思っている!」
「美食ロボだけど」
「フハハハハハ! 美食ロボときたか!」
茶鈴が持っていた扇子を閉じた。鋭い金属音が響き、その瞬間、土俵に緊迫した空気が広がった。
「勝負どすえ、鏡乃はん」
「ええ!? なんの勝負?」
「美食のおじ様が、美食ロボ部に戻るかどうかの勝負どすえ」
鏡乃はようやく理解した。美食ロボが鏡乃との相撲勝負の末、美食ロボ部を追われたのならば、再び勝負をして取り戻せと言っているのだ。
鏡乃は土俵に入った。
「わかったよ。勝負する!」
「見届けますえ」
両者、土俵の中央で見合った。鏡乃は思っていた。「負けてしまえ」と。自分が負ければ、すべてが元通りになるのだ。変なロボットは学校から消え、平和が訪れるのだ。みんなのために、自分が負けるのがベストなのだと思った。
お互いぶつかった。恰幅のよい美食ロボの当たりは弱くはないものの、浅草場所で優勝した鏡乃山には、いささか物足りなかった。しかし、このまま下がってしまえばそれでいいのだ。
「鏡郎よ、お前は大事なことを見落としているようだな」
「!?」
美食ロボがつぶやいた。次の瞬間、美食ロボは勢いよく土俵に転がっていた。
「ごええええ!」
茶々様の扇子は西をさし、軍配を鏡乃山に上げた。肩で息をする鏡乃は、出口に向けて歩き出した。
「ごめんね、美食ロボ。やっぱり美食ロボ部は返せないよ」
「……」
「……」
「だって、鏡乃達は部室を取り戻さないといけないから! 茶道部を倒さないといけないから!」
茶々様は扇子を開いた。
「あっぱれどすえ、鏡乃はん。正々堂々と受けて立ちますえ」
扇子越しに鋭い視線を投げかける茶々様。それをしっかりと受け止める鏡乃。そのまま鏡乃は、無言で部室を出ていった。
「鏡郎よ、ようやく大事なことに気がついたようだな。フハハハ、フハハハハハ! う……」
おにぎりを三つ食べたあとに、急激に動いてぶん投げられた影響で、神聖な土俵は盛大に汚された。




