第45話 プロジェクト・ヘイル・メル子 その二
富士山五合目での朝。今日も天候が悪い。
黒乃達は五合目の宿泊施設で一晩明かした。朝一番で頂上へのアタックをするためである。全員アイザック・アシモ風太郎が持ってきた登山装備を装着した。見るからに重装備であり、これから訪れるであろう登山の過酷さを物語っていた。
「先生〜! 本当に富士山を登らないといけないんですか〜!?」
「トーマス・エジ宗次郎博士ハ、富士山ノ、山頂付近ニイマス」
マッドサイエンティストロボである『ニコラ・テス乱太郎』が開発したと思われるゴキブリロボによって、メル子とアンテロッテのご主人様設定が入れ替わってしまった。それを直すことができるのは『トーマス・エジ宗次郎』ただ一人であるという情報の元、黒乃達は富士山にやってきたのだった。
「でも私、登山初めてですよ!? 死んでしまいます!」
「ゴ心配ナク、頼モシイ、助ッ人ヲ、呼ンデ、イマス」
「え!?」
黒乃は自動車の影に人が立っているのに気がついた。筋骨隆々の中年ロボットである。目つきが鋭く、濃いヒゲを短く刈り込んでいた。
「登山ロボノ、ビカール三太郎サンデス」
「おお! カッケェ! イケオジロボだ!」
「……がいるからだ」
「なんて?」
「ここにおれがいるからだ!」
「からだって、別になにも聞いてないけど! なんだこのロボット!?」
「ビカール三太郎ハ、山言語デ、喋ルノデ、ナニ言ッテルカ、分カリマセン」
「大丈夫なの!?」
黒乃達はビカール三太郎を先頭にして歩き出した。五合目付近では他の登山客も多い。
「ねえ、マリーは子供なんだけど? 登山大丈夫!?」
「わたくし、モンブランに登ったこともありますので平気ですわー!」
「え? ケーキに登った? マリーの脳味噌もゴキブリロボにやられたか?」
「本人ガ、イナイト、マスターノ、再設定ガ、デキナイ可能性ガ、アルノデ、ドウシテモ、登ル必要ガ、アリマス」
気温が低くなってきた。霧がかかり、視界が悪い。黒乃は足元を見ながら一歩一歩登るのに必死で、周りを気にしている余裕がなくなった。
「メル子ー! マリーを頼んだよー!」
「お任せください!」
ビカール三太郎は巨大な荷物を背負い、ズンズンと進んでいく。体から蒸気が噴き出している。
「凄いエネルギーだ。なんというロボットだ──」
「あまり崖に寄るな。おれが山だったら、そういうミスを犯す人間の頭には遠慮なく石を落とす」
「どういうこと!?」
一行はゆっくりではあるが、着実に歩を進めていった。
「よしよし、いい感じだ。なんとかこのままノーマルルートで登頂できそうだね」
「……なんだと」
静かにビカール三太郎はつぶやくと、突然進む方向を変えた。他の登山客とは違うルートに入っていく。
「あれ? こっちで道あってる?」
「ご主人様、風が強くなってきましたわー!」
岩だらけの道をしばらく進んだが、もはや他の登山客は一人も見えなくなっていた。雨が降り出し、風が強くなった。ノーマルルートを外れたため足場が非常に悪く、この強風で動くのは危険と判断し、テントを張って一時待避することになった。
ビカール三太郎は背負っていたテントを素早く設営した。全員が入れる大型のテントである。
「あのでかい荷物、テントだったのか」
雨が激しくテントを打ちつけた。ゴーゴーという風の音がすると、テントがバタバタとはためいた。
「アンテ……メル子ー! 怖いですわー!」
「よしよし大丈夫ですよ、マリーお嬢様」
「アン子ー! 私もこわ〜い」
「よしよし、いい子いい子ですわー!」
風はなかなか止まない。気温が低く、黒乃とマリーは毛布を被りガタガタと震えていた。ビカール三太郎がバーナーで湯を沸かし、蜂蜜入りの紅茶を淹れてくれた。
「飲め。水分は補給しすぎということはない」
「ううう、ビカール三太郎、ありがとう」
あまりに寒いので、ビカール三太郎が体から蒸気を放出してテント内を温めた。かなりのエネルギーを消費するが、仕方がない。テントが温まり、黒乃は睡魔に襲われ始めた。マリーとメル子とアンテロッテは既に寝てしまっているようだ。
「むにゃむにゃ……アンテロッテはわたくしが助けますわー……むにゃむにゃ」
マリーはメル子の腕の中で寝言を言っている。
「なんだ。心配させるといけないから、アン子に甘えないようにしてたんだな」
数時間が経った。
「起きろ。雨が止んだ」
いつのまにか黒乃も寝ていたようだ。テントから出ると、青空が広がっていた。風はまだあるが、進むのに問題はないようだ。
一行はテントを片付けて、再び歩き始めた。
「先生。ヘリかなんかで飛んできたらダメなんですか?」
「ヘリハ、撃墜サレルノデ、無理デス」
「なんで!?」
天候がよくなったことで、頂上付近が見えるようになってきた。山肌に巨大な鉄の扉が見えた。
「アレガ、トーマス・エジ宗次郎博士ノ、研究所デス」
「富士山をくり抜いて研修所作ったの!?」
間もなく一行は扉の前にたどり着いた。高さ十メートルはある重厚な扉だ。
『何用だ! 誰もここは通さんぞ!』
どこかにあるスピーカーから、男の声が響き渡った。
「あ、どうも黒ノ木黒乃といいます。うちのメイドロボを直してもらいたくてきました」
すると大きな音を立てながら扉が開いた。
『入れ!』
「誰も通さないとか言ってたよね!?」
扉の中には巨大なロボットが格納されていた。その奥の扉の前に男が立っていた。スーツに蝶ネクタイ、白髪のロボットである。
「止まれ! メイドロボだけ前に出なさい」
メル子とアンテロッテが前に進む。するとどこからともなくドローンが四台現れ、二人の周りをくるくると飛び回った。
「ふむ、よかろう。合格だ」
「あの、トーマス・エジ宗次郎博士ですか!?」
「いかにもワシがトーマス・エジ宗次郎である!」
「博士、ウチノメイドロボガ、ゴキブリロボニヨッテ、設定ヲ、書キ換エラレテ、シマッタノデス」
「なるほど。ニコラ・テス乱太郎の奴の仕業だな。こちらにきなさい」
博士は黒乃達を研究所の中に招き入れた。その中は広く、さまざまな実験器具であふれており、そこら中にロボットのパーツが転がっていた。
「なんでこんなところに研究所があるんですか!?」
「ニコラ・テス乱太郎の奴と戦うためじゃ」
博士の話では、ニコラ・テス乱太郎は元々博士の弟子であった。しかし思想の違いにより二人は決別し、以降はいがみ合う関係になってしまったらしい。そして時々、ニコラ・テス乱太郎が送り込んでくるロボットと戦っているのだった。
「あやつにはワシの崇高な理念が理解できないのじゃ。奴は若すぎる。純粋すぎるのじゃ」
「よくわからないですけど、博士ならうちのメイドロボの暗号化を解けると聞いてきました! 解けますか!?」
「ふん、ワシを誰だと思っておる。五秒で解けるわい」
「三万四千年かかる暗号を五秒で!? 天才だ!」
博士はメル子とアンテロッテの首の後ろにプラグを差し込むと、キーボードを叩いた。モニタにはこのように表示されていた。
『スキスキ貧乳メイドロボ』
ターン!
博士は勢いよくエンターキーを叩いた。
「奴はいつもこのパスワードだからの。まったく若すぎる……」
「え? もう暗号解けたの?」
黒乃はメル子を見た。メル子が泣きながら黒乃の方へ走ってきた。
「ご主人様、ご主人様ー!」
メル子は黒乃の胸に飛び込んだ。黒乃はメル子を強く抱きしめた。
「そうだよ、ご主人様だよ。メル子、元に戻ったんだね!?」
「戻りました! 私のご主人様は黒乃様だけです!」
「うおーん! メル子ー!」
二人はお互いを強く抱きしめた。黒乃の涙がメル子の金髪に滴った。
マリーとアンテロッテも抱き合って喜んでいた。
「アンテロッテ、おかえりですわー!」
「お嬢様ー! もう離れませんわー!」
その光景を見て、トーマス・エジ宗次郎は満足そうにうなずいた。
「やはり、メイドロボは巨乳に限るわい」
こうして無事メル子とアンテロッテは正常に戻った。数々の困難を潜り抜けたご主人様とメイドロボの間には、新たな絆が生まれただろう。
「サア、浅草ニ、帰リマショウ、我々ノ町へ」
「あの……なんかビカール三太郎が、研究所の入り口で凍りついて動かなくなってるんですけど」
「彼ハ、登頂シタ後ハ、イツモ凍リツイテ、動キマセン、放置シテ、帰リマショウ」
帰りは研究所から五合目までの直通エレベーターで、あっという間に下山できた。