第445話 新婚生活です! その二
むかしむかし、百年ほど未来のむかし、浅草に少女達がおりました。
浅草寺の雷門からほど近い路地に佇むボロアパートの小汚い一室。そこではうら若き乙女二人が、新しい暮らしを始めていたのでした。
ピピピピ、ピピピピ。
デバイスに仕掛けられたアラームが、起床の時間を知らせます。赤みがかったショートボブの丸っこい輪郭の少女は、すぐに布団から起き上がり、セーラー服に着替えを始めました。テキパキとしたその動きは、かわいらしさを残しつつも、大人びた印象を与えます。
この少女は桃ノ木朱華。浅草市立ロボヶ丘高校の一年生です。
ピピピピ、ピピピピ。
おやおや。アラームが鳴っているのに起きようとしないこちらののっぽの少女は、苦しそうな表情で寝返りを打ちました。布団がめくれ、白ティーにパンツいっちょという、はしたない格好があらわになりました。
「うーむ、むにゃむにゃ。しーちゃん、足の裏を舐めないで〜、むにゃむにゃ」
この白ティーの少女は黒ノ木鏡乃。浅草市立ロボヶ丘高校の一年生です。
「ミラちゃん、はよ起き〜」
見かねた朱華は、鏡乃の巨ケツをペチンと叩きました。ブルルンと体を震わせた鏡乃は、慌てて飛び起きました。
「うわあああッ! ケツから落ちたッ!? あれ? シューちゃん、おはよう」
「ミラちゃん、おはよう」
鏡乃は枕元を探って丸メガネを装着すると、ようやく着替えを始めました。新しい白ティーに着替え、朱華におさげを編んでもらいます。ごんぶとおさげは黒ノ木家の女子の嗜みです。念入りに編み上げなくてはいけません。
朝食を済ませたら、いよいよ通学です。小汚い部屋の外に出ると、目にも麗しいメイドロボが、プランターに水を撒いているのでした。
「メル子、おはよう!」
「メル子さん、おはよう」
「鏡乃ちゃん! 朱華ちゃん! おはようございます!」
その一言で、朝の気だるい気分が嘘のように晴れていきました。メイドロボに見送られ、学校に向けて出発しました。
浅草市立ロボヶ丘高校は、隅田川を遡った先にあります。綺麗な水質の隅田川を水上バスで進むと、ますます気分はよくなっていきました。
「空気がうまかー」
「ううう、酔った……」
「ミラちゃん、まだ水上バス慣れへんの?」
午前の授業が終わり、楽しい楽しいランチタイムがやってまいりました。浅草市立ロボヶ丘高校には、食堂や売店があります。鏡乃はなにを食べるのでしょうか?
「鏡乃ちゃん、いっしょに食べようよ」
「鏡乃ちゃん! 今日は私と食べるって言ったじゃん」
「鏡乃ちゃん、食堂いかない?」
クラスメイトの女子達が鏡乃に群がってきました。そうです。こう見えて、黒ノ木家の女子は無駄にモテるのです。理由は背が高いからです。単純ですね。
「ええ? ああ、うん」
陰キャらしく、あいまいな返事であいまいに事態を収めようとします。それを見た朱華は、頬を膨らませて丸い顔がもっと丸くなりました。フグですね。
「ミラちゃん、いこう」
朱華は鏡乃の袖を引っ張りました。反対の手にはお弁当箱が握られています。朱華はお弁当を作ってきていたのでした。
二人は校舎の外に出ました。校舎と校庭の間の花壇には、パンジーや朝顔やおジャガが植わっています。二人はそれを見ながら、お弁当を食べることにしました。周りには同じように、お弁当や売店で買った焼きそばパンを食べている生徒達が何人かいます。
「はい、ミラちゃん、あーん」
「あーん、もぐもぐ。おいしい! 鏡乃の大好きな納豆マヨおにぎりだ!」
「えー? そうなん? 知らんかったわ〜、偶然やね。全部納豆マヨやで」
「偶然すごい!」
次に朱華が差し出したのは、お弁当の定番唐揚げでした。おや? どうしたことでしょう? 鏡乃はなかなか口を開けようとしません。
「どしたん、ミラちゃん? 唐揚げ嫌いなん?」
「んー? 嫌いではないけど、いまいち味がしなくて」
「大丈夫やで。ウチの唐揚げは特製やから食べてみて」
「うん……」
鏡乃はしぶしぶ口を開けました。そこに唐揚げが放り込まれます。するとどうでしょう?
「もぐもぐ……あれ? おいしい! 味がついてておいしい!」
「せやで。これは唐揚げの甘辛煮やねん」
「すごい! おいしい!」
あまりのバカップルっぷりに、周囲の生徒達はドン引きしました。
午後の授業も終わり、放課後となりました。鏡乃と朱華は部室棟へと向かって歩いています。複数あるグラウンドには、野球部、サッカー部、陸上部が練習に精を出しています。威勢のいい掛け声に背中を押されて、気分も高まってきました。
「みんな、がんばっとるね〜」
「鏡乃達も部活がんばろう!」
鏡乃と朱華は、なんの部活に入っているのでしょうか? 二人が立ち止まったのは、部室棟の一階の扉の前です。
「そんじゃあね」
「うん」
朱華が開けた扉には『茶道部』と書かれていました。おしとやかな朱華ちゃんには、ぴったりな部活ですね。
鏡乃が開けた扉には『ちゃんこ部』と書かれていました。なんじゃこれは?
「ごっちゃんです!」
鏡乃は元気よく挨拶をしながら部室に入りました。
「ごっちゃんです! 鏡乃山!」
「鏡乃山! ごっちゃんです!」
先輩部員達も元気よく挨拶を返してくれました。皆、背が高く、ふくよかな体型をしています。四畳半の部屋は、体の大きい部員が集まると、とても窮屈に感じます。
鏡乃は靴を脱いで畳に上がりました。四畳半の中心には炉があり、鍋が乗せられています。
「ふとし先輩! 今日のちゃんこはなんですか!?」
「今日は白菜と白滝の鍋ッス!」
「でかお先輩! お肉はないんですか!?」
「ないッス!」
「まるお部長! 部費はどうなっていますか!?」
「相撲大会に出られないから、予算を大幅に削られたぜ!」
そう、このちゃんこ部は元相撲部なのです。え? どうして相撲部がちゃんこ部になったのか、ですって? それは我らが主人公がやらかしてしまったからです(386話参照)。
そしてこの四畳半の部室は、元々茶道部の茶室だったのです。お隣の茶道部の部室こそが、相撲部の稽古部屋だったのです。
「土俵を茶道部に奪われてからというもの、稽古もろくにできていないッス」
「この狭い茶室だと、ちゃんこを作るしかやることがないッス」
「くそッ! 俺達が茶道部に負けさえしなければッ!」
先輩力士達は口々に悔しがりました。四畳半に重い沈黙が流れます。そうこうしているうちに、鍋が煮えました。なんだかんだ言っても、彼らは力士。食いしん坊です。おいしそうな匂いによだれを垂らしました。
「完成ッス!」
ちゃんこ番のふとし先輩が、鍋の蓋を開けました。爆発するように湯気が立ち昇り、部員達の顔をあぶりました。
「おいしそう!」
先ほどまでの暗い雰囲気は、湯気とともに吹き飛びました。皆で鍋を囲めば、気分は晴れ晴れ。気力が蘇ってきました。
「茶道部がなんぼのもんじゃい!」
「また茶道部に戦いを挑むッス!」
「やってやるッスよー!」
「先輩達、かっこいい!」
鍋をがっつき、昨日の大相撲の中継の話に花を咲かせ、そして未来を語ります。
「メカ宇良のスーパー頭突き、すごかったッス」
「いやいや、メカ猿の変化だろ。土俵の外まで飛んでいったぜ」
「それにしても、どうやったら茶道部に勝てるッスかねえ」
「でかお、そりゃおめー、稽古しかあるめぇよ」
「でも、部長。稽古する場所がないッスよ」
「確かになー」
それを聞いた鏡乃は、頭の上に疑問符を浮かべました。
「校庭で稽古するんじゃ、ダメなの?」
「ええ!?」
「校庭で!?」
「まじか!?」
なぜか部員達は、急にモジモジし始めました。
「どしたん?」
「いや、鏡乃山。外で裸で稽古するわけにもいかねえぜ」
「恥ずかしいッスよ!」
「みんなに見られるッス!」
どういうわけか、相撲部のくせに裸を見られるのが恥ずかしいようです。乙女ですね。
「じゃあ、白ティー着ればいいじゃん」
今度は、先輩達が頭の上に感嘆符を浮かべる番でした。
「その手があったッスか!」
「女性力士ならではの発想だぜ!」
「さすが、鏡乃山ッス!」
「えへへ」
「明日からさっそく白ティーを着て、外で稽古をするぜ!」
「「おー!」」
その日は皆で、ちゃんこ後の昼寝を楽しんだのでした。
学校からの帰り道、鏡乃と朱華は、水上バスに揺られていました。夕日が隅田川の水面に帯のように反射し、水上バスがその上を通ることで千々に乱れます。
二人はお互い肩と頭を寄せ合いました。
「ミラちゃん、部活どうだったん?」
「うんとね、ちゃんこ食べたあとね、昼寝した」
「いつもと変わらんね」
「あ、でもね、明日から外で稽古することになった」
「すごかね」
朱華は顔を傾け、鏡乃の制服のセーラーカラーの匂いを嗅ぎました。
「白菜のちゃんこやね」
「すごい! わかるの!?」
「わかるでー」
「すごい!」
実は部室が隣同士なので、声や匂いは筒抜けなのでした。
ボロアパートに帰ると、目にも麗しいメイドロボが、二人を出迎えてくれました。
「鏡乃ちゃん、朱華ちゃん、お帰りなさいませ」
「メル子! ただいま」
「メル子さん、ただいま」
鏡乃は周囲を見渡しました。
「うふふ、ご主人様ですか?」
「え? うん……」
「もうすぐに帰ってきますよ。ほら、きました」
ボロアパートに向けて、白ティー丸メガネ黒髪おさげの女性が歩いてくるのが見えました。
「クロちゃん! お帰り!」
「お、鏡乃。ただいま」
鏡乃は姉の大平原に飛び込みたい衝動に駆られました。しかし、グッと我慢します。なぜなら、もう子供ではないからです。いつまでも甘えてはいられません。
「クロちゃん! 稽古つけてよ!」
「稽古〜? なんでよ」
「茶道部と戦うから! もう挑戦状は叩きつけた!」
「なんで茶道部と相撲部が戦うの!?」
「いいから!」
黒乃とメル子は目を見合わせて呆れました。軽くため息をつき、答えます。
「わかったよ。ちょっとだけだよ」
「やったー!」
鏡乃は喜びました。なぜなら、稽古ならば姉の胸に遠慮なく飛び込んでいけるからです。




