第441話 温泉旅行です! その五
温泉旅行最終日の朝。一行は遠刈田温泉を離れ、電動自転車で『蔵王キツネ村』へとやってきていた。
「……ねえ、クロ社長。ここにキツネいるの?」
「そりゃいるでしょう、キツネ村なんだから」
遠刈田温泉から、自転車で走ること九十分。山奥と形容するしかない場所に、その施設はあった。
「イヤァー! ゴリラロボがいマス!」
入り口に佇む巨大なゴリラのオブジェが一行を出迎えた。
「キツネ村なのに、なぜゴリラがいるのでしょう……」メル子は、腕を上げて威嚇するゴリラを見上げた。
入場料を支払い園内へと入場した。入り口でデカデカと書かれている『自己責任』の文字。
「ご主人様! なにが自己責任なのですか!?」
「んとね、キツネってけっこう凶暴な動物なのよね。手を差し出すと100%噛まれるらしい」
「イヤァー!」
加えて野生のキツネには『エキノコックス』という寄生虫がいる。人間に感染した場合、放置すると死亡率90%にもなる非常に危険なものだ。
しかし、ここキツネ村ではエキノコックスに対して厳重な対策をとっている。場内のキツネはすべて人工的に繁殖したもので、かつ検査や薬などで何重にも安全策を施している。
それを踏まえた上での『自己責任』なのだ。
一行は森の中のような放し飼いエリアへと入った。ここでは百匹ものキツネが、自然に囲まれて自由に過ごしているのだ。
「うわうわうわ、いる! いる!」
「たくさんいます!」
足元を走り抜けるキツネ達。狐色のキタキツネ、黒い毛皮のギンギツネ、白と黒のプラチナキツネ、真っ白なホッキョクギツネ。どの子も毛並みがよく、元気いっぱいだ。
「モフモフですのー!」
マリーはキツネを追いかけようとした。
「お嬢様ー! お待ちくださいましー!」
アンテロッテは慌ててマリーの手を引いた。
「お子様は、必ず保護者が手を繋いでいないといけない決まりがありますの」
「誰がお子様ですのー!」
「フォト子ちゃん! 手を繋ぎましょう!」
メル子もフォトンの手を引いた。
「……ボク、子供ボディだけど、成人しているんだけど」
「一人ずつ同伴しないといけないのは、小学生の話ね」
黒乃達はのんびりと園内を見て回った。箱の中で昼寝をするキツネ、広場で日向ぼっこをするキツネ、人間の様子をじっと伺うキツネ、足で耳の裏をかくキツネ、じゃれ合うキツネ。どの子も自由で個性的だ。
すべてここで生まれ育ったため、人間を恐れていない。足元にすり寄ってくるキツネもいた。
「……尻尾がすごく太くてかわいい。触りたい」
「ダメですよ、フォト子ちゃん。お触りは禁止です! あとで触れ合いコーナーで抱っこをしましょう!」
「……抱っこしたい」
桃ノ木は放し飼いエリアの中央にある施設を指さした。
「先輩、あそこでエサやりができるみたいですよ」
「いいね! あげてみよう」
「シャチョー! ボクの分のエサも買ってくだサイ!」
「お前は子供か」
エサやりや触れ合いを一通り楽しんだ一行は、再び遠刈田温泉へと戻ってきた。
昼は前回と違う日帰り温泉に入った。再びサウナで整おうとするも、やはり水風呂が冷たすぎて断念した。
「私には、整うなんて無理っぽい」
「先輩、精進あるのみです」
昼食は町から少し歩いてラーメン屋に入った。温泉町最後の食事ということもあり、皆思い切ってダブルチャーシューメンと、チャーシューおにぎりをオーダーした。
トロトロのチャーシューで埋め尽くされた丼に、ゴロゴロとしたチャーシューが入ったまん丸おにぎり。塩気の強い肉に対して、これでもかといわんばかりのあっさりスープは、温泉旅行の締めとして、一行の心と舌に深く刻み込まれた。
お腹をパンパンに膨らませて店を出た黒乃達を、蔵王連峰から吹き下ろしてくる風が煽った。木々が軋む音、葉の間を風が通り抜ける笛のような音が、心に若干の不安感を宿らせた。
一行は黒乃を先頭に、駐車場に向けて歩き出した。
「ご主人様、とてもいい温泉町でしたね」
「……楽しかった」
「またきたいデス!」
「いい思い出になったわ」
「オーホホホホ! リラックスできましたわー!」
「オーホホホホ! これでまたたくさん働けますわえー!」
「イヤァー!」
皆の満足感が、黒乃の背中越しに伝わってきた。
「むふふ、それはよかった」
「しかし、ご主人様」
メル子は黒乃の顔を覗き込むように顔を上げた。
「今回は本当に温泉旅行でしたね。ギガントメガ太郎先生の件を別にすれば、特殊なことは起きませんでしたし」
「まあね」
強風が吹きつけ、白ティーの裾がはためいた。
「今回はみんなにね、楽しんでもらいたかったのさ」
「楽しむ?」
「うん。めいどろぼっちがあんな形で終わってさ。つくづく、ゲーム制作って難しいって思い知らされたよね」
皆で精一杯の努力をして作り上げた、血と涙の結晶であるめいどろぼっち。その失敗の原因がなんだったのか、今となっては遠い記憶だ。
「でもうちらは、その失敗にめげずに次に進まなくてはならない。正直、つらいよね。次が成功するのか、誰にもわからないんだもん」
ゲームがヒットするかどうかなど、予想できない。大手ゲーム会社が抱える有名コンテンツですら、遠慮なく破綻するご時世だ。
「でも本来、ゲーム制作って楽しいもののはずじゃん。学生のころゲームで遊んでて、自分だったらこういうゲームを作りたい!ってのを、本当に職業にしちゃった人達の集まりじゃん。ぶっちゃけていうと、子供の集まりなんだよ」
黒乃は楽しそうに笑った。
「仕事を楽しんじゃうタイプのさ。でも、現実のゲーム制作って、とんでもない激務なんだよね。コンピュータ関連の仕事だからさ、技術のアップデートの頻度がすごいのよ。あらゆる方面の知識が必要だし、作業の物量もすごいし。泊まり込みも当たり前だし。作ってみないとなにもわからない。作ってみたらダメだったなんてザラ。それに、仕事の半分はトラブルの対処なんだよね。だから、楽しくなくなっちゃう人もいるんだよ」
黒乃は少し苦そうな顔をした。
「でもやっぱり楽しい、でもやっぱりつらい。そのせめぎ合いの中で我々は仕事をしているのさ。でもゲームって楽しいものなんだから、本来は楽しんで作らないといけないんだよ。仕事を楽しまないと、面白いものは生まれないよ」
そこまで言い切ると、黒乃は大きく息を吐いた。
「だから、この温泉旅行ですか?」
「うん」
メル子の問いに、黒乃は足を止めて後ろを振り返った。
タイトバースでの冒険を経て、激務に次ぐ激務によってめいどろぼっちを作り上げ、そして起きた浅草での戦争、崩壊、復興。黒乃達は、楽しむという行為を忘れていたのではないのか?
だからこその温泉旅行なのだ。ひたすらに楽しむ。次の一歩を踏み出すために。
「みんな、楽しめた?」
そこに待っていたのは、皆の笑顔だった。
「先輩といっしょの温泉旅行、最高でした」
「楽しかったデス! マタきたら、キット先生も喜びマス!」
「……もう次のゲーム、作りたくなってきちゃった」
杞憂であった。我が社員達は、この程度でへこたれる人材ではなかった。温泉の源泉のように、皆の心は煮えたぎっていたのだ。
「オーホホホホ! わたくしも、次の企画を考えますわよー!」
「オーホホホホ! また勝負ですわよー!」
「なにをー、負けないからな」
黒乃は前を向いた。
「さあ、帰ろう。浅草へ!」
キッチンカーが止めてあるオートキャンプ場に戻ってきた。
「さてと……あれ? なんかみんなやたらニコニコしているけど、どしたん?」
「それはもちろん、ドライブして帰れるからですよ!」
「……マリーちゃんの車の後ろに、座席があるんでしょ」
「コレで、シャットダウンせずに帰れマスね!」
そう、キッチンカーのチャーリー号は二人乗りなので、どうしてもロボット達をシャットダウンして輸送する必要があるのだ。しかし、キッチントレーラーのお嬢様号に座席がついているのなら、その必要はなくなるのだ。
「え? そんなもの、ついてございませんわよ」
「誰ですの? そんなデマ情報を流したのは?」
キョトンとするお嬢様たち。冷や汗をかくロボット達。慌てて動こうとした次の瞬間、FORT蘭丸とフォトンは地面に崩れ落ちていた。
「ご主人様……また……ですか?」
怯えるメル子。迫る黒乃。
「またなんだ。すまない」
とっさにメル子は、八又産業に伝わる八色ブレスの一つ、ファイアブレスを吹こうとした。しかし、いつの間にか背後に迫っていた桃ノ木によって、シャットダウンさせられてしまった。
横たわる三体のロボット。それを呆然と見つめるお嬢様たち。
「とんだブラック企業ですのねー……」
「さすが黒乃様の会社ですわー……」
こうして、楽しい温泉旅行は円満に終了した。
彼女達は新しいゲーム制作へ向けて、一歩を踏み出した。その頂への道のりは険しく、霧に包まれている。霧の先になにがあるのかわからない。一歩先は崖かもしれない。
だが、確かに踏み出したのだ。




