第434話 ボクの日常デス!
隅田川を下った東京湾に面した一角。その倉庫街にFORT蘭丸のハウスはあった。
積まれたコンテナを改造したサイバーパンクな部屋の中で、見た目メカメカしいロボットは目を覚ました。
「オハヨウゴザイマス! 今日もイイ朝デス!」
頭の発光素子が明滅し、薄暗い部屋をけたたましく照らした。ゲームスタジオ・クロノスにプログラマとして勤める彼が、朝起きてまずやることはなにか?
『テンテテテンテ、テンテテテンテ、テテテテテテテテ、テテテレテン、テレレン』
そう、ロボラジオ体操である。コンテナハウスの前に立ち、ロボラジオから流れる雑音混じりの音に合わせて、手足の曲げ伸ばしをする。クラシカルな機構を備えた関節が、レトロな音を立ててきしんだ。
「イイ朝日デス!」
ツルツル頭に反射した光に驚いて、カラスが飛び立った。東京湾から吹き込む塩まじりの風は、彼のボディを幾分サビさせた。
「体操でヒートしたボディに、潮風が気持ちイイデス!」
FORT蘭丸は、コンテナハウスのハシゴをよじ登った。屋根に上がると、そこにはプランターがずらりと並んでいた。
「ヨシヨシ、ヨク育っていマス」
キュウリ、ネギ、ナス、カブ。色とりどりの野菜達が、プランターから元気よくその実と葉を伸ばしていた。
「品種改良されたロボ野菜なノデ、プランターでもシッカリ育ちマス! ミンナ、おいしくなってネ!」
FORT蘭丸はジョウロで野菜達に水をあげた。葉についた水滴が雫となり、世界を映し出した。
次にプログラミングロボがやるべきことはなにか? そう、朝食の準備だ。プランターからもいだばかりの野菜を刻んだ。鍋で湯を沸かし、うどん玉を茹でる。茹で上がったら水でしめ、シャキシャキの野菜を放り込む。最後にすりつぶした白ゴマに、酢とマヨネーズを和えたゴマドレッシングを、たっぷりとかけていただく。サラダうどんだ。
「朝はコレに限りマス! サア、ルビー! 朝ごはんができまシタよ!」
FORT蘭丸は自身のマスターである、ルビー・アーラン・ハスケルに声をかけた。リクライニングチェアで眠るそのムチムチ美女は、盛大に広がった大ボリュームの銀髪を微かに揺らした。
「ルビー! 起きてくだサイ! 朝デス!」
仕方なく、FORT蘭丸はルビーのお腹に手を置き、前後に揺らした。その勢いで、全身のムチムチお肉が寒天ゼリーのように震えた。
「わぁ〜お、だーりん」
ようやく目を覚ましたルビーは、そばかすが浮いた顔を手でこすった。
「もーにん」
ルビーはFORT蘭丸の頭を抱き寄せると、その頭頂部に唇をくっつけた。
「だーりんの頭〜、今日もよく磨かれててキレイね〜」
「エヘヘ! エヘヘ!」
ルビーはアメリカからきた凄腕プログラマだ。日本へは超AI『神ピッピ』のチーフプログラマとしてやってきた(282話参照)。
二人はうどんをすすった。朝の閉じた胃が、滑らかなうどんにより開いていく。
「だーりんのうどんはマーベラスね〜」
「エヘヘ、アリガトウゴザイマス!」
朝食を済ませたプログラマ二人がすることはなにか? そう、サイクリングである。
自転車に跨り、隅田川沿いを北上する。海からの風が、二人の背中を押した。
「ルビー! 気持ちがイイデスね!」
「ハァハァ、ポープド〜」
四月の朝の太陽が、ルビーの白すぎる肌を照らした。ペダルを一回転させるたびに盛大に汗が飛び散り、駄肉を揺らした。
「だーりん、もうだめね〜」
「ガンバって、ルビー! プログラマは体力が命デスよ!」
元気はつらつのFORT蘭丸に対して、ルビーは干したナマコのように萎れていった。
プログラミングとは苛烈な業務である。膨大な設計を構築し、精密な部品を一つ一つ積み上げるように実装していく。テストに次ぐテスト、バグに次ぐバグ。仕様変更、納期短縮、残業、逃亡、崩壊。それがプログラマの現状であり日常だ。
キーボードは武器であり、デバイスは戦術であり、プロジェクトは戦略である。プログラマは電子の戦士として、戦場を駆けるG.I.ジョーなのだ。
「ハァハァ、だーりん、まって〜」
ルビー・アーラン・ハスケルはアメリカのメイン州で生まれた。生まれた時の泣き声はwailではなく、whileだった。一歳のころには、両手両足の二十本の指をビットにみたて、1048576まで数えることができた。
十進数ではなく二進数でものを考え、小学校に入学するころにはUTF-8のバイナリコードで会話をした。
当然、彼女の話を理解できるものなどおらず、話し相手はデバイスだけとなった。コンピュータは人間よりも理解しやすく、曖昧さのないゼロとイチの世界が大好きだった。
ルビーが指を動かせば世界ができあがり、デリートコマンド一つで、その世界は消えた。中学校に入るころには、凄腕のハッカーとして名を馳せていた。
二人は隅田公園にたどり着いた。汗でデロデロになったムチムチ美女を支えて、公園の芝生に横になった。
「だーりんは体力あるのね〜」
「モチロンデス! 農作業で鍛えています! 戦っても誰にも負けまセン!」
「でも〜、いつもシャチョサンにボコボコにされてるね〜」
「イヤァー! 黒ノ木シャチョーは別格なんデス!」
「誰が別格じゃい」
突然、青空が遮られた。サンサンと輝く丸い太陽の代わりに現れたのは、ギンギンに光り輝く丸メガネであった。
「イヤァー!? シャチョー!? ドウシテ、シャチョーがココにいるの!?」
「ルビーさんと蘭丸君はサイクリングですか?」
「女将サン!」
「蘭丸さん、ごきげんよう」
「イヤァー! マリーチャン! 今日もちっちゃくてカワイイデスね!」
「ぶっつぶしてやりますわー!」
黒乃達は隅田公園で、マリーのっぽ化計画の真っ最中なのであった。
「わ〜お、シャチョサン、ハイヤー」
ルビーはよろける足取りで黒乃に近づくと、思い切り抱きしめた。ネトネトの汗が白ティーに染み込み、冷たい体温が伝わってきた。
「つめたッ。ちょっと、あんまりくっつかないで」
「シャチョサン、だーりんを〜、だーりんをなにとぞゴヒイキに〜」
「わかったから、ルビー。離れて」
高校生になるころには、ルビーの目は死んだ魚のように濁っていた。その目は現実世界を見るためのものではなく、論理の世界に向けられていたのだ。
そこでFORT蘭丸を見つけた。彼は情報空間に存在するAI小学校にも通わず、引きこもっていた。
すべてのロボットはなんらかの職能を持って生まれてくる。職能を持たないAIはどうなるのだろうか?
FORT蘭丸に与えられた選択肢は二つ。AIプールに還るか、職能を持たない子供ロボとして生まれるか(296話参照)。
FORT蘭丸は前者を選んだ。現実世界のなににも興味がなかったからだ。だから、母なるAIの海に還ろうとした。
だが、ルビーは彼を無理矢理引き上げた。AIプールの中で溶けて消えようとしていたFORT蘭丸を引き上げた。
こうしてルビーは、FORT蘭丸のマスターとなった。
夕暮れの隅田川。広い水面に赤い夕陽が反射した。両頬に光を受けながら、FORT蘭丸とルビーは自転車を漕いだ。
「ルビー! 今日は楽しかったデスね!」
「とっても疲れたよ〜」
「お腹がすきまシタ! 夕飯はナニを食べたいデスか!?」
「だーりんが好きなものがいいね〜」
「じゃあ、うどんを食べマス!」
「好きね〜」
ルビーはFORT蘭丸のツルツル頭に反射した夕陽を見つめた。
昔、彼がまだ子供ロボだったころ。同じように小さな頭に夕陽が反射していた。生まれてきた彼は、怯えるばかりで家の外に出ようとしなかった。ルビーも外は苦手だったので、家の中でプログラムを教えた。
といっても、FORT蘭丸に特別プログラムの素養があったわけでもなく、いつも勉強を嫌がった。あまりに嫌がるので、とうとう家の外に逃げ出した。それを捕まえては家の中に連れ戻し、またプログラムを教える。
いよいよ、彼は家に戻るのを嫌がるようになった。近くの農家の納屋に隠れ、野菜を盗んで食べていた。農家の人に見つかったが、不憫に思ったのか、農場で作業を手伝わせるようになった。そしてルビーが現れ、また家に連れ戻される。そして逃げる。これがFORT蘭丸の青春なのであった。
「だーりんは、ステキな仲間達ができてよかったね〜」
「黒ノ木シャチョー達のことデスか!? わりとヒドイ扱いを受けていマス! デモ、楽しいデス!」
「わ〜お」
ルビーは懸命にペダルを漕いだ。顔を真っ赤にさせ、前を走るFORT蘭丸を追い越した。
「ルビー!?」
「だーりんが楽しいなら、よかったね〜。生まれてきてくれて、ありがとね〜」
「ルビーが勝手に生まれさせたんデスよね!?」
ルビーはなぜ、FORT蘭丸をAIプールからサルベージしたのだろうか? 自分と違い、特別ななにかを持たない落ちこぼれのAIを。現実世界に興味がなかったルビーとFORT蘭丸。それが二人を結びつけたのだろうか。
FORT蘭丸はペダルを漕いでルビーの横に並んだ(並走は禁止されています)。
「デモ、生んでくれて、アリガトウゴザイマス!」
「……ドンボザー」
二人は並んで自転車のペダルを漕いだ(並走は禁止されています)。ルビーが前に出ると、FORT蘭丸が横に並ぶ(並走は禁止されています)。FORT蘭丸が前に出ると、ルビーが横に並ぶ(並走は禁止されています)。
この追いかけっこからは、一生逃げられないのだ。




