第433話 成長期ですわー!
ボロアパートの小汚い部屋に似つかわしくない、麗しくも力強い一輪の花が床の上に正座をしていた。
「黒乃山」
「誰が黒乃山じゃい」
「黒乃さん」
その花の名は梅ノ木小梅、中学三年生、マリーのクラスメイトである。頭の上で束ねられた艶やかな長い黒髪が、馬の尻尾のようにたなびいた。切れ長の目と揃った前髪は、女性らしさを醸し出しつつも、どことなくボーイッシュさを匂わせた。
「おりいって相談があります」
「またかい」
「マリーちゃんのことです」
「だろうね」
メル子が紅茶のカップを二人の前に差し出した。二人は無言で真紅の水滴を口に含んだ。
「ふー、おいしいです。実は最近、マリーちゃんが悩んでいるようなんです」
「お嬢様にも悩みなんてあるのか」
「珍しいですね。どのような悩みなのでしょうか?」
小梅はアンティークのティーカップを震わせた。
「体育の授業でよくあることなのですが……」
「体育?」
「マリーちゃんは運動神経抜群ですよね? 体育でなにを悩むことがあるのでしょうか?」
「最近とうとう、一番になってしまったんです」
「一番はいいことじゃないのよ」
小梅は揺れる水面を落ち着けて言い放った。
「最近とうとう、背の順で一番前になってしまったんです!」
ドドーン!
思ったよりしょうもない悩みが炸裂したので、黒乃とメル子は困惑した。
「それが悩みなの?」
「そうです。三年生になってクラス替えが行われたのですが、唯一マリーちゃんより小さかった子がB組にいってしまったので、結果マリーちゃんが一番小さくなってしまったんです」
メル子は思わす吹き出した。体育の授業で整列し、前へならえの号令で腰に手を当てるマリーの姿を。
「かわいいです!」
「メル子さん! かわいいとかそういう問題ではないんですよ! かわいいですけど!」
「ごめんなさい!」
小梅は姿勢を正して改まった。そして深々と頭を下げた。その拍子に長いポニーテールが跳ねた。
「そこで黒乃さんにお願いです。マリーちゃんの背を伸ばしてください」
「むちゃ言うな〜、この子は」
「ご主人様! やってあげてください!」
「なんで私が!?」
「黒乃さんは背がお高いですから。黒乃さんならなんとかできると思ったんです」
「人生の中で、一度も背を伸ばす努力をしたことないんだけどな」
黒乃は高校生のころにはすでに、百八十センチメートルはあったのだ。
「さぞ、おモテになられたでしょう」
「まあね」
その一言で黒乃はふんぞり返った。実際学生時代、背が高いからという理由で黒乃はモテた。だが、メイドロボ一筋だった黒乃は、誰の思いにも応えることはなかった。
「いっちょやってやりますか!」
「ありがとうございます、黒乃山!」
「誰が黒乃山じゃい」
こうして、マリーのっぽ化計画が始まった。
——隅田公園。
すっかり桜が散った公園は、四月にしては強い日差しにさらされ、絶好のピクニック日和になっていた。
弁当を持った家族連れ、隅田川沿いを走るランナー、芝生で昼寝をする猫達。その中で、一際異彩を放つジャージ軍団が一つ。
「なんなんですの、これは?」
「なにをしますの?」
金髪縦ロールのお嬢様二人組は、金色に光り輝くジャージに身を包んでいた。一方黒乃はいつもの白ティー、メル子は赤ジャージ、小梅は学校の青ジャージだ。
「今から、マリーのっぽ化計画を実行する!」
黒乃は上からマリーを見下ろした。マリーはポカンと口を開けて見上げた。
「どうしてのっぽにならないといけないんですの?」
「わけがわかりませんわ」
困惑するお嬢様たち。黒乃はそっとマリーの肩に手を置いた。
「いいんだよ、マリー。言わなくてもわかっているから」
「そうですよ、マリーちゃん! ご主人様に任せてください!」
「マリーちゃん! 私も協力します!」
鼻息を荒くして迫る小梅の迫力にマリーは怯えた。
「なんのことだかわからないのですけど、背が高くなるのは悪いことではございませんわ。皆さんがやる気のようですので、やってみますわ」
マリーもようやくやる気を見せたようだ。しかし、当然疑問に思うことがある。
「背って、そんなに簡単に高くなるものなんですの?」
「ふふふ、私に任せなさい。まず、背を高くするには四つの要素がある!」
一つ、食事。
二つ、柔軟性。
三つ、運動。
四つ、睡眠。
「食事は基本! 体を成長させるには、カルシウム、タンパク質、ビタミン、マグネシウムが有効!」
「それらをすべて含んだ超成長食を、私が作ってきました!」
メル子が取り出したのはハンバーガーであった。
「チキンチーズバーガーです!」
鶏の胸肉、チェダーチーズ、ケール、小松菜を玄米パンで挟んだ逸品だ。
「おいしそうですのー!」
マリーはバーガーに齧り付いた。淡白なはずの胸肉がジューシーに仕上がっている。チーズのまろやかさ、野菜の香り、バンズの香ばしさが一体となってマリーの喉を通り抜けた。
「うまうまですわー! おレモンのおソースが、食欲を刺激しますのねー!」
マリーはあっという間にバーガーを平らげた。
「おいしいので、いくらでも食べられそうですわー!」
「そう言うと思って、たくさん作ってきました!」
マリーの前にバーガーがずらりと並べられた。
「さあ、マリー。これを全部食べて!」
「多すぎますのよー!」
「マリーちゃん! 私にも一つください!」
あまりにおいしそうだったので、結局みんなで手を伸ばして食べ始めた。食べ終えた時には、全員公園の芝生の上に寝転ぶはめになってしまった。
「うっぷ、マリー、背伸びた?」
「うっぷ、伸びた気がしますの……」
次なる一手は柔軟性の強化だ。体は成長する時に筋肉が硬くなる傾向があり、柔軟運動はその硬くなった筋肉をほぐす効果がある。
「イダダダダ! イダダダダ! メル子! 痛いよ!」
「ご主人様、我慢してください」
メル子は黒乃の背中を必死に押した。黒乃の体は異常に硬く、手がつま先までまったく届かない。
「なぜこんなに硬いのですか!? 力士ですのに!」
「力士ではない」
マリーはアンテロッテに背中を押されると、二つ折りの財布のようにぺちゃんこになった。
「楽勝ですわー!」
「お嬢様はバレエのジュニアチャンピオンなので、当然ですわー!」
「マリーちゃん、すごいです! 私も触っても……押してもいいですか!?」
次は運動だ。浅草工場から借りてきたロボトランポリン、略してロボンポリンを設置した。一行はロボンポリンの上に飛び乗り、思うままに飛び跳ね始めた。
「うわわ! すっごい跳ねるよ! 背を伸ばすにはね、うわわ、縦方向の運動が有効なんだよ、怖い! だからロボンポリンが最高なのさ! うわ!」
黒乃がバランスを崩し、巨大なケツをロボンポリンに炸裂させた。その勢いで他の四人は空高く舞い上がった。
「ぎゃあ! 高すぎます! お乳がもげる!」
「オーホホホホ! 見てくださいましー!」
マリーは体重の軽さを活かし、誰よりも高く飛んでいた。
「さすがお嬢様ですわー!」
「マリーちゃん、すごいです!」
いよいよ最後のミッション、睡眠だ。寝る子は育つ。睡眠中に成長ホルモンが分泌されるのだ。
五人は芝生の上に寝転がった。
「わたくし、全裸で添い寝してもらわないと寝られませんの」
「ここ公園だからね。全裸はロボマッポがくるよ」
仕方がないので、アンテロッテとメル子が左右から添い寝をすることで、帳尻を合わせた。
「ちぇー、うらやましい」
「マリーちゃん! 私も添い寝しますよ!」
「いりませんの」
おいしい食事と、体をほぐすストレッチ。そして適度な運動。すべてが睡眠の質を向上させるのに役にたつ。五人はぐっすりと眠った。
「さて」黒乃は目の前に立つお嬢様を見つめた。
「伸びたかな?」
「こんなことで、伸びるわけありませんの」
メル子はボディに搭載された測定機能を使い、マリーの身長を計測した。
「発表します!」
「ゴクリですの……」
「間違いなく伸びていますの」
「デュルルルルルル、デデン! プラスマイナスゼロセンチメートル〜!」
一行はずっこけた。
「やんでやねん!」
「いや、数時間で伸びるわけがございませんの」
「お嬢様の言うとおりですの」
「ところで、黒乃さん。なにか背が伸びていませんか?」
「え? 私が? そう?」
小梅の指摘に、一同は黒乃をじっと見つめた。確かに伸びている気がする。
「測ってみます! ピコピコピコ! ポン! 測定完了! プラス一センチメートルです!」
一行は再びずっこけた。
「どうして、黒乃さんの背が伸びていますの!?」
「いや、だって、背が伸びるミッションをこなしたんだから、伸びるでしょ」
「では、どうしてわたくしは伸びないんですの!?」
「知らんけど」
「ここまでやったんですから、責任をとってほしいですわー!」
「お嬢様の言うとおりですわー!」
黒乃は考え込んだ。
「一つ残された案がある」
「なんですの」
「引っ張って伸ばそう」
「!?」
黒乃はマリーの両足首を掴んだ。その勢いでマリーは尻もちをついた。
「なにをしますのー!?」
「メル子!」
「はい!」
メル子はマリーの両手首を掴んだ。そして左右へ思い切り引っ張る。
「イダダダダ! 痛いですの! もげますのー!」
「お嬢様ー!」
マリーの細い体が、綱引きのロープのようにピンと張った。散々引っ張って引っ張りまくった挙句、マリーは地面に放り投げられた。
「ギャンですのー!」
「ハァハァ、どないや? メル子!」
「はい! ピコピコピコポン! プラスマイナスゼロセンチメートル〜! パフパフパフ!」
「ぶっつぶしてやりますわー!」
立ち上がったマリーは黒乃に襲いかかった。
「お嬢様、加勢いたしますわー!」
「私もです!」
三人で向かっていったが、簡単に黒乃山に投げ飛ばされてしまった。
こうして、マリーのっぽ化計画は失敗に終わったのだ。
夕暮れの隅田公園。沈む夕日がマリーのブロンドをブロンズに染めた。五人は横に並んで座り、黄昏の時を過ごした。
寂しげなマリーの横顔に見惚れつつ、小梅は声をかけた。
「あの、マリーちゃん。そんなに落ち込まないでください」
「言うほど落ち込んでいませんの」
「べつに背の順で一番前でも、いいじゃないですか。誰も気にしていませんよ」
「わたくしも気にしていませんわよ」
「え?」
見かねたアンテロッテが助け舟を出した。
「お嬢様が落ち込んでいるのは、背が伸びないからではございませんのよ」
「え!?」
「お嬢様は、妹のように可愛がっていたおクラスメイト様が、B組に移ってしまったのを寂しがっているだけですの」
「そうだったんですか!?」
小梅は長いポニーテールをプルプルと震わせた。マリーとその子の仲がよいのは、もちろん知っていた。しかし、そのような関係性だとは思いもしなかったのだ。いや、むしろ考えたくなかったと言っていい。
「マリーちゃん、ごめんなさい……勘違いをしてしまって」
小梅は俯き、ポニーテールがシダレヤナギのように萎れた。マリーは立ち上がり、その小さな背中を皆に見せた。
「わたくし達、来年には高校生ですものね。今年よりも、もっとたくさんの別れが待っていますわ。いちいち落ち込んでもいられませんわよ」
「マリーちゃん……」
「それとも」
マリーは振り向き、悪戯っぽい笑顔を見せた。
「小梅さんが、わたくしの妹役になってくださいますこと?」
「……よろこんで!」
マリーは夕日に向かって駆け出した。
「冗談でございますわよー! オーホホホホ!」
「待ってください、マリーちゃん!」
「オーホホホホ!」
夕暮れの空に、お嬢様の高笑いが炸裂した。




