第430話 大人になります!
休日の朝。ボロアパートの前に、真っ赤なキッチンカーが止まっていた。
「オーライ、オーライ」
黒乃は二階の部屋の窓から、キッチンカーの屋根から伸びた昇降機の台に寸胴を乗せた。メル子は慎重に操作して昇降台を下げた。
このキッチンカーに内蔵された昇降機は、大工ロボのドカ三郎による改造だ。これがあれば、巨大な寸胴を専用の昇降機を使わなくても、ボロアパートの二階から安全に下ろせる。
今日はキッチンカーでの営業の日だ。仲見世通りの復興は順調に進み、建築物の仕上げを急ピッチで進めている。この段階になると、黒乃達の出番はほぼない。
「久々にキッチンカーの出番だね」
「はい! 営業自体も久々ですから、腕が鳴りますよ!」
浅草プチ事変の間は、もちろん営業はできなかった。メル子は自分の腕が鈍っているのではないかと、心配していた。今日、そうではないことを証明しなくてはならない。
二人がキッチンカーに乗り込もうとしたその時、ボロアパートから一人の少女が走り出てきた。
「クロちゃん、待って!」
「ん? どした、鏡乃」
白ティー丸メガネ黒髪おさげの少女は、黒乃の白ティーを掴んだ。
「キッチンカーの営業にいくんでしょ? 鏡乃もいきたい!」
「なになに、なんでいきたいの?」
「楽しそうだから!」
鏡乃の背後から、赤みがかったショートヘアが可愛らしい少女が現れた。桃ノ木朱華は、鏡乃の白ティーを掴んで引っ張った。
「ミラちゃん、あかんて」
「なんで?」
「お仕事やから、お邪魔したらあかんて」
朱華の制止をまったく意に介さず、鏡乃は食い下がった。
「ねえ、クロちゃん。連れていってよ!」
「ダメだって。そもそも、このキッチンカーは二人乗りなんだよ」
「鏡乃達は、後ろのキッチンでいいから〜」
「それは、違法なんだよ!」
当然、走行中は座席にしっかりと座り、シートベルトを装着しなくてはならない。
「じゃあ、メル子をシャットダウンして、後ろに寝かせてよー」
「鏡乃ちゃん! ぜったいにダメです!」
さすがのメル子も、この提案には声を張り上げるしかなかった。
「いいかい、鏡乃。クロちゃん達は遊びにいくんじゃないんだよ。会社が業務停止命令くらったから、お金を稼ぐためにいくんだよ」
「ぶー!」
鏡乃はほっぺをパンパンに膨らませて拗ねた。それを見た朱華は、自身の頬を朱色に染めた。
「かわいかー」
「ねえ! どこに営業にいくの!?」
「ええ? 最初に秋葉原にいって、いったん戻ってきてから、今度は上野にいくよ」
それを聞いた鏡乃は、突然どこかへ向けて走り出した。
「待って、ミラちゃん」
鏡乃と朱華は、そのままどこかへ消えてしまった。
「まさか、走って秋葉原までいくつもりか?」
「別にいけない距離ではないですが……」
二人は気を取り直してチャーリー号に乗り込んだ。
——秋葉原。
電気街への買い物客、メイド喫茶への訪問客、オタクの街への観光客。秋葉原の人々の歩速は、浅草と比べて心なしか速い。その人でごった返す駅前に、チャーリー号はやってきた。
ここはロボバシカメラ秋葉原店の前だ。本日最初の営業場所であり、メル子定番の営業スペースだ。
さっそく二人は開店の準備を始めた。鍋に火をかけ、串焼きをオーブンにセットする。黒乃はキッチンカーの前に看板を置き、カウンターに飾り物を乗せた。
「相変わらず秋葉原は人が多いな」
「浅草もたいがいですけどね」
まもなく営業が始まった。キッチンカーから漂うスパイシーな香りに誘われて、周囲をうろちょろしていた客達が、いっせいに列を作った。
「いらっしゃいませー! 世界一可愛いメイドさんが作る南米料理店『メル・コモ・エスタス』開店です!」
さっそく注文が入った。スープを素早く盛り付け、串焼きとともに提供する。黒乃の役目は会計の処理だ。
「まいどありがとうございます!」
黒乃はお釣りと料理を手渡した。客は顔をほころばせて料理を受け取った。
春先とはいえ、今日の日差しは暑いほどだ。厨房の中はあっという間に蒸し風呂になった。
突然キッチンカーのバックドアが開いた。その隙間から顔をのぞかせたのは、白ティー丸メガネの少女であった。
「ハァハァ、クロちゃん」
「んん!? 鏡乃!?」
白ティーをしっとりと汗で湿らせた鏡乃であった。
「なんで秋葉原にいるの!?」
「ハァハァ、自転車で追いかけてきた」
黒乃はキッチンカーの中から、歩道に止めてある自転車を見た。二台あり、どちらにも八又産業のロゴがついているので、浅草工場にいって借りてきたのであろう。
「ねえねえ、クロちゃん。鏡乃達にもお料理ちょうだいよ」
「ほしいなら、ちゃんと並びなさい」
「ちぇー」
鏡乃はしぶしぶ、列の最後尾に並んだ。
「クロちゃん! 今度こそちょうだい!」
カウンター越しに姉妹が見つめ合った。鏡乃の丸メガネは期待で光り輝いている。
「まいどありー、どうぞ」
黒乃は他の客と同じように料理を手渡した。
「わあ! おいしそう! ありがとう!」
鏡乃は料理を受け取ると、その場から離れようとした。
「こらこらこらー!」
黒乃は鏡乃を呼び止めた。
「どしたの、クロちゃん」
「どしたのじゃないでしょ。お金を払いなさい」
「?」
鏡乃はきょとんとした丸メガネを見せた。
「どゆこと?」
「どゆことじゃないでしょ。お金を払いなさい。食い逃げが許されるのは、美食ロボだけだからな」
「家族なのに、タダじゃないの?」
「タダで食べられるのは、うちの社員だけなの。それ以外の人はお金が必要なの」
鏡乃の顔がみるみるうちに赤くなっていった。朱華が慌ててカウンターに代金を置いた。
「ミラちゃん、ほら。お金払ったから、いっしょに食べよう」
「うん……」
鏡乃と朱華はガードレールに座ってスープをすすった。自転車を漕いで疲れた体には、酸味のあるスパイシーな味わいが心地よい。串焼きをかじると、甘辛いタレとともに肉汁が口の中で弾けた。
「ミラちゃん、うまかねー」
「うん……」
その様子を見ていたメル子は、思わず調理の手を止めた。
「ご主人様、大丈夫なのですか?」
「いいのいいの。放っておき」
その後も順調に客足は伸び、昼過ぎには寸胴が空になってしまった。いつのまにか、鏡乃と朱華の姿は消えていた。
——上野。
夕方、チャーリー号がやってきたのは、上野公園の東京国立博物館だ。創立二百五十年を超える歴史ある建物の中には、十二万件を超える収蔵品が保管、展示されている。
チャーリー号は、その敷地内の広場に車を止めた。他にも何台ものキッチンカーが並んでいる。とはいえ、秋葉原に比べたら人は少ない。ここを利用するには博物館のチケットが必要だからだ。博物館を訪れた人が、のんびりと食事を楽しめるエリアなのだ。
「ご主人様、午後の営業もよろしくお願いします!」
「おっけー!」
二人は意気揚々と出店の準備を始めた。今は夕方。ここで夕食を済ませて帰る人もいるだろう。昼よりも、ガッツリとしたメニューをチョイスした。
真っ赤な夕日が、真っ赤なチャーリー号を照らした。黒乃は車体の陰になった看板を、車のサイドに搭載されたライトで照らした。スペースが広いため、折りたたみの椅子と、テーブルも設置する。
「さあ、『メル・コモ・エスタス』開店です!」
緩やかに営業が始まった。博物館を堪能した家族連れが、遠巻きにこちらを見ている。黒乃はあえて客を呼び込まずに待った。キッチンカーから溢れる香りにひかれ、客がポチポチと集まってきた。
その時、広場に鏡乃と朱華が現れた。二人は手を繋ぎ、楽しそうに前後に振って歩いてきた。
「鏡乃!? またきた!?」
「うん! シューちゃんと博物館を楽しんできた!」
「織部角鉢すごかー。長次郎の黒楽茶碗もすごかー」
「朱華ちゃんは、茶器に興味があるのですか!?」
「はい、えへへ」
朱華は夕日に照らされて赤くなった顔を、さらに赤く染めた。彼女は高校の茶道部に入っているのだ。
「鏡乃もね、ちゃんこ鍋探したけど、なかった!」
「だろうな」
鏡乃は高校でちゃんこ部に入っているのだ。
「ねえ、クロちゃん」
鏡乃はカウンターにしがみついた。
「夕飯食べるから、ちょうだい」
「ちゃんとお金払ったらあげるよ」
「もう、ない。博物館の入場料払ったらなくなった」
「うそこけ、高校生は無料でしょ」
「ねえ、クロちゃん」
鏡乃は甘えるような声を出した。鏡乃がおねだりする時の声だ。
「ご飯ちょうだいよ」
「お金を払いなさい」
「家族なんだからいいでしょ」
「ダメ」
再び鏡乃の頬が、危険を感じたフグのように膨らんだ。
「かわいかー」
「なんか、クロちゃん優しくない」
「鏡乃?」
「クロちゃん、いつもは優しいのに、最近優しくない」
黒乃とメル子は視線を合わせた。
「なんで、鏡乃に優しくしてくれないの?」
「鏡乃ちゃん、それは……」
言いかけたメル子を黒乃が制した。黒乃はキッチンカーから降りて椅子に座ると、鏡乃と朱華に隣に座るように促した。
「鏡乃はもう高校生なんだから、しっかりしなさい」
「母ちゃんとおんなじこと言ってる。なんで、高校生になったらしっかりしないといけないの?」
「甘えたいなら、尼崎の実家にいればよかったんだよ。なんで浅草に出てきたのさ」
「クロちゃんだって、尼崎を出ていったでしょ。鏡乃もクロちゃんみたくしたかった」
「それは、高校を出てからでもよかったんじゃないの?」
黒乃は高校時代は尼崎でバイトに明け暮れ、卒業とともに浅草へやってきた(117話参照)。
「ねえ、クロちゃん。鏡乃ね、クロちゃんの会社で働きたい。バイトさせて!」
「バイトは雇っていないよ」
「皿洗いでもいいから! 掃除もする!」
「それはメル子の仕事でしょうが」
「ここで働かせてください! ここで働きたいんです!」
「それやめて」
黒乃は鏡乃の頬を両手で挟み込んだ。真正面から丸メガネを覗き込んだ。
「ぽきゅ」
「いいかい、鏡乃。鏡乃は実家から仕送りをもらっているんだろう?」
「もきゅ」
「だったら、バイトなんてする必要はないでしょ。勉強をしなさい」
「ぷっしゅ。クロしゃんだって、高校の時はバイトばっかりしてたみょん。鏡乃もするみょん」
「どうしてそんなにバイトしたいのさ」
鏡乃は立ち上がって言った。
「自分の力で、メイドロボを買うんだもん!」
黒乃は鏡乃を見上げた。メル子は調理の手を止めて、ポカンと鏡乃を見つめた。朱華は寂しそうな顔で視線を落とした。
「自分の力で?」
「うん」
「じゃあ、なんで朱華ちゃんを連れてきたの?」
「え?」
「一人で浅草にくればよかったでしょ」
「だって、寂しかったから……」
「どうして、ボロアパートを借りたのよ?」
「え?」
「学校の寮でもよかったでしょ」
「だって、クロちゃんがそばにいるから……」
話すうちに鏡乃のテンションはどんどん下がり、椅子にへたり込んでしまった。
「黄乃と紫乃が寂しがっていたよ。尼崎の実家が静かになっちゃったって」
それを聞いた鏡乃の丸メガネから、雫がいくつもこぼれ落ちた。慌ててキッチンカーからメル子が飛び出し、ハンカチでその涙を拭いた。
「ご主人様、言い過ぎでは……」
「うむ」
黒乃は妹を見た。黒乃の思い出の中の妹は幼く、小さかった。今では背がのび、黒乃とたいして変わらないほど大きくなった。おそらく、高校の女子の中では一番だろう。
だが、中身はまだまだ幼いままだ。
メル子は鏡乃の背中を撫でた。
「鏡乃ちゃん……ご主人様のマネは無理です。ご主人様は特異な存在、常識の埒外、大阪湾の黒鯛。マネをするのではなく、自分の道を見つけていきましょう? 高校生活は始まったばかりです。まずは、学校を楽しむことから始めましょう?」
学校生活を楽しむ。それは黒乃ができなかったことだ。すべてをメイドロボに捧げてきた悲しき女、それが黒乃。黒乃のようにすべてを捨て去る必要はない。なにより、鏡乃には朱華がいるのだから。
「ふぅ〜」
黒乃は大きく息を吐いた。日が落ち、周囲には冷たい空気が漂い始めた。
「しょうがない。今日はクロちゃんがおごるよ」
「え?」
鏡乃は涙を拭いて姉を見た。
「寒くなってきたから、温かい料理を食べていきな」
「うん!」
鏡乃は黒乃の大平原に飛び込んだ。甘えるのはこれきりだ。鏡乃は大人にならなくてはならない。その過程で、きっと自らが進むべき道が見つかるはずだ。
「いい話ですの〜」
「でも、出番を失いましたの〜」
巨大なキッチントレーラー『お嬢様号』の陰から、お嬢様たちが見守っていた。




