第429話 ラーメン大好きメル子さんです! その十二
春の浅草。桜は散り始め、雅な風情はその花びらとともに風に飛ばされていった。夢現な新しい生活に浮き足立っていた者達は、しっかりと地に足をつけ始めるころだ。
この仲見世通りも、新しく生まれ変わろうとしている。浅草プチ事変により残された大きな傷跡は、徐々に癒えつつあった。
通りのガレキはすべて撤去し終え、今は建築物の再建のフェイズに入っていた。基礎は固められ、柱が立っている。全国から集まった大工ロボが、ボランティアとして参加してくれているのだ。
「うわー、どんどん家ができていくね」
「すごいです!」
黒乃とメル子は、大工ロボ達の仕事ぶりに圧倒されていた。
「この調子なら、営業再開も近いですね!」
「そうだね……おっと」
上を見上げていた黒乃は、足元に置かれた建材に足を引っ掛け、その上に尻もちをついてしまった。
「いたたた」
「大丈夫ですか?」
黒乃は腰をさすった。ここのところの復興作業の手伝いで重いガレキを運んでいたので、腰をいためてしまったようだ。
「なんか、体中が痛いよ」
「慣れない肉体作業をずっとしていたからですね」
そういうメル子も、ボディのあちこちにガタがきている。あの事件のあと、八又産業浅草工場には業務停止命令が下り、高精度なメンテナンスを一時中止している。そのため、簡易的なメンテナンスしか受けられず、不調をきたすロボットが多いのだ。
その中で大工ロボ達は、巨大な木材を平然とした顔で運んでいる。基本的なボディの作りが違うのだ。一般用メイドロボであるメル子のボディは、そこまで頑丈には作られていない。
「えへへ、二人ともボロボロだね」
「そうですね」
というわけで、その日の午後は休養とリフレッシュを兼ねて、ラーメンを食べに出かけることにしたのだ。
出かけるとはいっても、ボロアパートのすぐ近くにその店はあった。
「ここですね、『喜多方ラーメンロボ内』」
「そうそう」
交差点に向けて堂々と掲げられた巨大な白い看板。ガラス張りの窓から清潔な店内がよく見えた。
「ここにラーメン屋さんがあると知ってはいたのですが、きたことはなかったですね」
「ご主人様は、メル子がくる前は時々きてたよ。疲れた時はここなんだよね」
「ほえー」
二人は自動扉をくぐり抜けて入店した。短いカウンターに、多めのテーブル席。店内は白を基調とした明るい雰囲気だ。すでに席は半分以上埋まっていた。
二人はテーブル席についた。すぐに店員ロボによって水が運ばれた。
「ご主人様。私、喜多方ラーメンは初めてです。どれを頼めばいいでしょうか」
メル子はメニュー表に目を走らせた。ラーメン、ねぎラーメン、焼豚ラーメン、わんたんラーメン、果ては冷やしラーメンまである。
「ふふふ、悪いことは言わない。焼豚ラーメンいっとき」
「いいですね!」
すぐに店員ロボがオーダーを取りにきた。
「えーと、焼豚ラーメンを二つお願いします。あと半ライスも二つ」
「かしこまりました」
「焼豚ラーメンにライスとは、男前な注文ですね! かっこいいです!」
「ふふふ、そうであろう」
黒乃はご満悦な表情で、謎のチケットを四枚店員に差し出した。
「あと、これをお願いします」
「かしこまりました」
「ご主人様、それはなんですか?」
「これはね、焼豚サービス券。追加で焼豚を四枚乗せてくれるの。去年もらったやつ」
「ほえー」
「あ、お客様、申し訳ございません。このチケットは期限が一ヶ月だけでして」
「あ、そう。ならいいです」
「焼豚ラーメン二丁いただきましたー!」
「「ありがとうございまーす!」」
店員ロボは元気よく厨房にオーダーを通した。
「……」
「……かっこわるいですね」
「ぐすん」
二人は無言でコップの水を飲んだ。
「ご主人様、そもそも喜多方ラーメンとはどのようなラーメンなのでしょうか。名前はよく聞くのですが」
「ふふふ、じゃあその辺を歴史を踏まえて解説しようか」
「お願いします!」
喜多方ラーメンは福島県喜多方市発祥のご当地ラーメンだ。その歴史は古く、1925年に創業した『源来軒』という店がルーツだ。そこから『まこと食堂』『坂内食堂』が生まれ、御三家と呼ばれるようになった。
喜多方は『蔵の町』と呼ばれ、醤油、味噌、清酒の醸造業が盛んに行われていた。その観光PRとして使われたのが喜多方ラーメンだ。テレビで紹介されたことにより、その知名度は全国に広がった。
それにより1987年には喜多方ラーメンブームが到来。東京に大量の店舗が乱立した。
「ほえー、そのような歴史があったのですね」
「うむ。その当時、東京はどこもかしこも、喜多方ラーメン屋であふれていた」
メル子はふと首をかしげた。
「その割には、それほど喜多方ラーメンのお店は見ませんが……あったとしてもチェーン店が主ですよね? ここもそうですし」
黒乃は平らな胸の前で腕を組み、視線をコップの水面に落とした。
「そうなんだよね。当時あった喜多方ラーメン屋は、今ではもう数えるほどしか残っていないんだ」
「そうなのですか? なぜですか?」
「一つは質が低かったこと。見よう見まねで、喜多方ラーメンの本質をとらえられていなかったんだね」
「はあ」
「それともう一つ……」
「もう一つ?」
「うーん、まあそれは食べればわかるから」
その時、ちょうど店員ロボがトレイを二つもってやってきた。
「きました!」
「おお!」
目の前に置かれた丼に、メル子は目を丸くした。
「なんですか、これは!? 焼豚!? 焼豚しか乗っていません!」
丸い丼の表面は焼豚で埋め尽くされており、麺はかけらほども見えなかった。
「すごい量の焼豚です!」
「これよこれこれ。さあ、いただこう!」
二人は箸を握りしめた。そして四角く切られた脂身多めの焼豚を一枚挟むと、口の中に放り込んだ。
「柔らかいです! そして、味がしっかりしています! 塩気がかなり強いです!」
「ぐわっ! 初手から脳にガツンときた! ラーメンはスープからいただくのが習わしだけど、ここのはどうしても焼豚からいきたくなるんだよね」
二人はたまらず、もう一枚焼豚を頬張った。すると、その下からうっとりするような美しい麺が顔を、いや、肌をのぞかせた。
「なんですかこの麺は? きれいですね〜」
「うふふ、メル子のお肌のように透明感のある麺。これが喜多方ラーメン最大の特徴といえるかもね」
麺を箸でつまみすする。唇、舌、喉に幸せな感触が通り抜けた。
「ツルッツルのプニップニです!」
「ああ〜、これよこれ」
平打ちの手もみ麺が、いっさいの抵抗を示さずに胃に落ちていく。その心地よい感触に二人は悶絶した。
「なぜこんなに麺がツルツルなのですか?」
「これは『平打ち熟成多加水麺』なんだよ。水分を多く使って練ってあるから、こんなにツルツルなんだね」
次に、レンゲでスープをすくった。丼の底まで見えそうな透き通ったスープの表面には、しっかりと油が浮いていた。
「あっさりスープなのでしょうか? いただきます!」
メル子はグビリとスープを飲み込んだ。見た目どおりの爽やかさが喉を潤した。豚骨で出汁をとったスープに、優しく醤油で風味をつける。しかし、予想外のインパクトがメル子を襲った。
「しっかりと塩味が効いています! あっさりスープなのに、けっして物足りなさはないです!」
「あ〜、癒やされる〜。優しい味わいに、この塩気。飲むたびに疲れが吹き飛んでいくようだよ」
二人は麺をすすり、スープを飲んだ。この時二人が感じていたのは、飯豊山の大自然だ。良質な伏流水によって作られた良質なスープ。自然の恩寵を受けて、二人の体は清められているのだ。
「まあ、ここのスープは東京の水道水なんだけどね」
「でしょうね」
「でも、お店ごとにしっかりと炊いているから、本当においしいんだよ」
「はい!」
次に黒乃は、焼豚をライスの上に乗せた。
「それはなにをしていますか?」
「焼豚丼だよ」
「私もやってみます!」
小ぶりな茶碗にこれでもかと焼豚を乗せた。その上にネギを散らし、そしてご飯とともにかき込む!
「うめうめ!」
「労働のあとのお肉とライス! これはたまりませんね。焼豚にしっかりと塩味がついているので、乗せるだけで丼として成り立っています!」
ツルツルの麺、塩味が効いたスープと焼豚、エネルギー満点の焼豚丼。食べるたびに心と体に溜まったものが、洗い流されていくのを感じた。
丼と茶碗の底があらわになった時、二人の体に残ったのは『活力』という名の満腹感であった。
「ああ〜、おいしかった。ごちそうさま」
「おいしかったです。ごちそうさまでした」
二人は手を合わせて感謝を捧げた。
「ところでご主人様。先ほど言っていた、東京に喜多方ラーメン屋が残っていない理由とはなんなのですか?」
黒乃はコップを持ち上げると、一息で中身を飲み干した。
「うーん、メル子は喜多方ラーメンを食べてみて、どう思った?」
「どうって、おいしかったですよ」
「具体的には?」
「麺がツルツルで食べやすいですし、スープもあっさりしていて食べやすいです」
「ふむ、そこなんだよね」
「そことは?」
メル子は黒乃のコップに水を注いだ。再び一息で飲み干した。
「食べやすいラーメンは流行らないのだ」
ラーメンの歴史上、ブームを作ってきたのは、ガッツリ系ラーメンなのだ。
札幌味噌ラーメン、豚骨ラーメン、環七ラーメン、家系ラーメン、つけ麺、油そば、背脂チャッチャ系ラーメン。
食べやすいあっさり系ラーメンが覇権をとったことは、ほとんどない。
「よくも悪くも、喜多方ラーメンはガツンとした個性で勝負するタイプではないんだね」
「なるほど……」
本場喜多方市ですら、店舗の数は減る一方なのだ。だからこそ、喜多方ラーメンはファミリー層やお年寄りが入りやすい、チェーン店向きのラーメンとも言える。
「守ってもらいたいよね。この癒やされるラーメンの味をさ」
「はい……」
その時、店の扉が開き、大量のちびっこ騎士達が雪崩れ込んできた。
「おじゃましまちゅ! おじゃましまちゅ! いつもの焼豚ラーメンをくだちゃい!」
「うわ! ヘイデン騎士団だ!」
白い鎧をガチャガチャと鳴らし、わらわらと椅子によじ登った。黒乃達の周りは騎士達で埋め尽くされた。
「黒乃殿! 竜騎士殿! 奇遇でちゅね!」
「こらこら、勝手に相席するな」
「ヘイデンちゃん達は、この店によくくるのですか?」
「毎日きまちゅ! タイトバースにはない味で、最高においちいでちゅ!」
「お待たせしましたー!」
店員ロボが元気よくラーメンを運んできた。
「「いただきまちゅ!」」
「「わー!」」
いっせいにラーメンをがっつくちびっ子騎士達の笑顔は、あまりに眩しかった。
「ぷぷぷ」
「うふふ」
黒乃とメル子はその様子を見て、つられて笑顔になった。
物事に流行り廃りは当然ある。だが、それが人々を笑顔にするのなら、それを守っていかなくてはならない。
浅草もラーメンも。




