第427話 上京します!
朝、黒乃とメル子は、仲見世通りへ向かって歩いていた。少し前までは復興作業をする人員ばかりだったのだが、最近は一般の人々の姿も目にするようになっていた。
浅草の町に徐々にだが、日常が戻りつつある。
「なんか、今日はいつもと雰囲気が違うな」
「ですね」
黒乃とメル子は、通りを歩く人々の様子を観察した。その理由は明らかだった。
「ああ、そうか。学生さんが多いのか」
「今日は入学式なのですね!」
ピカピカの制服を着て歩く学徒達。シワ一つ許さないその様は、新たに始まるまっさらな心を表現していた。これから彼らは揉まれに揉まれるのであろう。広がる世間に反比例するように、揉まれた服も心もしわくちゃになって縮こまっていく。
その刻まれたシワ一つ一つが困難であり、努力であり、苦悩であり、思い出なのだ。どんなにしわくちゃになってもいい。それはバネであり、次なる新しい環境へ向けて跳ねるための準備なのだ。
「……なのだ」
「やかましいですね」
それにしても学生が多い。ここ浅草には多くの学校があるが、一斉に入学式を迎えたようだ。新品のランドセルを背負った小学生を連れた両親、初めての制服に緊張する中学生の集団、恐怖を克服しようと、池の亀をつつくリーゼント高校生。
四月は新しい門出のオンパレードだ。
「鏡乃も、今日から高校生だって言ってたなあ」
「おめでたいですね! お祝いを送りましょう!」
午後、復興の作業を終えた二人は、ボロアパートでいつもの時間を過ごしていた。
「フンフフーン、夜のご飯はなんじゃろニャー? コシーニャ、ボリーニャ、ニャンニャニャーン。かわいいメイドさんが作りますー。おいしいお料理作りますー。フンフフーン」
メル子の鼻歌が小汚い部屋を満たした。暖かい部屋に、かぐわしい料理の香り。幸せを具現化したような時間が流れた。
「あ〜、いろいろとあったあとだから、なにげない日常が沁みるね〜」
「うふふ、本当ですね」
黒乃のデバイスにメッセージが届いた。画面をなぞり確認をすると、何枚かの写真が送られてきていたのだった。
「お、鏡乃の入学式の写真だ」
「見せてください!」
メル子は走りよると、黒乃からデバイスを奪い取った。画面には校舎の前に立つ、二人の少女が写っていた。
「鏡乃ちゃんと……この子は、朱華ちゃんです!」
「え? 朱華ちゃん?」
鏡乃の同級生の少女だ。のっぽの鏡乃に比べて、びっくりするくらい小さい。顔は丸みをおびており、赤みがかったショートボブと厚い唇のせいで、鏡乃よりもむしろ大人びて見えた。
「あら〜、二人とも同じ高校に進学したのか」
「将来を誓い合った仲ですからね」
メル子はうっとりと写真を眺めた。画面をスライドして次の画像を見た。そこにはのっぽの男性と、のっぽの女性と、のっぽの学生が写っていた。
「お父様とお母様と鏡乃ちゃんの家族ショットですね!」
「おー」
その後も写真を眺めていくと、違和感に気がついた。
「なにか……尼崎って、ずいぶん荒廃しているのですね……」
「いや……そんなはずは……」
次の写真は、ガレキの中を歩く鏡乃と朱華のツーショットだった。まるで、大災害にみまわれたような光景が続いた。
「……」
「……」
その時、ドアベルが鳴った。メル子は立ち上がると、扉を開けた。
「はいはい、どなた様でしょうか?」
「メル子ー!」
扉を開けた途端、何者かがメル子にしがみついた。
「ぎゃあ! 誰ですか!?」
「会いたかったよ〜! 浅草が大変なことになっちゃって、心配していたんだよ〜!」
部屋に飛び込んできた少女は、黒ノ木四姉妹の四女鏡乃であった。
「鏡乃ちゃん!?」
「鏡乃!? なんでこんなところにいんの!?」
黒髪おさげに黒いセーラー服を着た鏡乃は、メル子をこれでもかと撫で回した。
「お乳を触りすぎです!」
「こらこら、落ち着きなさい」
続いて黒乃の大平原に突進した鏡乃は、安心したように動かなくなった。
「ねえ、鏡乃。なんで浅草にいるのさ? しかもセーラー服なんて着てさ。わざわざ復興のお見舞いにきたの?」
「違うよ、入学式にきたんだよ」
「入学式が終わってから、速攻新幹線に乗ってきたの?」
「違うよ。新幹線に乗ってから入学式に出たんだよ」
「ちょっと、なにを言っているのかわからないな……ん?」
黒乃はふと玄関に目をやった。なにかがチラチラと動いているのだ。
「あれ? 誰かきてるの? 黄乃かな? 紫乃かな?」
扉の影から出てきたのは、セーラー服を着た少女だった。
「あ、どうも、ミラちゃんのお嫁さんの朱華です」
「朱華ちゃん!?」
「ほらほら! シューちゃんも、遠慮せずに入ってよ!」
鏡乃は朱華の手を引っ張り、小汚い部屋に招き入れた。並んで座る二人を、黒乃とメル子は呆然と眺めた。
「ねえ、鏡乃」
「なあに、クロちゃん」
「なにしにきたの?」
「入学式」
「なんの?」
「高校の」
「誰の?」
「鏡乃とシューちゃんの」
メル子はプルプルと震える手でデバイスを確認した。鏡乃と朱華のツーショット写真に書かれた文字。背後の門に刻まれた『浅草市立ロボヶ丘高校』という文字を。
「鏡乃ちゃん……入学したというのは……」
「うん、浅草の高校に入学した」
その時、騒々しくはしゃぎながら階段を上ってくる一団の物音が聞こえた。
「あ、きたきた」
鏡乃は扉を開けると、部屋の中に三人の人間を招き入れた。
「やあ、メル子くん、元気にしてたかな?」
「お父様!?」
「メルちゃん、ひどい目に遭ったんやってなあ! かわいそうに、かわいそうにな〜!」
「お母様!?」
部屋に上がり込んできたのは、ビシッとスーツを決めた二人ののっぽの男女だ。黒乃の父黒太郎と、母黒子だ。
黒子はメル子をこれでもかと撫で回した。
そしてもう一人、玄関に現れたのは……。
「桃ノ木さん!?」
「先輩、お疲れ様です」
桃ノ木は淡い桃色のスーツに身を包み、ビシッと決めていた。浮き出た腰回りが滑らかで色っぽい。
「私も朱華の入学式に参加してきまして」
そう、桃ノ木は朱華の姉なのだ(161話参照)。
黒乃とメル子は怒涛の展開に目が眩んだ。しばらく呆然としていたが、メイドの本分を思い出したメル子は、一行をもてなしにかかった。
床に輪になって座る一行に、メル子は紅茶を振る舞った。黒乃、黒太郎、黒子、鏡乃、桃ノ木、朱華は無言で紅茶を飲んだ。
「ああ、父ちゃん」
「なんだい、黒乃」
「鏡乃が浅草の高校に通うなんて、初耳なんだけど」
「忙しそうだったからね〜、言わないようにしていたよ〜」
「ああ、母ちゃん」
「どしたん、クロちゃん」
「なんで反対しなかったの」
「いややわ、反対する理由がどこにおまんねん」
「ああ、桃ノ木さん」
「はい、先輩」
「桃ノ木さんも黙ってたの?」
「驚かせたくて、うふ」
黒乃は頭を抱えた。
「ねえねえ、クロちゃん」
「なに、鏡乃」
「クロちゃんは私達が浅草で暮らすの、反対なの?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
「じゃあ、別にいいじゃん。祝ってよ〜」
「ああ、おめでとさん。いや、違う違う。そもそも、なんで鏡乃は浅草にこようと思ったのよ。一人で寂しくないの?」
黒乃は想像した。鏡乃がいない尼崎の実家を。一家の中で一番賑やかな鏡乃。世間的には陰キャの部類なのかもしれないが、黒ノ木家の中では太陽そのものだった。その鏡乃がいない黒ノ木家。
少し心がいたんだ。
「寂しいけど、クロちゃんだって、出ていったじゃん」
高校を卒業後、すぐさま家を出て浅草へとやってきた。正直なところ、あまり実家を省みることはなかった。黒乃にはメイドロボを手に入れるという、人生を懸けた野望があったのだから。その一点を目指して突き進んできた。家族が寂しがることなど、頭になかった。
だが今になって感じるのは、多少の申し訳なさだ。自分のことしか考えていなかったのではと思う。次女の黄乃が、なまじしっかり者だったというのもある。メイドロボばかり追いかけていた長女に代わり、次女が妹達の面倒を見ていたのだ。
黒乃はメル子を見た。このメル子を手に入れるために、家族を捨てたというのは大袈裟だとは思うが……。
「一番寂しがっていたのは、黄乃やんな」黒子がつぶやいた。
「クロちゃんの時も、みーちゃんの時も、一番寂しがっとったで〜」
ますます、心がいたんだ。それを察したのか、黒太郎が黒乃の肩に手を置いた。
「子が巣立っていくのは必然。お前達が生まれた時から、覚悟はしていたよ」
「父ちゃん……」
黒乃とメル子は、ハント博士とダンチェッカーの子猫達を思い出していた。巣立ちは必然。
「でも大丈夫!」
鏡乃は両手の拳を握りしめて、鼻息を荒くした。
「浅草には仲間がいるもん! クロちゃんだっているし、メル子だっているし、それに……」
「それに?」
「すぐ下に住むから! 寂しくないよ!」
「なぬ!?」
鏡乃は立ち上がると、黒乃の腕を引っ張った。小汚い部屋の外へ連れ出し、階段を下り、一階の角部屋へとやってきた(62話参照)。
「ここが、鏡乃とシューちゃんの部屋!」
「なぬ!?」
怒涛の情報量に、黒乃とメル子は口を池の鯉のように開閉させた。
「このボロアパートに住むの!?」
「そうだよ」
「鏡乃と朱華ちゃんが、いっしょに住むのですか!?」
「そうだよ」
「学校の寮じゃなくて、ここで!?」
「そうだよ」
メル子は恐る恐る部屋を指さした。
「いや、やめた方がいいですよ!」
「どして?」
「ここはお化けが出る部屋です!」
「どんなお化けが出るの?」
「幼女のお化け(紅子)ですよ!」
「かわいいの?」
「それはもう、めちゃくちゃかわいいですよ!」
「やった! すごい! 幼女のお化けすごい!」
「小熊のぬいぐるみのお化け(ワトニー)も出ますよ!」
「やった! すごい! 小熊のお化けすごい!」
「黒いメイドロボのお化け(黒メル子)も出ますよ!」
「やった! すごい! メイドロボのお化けすごい!」
「変態博士(変態博士)のお化けも出ますよ!」
「それはキモい」
メル子は地面にへたり込んだ。その横で、桃ノ木が朱華の耳元に口を近づけささやいた。
「でかしたわよ、朱華。ぜったいに鏡乃ちゃんを逃したらダメだからね」
「うん、桃智姉ちゃん、わかってる。ぜったいに逃さへん」
桃ノ木姉妹はニヤリと笑った。その笑みを見たメル子は、今日一番の驚きと恐怖を味わった。




