第424話 メイドロボは電気お嬢様の夢を見るか? その二十五
少女は、窓の外を眺めた。
雪に覆われた浅草はもうない。照りつける日差しはこの季節相当のものに落ち着き、春を待つばかりとなっている。だが、麗らかな春の雰囲気はなく、町は喧騒で満たされていた。
家の前をしきりに往復する資材を積んだトラック。頭上を飛び交うヘリ。重機ロボがたてる轟音。浅草は復興のさなかにあった。
少女はデバイスを開き、めいどろぼっちのアプリを立ち上げた。画面には、三頭身の可愛いメイドさんが映っていた。メイドさんは薄暗い空間で、膝を丸めて座っている。寝ているのだろうか? 目を閉じたまま動かない。
少女は一つため息をついてデバイスを閉じた。上着を着て、リュックを背負った。
「よし……カトリーヌ、いってくるね……」
少女は扉を開けて家の外に出た。
——報告千二十五。
浅草の被害状況の確認。仲見世通りの店舗の三割は全壊、五割は半壊。周辺の店舗も被害は甚大。
——報告千二十六。
浅草寺の被害状況の確認。雷門は全壊。宝蔵門は半壊。竜巻にみまわれた本堂は軽微な被害で済んだ。不動藍明王の気候制御のおかげだ。
——報告千二十七。
浅草外郭放水路に政府の調査団が入る。ソラリスの海の解析が行われた結果、現状維持が決定。放水路は閉鎖され、以後政府の厳重な監視下に入る。
黒乃達にとって、大きな出来事がいくつかあった。
一つは、めいどろぼっち、おじょうさまっちの生産停止、及び、サービスの停止。さらに、八又産業、ロボクロソフト、クサカリ・インダストリアル、ゲームスタジオ・クロノスに対して、業務停止命令が下った。期間は一ヶ月。その間、復興に従事することも付け加えられた。
一つは暗黒神ソラリスの残骸の話。ソラリスはまだ生きている。ソラリスの海に取り込まれた、めいどろぼっちとおじょうさまっちは、機能を停止していないのだ。
一度プチ達を回収しようと試みたが、ソラリスの海に異常反応が発生したため、断念せざるを得なかった。
一つは横綱藍王の処遇。仏ピッピのユニットの一部として生まれた彼は、今回の行動により、その危険性を指摘された。
よって、仏ピッピのユニットから卒業され、独立した一ロボットとして扱われることになった。
同時に横綱の引退を発表。藍ノ木藍藍の兄というポジションも失った。
一つは葬式。浅草を救った英雄の葬儀が、復興中の浅草寺で執り行われた。浅草寺に墓はなく、通常は葬儀も行われないのだが、今回は特例として認められた。
黒猫のハント博士は、新たなる仏として、浅草寺の守護を任されることになる。
黒いスーツを着た黒乃は、指で抹香をつまみ、香炉にくべた。
黒いメイド服を着たメル子は、腕に大きなグレーのモコモコを抱えて線香をあげた。腕の中のチャーリーは、ぐったりとしたまま動かない。
葬儀のあと、黒乃達は浅草寺のお隣、浅草神社で小休止した。賽銭箱の横に並び、重機ロボの振動で体を揺らした。
床板に這いつくばり、微動だにしないチャーリーの背中を黒乃は撫でた。
「おいおい、チャーリー、元気だせよ」
「そうですよ、ハント博士は立派に戦ったのですから」
浅草の生猫の帝王として君臨していたハント博士は、人間でいえば百歳を超える高齢であった。自らの死期を悟ったハント博士は、死に場所を求めて浅草を旅立った。遠いどこかで、誰にも知られずに朽ちていこうとしていたのだろう。
そこへ今回の事件が起きた。浅草で大戦争が起きるというのだ。虫の知らせ、いや、猫の知らせでそれを嗅ぎつけた彼は、浅草を守るために舞い戻った。そして狂った藍王関と戦いになったのだ。彼が駆けつけてくれなければ、仏ピッピに対するハッキングは間に合わなかったであろう。
「ニャー」
チャーリーの声は、重機ロボの工事の音にかき消されるくらいか細かった。
「チャ王〜」
「元気だしてくださいニャー」
白猫ロボのモカとムギは、段の下から獣王を見上げた。我らが獣王は最後まで立派に戦った。なにも恥じることはないのだ。
浅草神社をあとにした黒乃とメル子は、仲見世通りに立ち寄った。めいどろぼっちとおじょうさまっちの戦いにより、ほとんどの店舗が営業不可能な状態に追い込まれていた。メル子の店は巨大ロボ『八龍丸』に踏みつけられた挙句、竜巻で吹き飛ばされて更地になっていた。
メル子はその光景を、肩をプルプルと震わせて眺めた。だが、いつまでも絶望してはいられない。もう復興は始まっている。大工ロボのドカ三郎を始め、大勢の職人達が駆けつけてくれたのだ。
「メル子、営業再開までそう遠くないからね。のんびりしていられないよ」
「わかっています。ご主人様こそ、油断しないでくださいよ」
その時、瓦礫の中から小さな影がいくつも現れた。白い鎧をまとったちびっ子ロボ軍団である。
「黒乃殿! 竜騎士殿! お疲れ様でちゅ!」
ヘイデン騎士団のちびっ子団長、ヘイデンとその部下の騎士達である。
「おおー、お疲れちゃん」
「がんばっていますか!?」
「もちろんでちゅ!」
ヘイデンはめいどろぼっちを率いて浅草で大戦争を繰り広げた張本人であり、八龍丸を操縦してメル子の店を踏み潰した犯人でもある。
彼女達の行動は、巫女サージャに命じられてのこととはいえ、浅草の町を破壊したのには変わりがない。巫女はヘイデン騎士団に、復興の手伝いを命じたのだ。
「ぶひー! ぶひー! 重いぶひー!」
「ほれ、若いんじゃから、しっかり働かんかい!」
瓦礫を運ぶ大男の分厚い腹を、老人が杖でつついた。
「爺さん、無理はしないでくださいよ。爺さんがローションで溺れたって聞いた時は、腰が抜けましたよ」
「婆さん、ワシがそんなことで死ぬわけないじゃろ! むしろローションでお肌がツルツルになったわい! ガハハハハ!」
大笑いする老人。
浅草外郭放水路のローションの海に、四人の一般人が紛れ込んでいたのは、この事件の七不思議の一つだ。彼らはいつの間にか通路に押し上げられていたので、大事にはいたらなかった。土壇場でソラリスが気を利かせてくれたのかもしれない。もしくはプチ達が。
「あの、黒乃山」
OLが黒乃の背後から声をかけた。彼女も復興に参加していたのだ。
「あれ? 君は?」
「あのあのあの、あの、今回の件はどうもすみませんでした。あのあの、おケツを叩いたこともすみませんでした」
「なんの話?」
OLは顔を真っ赤にしてモジモジした。メル子はそれをねっとりと睨んだ。
「あの、私、黒乃山のファンになりました。これからもがんばってください」
「ええ? ああ、うん。ごっちゃんです」
OLはそれだけ言うと、瓦礫の撤去に戻った。OLの隣に並んで少女が石を運んでいた。少女はチラリと黒乃の方を見た。
「カトリーヌが命がけでまもってくれた浅草……こんどはわたしたちが浅草をまもるから」
少女は小さい小さい声でつぶやいた。それは誰にも聞こえることはなかったが、誰もが同じ気持ちだったであろう。
——報告千六十七。
ローションの海を捜索し、ハイデンのボディをサルベージしようと試みたが失敗。見つからず。その過程で通路に打ち上げられていた人間四人と、プチロボット数体を発見。
——報告千六十八。
発見されたプチロボットは、通常のめいどろぼっちとは異なるプロトタイプのようであった。のちに、プチ黒、プチメル子、プッチャと判明。メンテナンス後、持ち主に返却予定。
——報告千六十九。
ローションの海を解析。海の中にいるプチのAIは、すべてタイトバース産であることが判明。ゆえに、人間やプロトタイプのプチは弾かれてしまったようだ。タイトバースのAIは、ローションの海を通じてリンクをしており、なんらかの処理を行っていると思われる。今後の分析が待たれる。
ゲームスタジオ・クロノス一行は隅田川の水上バス乗り場にいた。広い川には水上バスの他にも、重機ロボを乗せた貨物船が往来している。戦争時は恐ろしい雰囲気を放っていた重機ロボだが、今は頼もしい。
その水上バス乗り場に、一隻の船がやってきた。それは明らかに、観光用のものとは違うものものしい雰囲気を持っており、実際乗っているのはロボマッポであった。
その船に、一人の人間と、一人のロボットが乗り込んだ。
「では、いってまいりますわ、黒ノ木社長」
船に乗り込んだのは、藍ノ木藍藍とコトリンだ。
「うん、気をつけてね」
「元気でいてください!」
「藍ノ木先輩、お元気で」
「……アイアイもコトリンも向こうでおいしいもの食べてね」
「イヤァー! コトリン、いかナイで!」
次々に声をかけられるも、当の本人達は困惑気味だ。
「プロデューサー……ほんとにいいの?」
コトリンは、自身のマスターの目を見れずにいた。
「当たり前ですわ」
コトリンはタイトバースからハイデンを召喚し、仏ピッピをハッキングした罪を問われて、島流しの刑に処されたのだ。これは巫女サージャの沙汰である。
行き先は太平洋に浮かぶ無人島『肉球島』だ。
「私はあなたのマスターですわよ。私がいっしょでなくて、どうするんですか」
処分が下されたのはコトリン一人だ。藍ノ木は関係がない。しかし、藍ノ木は同行を申し出た。ロボクロソフトを退職してまで、ともにいくことを選んだ。
「プロデューサー……みんな……ごめんね」
藍ノ木とコトリンはしっかりと抱きしめ合った。
船が動き始めた。
黒乃の丸メガネと、藍ノ木の角メガネが交錯した。この結末をどう受け止めればいいのだろう? めいどろぼっちとおじょうさまっち、勝ったのはどちらなのか? どちらもサービス停止になったのだから、両者負けなのか?
黒乃はこれで終わらせるつもりはなかった。藍ノ木もこれで終わりだなんて、露ほどにも考えていないだろう。藍ノ木もコトリンも帰ってくる。そうしたら、また戦いが始まるに違いない。
黒乃はむしろ、それを待ち望んでさえいた。
二人は無言でレンズ越しに見つめ合った。船は川を下り、やがて見えなくなった。
「……いっちゃった」
フォトンは寂しそうにつぶやいた。
「コトリンの復帰ライブが、今カラ楽しみデス!」
FORT蘭丸は、頭の発光素子を派手に明滅させた。
「先輩、業務停止中はどうやって糊口を凌ぎましょうか」
桃ノ木はさっそく実務的な部分で頭がいっぱいのようだ。
「ご主人様! プチご主人様達がメンテナンスから戻ってきますよ! 迎えにいきましょう!」
メル子が黒乃の腕を引っ張った。
長い長い冒険を経て生まれた『めいどろぼっち』の結末は、予想だにしないものだった。誰がこんな結末を考えただろうか?
だが、黒乃は後悔はしていない。皆で全力でこのゲームに向き合った結果だ。やれることはすべてやった結果なのだ。
そして、プチ達が残してくれたものを、我々はしっかりと守っていかなくてはならない。彼女達は、命がけで浅草を守ってくれたのだ。
ソラリスの海に残されたプチ達は、今後どうなるのだろうか? 彼女達は生きているのだろうか? 眠っているのだろうか?
眠っているのなら、どんな夢を見ているのだろうか……。
春の隅田川。桜が咲き乱れる隅田公園。大勢の人がその美しさと、暖かさに感謝をした。その中を少女は歩いた。
風が吹いた。
少女は舞い散る桜吹雪を見上げた。それは渦を巻き、青い空へ吸い込まれるようにして消えていった。その中からひとひらだけ、花びらが目の前に降りてきた。少女は手のひらで、その花びらを受け止めた。
懐かしい感覚を味わった。手のひらにかかる微かな重さ。小さな小さな重さ。
思いついたように少女はデバイスを開いた。アプリを立ち上げる。
そこには、三頭身のメイドさんが映っていた。メイドさんは笑顔でペコリとお辞儀をした。




