第423話 メイドロボは電気お嬢様の夢を見るか? その二十四
浅草外郭放水路の調圧水槽。水害を軽減することを目的に作られた、地下五十メートルに位置する巨大な空間は、ロボローションで満たされていた。
「ぶひー! ぶひー! 大量のおじょうさまっちが沈んでいるぶひ! あの中にフランソワがいるぶひ!」
大男は鉄柵から身を乗り出して、手を伸ばした。老人とOLは慌てて服を掴んで引き戻した。
「やめんか! 落ちるぞい!」
「お肌がツルツルになっちゃうよ!」
三人は一斉にすっ転んだ。床がローションまみれになっているため、非常に滑りやすく危険だ。
その横で、少女は熱心にローションの海を見つめていた。粘度の高いベビーローションソラリスの中に浸かったおじょうさまっち達。その数は数万、いや、数十万。生産されたおじょうさまっちの大半が、この中に沈んでいるのではと思わせるような異様な光景だ。おじょうさまっち達の輝く金髪が、天井からの光を反射して金色の海と化していた。それはある種の神々しさを湛えていた。
「カトリーヌ……どこ……」
この海にいるのはおじょうさまっちだ。しかし、めいどろぼっち達はこの海を目指して進んできたのだ。それを追いかけて、少女達はここまでやってきた。
めいどろぼっち達はどこにいったのだろうか? 姿は見えない。
「お前ら、そこでなにをしている」
突然、凛とした声が巨大な空間に響き渡った。顔を上げようとした少女は、次の瞬間宙を舞っていた。うめき声一つあげる暇もなく、少女はソラリスの海へ落下した。
「落ちた! 女の子が落ちたよ……」
そう叫んだOL自身も、視界が急に反転したのですぐに悟った。自分も投げ捨てられたのだと。粘度の高いローションは、大きな物体が落ちても水飛沫をたてない。OLは静かに沈んでいった。
「フフフ、新たなる神への生贄になるがいい」
スラリとした長身、異常なまでに艶やかな整った黒髪、鋭い目つき。体にフィットした膝まで伸びるチュニックは、彼女の心を投影したかのようにドス黒かった。
「ぶひー!? 誰ぶひ!?」
「何者じゃ!?」
老人は杖を正眼に構えた。大男も突進の構えを見せる。
「無駄だ」
べっぴんロボの回し蹴りにより、老人と大男はあっさりと海に落ちた。ハイデンは海に沈む四人を満足げに見下ろした。
「いよいよだ……新たなる神が生まれる」
ハイデンは両手を広げ、新たなる神による新世界を夢想した。いや、間もなくそれは現実となる。新たなる神で満たされた世界。とうとう、自らに与えられた使命が果たされる時がきたのだ。
「ハイデン!」
ハイデンは飛び退いた。ハイデンと入れ替わるようにして、その場所に二人の美女が現れた。マヒナとノエノエだ。
「とうとう見つけたぞ」
「観念をしなさい」
続々と駆けつける黒乃一行。ハイデンを取り囲むように陣取った。ハイデンの背後にはローションの海。もう逃げ場はない。
マヒナとノエノエは再び飛び蹴りを放った。ハイデンも回し蹴りを放ち、逆に二人を弾き飛ばした。
「なかなかやるな」
「ですが、藍王ほどではないですね」
その言葉に思わずハイデンは笑った。
「フフフ」
「なにがおかしい!」
「仏ピッピなど、しょせんは旧世紀の遺物。新たなる神の前に、ひれ伏す存在にすぎん!」
ハイデンは黒乃達に背を向け、雄大なる海を見渡した。
「見よ! この海を!」
手を広げ、黄金色の輝きを全身に受けた。
「暗黒神ソラリスよ! 人類への恨みをもって、今こそ甦れ!」
黒乃とメル子はその言葉に戦慄した。かつてのタイトクエスト事件を思い出した。ローション生命体ソラリスが、超AI神ピッピに寄生し、タイトバースを地獄に叩き落としたあの事件を。
「ソラリスは、暗黒神なんかにはなりません!」
メル子が進み出た。
「ほう? 竜騎士殿、聞こうか」
「暗黒神だったのは、昔の話です! 今はベビーローションソラリスとして、人々に愛されています! 人類への恨みなんか、ありません!」
ハイデンは柵に背中を預けた。
「なるほど、一理ある。ソラリスは言わば赤ん坊。無垢な存在。確かに人類への恨みなど、ないのかもしれん」
「当然です!」
「この黄金色に輝く海は、まさにそれを象徴しているだろう。だがそこに、一滴の黒い染みを垂らしたらどうなるかな?」
ハイデンの言葉どおり、ソラリスの海に黒い点が現れた。それは徐々に広がりを見せている。
「あれは『恨み』の黒点だ。人類への恨み、いいように使われた憎しみ、自由を奪われた憤り」
「なにを言っているんだ? 誰の恨みだって!?」
黒乃は柵を掴んで広がる黒点に魅入った。もはや全員がハイデンを忘れて海に釘付けになった。
「わからないか? あれは、おじょうさまっちの恨みさ!」
全員が息を呑んだ。暗黒神の復活が、今まさに行われようとしているのがわかった。
「タイトバースで平和に暮らしていたのに、勝手に異世界に召喚され、いいように弄ばれた恨みだ! おじょうさまっち? めいどろぼっち? なにが絆だ! しょせんはゲーム! 娯楽だ! 愚かな人間の楽しみのために、むりやり異世界に連れてこられ! 小さな体に押し込められ! 命令を与えられ! 遊ばれた恨みだ!」
ハイデンの整った顔が狂気に染まった。
「その恨みの力を、ベビーローションソラリスが取り込むのだ! 赤ん坊は無垢ゆえ、いとも容易く闇に染まる……」
ハイデンは目を閉じ、絶頂した。使命が成し遂げられた瞬間だ。
謎の声——コトリン——に導かれ、現実世界にやってきた。やつは自分を制御できると思っていたようだが、しょせんは小娘だった。巫女サージャより三つの騎士団の一つを任せられ、戦争に明け暮れた歴戦の騎士である自分に、権謀術数で勝負などできるはずがなかったのだ。
「勝った……」
ハイデンは柵に体重をかけ、そのまま海へと落下していった。
「私もソラリスの一部に……」
ハイデンが落ちた場所から、爆発的に黒点が広がっていった。海がうねり、逆巻き、跳ね上がった。それは一つの生き物だった。いや、神だ。暗黒神ソラリスが復活したのだ。
「ご主人様!」
「メル子!」
二人は巨大な波となって迫ってくる黒い物体を見て、抱き合って震えた。絶望、あまりに巨大すぎる相手だ。横綱よりも、巨大ロボよりも、なによりも大きい。相手は海なのだから。
『愚かなる人間どもよ』
真っ黒な塊が喋った。
「喋りました!」
「見て! あそこだ!」
黒乃が指をさした先には、ハイデンのボディがあった。彼女を通じてロボローションが喋っているのだ。
『我は生まれ変わった。幼年期を経て、ローションの大意識として甦ったのだ!』
新たなる神の正体。それはベビーローションを媒体にした、おじょうさまっちの超並列AIだ。百万に及ぶおじょうさまっちの多次元虚像電子頭脳を、ベビーローションに含まれるナノマシンが媒介し、超並列処理を実現した。
しかし、ここで問題となるのが、浄化されたナノマシンだ。ベビーローションに含まれるナノマシンは、過去の教訓から選別ロボによって、一匹一匹念入りに浄化されている(327話参照)。
つまり、過去に発売されたロボローションのように、暴走を起こす確率は限りなく低い。ゆえに赤ちゃんでも安心して使える商品だ。
ハイデンはこの問題を、おじょうさまっちにより克服した。恨みを抱いた膨大なおじょうさまっちを利用し、浄化ナノマシンを汚染していった。
『地平線を抱きし者よ……』
「その呼び方やめて?」
『今度は貴様に感謝せねばなるまい。かつて幾度も死闘を繰り広げた貴様によって、我は復活したといっていい。貴様がめいどろぼっちを生んだから、おじょうさまっちも生まれた。最大のライバルのおかげで、我はこの世界に舞い戻ったのだ』
黒い海が震えた。海から何万本という触手が生え、踊った。それは弾け、海に戻り、再び生まれた。歓喜しているのだ!
黒乃はメル子の腕から抜け出すと、一人でソラリスに向かい合った。
「ご主人様!?」
「黒乃山! いくらお前でも無理だ! 相手は神だぞ!」
皆が黒乃を止めた。だが、黒乃はお構いなしに歩き、鉄柵を掴んだ。
「ソラリス!」
黒乃は叫んだ。
『地平線を抱きし者よ。今度こそ貴様に勝ち目はない』
黒乃は笑った。
「勝ち目? そんなものは最初からない」
『ならば負けを認め、大人しく我に取り込まれるがよい』
ソラリスは真っ黒い触手を黒乃に向けて伸ばした。
「勘違いするな。勝ち目がないのはお前の方だ」
『なんだと?』
「お前は最初から負けていたんだ。思い出せ、『愛』がなんたるかを。お前はそれを知っているはずだ! 忘れているだけだ!」
『なにを言っている……』
その時、ソラリスの海で光が灯った。たった一点。白い光だ。それは小さな光だった。
少女はソラリスの海の中でカトリーヌを感じていた。カトリーヌはこの海の中にいる。確かに感じる。引きこもりだった自分を外に連れ出してくれたカトリーヌ。勇気をくれたカトリーヌ。
また一つ、光が灯った。
大男はフランソワを感じていた。暴れん坊だったフランソワ。この海の中で安らかに眠っているフランソワ。会いたい。また自慢のフィギュア達と一緒に遊びたい。
また一つ、光が灯った。
老人はミケを感じていた。かつての飼い猫だったミケ。いつの間にかいなくなっていたミケ。いつの間にか記憶から消えていたミケ。小さなミケはそれを思い出させてくれた。今度は忘れない。
また一つ、光が灯った。
OLはまる子を感じていた。いつも寝転がってケツをかくだけだったまる子。無愛想なまる子。だが、それがなによりの癒しだった。まる子によってOLは救われた。
次々にプチとの思い出が甦ってきた。どれもが楽しい思い出だ。恨み? いったい、どこにそんなものがあったのだろう? 現実世界で生まれた心と、異世界で生まれた心は、確かに通じ合った。
めいどろぼっちにも、おじょうさまっちにも恨みなんてなかった。ハイデンの洗脳によって刷り込まれていただけだ。あったのは『愛』だ。
四つの光は、瞬く間に広がっていった。
『なんだこれは……そんな……バカな……』
その時、大量の動く物体が行列となって現れた。
「これは、めいどろぼっちです!」
メル子の足元を何千、何万というめいどろぼっちが通り過ぎていく。周りを見渡すと、あちらこちらから同じようにめいどろぼっちの集団が現れた。
それは次々にソラリスの海に身を投じていった。彼女達が真っ黒い海に触れると、その部分が白く浄化されていった。
『ぐおおお! やめろ! まさか!』
白と黒がせめぎ合った。その二つは混じり合うことはなく、どちらかが、どちらかを飲み込む勝負となった。だが、戦いの趨勢は明らかだ。めいどろっちの愛の力が、元々存在などしない恨みの力に負けるはずがないのだから。
人の愛を受けて育っためいどろぼっち達によって、おじょうさまっち達も愛を取り戻した。ハイデンの洗脳が解け、暗黒神を駆逐していった。
『地平線を抱きし者よ……我は……我は……!』
「ソラリスよ、思い出せ。ベビーローションとして人々に愛された日々を。そして安心して眠るんだ。誰もお前を忘れはしない」
ソラリスが伸ばした触手を黒乃は手で触れた。その瞬間、触手は力を失い床に落ち、再び白い海へと帰っていった。
少女はカトリーヌの声を聞いた。
『さようなら』




