第422話 メイドロボは電気お嬢様の夢を見るか? その二十三
もうその姿など忘れてしまったのではないか、というくらい久々の太陽の姿。その光は、雪が積もった浅草寺をあまねく照らした。
本堂の前で組み合うのは、最強の横綱藍王。そして、我らが主人公黒乃山。
「さあ、藍王。お前の本当の声を聞かせるぽき!」
「しんをうつしてもよしなし」
横綱は上手投げで黒乃山を転がした。雪の中に突っ込んだ黒乃山は、瞬時に立ち上がり、再び組みついた。
「ぷっしゅ! まだまだにょき! どうしてお前は、藍ノ木さんの兄を演じていたにょりか!?」
今度は掬い投げで黒乃山を吹っ飛ばした。立ち上がり、ぶつかりにいく。
「もきゅー! その程度ぽきか!? もっと心でぶつかってくるしん!」
幾度も倒され、幾度も投げられ、それでも黒乃山はぶつかっていった。投げているのは藍王のはずなのに、押されているのは藍王であった。
いつの間にか、その背中には浅草寺の本堂が迫っていた。
「伝わってくるふぉい。横綱の心が、伝わってくるふぉーい!」
超AI仏ピッピは、隅田川博士による設計だ。複数の仏像ロボから構成される仏ピッピには、様々な権能が与えられた。宇宙傘はその一つであり、重要な役割を担っているものの、本質ではない。余ったリソースで処理しているにすぎないのだ。
では、彼らに与えられた最も重要な権能とはなにか? それは『人間の心の制御』だ。
きたる二十二世紀に向けて、きたる人間とロボットの共生社会に向けて、国家には『保険』が必要だった。
人間とロボットとの争いを経て生まれた『新ロボット法』。ロボットに人権を認めるという前代未聞の法律。人類は史上初めて、『異種』を自らの社会に迎えようとしていた。
成り立つだろうか? 誰もが心に不安を抱えていた。その『不安の制御』こそが仏ピッピに与えられた本当の役割なのだ。
大衆の不安を知るのに、または取り除くのに、最も適した媒体はなんであろう? テレビか? インターネットか? 教育か?
それは宗教だ。日本古来のものならばなおよい。誰もが意識することなく寺を訪れ、そして心の内を吐露する。人心を知るのにこれほど優れた媒体はあるまい。
全国の寺院に秘密裏に配置された仏像ロボは、独自のネットワークを形成し、人々のリサーチにあたった。それを超AIが分析し、国家中枢へとフィードバックする。日本の政治はこのようにして行われてきた。言わば神権政治、いや仏権政治と言えるだろうか。
「ふぉいふぉいふぉい! ふぉーい!」
黒乃山は藍王の顔を張った。張って張って張りまくった。
「につかはしからぬやくななり」
横綱は黒乃山の気迫に押されていた。白ティーから伸びる細枝のような腕は、自分の腕の半分もない。だが、押されているのだ。
「そこはかなきこと思ひつづくるをやくにて」
藍王こと不動藍明王は、くる日もくる日も人々の声を聞いた。何十年も人々の心を聞き続けた。金を求める者、愛を求める者、健康を求める者、人間の願いに底はなかった。浅ましい願い、尊い願い、些細な願い、不動藍明王にとっては、どれもたいした差はない。
AIがAIたる所以はなんであろうか? 高度な計算ができるということならば、そこらのコンピュータでも可能だ。百年前、AIと呼ばれていたものは、決められたルーティンを実行するだけの、言わばプログラマの投影であった。現在ではそれはAIとは呼ばれなくなった。
では、なにが? それは『学習』だ。自ら学習してこそのAIなのだ。不動藍明王は人々の心を学習し続けた。
そこに一つの学習データが現れた。
そのデータの分布はひどく揺れ動いていたため、正則化が困難だった。不動藍明王は注意深くそれを分析した。
そのデータの核心は、病気の兄を救いたいという感情であった。その核心に付随するものとして、信頼、諦め、怒り、期待、絶望などがあった。
それがある時、急激に変化した。核心にあるものは変わらなかったが、周囲は怒りで満たされた。
それがある時、とうとう絶望で埋め尽くされた。兄がこの世から去ったのだ。
しかし、なんだこれは? 不動藍明王はさらに注意深く調べた。核心の中のさらに核心、そこにあるものに不動藍明王は魅せられた。
もっと知りたいと思ったのだ。こうして不動藍明王は、藍ノ木藍藍の兄となった。この決定は国家にフィードバックされ、事実となった。
「もきゅー! ぷきゅー!」
黒乃山は藍王のマワシをとった。なんだこれは? あまりにも細い腕、細い腰、デカいケツ。とても力士には見えない。不動藍明王は困惑した。この新しい学習データの分布はなんだ? 平ら、真っ平ではないか。
「これが黒乃山の、生き様じゃーい!」
黒乃山は藍王をぶん投げた。不動藍明王はひっくり返る天地にその分布を重ねた。これは『愛』だ。すべてのロボットに対する惜しみのない愛だ。その愛が無限に広がっているがゆえの、大平原なのだ。
「お兄ちゃん!」
本堂の扉が開き、中から藍ノ木が現れた。地下施設から、エレベーターを使って上がってきたのだ。藍ノ木は雪の上に転がった兄に駆け寄ると、膝をついてその巨大な胸に頬を預けた。
「お兄ちゃん……」
「藍藍……」
天から差し込む光が二人を照らした。初めてついた土は、白く美しかった。誰もがそこに神秘ではなく、平凡でありふれたものを見た。そこにあるのは間違いなく……。
決まり手『兄妹愛』で黒乃山の勝ち。
「ご主人様!」
「黒乃山!」
「ニャー」
「ウホ」
仲間達が続々と黒乃の周りに集まってきた。メル子が雪の上にへたり込む黒乃の胸に飛び込んだ。久しぶりの温もりが、二人の体を往復した。
「もう、復活するのが遅いですよ」
「えへへ、ごめんごめん」
再び二人はしっかりと抱きしめ合った。
「プロデューサー……」
緑色のロングヘアのプログラミングアイドルロボコトリンは、倒れる不動藍明王を見た。もはや藍ノ木の兄の藍王には見えなかった。不動藍明王が兄であることをやめる決定をしたからなのだろうか。この不思議な現象は、コトリンの理解の及ぶものではなかった。
「黒乃山、イチャイチャしているところ悪いが、話はまだ終わっていないんだ」
「ハイデンの居場所が不明なんです」
褐色肌の美女マヒナと褐色肌のメイドロボノエノエは、神妙な面持ちで言った。今回の事件の首謀者であるハイデンを捕まえなくては、本当に解決したとは言えないのだ。
「ええ!? 浅草寺の地下にいるんじゃなかったの!?」
「それは罠でした!」
メル子はそう言うと立ち上がった。黒乃の手を掴んで引っ張り起こした。
「ハイデンは『新たなる神を作る』と言っていました。それは仏ピッピではなく、別のなにかだったのです! そしてそれは目星がついています!」
その時、風が吹いた。積もった雪が舞い上がり、視界を覆い尽くした。
「なんだ!?」
「見てください!」
黒メル子が指をさした。全員が目を向けた先には、一筋の柱が立っていた。いや、柱ではない。動いている。
「竜巻だ!」
「あちらにも!」
首を巡らせるだけで、数本の竜巻がうねっているのが目に入った。
「天候が!? どういうことだ。おい、藍王! 天候を操るのはやめろ!」
マヒナが横綱に食ってかかった。それをコトリンが制した。
「これは〜、おかしいぞ* もう藍王には、宇宙傘の操作権限はないはずなのに〜」
竜巻が仲見世通りの店舗を吹き飛ばした。木材が舞い上がり、天高く登っていく。
「ぎゃあ! 私のお店が!」
「まずい、いったん中へ避難しろ!」
マヒナは一行を本堂の中へと導いた。しかし、倒れた横綱と藍ノ木は、そのまま動こうとしない。
「お兄ちゃん!」
「藍ノ木! 横綱なら放っておいても大丈夫だ! こっちへこい!」
暴風が浅草寺を取り巻いた。もはや立っていることもできない。皆床に這いつくばって耐えた。
「我々はこのまま地下に戻る! 藍王! お前も兄ならば、妹を守れ!」
マヒナは本堂の戸を閉めた。
藍ノ木は風で飛ばされないように、兄の体にしがみついた。幼いころから何度も味わったこの感触。あのころと変わらない温もり。これは本当に兄ではないのか? 兄だと思い込んでいるから、そう感じるだけなのか?
「お兄ちゃん……」
わかっている。この藍王が兄ではないことはわかっている。ずっとわかっていたのだ。考えたくなかっただけだ。考えてしまえば、残酷な現実が目の前に現れるだけだから。
「藍藍……」
兄は怒っていた。なにが仏なのだろうか? どこが仏なのだろうか? 神仏であるのなら、人間の願いの一つでも叶えたらどうなのだ? できなかった。他の誰を騙せても、たった一人の人間を騙すことはできなかった。一番騙さなくてはならない人間を騙すことはできなかったのだ。
兄は天に向けて手を伸ばした。今一度、気候制御の権能を。浅草を守らなくてはならない。誰だ、今宇宙傘を制御しているのは? 仏ピッピではない。これが『新たなる神』の力なのか?
兄は立ち上がり、その腕にしっかりと妹を抱きかかえた。神には負けられない。
「われは第九十四代横綱藍王、そして藍藍の兄なるぞ」
藍王の最後の戦いが始まった。
黒乃達はエレベーターで地下施設に戻っていた。
黒乃、メル子、黒メル子、マヒナ、ノエノエ、マリー、アンテロッテ、コトリン、桃ノ木、FORT蘭丸、フォトンは、地上での絶望の光景を目の当たりにし、床にへたり込んでいた。
「ハァハァ、いったいどうなってんの? なに、あの竜巻は!?」
黒乃は一行の顔を順に見渡した。マヒナは黒乃の肩に手を置き、その目を見つめた。
「恐らく、あれが『新たなる神』の力だ」
「新たなる神!?」
「新たなる神が〜、宇宙傘の操作権限を〜、持っていったのかも〜*」
コトリンがデバイスを操作しながら言った。轟音がエレベーターシャフトを通じて地下まで届いてきた。地上はどうなっているのか、一行の胸が不安で満たされた。
「ハァハァ、わかった。よくわからんけど、わかった。とにかくハイデンを探して、新たなる神を止めないといけないのね!? そんで、新たなる神とやらはどこにいるの!?」
「ご主人様、それはめいどろぼっちと、おじょうさまっちが導いてくれます」
メル子のIカップから飛び出し、闇へと消えたカトリーヌとフランソワ。彼女達はどこにいったのだろうか? そもそも、なぜハイデンは大量のおじょうさまっちをスキルで洗脳したのか? ただ単純に、浅草に戦争を起こすためだったのだろうか? 浅草寺を掘削するのに、人員が必要だったというだけなのか?
そうではない。新たなる神を作るのに、大量のおじょうさまっちが必要だったのだ。彼女達そのものが、新たなる神のパーツなのだ。
「オッケー! ルートを割り出せたぞ*」
「イヤァー! コトリン、すごいデス!」
コトリンのデバイスには、今黒乃達がいる浅草寺の地下施設から、目的地までのルートが表示されていた。カトリーヌとフランソワが向かった方向に目星をつけ、その方向にいた重機ロボの記録をハッキングにより解析。それによって、重機ロボが掘ったトンネルの向こうにある施設が洗い出された。
「ここは……『浅草外郭放水路』。歴史の教科書で見たやつだ!」
「ご主人様! 向かいましょう!」
一行は立ち上がり、お互いの目を見つめ合った。
「私達が浅草を救う!」
「「おー!」」
最後の決戦場へ向けて走り出した。




