第417話 メイドロボは電気お嬢様の夢を見るか? その十八
藍ノ木藍藍は尼崎で生まれた。幼いころより、仕事で忙しい両親に代わり彼女の面倒を見ていたのは、年の離れた兄であった。
兄は体が大きく、優しかった。兄は藍藍にとっての憧れであったし、兄のようになりたいと心から願った。
兄とは毎日相撲をとった。兄はいつも手を抜いてくれて、藍藍を勝たせてくれた。藍藍はその気になり、将来は相撲取りになると吹聴した。
兄はすでに一流の力士であった。ちびっ子相撲では相手はおらず、高校の相撲部によく出入りをしていた。藍藍も見学にいったが、高校生達を投げ飛ばすその姿に鼻高々であった。
兄は中学校を卒業すると、すぐに相撲部屋に入門した。墨田区にある相撲部屋らしい。
藍藍は孤独になった。その溢れる才覚は周囲の人間を虜にしたが、藍藍の心はそこにはなかった。藍藍は勝負にこだわるようになった。ナンバーワンを望むようになった。もう数年で、兄は横綱になるであろう。疑っていなかった。だから藍藍も一番にならなくてはならないのだ。
藍藍は高校を卒業後、兄を追って東京に出た。様々な成績を残した藍藍は引く手あまたで、どこに務めるかは藍藍が決めることであった。世界的な大企業であるロボクロソフトを選んだのは、兄の相撲部屋が近かったからだ。
藍藍はロボクロソフトでもあっという間に上り詰め、プロデューサーの地位を獲得した。コトリンとの出会いもそこだった。コトリンはマスターを亡くし、一人寂しく仕事をしていた。
コトリンとはすぐに打ち解け、プロデューサーと呼ばれ慕われた。藍藍は、新しいマスターになるのもいいかと思い始めていた。
そのころ、事件が起こった。
兄が倒れたのだ。病気だ。
藍藍は毎日病院に通った。兄の大きな体は、みるみるうちに痩せ細っていった。二十二世紀の科学力をもってしても、その病の進行を止めることはできなかった。
藍藍は毎日浅草寺にお参りした。兄の病気を治してくださいと。
その願いは届かなかった。
………………
藍藍は毎日浅草寺にお参りした。兄を返してくださいと。
………………
藍藍は毎日浅草寺にお参りした。兄を返してくださいと。
その願いは届いた。兄は帰ってきた。
兄はあっという間に上り詰め、最強の横綱藍王になった。
その横綱が、雪に覆われた浅草寺の本堂の前に佇んでいた。ここは去年、大相撲浅草場所が行われた地だ。本堂を背にし、蹲踞の姿勢で微動だにしない横綱。その周囲にはなぜか雪は積もっておらず、石畳が剥き出しになり、直径4.55メートルの円ができていた。
重機ロボが、そのすぐ横を通り過ぎていった。
「なんニャー、あれは?」
「バケモノニャ、バケモノがいるニャ」
白猫ロボのモカとムギは白いボディを震わせた。寒いからではない。戦慄しているのだ。
重機ロボのショベルが地面に突き刺さり、本堂を揺らした。
その浅草寺のすぐお隣、浅草神社の本殿に一行は勢揃いしていた。重機ロボが地面を掘る音と振動が、皆を苛立たせた。
「おい、藍ノ木」
褐色肌の美女マヒナは、神経質そうに膝を揺らした。
「なんでしょうか?」
藍ノ木は事もなげに言ったが、内心は揺れまくっているのは明白だった。
「なぜ、藍王が浅草寺にいる?」
「知りません」
「お前の兄だろ」
「あの横綱のことがわかる者などいますか?」
大変ごもっともなので、マヒナも黙るしかなかった。
一行——メル子、マヒナ、ノエノエ、マリー、アンテロッテ、黒メル子、ニコラ・テス乱太郎、桃ノ木、FORT蘭丸、フォトン、美食ロボ、藍ノ木、コトリン——は、巫女サージャの前に整列して座っていた。
重苦しい雰囲気が場を包んだ。その空気をサージャが切り裂いた。あっけらかんとした口調で会議の開始を告げた。
「帆尼〜。みんな元気かな? なわけないか、マジウケるwww」
皆、口元をひきつらせて、無理矢理笑おうとした。
「さあ、いよいよ戦争が始まろうとしているわけだけれども。あ、浅草寺で戦争が始まろうとしているわけだけれども。打つ手はあるのかい?」
「サージャ様!」
皆に先手を打って、メル子が切り出した。
「戦争を止める方法はないのですか!? サージャ様が、ヘイデンちゃんに命じてくれればいいのではないのですか? 戦争を止めろと!」
「メルピッピ、葦だって止めたいよ。でもね、仏ピッピが完全に敵の手に落ちたら、浅草だけでなくて、日本、いや世界が危ないんだよ」
つまり、ちびっ子団長のヘイデンが率いるめいどろぼっち軍団と、おじょうさまっち軍団の衝突は不可避だというのだ。
そう言われると、メル子は引き下がるしかなかった。
「サージャ様、我々はタイトバースに赴き、おじょうさまっちとハイデンについて調べました」とマヒナ。
「ほーん?」
「おじょうさまっちを操っていたのは、ハイデンのスキルによるものでした。奴の恭順によって、おじょうさまっちが操られていたのです」
「ほんほん、それで?」
「しかし、この事態は奴のスキルだけでもたらされたわけではありません。もう一つ、現実世界からの手引きが必要なんです!」
マリーとアンテロッテが立ち上がって言った。
「わたくし達もそう思いまして、タイトバースを調べていたのですわー!」
「マリー家が個人的に所有していた、イマーシブマシンを使ったのですわー!」
「お二人が妖精郷にきてくれたおかげで、ピンチを逃れられました!」
メル子の言葉に、お嬢様たちは満足げにうなずいた。
「妖精女王ティターニアと交渉をしまして、もうこれ以上のAIの召喚には応じないようにしてくれるそうです。つまり、おじょうさまっち軍の戦力の増強はもうありません!」
メル子は得意満面で述べた。
「私の方でも色々調べていてね〜」
なぜか、ロープでグルグル巻きにされて床に転がっているニコラ・テス乱太郎が、説明を始めた。
「その現実で手引きをしている人物=仏ピッピをハッキングしている人物で間違いないね〜。時期的に考えて、その人物がハイデンに今回の計画を持ちかけたんだろうね〜」
「ニコピッピ、目的は?」サージャは先を促した。
「もちろん、仏ピッピの完全なハッキングだろうね〜。そのために、おじょうさまっち軍を組織し、今、重機ロボで浅草寺を掘っているんだからね〜」
仏ピッピのユニット群は、浅草寺の地下に格納されているのだ。完全なハッキングを行うには、その地下施設に侵入しなくてはならない。
「ふ〜」
巫女がため息をついた。一瞬、場に沈黙が流れた。皆、背筋を伸ばし、次の言葉を待った。
「で? 誰ピッピなのよ? その人物とは?」
そう。ここが今回の会議の肝だ。仏ピッピをハッキングし、宇宙傘を暴走させ、日本を凍てつかせ、ハイデンを召喚し、大戦争を起こすきっかけとなった人物とは。
その時、屋根裏から二体の巨大な影が降りてきた。マッチョメイドとゴリラロボだ。二人は本殿の入り口を塞いだ。
「さあ! 葦、怒らないから! 誰ピッピ!?」
その時、FORT蘭丸が恐る恐る手をあげた。
「お前かー!」
「グェェェ!?」
サージャのラリアットがFORT蘭丸に炸裂し、無惨にも空中で一回転をして床に叩きつけられた。
「ボクじゃナイデス!」
「ああ、メンゴメンゴ」
改めて姿勢を正すと、FORT蘭丸は語り始めた。
「マズ、犯人にはタイトバースにアクセスして、AIを召喚できる技術が必要デス!」
タイトバースから召喚されたのは、ハイデン、モカ、ムギ、そしてめいどろぼっちとおじょうさまっち達だ。
「ボクはロボクロソフトのコードの中に、ルビーが書いたコードを発見しまシタ!」
ゲームスタジオ・クロノスはロボクロソフトから発売されるゲームの最適化作業を請け負ったことがある(332話参照)。そのコードの中に、タイトバースへアクセスするためのコードが含まれていたのだ。それは、ルビーが考案したオリジナルの手法であり、他の誰かに真似できるとは考えにくい。
「ソモソモ、タイトクエストはタイトバースへアクセスする権限を、神ピッピの設計者であるアインシュ太郎博士から与えられていまシタ!」
つまり、コードを流用などしなくても、アクセスはできていたのだ。にも関わらず、なぜコードを流用したのか。それは、タイトクエストとは別に、個人的な目的があったからに違いない。
「ツマリ、犯人はロボクロソフトの中にいマス!」
「そんな馬鹿な!」
藍ノ木は立ち上がった。ものすごい剣幕でFORT蘭丸を睨みつけた。慌てて、桃ノ木がその間に割って入った。
「藍ノ木先輩、落ち着いてください」
「桃ノ木さん……」
藍ノ木は渋々座った。その隣で震えているコトリンを抱き寄せた。
「我が社に犯人がいるなんて……大丈夫ですわよ、コトリン。そんなに怯えないで。なにかの間違いですわ」
「でもさ、蘭ピッピ。それだけじゃ、根拠として弱くない? ルビピッピが犯人かもしんないじゃん」
サージャが疑問を呈した。コードを流用したからといって、それが犯行に直結するとは限らない。
「二つ目の根拠がアリマス! タイトバースの時間経過速度が、現実世界と同じ速度に変わっていたことデス!」
タイトバースの世界は元々、現実世界の十倍の速度で動作していた。それが現在は、現実と同じ速度まで落ちているというのだ(409話参照)。
「ログを調べてミタところ、この現象は去年の大雪のころと被っていマス!」
仏ピッピのユニットの一部である宇宙傘がハッキングされた時期と、同じであるというのだ。
通常の手段で仏ピッピをハッキングするなど、一人の人物にできるとは思えない。犯人は神ピッピのコードを流用し、神ピッピのリソースを使って、仏ピッピにハッキングを仕掛けたのだ。神と仏の戦いだ。
その結果、神ピッピに多大な負荷がかかり、タイトバースの時間経過速度が落ち込んでしまったというわけだ。
サージャは首をひねった「いや、だからさ、それじゃあロボクロソフトが犯人だってわかんないじゃんよ。やっぱり、ルビピッピなんじゃないの?」
「三つ目の根拠がアリマス! これが本命デス!」
そう威勢よく言ったものの、FORT蘭丸は急にうなだれてしまった。そしてその目から、オイルが大量に流れ出した。
「ん? どしたん?」
「ボクは……ボクは見てしまったんデス」
「なにをさ?」
「先日、ロボクロソフト社にイッタ時に、見てしまったんデス! コトリンチャンのモニタに、ルビーのコードが表示されてイルのを、見てしまったんデス!(415話参照)」
ほんの一瞬のことであったが、間違えるはずもなかった。ルビーのコードは毎日のように見ているのだから。
「間違いナク、タイトバースへアクセスするコードでシタ!」
全員の視線がコトリンに集中した。コトリンの眼球に刻まれた*が、#に変化していた。
「なにを言っているのかしら!?」
藍ノ木は立ち上がった。動こうとしないコトリンの腕を掴み、引っ張り上げた。
「なにかと思えば、コトリンが犯人!? 私のコトリンが、そんなことをするはずがございませんわ! 帰らせてもらいます!」
しかし、マッチョメイドとゴリラロボが出口を塞いだ。
藍ノ木の角メガネが歪んだ。足元がふらつき、逆にコトリンが藍ノ木を支えるハメになった。
「プロデューサー……」
コトリンの肩は震えていた。顔は真っ青になり、花のような雰囲気は消え失せていた。
「ねえ、コトリン。そんなわけないわよね? そうでしょ? なにかの間違いですわよね? それに、流用コードを持っていたからといって、それを使ったという証拠は……」
「……」
震えるばかりで一向に否定しようとしないコトリンを見て、藍ノ木は察した。
「どうして……どうしてなの、コトリン……なぜ!?」
美しい歌声を持つプログラミングアイドルロボの声は、しわがれていた。絞り出すようにして出てきたセリフに、誰もが驚愕した。
「プロデューサーを解放してあげたかったから……」
「私を解放?」
「仏ピッピに囚われている……プロデューサーを解放してあげたかったから……」
最後の声は絶叫になっていた。
「仏ピッピのユニットの一つの、藍王から解放してあげたかったから!!!」
誰もが声もなく、コトリンを見つめるしかなかった。
「女将、この犯人は本物か?」




