第409話 メイドロボは電気お嬢様の夢を見るか? その十
少女は息を切らして家の中に逃げ込んだ。その手のひらの上に乗っている小さなメイドロボも、同じく息を切らして真っ青になっていた。
「うそ……外にゴリラがいた……」
少女が意を決して家の外に出た途端、たまたま散歩にやってきたゴリラロボと、鉢合わせをしてしまったのだ。
少女とカトリーヌはそのあまりの巨大さに腰を抜かし、慌てて家の中へと逃げ帰った。
「外はやっぱりこわい……」
二人は玄関でガタガタと震えた。
大男は机の上のミニチュアハウスを眺めた。ゴシック様式の豪華なお城の一室を模した部屋で、中は丁寧に整備がされていた。
その中のベッドには、金髪縦ロールの小さなお嬢様が眠っていた。
「ぶひー! ぶひー! フランソワ、よく帰ってきてくれたぶひ」
大男はその寝顔を、いつまでも飽きることなく見つめた。
老夫婦は、コタツの上を元気よく走り回る小さなロボット猫を見て微笑んだ。
「婆さん、今日もミケは元気だのう」
「爺さん、ほんとうですね。運動会に出てから、ずっと元気ですねえ」
勢いよく走りすぎたのか、コタツに置かれた湯呑みにぶつかり、危うくひっくり返しそうになった。
「そういえば、昔もよくミケが湯呑みをひっくり返してたのう」
「爺さん、昔っていつですか?」
「もう十年も前かのう」
老女は口を開けて老人を眺めた。
「まる子、おい、まる子」
OLが呼びかけると、床に寝そべってケツをかいていたまるめがねっちがこちらをちらりと向いた。そしてあくびをしてケツをかいた。
「最近、名前を呼ぶとちゃんとこっちを向くようになったな。ようやく私がマスターだと理解してきたのかな。おい、まる子、聞いてくれ。私をいびっていた上司が、取引先でやらかして、左遷されたよ。ぷぷぷ、もうアイツの顔を見なくていいかと思うと気分がいいよ。おい、まる子、今、屁をこいたよな?」
OLは夜遅くまで、まるめがねっちに語りかけた。
「ボクのプチ丸!」
見た目メカメカしいプログラミングロボのFORT蘭丸は、三頭身の小さなお嬢様を手のひらに乗せて泣いていた。
プチ丸は手のひらの上にちょこんと座り、呆然とした表情で自分の主を眺めていた。
「いやー、よかったよかった」
「先輩、これで一安心ですね」
先日、黒乃は行方不明になったおじょうさまっちを捜索しに、チバ・シティへと向かった。おじょうさまっちの製造元である、クサカリ・インダストリアルの工場を訪ねるためだ。
しかし、そこにあったのはクサカリ・インダストリアルとは無関係の闇工場であった。何者かによって社のサイトが改竄され、黒乃達はまんまと偽工場へとおびき寄せられてしまった。
そこでおじょうさまっちを発見した黒乃は、プチ丸を確保し脱出しようとしたものの、タイトバースからやってきたハイデンに襲われた。同じくやってきたヘイデン騎士団に助けられ、なんとか脱出することができたのであった。
「……ということがあったんだよ」
「イヤァー! どうデモいいデス!」
FORT蘭丸はモニタの前にプチ丸を座らせ、しきりに話しかけている。プチ丸は心ここにあらずといった様子で呆然としている。
黒乃と桃ノ木はほっと息をついた。FORT蘭丸は行方不明になったプチ丸を心配し、まったく仕事をしようとしなかったのだ。これでなんとかなるだろう。
「ま、とりあえず。あの怪しい工場のことはロボクロソフトに伝えたから。やることはやったさ」
「あとはロボクロソフトに任せるのが一番ですね」
この一連の出来事を、すべて包み隠さず伝えた。一応、共同で開催したイベント中に起こった事件だ。無関係とはいえなかった。だが、これで責任は果たされたはずだ。
——後日。
「先輩、ロボクロソフトが会見をやっています」
「おお? どれどれ?」
桃ノ木が黒乃のモニタに、会見の中継画面を転送した。そこには、大勢のカメラに囲まれた会社役員達がずらりと並んでいた。
「お、藍ノ木さんもいるね」
「藍ノ木先輩は、おじょうさまっちのプロデューサーですから」
藍色のぴちりとしたスーツに、細長い角メガネ。頭の上の大きなお団子を揺らしながらマイクを握りしめる藍ノ木藍藍のその姿からは、いつもの威勢は消えていた。
『藍ノ木プロデューサーにお聞きします。ロボクロソフトが、チバ・シティの闇工場と提携していたというのは事実ですか?』
『いえ、提携していたといいましょうか。我々ロボクロソフトとしましては、この工場のことは把握していなかったといいましょうか。あの、クサカリ・インダストリアル(以下K社)にプチドロイドの発注をかけまして、そのK社が提携していたといいましょうか』
『では、責任はK社にあるということでしょうか?』
『いえ、あの、そういうわけでは。あの、K社側でも認識はしていなかったそうです。数ある提携会社の一つに、紛れ込んでいたと言っていますので。あの、なぜそうなったのかは不明でして、あの、我々の責任というよりはK社の問題……』
『他社に責任をなすりつけるつもりですか!?』
一斉にカメラのフラッシュが焚かれた。この時代、フラッシュを焚かなくても充分に鮮明な映像を撮影できるので、単なる雰囲気作りでしかない。磨き抜かれた角メガネに光が反射し、藍ノ木の表情を覆い隠した。
『いえ、もちろん弊社にも責任はございます。すべての提携会社、すべてのユーザー様にお詫び申し上げます。ユーザー様には補償としまして、おじょうさまポイントを千ポイント配布いたします。またログインボーナスを通常の三倍……』
『たったの千ポイントですか!?』
『少なすぎる!』
『SSRドレスよこせ!』
再びフラッシュが焚かれた。藍ノ木は額から汗を大量に流して、その辱めに耐えた。
——後日。
「先輩、まためいどろぼっちの増産が決まりました」
「きたか!」
増産に次ぐ増産。現在めいどろぼっちの売り上げは絶好調であった。話題が話題を呼ぶとはこのことだ。
先日起きた、おじょうさまっち行方不明事件の影響は思いのほか大きく、ロボクロソフトは苦境に立たされていた。闇工場との関わりは否定されたものの、その印象はおじょうさまっちのイメージを大きく損なった。
この件が揺り戻しとなり、めいどろぼっちの追い風となったのだ。量販店では売り切れが続出。通販サイトの受付も停止状態。世の中はめいどろぼっちブームとなりつつあった。
「よしよしよし、いいぞいいぞ」
黒乃は興奮冷めやらぬ表情で、熱心に売り上げ推移のグラフを眺めた。右肩上がり。夢にまで見た急勾配。なんと心地よい上り坂であろうか。
「成った……」黒乃はつぶやいた。
「……なにがなったの?」隣でフォトンが怪訝な表情を向けた。
「億万長者に成ったのだよ!」
「……いや、儲けたのは会社で、クロ社長が億万長者になったわけではない」
黒乃は山嶺に立ったのだ。
ゲーム業界に入り込んで数年。最初は単なる一社員でしかなかった。地道に実績を上げ、チームを取り仕切る立場にまでなった。しかしやらかした(115話参照)。会社を追われ、絶望に沈んだ。
それでも立ち上がることができた。最愛のメイドロボに支えられ、黒乃は再び歩き出した。自分の会社を立ち上げ、この業界に舞い戻った。頼もしい仲間達を得、数々の冒険をくぐり抜け、そして至ったこの山嶺。
「ふはは……ふははははは!」
「……おかしくなった」
黒乃は下界を見下ろした。果てしなく広がる雲海。その切れ間から垣間見える景色の真髄は、この厳しい上り坂を踏破したものにしかわからないであろう。
「美しい……選ばれしものだけが見ることができるこの景色……ああ……美しい……」
「……売り上げグラフで、ここまでハッスルできるのはクロ社長だけ。油断して転げ落ちないでね」
黒乃は椅子から立ち上がり、両手を上げて山頂の風を堪能していると、FORT蘭丸が声をかけてきた。
「シャチョー! 報告がありマス!」
「なんだ、今いい気分に浸っているのに」
「サーバの不調の原因がわかりまシタ!」
「ほう?」
めいどろぼっちは様々なデータを取り扱うため、専用のサーバを稼働させている。サーバに対して発売直後から謎の負荷が発生しており、FORT蘭丸がその調査をしていたのだ。
「原因は、タイトバースにありまシタ!」
「へー」
「タイトバースの時間経過速度が、現実世界と同じ速度に変わっていまシタ!」
「そうなんだ」
タイトバース世界の時間は、現実の十倍の速度で流れている。これは短い時間でも充分にゲームを楽しめるようにするための配慮である。それが現実世界と同じ速度に変わったというのだ。
「なんで?」
「わかりまセン! 神ピッピに大きな負荷がかかってイル可能性がありマス!」
「そんで、解決できるの?」
「神ピッピ側はドーしようもナイです! サーバが遅くなってイタのは、十倍速用に調整されていたからナノで、等速用に調整すれば解決しマス!」
めいどろぼっちのAIはタイトバースからやってきたグレムリンであり、サーバは様々なデータをタイトバースとやりとりしている。タイトバース側の動作倍率と、サーバ側の同期周期の齟齬により、サーバが重くなっていたのだ。
「ふーん、じゃあやっといて」
「ハイ!」
興奮に水をさされた黒乃は、巨ケツを椅子に落とした。その途端、回転椅子の脚がボッキリと折れ、黒乃は無様に床に転がった。
「ぎゃぴー!」
「先輩、大丈夫ですか!?」
「……さっそくバチがあたった」
「ご主人様、お昼ですよ。なにをしていますか?」
「シャチョー! 作業はお昼食べてからでイイデスか!?」
これは、予兆……崩壊への先触れ……。




