第4話 お触りにはまだ早いでしょう?
「メル子」
「はい、なんでしょう」
「メ〜ル子」
「はいはい、どうかなされましたか」
「メル子さんや〜」
「ご主人様、ご用件はなんでしょうか?」
黒ノ木黒乃とメル子は、小汚い部屋の床に座ったまま延々とこのやりとりを続けている。黒乃は心底楽しそうだが、メル子はやや困り気味だ。
「メル子ちゃん、名前で呼んでみてくれたまえ」
「わかりました、黒乃様」
「おお…… 次はお嬢様をつけて」
「ご機嫌はいかがですか? 黒乃お嬢様」
「ああ、いいねぇいいねぇ」
ああ、可愛いメイドロボとの蜜月の時。思えばここに至るまで実に長かった。子供の頃、メイドロボが欲しいと思い立ったあの日、黒乃は早速父におねだりしてみた。
当時は一般家庭用メイドロボというものがなく、各メーカーが初号機を順次投入している状況だった。八又産業のA2-CMS-900、クサカリ・インダストリアルのA2-OMA-2000、イズモ研究所のA2-Mroid-TEN。どれも超高級品。一体億超えが当たり前で、父はそれを見てひっくり返った。
一時期メイドロボのレンタル業が盛んになったことがあったが、人権的な問題が多発し政府はメイドロボのレンタルを規制してしまった。不埒な輩がメイドさんに不埒なことをしたせいだと当時の黒乃は憤った。
それ以降、黒乃はお金を稼ぐことにした。廉価版のメイドロボが普及し、手に入れやすいお値段になることを信じて黒乃は働いた。
黒乃に青春なんてあっただろうか? 学生の頃はバイトをしていた記憶しかない。働き始めてからは、会社とこのボロアパートを往復する日々だ。小汚く薄暗い無機質なこの部屋。帰るたびにうんざりするような澱んだ空気。
しかし今はそれが光り輝いて見える。この部屋に光が差し込んで爽やかな風が吹いているのを感じる。黒乃の青春はようやく始まるのだ。
そう思うと目の前にいるメイドロボがより愛おしくなってくる。黒乃はもっと甘えたいと思った。ずっとずっと思っていたのだ。メル子はクッションの上に正座をしている。赤ジャージのため太ももは見えないが、膝枕をしたらふんわりと柔らかいに違いない。黒乃は引き込まれるように頭を預けにいった。
バチーン!
「あ、痛ったー!」
思い切りおでこをはたかれてしまった。その勢いで床に突っ伏した。
「ええ? ええー? なんで叩かれたの!?」
「お触りは禁止です」
メル子のニコニコ笑顔が消え、鋭い視線が黒乃に突き刺さる。
「反逆だ……ロボットの反逆だ! あれ、あれなんだっけ。そう! ロボットは人間を傷つけてはならないっていう原則が……」
慌ててしまい、腕をブンブン振りながらよくわからないことを喚き出す黒乃。
「そんな古臭いルールはとっくに廃止されています。今は新ロボット法の時代ですよ?」
『新ロボット法』
近年公布されたロボットやAIの人格、人権に関する法律。ロボットに人権を認めていなかった旧ロボット法に置き換わるものである。
「ええ、じゃあ膝枕できないの?」
黒乃は泣きながら訊ねた。
「別にできないとは言っていませんよ」
メル子は少し不貞腐れながら答えた。
「まだ早いと言っているだけです。黒乃様は、今日出会った女の人にいきなり膝枕をしてあげるのですか?」
確かに知らない人同士でいきなり膝枕をするのはそういうお店しかない。自分のメイドロボだからと相手のことを考えずに欲望に負けてしまっては、メル子をモノ扱いしているのと同じだ。
黒乃は反省した。
「じゃあ、どうやったら膝枕できる?」
「メイドポイントを貯めてください」
また謎の単語が出てきた。いやメイドカフェで聞いたことがあるかもしれない。
「それって新ロボット法で決められているやつなの?」
「まさか! 私が勝手に作ったポイントです」
「どうやったら貯まるんだろう?」
「簡単ですよ」
メル子は親指を立ててこちらに伸ばしてきた。
「私がご主人様を少し好きになる度にポイントが貯まります!」
黒乃は少し赤い顔で微笑むメル子の親指に自分の親指を重ねた。
「ピッ」