第397話 年末です!
太陽の光が積もった雪に反射し、黒乃とメル子の顔を照らした。昨日までの静けさが嘘のように、浅草の町は動きを取り戻しつつあった。
「晴れた!」
「晴れました!」
久々に顔を覗かせたお日様を、二人は顔をほころばせて拝んだ。表皮細胞のTRPV3がその温かさを電流に変換し、脳に伝えた。
通りには人々が厚着をして繰り出していた。皆、手にスコップを持ち、長靴を履き、雪をかいている。大通りには全国よりやってきた雪かきロボが集まり、その性能をいかんなく発揮していた。彼らは屋根に登り、危険な雪下ろしをためらいもなく実行していった。その勇姿を見た子供達は、惜しみのない歓声を上げた。
「いや〜、よかった〜。これで日常が戻ってきそうだね」
「はい! 一時はどうなることかと思いましたよ」
黒乃達も雪かきに参加しなくてはならない。二人はスコップを片手に気合いを入れた。すでにボロアパートの住人達が仕事を開始していた。大家夫婦は倉庫から取り出した道具を分け与え、お隣の林権田は駐車場の雪を片付けていた。
黒乃達はボロアパートの前の道路を片付けることにした。
「オーホホホホ! 黒乃さん、こちらですわー!」
「オーホホホホ! お嬢様ー! お気をつけあそばされてござるで候ー!」
「うわ、なにしてんの!?」
マリーとアンテロッテは山のように積まれた雪を掘って、すべり台を作っていた。カーブを描き、トンネルをくぐり抜け、ジャンプ台まである本格的なものだ。
「お二人とも! なにをしていますか!」
「おすべり台ですのよー!」
「まったく、朝からこんなもの作ってたのかい」
「雪かきを手伝ってください!」
抗議する二人を尻目に、マリーは思う存分雪を楽しんだ。
「しょうがないな、お嬢様たちは」
「我々だけでもやりましょう」
二人はスコップを構え、真新しい雪面に突き立てようと振り上げた。その瞬間、幼い少女の生首が雪の中に忽然と出現した。
「黒乃〜、メル子〜、あそぼ〜」
「ぎょわわわわわわ!」
「ぎゃあ!」
いきなり現れた紅子に驚き、二人は足を滑らせ頭から雪の中に突っ込んだ。
「もごごご!」
「紅子ちゃん! 予告なく現れないでください!」
「あそぼ〜」
紅子は雪に埋もれた黒乃のケツに飛び乗った。黒乃はメル子の手を借りてようやく雪から抜け出すと、紅子を両手で持ち上げた。
「お母さん達は雪かきがあるから! お嬢様たちと遊んでなさい」
「紅子さん、こちらにいらっしゃいなー!」
「一緒にすべり台で遊びますわよー!」
「すべる〜」
紅子とお嬢様たちは仲良くすべり台で遊び始めた。
息をつき、改めてスコップを握りしめた。雪に突き刺すと、気持ちのいい感触が手に伝わってきた。ソフトクリームをスプーンですくい取るような感覚がしばらく続き、やがてそれはシャーベットになった。下の方は雪の重みと水分で圧縮されているようだ。
「ふぅふぅ、こりゃしんどいな」
「頑張りましょう!」
お昼近くまで必死に作業を続けた。アスファルトが顔を見せ、人や車が通行するのには問題ない程度には道が開けた。そのころにはもう足腰はガクガクで、黒乃は積まれた雪にもたれかかって休んでいた。
ふと横を見ると、お嬢様たちは雪だるまを作っていた。
「うわあ、元気だなあ。にしても面白い雪だるまだな」
「オーホホホホ! おフランス流はこうでしてよー!」
「オーホホホホ! お嬢様は雪だるまのジュニアチャンピオンでしてよー!」
鼻にニンジンが刺さった雪だるまを、叩いて固めるお嬢様たち。紅子は必死に飾り付けをしていた。
作業が一段落つくと、大家夫婦が豚汁を振る舞ってくれた。ボロアパートの住人達が集まり、一斉にがっつき始める。立ち昇る湯気が冷えた顔を温め、優しい味噌味が胃を温めた。
「やはり豚汁は疲れたボディに効きますね!」
「うめー! だけどこっちの豚汁は白味噌じゃないんだな」
「え?」
「え?」
胃が落ち着いたら次は買い出しである。ここ数日の大雪で物流が途絶え、質素なクリスマスを過ごすはめになってしまった。大晦日と元日くらいは『らしく』過ごしたい。
黒乃とメル子は仲見世通りに向かった。
——仲見世通り。
浅草寺の雷門から宝蔵門を繋ぐ参道。二百五十メートルの間に、百店舗近い商店が軒を連ねている。
「なんだ、もうすっかり片付いているな」
「ですね。雪かきロボが頑張ってくれたようです」
仲見世通りの店舗にとって、年末年始は書き入れ時だ。雪などに負けてはいられない。ほとんどの店舗が営業を再開していた。それを目当てに集まる浅草の人々。
「お、黒乃ちゃんとメル子ちゃん!」
「クッキン五郎さん! こんにちは!」
「あ、ども。えへえへ、もう営業ですか」
メル子の出店で営業をしていたのは、調理ロボのクッキン五郎だ。この出店はメル子他数名のロボットによる共同経営となっていて、彼はそのオーナーである。普段はここでイタリア料理を提供している。
「雪になんて負けてらんねえからよ! 俺の熱気で全部溶かしてやったぜ!」
「かっこいいです!」
その隣の店はマッチョメイドの和菓子店『筋肉本舗』だ。当然の如く、ディスプレイの向こうで仁王立ちをしているマッチョメイドが見えた。
「やあ、マッチョメイド。年の瀬は営業かい?」
「精が出ますね!」
「黒乃 メル子 ねんまつねんしは なにかと あまいものがいる これ もっていく」
マッチョメイドがメル子に手渡したのは栗きんとんの包みである。
「ええ!? こんなに高価なもの、いいのですか!?」
「うわー、この栗きんとん美味そう〜。今食いたいよ」
「これ 栗きんとん ちがう 栗茶巾」
京都では栗きんとんのことを、栗茶巾とも呼ぶ。
その後も周辺の店を回って買い物を済ませていった。おせちの材料はもちろん、玄関に飾るしめ飾り、鏡餅、年越しそば。二人の両手は荷物でいっぱいになった。
「ふぅふぅ、疲れた」
「最後にチャーリーの様子を見にいってから休憩をしましょう」
「サージャ様にも挨拶をしないとね」
浅草神社へとやってきた。
意外や意外、境内は雪で覆われたままであった。社殿に積もった雪は降ろされているものの、地面には雪が敷き詰められていた。
「なにこれ!?」
「雪が踏み固められています!」
「おー、黒ピッピ、メルピッピ。佇立、佇立」
その雪の上を華麗に滑って登場したのは、浅草神社の御神体ロボ、サージャである。その後ろから、足を激しくバタつかせながら滑ってきたのは、グレーのモコモコのチャーリーと、雪と同化していてよく見えない白猫のモカとムギだ。
「ニャー」
「チャ王〜、待ってくださいニャー!」
「すっごい滑るニャー!」
サージャは綺麗なターンを決め、黒乃達の前で停止したが、ロボット猫達は止まりきれず、黒乃の足元に突っ込んだ。
「ぎゃばー!」
「ご主人様ー!」
ロボット猫の突進に巻き込まれ尻もちをつく黒乃。そのままツイーと雪の上をケツで滑走した。
「どうして境内がスケートリンクになっていますか!?」メル子は転ぶまいと、必死に膝を震わせて耐えた。
「いやー、おもろいかと思ってさー。雪かきロボに命じて作ってもらったんだよね、マジうけるwww」
一行はしばらくの間スケートを楽しんだあと、本堂の賽銭箱の横に並んで座った。メル子はマッチョメイドの店で買った和菓子を、サージャとチャーリー達に振る舞った。
「もぐもぐ、うみゃい」
「ニャー」
「うまいニャー」
「タイトバースでは食べられない味ニャー」
子供達が境内のスケートリンクに集まってきた。甲高い声でお互いを追いかけ回し、逃げ回り、転げ回っている。黒乃とメル子はそれを楽しげに眺めた。
サージャが突然二人の間に割り込んで座った。二人の肩に腕を回し抱き寄せる。
「えへえへ、サージャ様、どうしました?」
「黒ピッピもメルピッピも、今年は大変だったねえ」
「なんですか、急に」
黒乃とメル子は今年を振り返った。
富士山での巨大ロボバトルで幕を開けた一年。月にもいった。最終回も迎えた。無人島にもいったし、異世界にもいった。
とんでもない一年だった。
「でもさ、ふふふ、来年も色々あるから。マジ伽俳から」
「ええ? 色々ってなんですか?」
「神ピッピの予言ですか!?」
「葦の勘だよ」
そう言い、サージャは二人の背中を強く叩くと、弾むように軽やかに本殿の中へ戻っていった。呆気に取られながら、二人はそれを見送った。
立ち上がり、へっぴり腰で雪の上を進む。何度も転びそうになるも、お互いを支え合い、なんとかスケートリンクを脱した。
「ふぅふぅ、疲れた……年末は忙しすぎてイチャイチャする暇もない」
「次で最後ですから、頑張ってください!」
——紅茶店『みどるずぶら』
浅草寺から数本外れた静かな路地に佇む、知る人ぞ知る紅茶の名店。メイドロボのルベールが運営する小さな店だ。まだ雪が残る路地をそろりそろりと歩き、ようやくたどり着いた。大きな荷物を抱えているので、体力を使い果たしてしまった。
夕暮れの赤い光が差し込む店内に入ると、豊かな茶葉の香りが出迎えてくれた。
「黒乃様、メル子さん、いらっしゃいませ」
「あ、えへえへ、ルベールさん、こんにちは」
「例のもの、ありますか!?」
メル子は荷物を下ろすと、カウンターに飛びついた。ルベールは笑顔で、布に巻かれた塊をカウンターの上に置いた。
「ローストビーフ用のお肉です。最高級ですよ」ちらりと布をめくって見せる。
「うひょー!」
「これはよいお肉です!」
二人は瞳を輝かせた。これがあれば、正月はリッチに過ごせるというものだ。ローストビーフはイギリスの伝統的な料理であり、ルベールの得意料理だ。みどるずぶらでは例年ローストビーフの予約販売をしているのだが、メル子はあえて調理前のものを依頼していたのだ。
「よろしいですか? ローストビーフを作る時のコツは、最初に高温でメイラード反応を……」
「大丈夫です! 任せてください!」
「そうですか、では紅茶をお淹れしますね」
二人は店の中に二つだけあるテーブル席に座り、去り行く年に思いを馳せた。サージャの言うとおり、様々なことが起きた一年だった。そして訪れるであろう、新しい年を思った。きっとまた様々なことが起きるに違いない。
「メル子」
「はい」
「今年はありがとうね」
「どういたしまして」
「来年もよろしくね」
「こちらこそよろしくお願いします」
ルベールが紅茶を二杯運んできた。それぞれテーブルの上に置く。そしてその間に一切れのケーキを置いた。
「このバノフィーパイはサービスです。ごゆっくり」
バノフィーパイはイギリス菓子で、ビスケットの土台にバナナとクリームをたっぷりと乗せたものだ。黒乃はそれをつまみ上げると、ひそひそとつぶやいた。
「ちぇ〜、一切れだけじゃん。二つくれればいいのにさ」
「ご主人様! 失礼ですよ! それにルベールさんは気を利かせてくれたのですよ!」
「どういうこと?」
メル子は顔を乗り出し、黒乃が持ったパイにかじりついた。
「うわわ、なにしてんのよ、もう」黒乃も負けじとパイにかじりついた。
「えへへ」
「うふふ」
二人の笑い声が溶け合って一つになった。屋根に積もった雪が溶け、雫となり、川へと流れ、そして母なる海へと還るように。




