第396話 クリスマスです! その三
雪。
クリスマスの浅草の町は雪に覆われた。
天から舞い降りる雪は町を埋め尽くし、雪の妖精が通りを、屋根を闊歩した。人々は彼らを恐れ、敬うかのようにただ、その様子を眺めるだけだ。触れることは許されぬ、異世界からの使者達を……。
「あかん」
「あかんですね」
美しい景色とは裏腹に、東京はちょっとした緊急事態に陥っていた。例年にない長期間に渡る積雪は、電車を止め、飛行機を止め、物流を止めた。かろうじて電気は止まってはいないが、いつそうならないとも限らない。
科学が発達した二十二世紀。いまだ人類は、大自然という神が作りたもうた偉大なるテクノロジーの一端を理解したにすぎないことを、否応なくわからせられた。
「大丈夫かな」
「大丈夫ですかね」
日が落ちてきたようだ。分厚い雲で隠されていたため、今が夕方だということに気がつくのが遅れた。黒乃とメル子は呆然と積もる雪を眺めた。
その一方で、小汚い部屋の床に置かれたミニチュアハウス、プチ小汚い部屋の中は活気で溢れていた。
先日、プチ黒、プチメル子、プッチャが命懸けで取ってきたモミの木の枝に、飾り付けをしているのだ。電飾を巻き、雪を模した綿を刺し、星の型紙をひっかけていく。
概ね完成したところで、プチメル子は誇らしく叫んだ。
「ごしゅじんさまー!」
その言葉に、黒乃とメル子はプチ小汚い部屋を覗き込んだ。見事なクリスマスツリーに仕上がっていた。
「おお〜、こいつらやるな〜」
「えらいですよ! プチメル子!」
メル子はプチメル子を手のひらに乗せて頬擦りをした。
「プチ達はクリスマスを楽しむ気満々だけどさ、私らはどうしようか?」
「ケーキも、チキンもありませんからねえ」
この大雪で物流が滞ってしまい、めぼしいものはなにも手に入らなかったのだ。米やパン、野菜、冷凍肉などはあるものの、クリスマスのご馳走というには物足りない。
二人は陰鬱な気分で外を眺めた。チラホラではあるものの、止まない雪は一種の圧迫感を彼女らに与えた。
「このまま雪が止まなくて、ボロアパートが埋もれたらどうしよう」
「やめてくださいよ」
日が落ちた。
元々薄暗かった空は、地上の光を反射してむしろ明るく見えた。小汚い部屋では、メル子が有り合わせの材料で、なんとかクリスマスらしさを出そうと悪戦苦闘していた。
「いや〜、でもいい匂いだな。なにを作ってるの?」
「『サンコチョ』です。鶏のシチューですよ」
サンコチョは南米各地で食べられている、伝統的なシチューだ。日本でいえば豚汁のようなもので、なんでも入れて煮込むのだ。メル子は冷凍の鶏肉、とうもろこし、おジャガなどを惜しみなくぶち込んだ。
その時、唐突に電灯が消えた。
「ぎゃあ!」
「うわ! 停電だ」
小汚い部屋が暗闇に包まれた。二人は硬直して動けなくなった。
「ご主人様! どこですか!」
「どこって、ここだよ」
「どこですか!?」
「ライトつけて」
「そうでした!」
メル子の両目から猛烈な光が迸った。サーチライトのように光る二つの円が、部屋を駆け巡った。
「ぐわっ! まぶしい!」
メル子はすり足で黒乃に近寄ると、腕にしがみついた。
「ハァハァ、びっくりしました」
「とうとう停電か」
雪明かりが差し込む窓辺に近寄り、外を眺めた。浅草のあらゆる明かりが消え失せていた。
静寂。明かりが消えたことにより、人の存在まで消え失せてしまったかのような静寂。
「なにか……寂しいですね」
「まさか、大都会東京でこんな孤独を味わうとは。もうこの世界には、ご主人様とメル子しかいないんじゃないの」
『俺もいるぜ!』お隣の部屋から林権田の声が聞こえた。
その時、何者かが啜り泣く声が聞こえた。それは地の底の虎虎婆地獄から伸びる、あかぎれた手に掴まれたような恐怖を二人に与えた。
ウワーンですわー……ビエーンですわー……。
「ぎゃあ! なんですか、この声は!?」
「お嬢様たちだね。ちょっと様子を見にいってみようか」
停電によって、なにかトラブルが起きたのかもしれない。心配になった二人は決死の覚悟で部屋を出て階段を下りた。
「おーい、マリー、アン子ー? どうしたのー? 寒い!」
「大丈夫ですか!? 寒いです!」
黒乃は凍える手で扉をノックした。しばらくすると、泣きじゃくるお嬢様たちが扉から現れた。
「あんまりですわー!」
「どうしていつもこうなりますのー!?」
「なになに、どうしたのよもう」
「お二人とも! 寒いですから、うちへきてください!」
マリーの部屋は巨大ベッドが部屋を占拠していて入れないため、黒乃の部屋に二人を招くことにした。
「なんで泣いてるのさ」
「なにが起きましたか?」
真っ暗い部屋で床に座る四人。お嬢様たちはお互いを支え合って泣いていた。その膝の上には手のひらサイズの三頭身ロボ、プチマリとプチアン子が同じように泣いていた。
この二体はクサカリ・インダストリアルが開発したプチドロイドだ。
「今年もクリスマスパーティーが、中止になってしまったのですわー!」
「せっかく準備していたのに、ひどいですわー!」
昨年、お嬢様たちは浅草演芸ホールを借り切ってパーティーを開催した。しかし巨大ロボの乱入により、無惨にも中止になってしまった(146話参照)。
今年こそはと奮起をして挑んだものの、大雪で再び中止。二年連続クリスマス終了のお知らせになってしまったのだった。
「二年連続はあんまりですわー!」
「わたくし達に、なんの恨みがあるんですのー!」
泣きじゃくるお嬢様たちと、プチお嬢様たち。すると膝の上にプチ黒とプチメル子がやってきた。
「お? どうした?」
「ぐすん、なんですの?」
プチメル子はプチマリとプチアン子の頭を懸命に撫でている。しばらくそうしていると、ようやく泣きやんだ。プチ黒はプチマリの手を引っ張ると、プチ小汚い部屋へ向けて歩き出した。
「おお、二人を部屋に招待するつもりだぞ」
四体のプチ達は、真っ暗なプチ小汚い部屋の中へ入った。すると部屋に小さな明かりが灯った。停電した部屋の中に、唯一存在する暖かな光。そして浮かび上がるモミの木の枝。電飾で飾られたそれは、闇に覆われた聖夜を美しく彩った。
「どうして、こんなに小さなおツリーがあるんですのー!?」
「どこで売ってましたのー!?」
「うふふ、これはね、プチ達が自分で取ってきたんだよ」
プチ小汚い部屋は外に持ち出すことを前提に作られているため、バッテリーを内蔵している。ゆえに停電時でも電気が使えるのだ。
プチ達は鮮やかに明滅する小さなツリーをうっとりと眺めた。
すると、プチメル子がプチ小汚い部屋のキッチンに向かった。小さなフライパンをコンロに置き、冷蔵庫から取り出したナノペーストを注いだ。同じように鍋にもナノペーストを入れる。
「クリスマスのお料理を作る気だ! クリスマスパーティーをするつもりだぞ!」
「プチがやるなら私もやらなくては!」
メル子も立ち上がり、暗い中で料理を始めた。すでにサンコチョは完成間近だ。あとは温め直すだけである。幸いガスは止まっていないようだ。
「わたくしも手伝いますのー!」いてもおられずアンテロッテも立ち上がった。
「わたくしはアレを持ってきますのー!」マリーは下の階に下りていった。
俄然クリスマスムードが高まってきた。大雪や停電などに負けてはいられない。
メル子はサンコチョを仕上げた。アンテロッテはバゲットにトマトとハーブとロボピーチーズを乗せ、コンロの火で炙った。プチメル子は必死に小さなフライパンを振っている。
黒乃は布団を引っ張り出した。停電状態のため、空調が効きが悪いのだ。この時代、集合住宅には非常用の電源設備の設置が義務付けられているが、真冬の豪雪に耐えられるほどの性能はない。電灯に電力は回せず、最低限の空調の稼働が精一杯だ。これによって、最悪の事態は回避できてはいるものの、寒いものは寒い。
パーティーの準備を終えた黒乃達は、プチ小汚い部屋を取り囲むようにして、床に座った。背中には布団を羽織り、お互いくっついて暖をとった。床にはサンコチョとブルスケッタを並べた。
「えへへ、とんだクリスマスパーティーになったな」
「本当ですね」
雪が降りしきる空、静まり返った町、暗く寒い部屋。その中で温かい料理と、小さなモミの木を照らす明かり。それだけが心と体を癒す、微笑みの源泉だ。
「おツリー、綺麗ですのー」
「プチ達も喜んでいますのー」
ミニチュアハウスの中で、ツリーを取り囲むようにして座るプチ達。その手にはナノペースト炒めと、ナノペースト煮込みの皿が握られていた。
慎ましいクリスマスパーティーが始まった。サンコチョのスープを啜った。鶏の出汁と野菜の出汁が、コーンによってその甘さを際立たせた。
「うまうまですわー!」
「温まりますわー!」
「えへへ、サンコチョ、三個ちょうだい」
「マリーちゃん、おかわりもありますよ」
続いてブルスケッタを齧った。香ばしいバゲットの歯触りと、溶けたチーズのなめらかさの対比が脳を刺激した。
「うわー、これクリスマスっぽいわー」
「オリーブオイルの香りが、いいアクセントになっています」
「アンテロッテの得意料理でしてよー!」
プチ達も満足げに料理を食べているようだ。
食事が終わると、体が温まり余裕ができてきた。停電の緊張感も薄れ、小さなツリーの醸し出す雰囲気が場を酔わせた。
「ね〜、マリー」黒乃は寝そべってケツをかきながら言った。
「なんですの」
「なんか余興をやってよ〜。クリスマスっぽいやつをさ〜」
「なんでわたくしがやらないといけないんですの」
「お嬢様の言うとおりですの。黒乃様がやりやがれですの」
「尻でタップダンスくらいしか芸持ってないけど……」
マリーは呆れて金髪縦ロールを漁った。そこから出てきたのは、ミニチュアのグランドピアノだった。
「うわわわわ! なにこれ!? ちっちゃいけど、鍵盤がちゃんとある!」
「これもありますのよ」反対の縦ロールから、ミニチュアのバイオリンを取り出した。
「すごいです! 小さいのにしっかりとした作りです!」
それをプチ小汚い部屋のツリーの前に置くと、プチマリはバイオリンを持ち、プチアン子はピアノの椅子に座った。
プチマリが優雅な動作で弓を引いた。ガットが震え、よく乾燥したメープル材の中で増幅し、小汚い部屋の空気を揺らした。それに合わせ、プチアン子が鍵盤を叩いた。
「すげぇ! プロみたいな演奏だ!」
「美しい響きです! ロボコフスキーの花のヘルツ〜ロボの頭叩き割り人形〜ですね!」
「お嬢様はバイオリンのジュニアチャンピオンでしてよー!」
「プチにもしっかり仕込んでありますのよー!」
しばし、プチお嬢様の演奏に酔いしれた。一曲終わると、次はよく知っている定番の曲が始まった。それに合わせて黒乃達は歌った。
ジングルロボ ジングルロボ ずっとジングルロボだ!
ロボにソリを引かせれば どんなに楽しいだろう
ジングルロボ ジングルロボ ずっとジングルロボだ!
ロボにソリを引かせれば どんなに楽しいだろう
雪の中を走る
ロボットのソリに乗って
野原をいくよ
笑って笑って
ロボットのモーター音が鳴り響き
明るい気持ちになって
ソリに乗って歌うのは なんて楽しいんだろう
今夜はロボットの歌を!
ジングルロボ ジングルロボ ずっとジングルロボだ!
ロボにソリを引かせれば どんなに楽しいだろう
ジングルロボ ジングルロボ ずっとジングルロボだ!
ロボにソリを引かせれば どんなに楽しいだろう
可愛いロボットをソリでナンパする曲が、浅草の町に伝播した。雪から雪へ、家から家へ。その歌声は、人が消え去ってしまったかのような浅草の町へと広がっていった。
『俺もいるぜ!』




