第386話 更生します! その二
休日のある日、黒乃とメル子は荒川の河川敷にやってきていた。ほとんど人がこないヨシの林に囲まれたエリアで、黒乃達お気に入りのキャンプサイトだ(勝手にキャンプ地にしているだけだが)。
「えへへ、今日もさくっとザブトニングを楽しんで帰ろうか」
「ですね!」
二人の目的は、ザブトニングという座布団一枚で行う超お気楽極楽のキャンプだ。荷物はポーチ一つ。その中には折りたたみ座布団、焚き火台、固形燃料、食材のみ。
黒乃は座布団を取り出したところで、ある違和感を覚えた。
「ご主人様、今日はなにを作るのでしょうか? 前回はハンバーガーでしたから……あれ?」
メル子はふとご主人様を見た。
「ご主人様? なにをしていますか?」
黒乃は地面に這いつくばって、プルプルと震えていた。それに合わせて丸メガネが小刻みに小さな音を立てた。
「炭が……」
「炭ですか?」
黒乃は地面の小さなかけらを凝視しているようだ。
「炭が落ちているッ!!!」
「本当ですね。誰かここでビービーキューでもしたのでしょうか。我々は炭は使いませんし」
黒乃はゴキブリのように地面を這った。
「キィィィエエエエエエエ!! ここにも落ちているぅぅぅうううう!」
「どうしました!?」
黒乃は河川敷を這い回り、かけらを集めた。
「イヤァアアアアアアア!!! 四つも消し炭が落ちてるのぉぉぉおおおお!」
「落ち着いてください!」
黒乃は息を乱して地面に座り込んだ。
黒乃はなにを怒っているのだろうか。それはもちろん、キャンパーとしての禁忌を犯したことに怒っているのだ。
「絶対にゴミは捨てたらダメでしょぉぉおおおおお!」
「いや、ご主人様。それはもちろんそうですが、消し炭四つで怒りすぎでは……」
「きぃいぇぇぇぇぇぇぇぇいいいいい!!!」
「うるさっ!」
白ティー丸メガネ黒髪おさげの絶叫が荒川に響き渡った。
キャンパーには犯してはならない絶対のルールが存在する。
1、安全第一
2、自然を汚さない
1はキャンプに限らず、どの場面でも共通する真理だ。説明するまでもないだろう。
キャンパーにとって大事なのは2だ。キャンプというものは、自然と一体になって楽しむものなのだ。自然がなくては成り立たない。自然を愛し、自然を守るからキャンプという行為が許されているのだ。
当然ゴミを捨てるのは、最も許されない行為の一つであろう。使った炭や灰は、きっちりと持って帰らなくてはならない。現地に捨てたり、川に流すのは御法度だ。
「誰じゃぁぁああああい! 炭を捨てたのはぁぁああ!」
「いや、わかりませんよ。それより、ザブトニングを楽しみましょうよ」
体から蒸気を立ち昇らせながら河川敷を徘徊する黒乃を、メル子は呆れ顔で見つめた。
「くんくん、この匂いは!」
「猫ですか」
黒乃は枯れたヨシの林をかき分けた。二十二世紀現在、各種法律の整備や環境意識の高まりにより、日本のどこでもゴミを見かけることは少なくなった。河川敷も例外ではなく、実に綺麗なものだ。
しかし黒乃は見つけた。ありうべからざるものを。
「なんじゃあ! これはあああああ!?」
「ええ!?」
黒乃が草むらから拾い上げたもの。それは土鍋であった。
「どうして、こんなものが落ちてるのぉぉおおおお!」
「鍋パーティーでもしましたかね?」
「くんくん!」
「ご主人様! 落ちているものの匂いを嗅ぐのはおやめください!」
「犯人わかったぁぁぁああああ!」
「犯人が!?」
——数日後。
黒乃達は再び河川敷にきていた。ヨシの林の中に身を隠し、様子を窺っている。
「黒乃山、いったいなんだこれは?」
黒乃の隣で文句をたれているのは、褐色肌の美女マヒナ。ベリーショートの黒髪を指で弾いて暇を潰していた。
「マヒナ様はロボット心理学療法士としてのお仕事で忙しいのです。ここでかくれんぼをしている暇はありません」
マヒナに加勢をしたのは褐色肌のメイドロボ、ノエノエだ。ベリーショートの黒髪の隙間から覗く鋭い視線が、矢のように黒乃を射すくめた。
「えへえへ、ノエ子。ちゃんとロボット心理学なんちゃらの仕事もしてもらうからさ」
黒乃達は朝から河川敷に張り込んでいた。十一月の冷たい風が、四人の体を容赦なく打った。
「ご主人様、そろそろ帰りましょうよ。こんなところに誰かがくるわけがないですよ」
「きたぁぁぁぁぁぁぁああ!」
「ええ!?」
河川敷に集団がやってきた。どうやら男子高校生のようだ。皆、体が大きく、脂肪が乗っている。一目見て、単なるチンピラ集団ではないことが窺えた。
それぞれ大きな荷物を抱えていた。食材、炭、炭火台、そして土鍋。
「ああ! ご主人様! 土鍋を持っています! 間違いないです! あの子達が犯人ですよ!」
「ふふふ、調べたとおりだ」
男子高校生達は河川敷に道具を設置し始めた。明らかに鍋パーティーを始めるようだ。
「黒乃山! あいつらなんだな? どうする!? 鉄拳制裁させるか?」
「マヒナ、もう少し待とう」
「なぜだ!? すぐ殴ろう」
「鍋ができあがるのを待つのさ」
「鍋を!?」
男子高校生達は手際よく鍋作りを始めた。炭を起こし、具材を刻み、つみれを作る。ショウガ、ニンニクをすりおろし、各種調味料で出汁の味を整えた。
「黒乃山! なぜ鍋ができあがるのを待つ必要があるんだ!? 腹が減るだろう!」
「あの鍋に秘密があるのさ」
「鍋にだと!?」
仕上げに入ったようだ。ぐつぐつと煮える土鍋から漂うなんとも言えない香りが、河川敷を覆った。この香りは……。
「ご主人様、この香りはひょっとして」
「ふふふ、さすがメル子。気がついたかい」
「黒乃山、どういうことですか?」
メル子もノエノエも、鍋の香りで腹のナノマシンを鳴らした。
「これはちゃんこ鍋です!」メル子は興奮して言った。
「正解。彼らは浅草市立ロボヶ丘高校の相撲部員なんだよ」
「なるほど! どおりでみんなデカくて丸いわけだ。力士なんだな!」
マヒナもようやく合点がいったようだ。黒乃は探偵ロボのシャーロッ九郎に依頼をして、鍋を頼りに調査をしてもらっていたのだ。
「こらこらこらー! お前らー!」その時、黒乃が草むらから立ち上がり、鍋に迫っていった。
「うわっ!? なんだこいつ!?」
「誰だ!?」
「なんか出てきたぞ!?」
「キメェwww」
黒乃は鼻息を荒くして、相撲部員に詰め寄った。呆然とする彼らを仁王立ちで見下ろした。
「貴様らー! ここでなにしとんじゃいー!」
「なんだ、このおっさん!?」
「誰がおっさんじゃい」
「ねーちゃんよー、ここは天下の河川敷だせ。ここで俺らがなにをしようが、俺らの勝手だぜ」
マヒナとノエノエも黒乃の隣に並んだ。メル子は黒乃の後ろにこっそりと隠れた。
「お前ら、ここで鍋パーティーするのは構わないが、ゴミを捨てるのはやめろ」
マヒナの言葉に相撲部員達はたじろいだ。
「捨ててねーよ! 証拠はあるのか!」
「これじゃい!」
黒乃は土鍋を彼らの前に突きつけた。
「それがなんだってんだ。俺らが捨てたとは限らないだろ!」
「私の鼻をナメるなよ。この捨てられた土鍋の匂いと、その鍋の匂いが同じなんじゃい! それが証拠じゃい!」
「猫か、こいつ!?」
「あれ? こいつ、黒乃山じゃね?」
「だったら、なんだってんだ! 捨てたんじゃねえ! ちょっと隠しておいただけだ!」
相撲部員は立ち上がり、黒乃に詰め寄った。一触即発である。
「黒乃山! どうする!? 鉄拳制裁か!?」
「いや、マヒナ。この子達はロボットではなく人間。マヒナの鉄拳制裁は効かない」
「じゃあ、なんで呼んだんだ!?」
「メル子!」
「はい!」メル子は黒乃に黒い帯を手渡した。黒乃はそれを腰に装着すると、バンバンと派手な音を立てて叩いた。
「ぷひゅー! お前らも力士ならば、相撲で取組をするっしゅ」
「上等だー!」
相撲部員達は制服を脱ぎ捨てた。その下からは、マワシいっちょの仕上がった体が現れた。
「ぷふー! ここにおあつらえ向きの土俵があるぽき」
黒乃山はヨシを刈って作った土俵に足を踏み入れた。
「あらかじめご主人様が作っておきました!」
あんこ型の学生が土俵に飛び込んできた。「俺が倒してやる!」
「もきゅー! どんとくるっしゅお!」
学生のぶちかましを真正面から受け止める黒乃山。マワシを取ろうと伸ばしてくる手を押さえ、逆に上手を取った。その勢いで見事な上手投げを放った。
「なんだと!? ふとしが一瞬で!? なら、でかおで勝負だ! いけ!」
次々に学生達が挑んだが、すべて返り討ちにされてしまった。なぜか顔を赤くして、恍惚の表情で地面に転がる学生達。
「なんかこいつら、様子がおかしいぞ。どういうことだ、メル子」マヒナは学生達を見て訝しんだ。
「まあ……ぺったんとはいえ、それなりにキレイめの年上のお姉さんと相撲を取れて、喜んでいるのかと……」
「ませやがって!」
黒乃達と学生達は鍋を囲っていた。彼らは一様に俯き、目を合わせようとしない。
「お前ら、どうして鍋を捨てた?」黒乃が問いかけると、彼らは肩を震わせた。そしてゆっくりとではあるが語り始めた。
「相撲部が……廃部になりそうなんス」
「俺ら弱すぎて……まったく勝てないし……」
「稽古場が茶道部に取られてしまったッス。土俵が茶室になってしまったッス」
「だから不貞腐れて、河原でちゃんこ作ってたッス」
メル子はお玉で出汁をすくうと、一口含んだ。「美味しいです! しっかりと素材の旨みが出汁に出ています。隠し味に……これはオイスターソースですね!」
学生達の目が輝いた。「わかるッスか!?」
その輝きは一瞬にして失せてしまった。
「でも、ちゃんこが上手く作れたって、相撲は強くなれないッス……」
「だから鍋を捨てたってわけか」
黒乃の言葉に全員言葉を詰まらせた。
「そうだ、黒乃山! 相撲なんかやめて、ちゃんこ部を作ればいいんじゃないか? なあ! いいアイディアだろ!」
「さすがマヒナ様、名案です」
「ちょっと、二人は黙ってて」
黒乃に嗜められてうなだれる褐色美女二人。
「黒乃山……俺達どうすれば……」
「いいか、お前ら」
黒乃は立ち上がった。
「悩んでいてもなにも解決はしない。不貞腐れてもなにも起こらない。だったら戦うしかあるまいよ」
相撲部員達は黒乃を見上げた。
「戦う? 誰とッスか?」
「茶道部とだよ」
「茶道部と!?」
河原にざわめきが広がった。
「お前ら、茶道部に追い出されて悔しくないのか?」
「悔しいッス……」
「茶碗より重いものを持ったことがない連中にバカにされて、悔しくないのか!?」
「悔しいッス!」
相撲部員達は立ち上がって黒乃山を取り囲んだ。
「だったら戦え! 茶道部を倒せ!」
「黒乃山!」
「黒乃山!」
「俺らやるッス! 茶道部を倒すッス!」
「アニキ!」
「誰がアニキじゃい」
「黒乃山!」
「貧乳がくせになってきたwww」
「打倒、茶道部!」
「なあ、アタシとノエノエはなにをしに呼ばれたんだ?」
うおー!
相撲部の雄叫びが荒川の水面にさざなみを立てた。
後日、相撲部は茶道部に戦いを挑んだものの返り討ちにされ、完全に廃部。茶道部の隣にちゃんこ部がオープンした。




