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第37話 寿命です!

 仕事を早上がりした午後、黒乃は優雅に紅茶を嗜んでいた。


「メル子、腕上げたね」

「わかりますか」

「そらそうよ。いつも美味しい紅茶をありがとう」


 黒乃は手に持ったティーカップをスッとメル子の方へ揺らした。


「どういたしまして」

「当てようか」

「はい?」

「紅茶の種類、当てようか?」

「なぜ格好をつけているのですか」


 黒乃は紅茶を一口含むと、目を閉じて鼻から息を吸った。このようにして紅茶の香りをより深く味わうのである。十秒ほど時間をかけて舌で苦味、渋みを感じ取る。


「ダージリン……インドはダージリンのファーストフラッシュ……どうかな?」

「すごい! さすがご主人様です」

「フフ」

「正解はリプトンのレモンティーです」


 黒乃は目を閉じたまま動かなくなった。


「知ってた……」

「はい?」

「リプトン、美味しいよね」

「もちろんリプトンは美味しいですけれど」

「いつものクソ高い紅茶はどうしたんだい?」

「もうほとんどなくなりました」


 黒乃がうまいうまいと毎日水のようにがぶ飲みするので、あっという間に茶葉がきれてしまったのだった。黒乃は椅子からドガラッと立ち上がった。


「よし! 今から散歩がてら買いにいこう」

「いきますか」



 二人は浅草の町へ繰り出した。行き先はもちろんルベールの紅茶屋『みどるずぶら』だ。メル子のメイド服をオーダーした洋装店『そりふる堂』の女主人が経営している。場所も真裏だ。

 しかし歩き出したとたん、急に雲が出てきた。


「なんか、雲行きが怪しいな」

「長居せずにささっと帰りましょう」


 いつもより早足で雷門方面へ向かった。町の人々もまた心なしか動きがせわしない。

 紅茶屋『みどるずぶら』の前までやってきた。正面は大きなガラス張りになっており、店の中の温かな光がはっきりと見える。ルベールはカウンターで茶葉を瓶詰めしているようだ。テーブルには派手めの客がひとりお茶を飲んでいる。

 黒乃は扉を開けた。


「あら、お二人ともいらっしゃいませ」

「えへえへ。ルベールさん、お久しぶりです」

「ルベールさん、こんにちは」


 慌ただしい町の雰囲気から一転、ヴィクトリア朝のクラシックなメイド服が二人を落ち着かせてくれた。


「実は茶葉をきらしてしまいまして、えへえへ」

「もうですか? よほどお気に召されたようでなによりです」

「リプトンとの違いもわからないですけれどね!」


 黒乃はメル子の口を塞いで黙らせた。


「またいい茶葉をいくつかお出ししますね」

「お願いします。えへ」


 ルベールは壁に敷き詰められている棚を漁り始めた。


「黒ノ木先輩じゃないですか」


 壁際のテーブル席に座っている女性が声をかけてきた。グレーのスーツに黒いニット、赤みかかったショートヘアにテカテカと真っ赤に輝く唇が悩ましい。


「桃ノ木さん!? なんでここにいるの!?」


 桃ノ木桃智(もものきももち)。黒乃の会社の後輩である。


「先輩がオフィスで紅茶の自慢をするから、私もほしくなったんですよ」


 桃ノ木は紅茶のカップをソーサーに置き、黒乃を横目でじっとり見つめた。


「そんなに自慢したかな。でもこの店のことは言ってなかったよね?」

「先輩の家の近くで、いい紅茶置いているのはここくらいかなって」

「確かにそうだね。あれ? でもなんで私の家を……」


 桃ノ木はスッと立ち上がり、椅子の背にぶら下げていたバッグを肩にかけた。ルベールから紅茶の包みを受け取ると、店の扉を開けた。


「それでは先輩、雨が降りそうなのでお先に失礼しますね。またオフィスで」

「ああ、うん。またね」


 黒乃は手を振って桃ノ木が去るのを見送った。


「むー」

「ん? メル子、どしたの」

「今の人、私の方を一回も見なかったですよ」

「そうなの? ぜんぜん気がつかなかったけど」

「むー」

「なにが不満なのかよくわからんな。てか雨降ってきたわ」


 店の前の路地の石畳がみるみるうちに濡れていく。地面から反射した水滴がガラスに模様を作った。店の中からでも雨音が聞こえてきた。


「おそらくにわか雨でしょう。紅茶を飲んで休んでいかれてはいかがでしょうか」

 

 黒乃はルベールの言葉に甘えることにした。



「うーん、これはインドのダージリンのファーストフラッシュ。とても豊かな香りです」

「さすが黒乃様。お目が高い」

「瓶にそう書いてありますからね!」

「お黙り、メル子」


 茶葉を一通り見繕ってもらい、さらにいくつかの種類を味見させてもらった。生姜が効いたクッキーも添えられている。二人は雨の夕方のひと時を楽しんだ。


「ルベールさん、ご主人はお元気ですか?」

 

 黒乃の言葉でルベールの手の動きが一瞬止まった。しかし何事もなかったかのように茶葉を梱包していく。


「奥様は今、入院中でして……」

「え!?」


 黒乃のティーカップの水面が乱れ滴が跳ねた。


「奥様はどうされたのです? お怪我ですか!?」


 メル子が心配そうに聞いた。


「いえ、数日前に倒れてしまいまして。その時は疲れただけだというので様子を見ていたのですが、やはり苦しそうで……昨日検査のために入院していただいたのです」

「そうですか……」

「私が病院での看護を申し出たのですが、私の方はいいから店を頼みますと」


 メイドロボは医療補助の資格を有しているため、病院で看護師の代わりを務めることができる。


「すぐお戻りになられると思いますので、どうかご心配なく」

「……」

「……」


 二人にはかける言葉が見つからなかった。

 新ロボット法ではすべてのロボットには人間の『マスター』が存在することになっている。ロボットはその歴史上、常にマスターとともにあった。マスターなしに、ロボットは存在し得ないのだ。


 黒乃は思った。マスターを失ったロボットはどうなってしまうのだろう? また新しいマスターを見つけるのだろうか。見つからないロボットは?

 ロボットの寿命は人間より長い。というより、換装できるという性質上、ボディの面では不老不死ともいえる。


 AIの寿命はどうだろうか。AIが発展してから、まだ百年と経っていない。つまりAIの寿命はいまだ統計がほとんど取られていない。

 一部のAIが、思考のデッドロックに陥って復帰できなくなったという例は多数あるが、それは寿命というより、事故のようなものだ。コンピュータウイルスや悪性ナノマシンによる攻撃も、寿命とはみなさないのが自然であろう。

 

 本当の意味で、AIの寿命を見たものはいない。


 黒乃はメル子を見た。メル子は自分がいなくなった後はどうするのだろうか。正直考えたくはない。メル子も黒乃を見つめた。不安の感情がありありと目に浮かんでいる。


「メル子、ちょっとこっちおいで」


 テーブルの向かいに座っているメル子は席を立つと、トコトコと足速に黒乃の前まできて、その股の間に座った。黒乃はメル子の肩越しに腕をまわし、前で手を組んだ。メル子はその手に自分の手を重ねた。


「あら? どうされましたか。そうしていると親子みたいですね。ふふふ」


 二人は恨めしそうな目でルベールを見た。夕立のざあざあとした音が無言の店内に染み入った。


 トゥルルルルン、トゥルルルルン。

 静寂を破るようにベルが鳴り響いた。


「わあ? なになに? どこで電話鳴ってるの?」

「失礼しました。私のスピーカーですね」

「複数のスピーカーを搭載しているロボットを初めて見ました!」

「あ、じゃあ私達帰ります。ご主人によろしく言っておいてください」


 二人は慌てて店の外に飛び出た。雨の勢いが弱まり、微かに空の明るさが戻ってきたように感じた。


「メル子、もう走って帰ろう」

「はい!」


 ルベールは二人を見送ると、電話に応答した。


「はい、はい。そうですか。はい……検査に異常はなし。明日にも退院できますか。はい、ありがとうございます」


 雨が上がり、店の中に夕日が差し込んできた。二人が残していったカップを照らし、紅茶のように赤く染めた。


「ハァハァ。あれ? なんだよ。雨止んだじゃん」

「ウフフ、走り損ですね」


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