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第368話 虫歯です!

「フンフフーン。今日のご飯はタジャリン・コン・ポジョ〜。鶏肉、トマトを煮込みましゅ〜。アホ(ニンニク)とアヒ(唐辛子)で煮込みましゅ〜。アホアホアヒアヒ、フンフフーン」


 十月のすっかり秋めいた夕空に、金髪メイドロボの鼻歌が広がった。部屋にはスパイシーなトマトソースの香り。黒乃はメイドロボの背中を楽しそうに見つめた。

 ふと床に置かれたプチ小汚い部屋を覗き込む。ボロアパートの小汚い部屋を模したそのミニチュアハウスの中には、三体のプチロボットがいた。一体は白ティー丸メガネ黒髪おさげのプチ黒。一体は金髪メイドロボのプチメル子。もう一体はグレーの毛並みが美しい猫のプッチャだ。

 床で寝そべるプッチャをソファ代わりにして寛ぐプチ黒。その視線の先には、鍋でナノペーストを煮込むプチメル子がいた。


 穏やかな秋の夕暮れ。黒乃は感傷に浸っていた。


「もう十月。メル子がうちにきてから一年が経つねえ」

「そうですね、あっという間でちた」


 メル子は鍋から平打ちのパスタを引き上げた。皿に盛り付け、トマトソースをたっぷりとかける。ゴロリとした鶏肉が贅沢なウルグアイの料理、タジャリン・コン・ポジョの完成だ。


「ひょー! 美味そう!」

「さあ、たんとお召し上がりくだちゃい」


 黒乃とメル子はテーブルで向かい合ってパスタを口に運んだ。柔らかい鶏肉の旨みとトマトの酸味が辛さを纏って麺と共に喉を通り抜けた。確かな満足が胃袋の中を満たした。


「あー、一年間毎日メル子の手料理を食べたけど、まったく飽きないね。あと百年は食べたいよ」

「うふふ。百年でも二百年でもお作りしまちゅとも」


 プチ小汚い部屋の中でも晩餐が行われていた。テーブルでナノペースト煮込みをがっつくプチ黒。床でペロペロ舐めるプッチャ。


「そういえば、ご主人様。最近忙しくなにやらされておられるようでしゅが」

「ふふふ、気がついてた?」

「もちろんでちゅよ」


 黒乃はここ数日、ある目的のために走り回っていた。一年に一回の大事な行事だ。


「えへへ、ご主人様。いったいなにをしておられるのでちょうか。えへへ」

「うふふ、内緒だよ。そのうちわかるからね」

「えへへ」

「うふふ」


 もちろんお誕生日パーティーのことである!

 黒乃はメル子のために盛大なパーティーを開こうと画策しているのだ。メル子がボロアパートにきてから、いよいよ一年が経過しようとしている。最初の誕生日がやってくるのだ。


「みんなを集めてすごいパーティーを開くからね」

「え? なんのパーティーでしゅか?」

「いやいや、なんでもないよ。ふふふ」

「あははは」


 テーブルを見ると、メル子の料理が減っていないことに気がついた。黒乃の皿は綺麗さっぱり跡形もない。


「ん? メル子、お腹減ってないの?」

「あ、はい。今日はちょっと、そうでしゅね、はい。あとで食べましゅ」

「ねえ、口どうしたの?」

「どうもしまちぇん」


 黒乃は体を前傾させてメル子を見つめた。さっと顔をそらせるメル子。


「ずっと右頬をおさえてるけど」

「なんでもありましぇんよ。さあ後片付けをしまちょう」


 メル子は立ち上がり、食器を流しにぶちこみ始めた。黒乃は首を捻ってプチ小汚い部屋を覗き込んだ。すると床に寝転がってプルプルと震えるプチメル子が見えた。それを心配そうに撫でるプチ黒とプッチャ。


「あれー? プチメル子の様子もなにかおかしいよ。どうしたんだろ」

「さ、さあ……」

「メル子」

「はい」

「メル子」

「はい」

「こっち向いてメル子」

「……」


 埒が明かないので、黒乃は立ち上がり無理矢理メル子の肩を掴んでこちらを向かせた。


「あーあー」

「ご主人様……」


 メル子の右頬が真っ赤に腫れていた。涙を浮かべて震えるメル子。黒乃が手を伸ばすと、メル子は弾かれたように離れた。


「あらら、どうしちゃったのよそれ」

「なんでもありまふぇん」

「虫歯でしょ」

「虫歯ではありまふぇん。ロボットが虫歯になるわけがないでし」

「絶対に虫歯だよ。ほら見せてごらん」

「いやでしゅ」


 黒乃はメル子の顔を両手で挟み込んだ。メル子も黒乃の腕を掴み全力で逃れようとする。


「ぐぐぐぐ、すごい力だ!」


 黒乃は左右の親指をメル子の口の中に差し込むと無理矢理開かせた。白く綺麗に整った歯があらわになったが、暗くてよく見えない。


「プッチャ! プッチャ、ちょっとこい!」


 プチロボット猫のプッチャが黒乃の体を駆け上ってやってきた。プッチャの目からライトが照射された。それは口内をくまなく照らし、問題の箇所を浮き彫りにした。


「もう見てわかるもん。虫歯だよこれ」

「ばばいびゃず!」


 右下の奥歯が明らかに黒く変色していた。痛々しさを感じるレベルのそれは、見ているだけでも口の中がむずむずしてくるようだ。

 メル子はとうとう観念し、床にへたりこんでしまった。


「どうしてそんなになるまで放っておいたのさ」

「痛いのは気のせいだと思っていまちた」

「そんなわけないでしょ」


 メル子は床に正座をした。黒乃はその前に水が入ったコップをもって座った。


「さ、飲んで落ち着いて」

「恐れ入りまちゅ」 


 メル子は水をちびちびと飲んだ。痛い歯に水がいかないようにしているので、ぎこちがない。


「そもそも、ロボットって虫歯になるの?」

「なりましゅ」


 八又(はちまた)産業製のロボットには、ダマスカスセラミクスというナノテク素材で作られた歯が搭載されている。圧倒的な強靭度を誇る素材ではあるが、歯というのはボディの中でも最も強い圧力がかかる部分でもある。当然摩耗はする。それを補修するために、ロボットの体内にはナノマシンが住んでいるのだ。彼らによって歯や皮膚、髪の毛、骨、筋肉などのあらゆる部品が日々修復されている。

 しかし、ナノマシンも精密なロボットには違いない。時には誤動作を起こすこともある。ナノマシン達は自己修復機能によってお互いを修復し合いながら活動しているのだが、狂ったナノマシンによって間違った修復をされてしまうこともある。そうなると連鎖的に狂ったナノマシンが増殖し、ボディ内で悪さを始めるのだ。このようなナノマシンを悪性ナノマシンと呼ぶ。


「それによって歯がナノマシンに侵食されてちまいまちた。これをロボ虫歯と呼びまし」

「あらら。ところでプチメル子も具合が悪そうなんだけどさ」


 黒乃はプチ小汚い部屋で寝そべるプチメル子を持ち上げた。顔を見るとやはり右頬が腫れていた。


「ねえ、ひょっとしてこっちもロボ虫歯なんじゃないの?」

「……悪性ナノマシンが感染したのかもしれまちぇん」

「なんでよ」

「あまりに可愛くてチュッチュしすぎまちゅた……」


 人間の場合でも、赤ちゃんにキスすることによって、虫歯の原因菌であるミュータンス菌をうつしてしまうので、避けるべきであるという説もある。


「なにやってんの!!」

「……!」


 黒乃の大声がロボ虫歯に響き、悶絶するメル子とプチメル子。


「ああ、ごめんごめん」

「でゅわ、きょの話は終わりということで」


 メル子は立ち上がって洗い物を始めようとした。黒乃はその手をむんずと掴んで引き留めた。


「終わりなわけがないでしょ」

「なにをするおつもりでちゅか」

「歯医者にいこう」

「いきまちぇん」

「いかないとずっと痛いままだよ」

「いきまちぇん」

「ひょっとして歯医者さんが怖いの?」

「怖くないでちゅ」

「じゃあ、なんでいきたくないのよ」

「ドリルで体に穴をあけられたら、死んでしまいまちゅよ!」

「死ぬわけないでしょ」

「人間はそうかもちれませんが、ロボットは死にましゅ!」


 メル子は一晩中駄々をこねまくった。



 ——翌朝。

 顔面蒼白のメイドロボとご主人様は、歯医者に向かって歩いていた。黒乃の手にはプチメル子とプチ黒とプッチャが乗っていた。プルプルと震えるプチメル子の背中をしきりに撫でるプチ黒。プッチャは大欠伸をした。


「メル子、大丈夫?」

「はい、大丈夫でぷ。あ、ご主人様。あそこにUFOが」


 空に向けて指を差したメル子は、次の瞬間ボロアパートに向けて走り出そうとした。それを当然のように予測していた黒乃は、メイド服の帯を掴んで引き留めた。


「観念しなさい」

「どうして歯医者さんにいかなくてはいけないのでちゅか!?」

「いかないと()らないでしょうが」

「直すかどうかは私が決めまちゅ! 新ロボット法により、ロボットには適切に治療を受ける権利も受けない権利もありまちゅ!」

「じゃあ受けよう」


 大騒ぎを繰り広げながら、とうとう病院に到着した。浅草の町の一角にある、いかにも町医者といった風情の小さな病院だ。


「ハァハァ、ブラックジャッ栗太郎先生の病院でぴか」

「浅草一の名医だからねえ。人間、ロボット問わず、あらゆる病気を直してくれるらしいよ。ご主人様も何回かお世話になったし」

「ハァハァ、先生なら信頼できまちゅ。入りましょう」


 病院内に入り、受付をすませる。事前に予約をしていたので、すぐに診療室に呼ばれた。診療室は殺風景で、思ったよりも医療器具は少ない。机、椅子、ベッド、薬品が入った棚。


「はい、こんにちは」


 出迎えたのは黒い白衣を着た、壮年のロボットだ。長い前髪に隠されて表情が読み取りにくい。黒乃とメル子はブラックジャッ栗太郎の前の丸椅子に座った。


「ブラックジャッ栗太郎先生、よろしくお願いします」

「お願いしまちゅ!」

「今日はどうしました?」


 低く落ち着いた声で問いかける。


「プチメル子がロボ虫歯になりまちた!」

「こらこら、メル子もでしょ」


 医療ロボはプチメル子の口をあけてライトで照らした。同じようにメル子の口の中も診察する。


「二人ともロボ虫歯ですね。すぐに直せますよ」

「本当でちゅか!」

「よかった〜」


 黒乃はほっと息を吐いた。


「じゃあ、そこのベッドに横になってください。ドリルで削ってから、ハンターナノマシン入りのダマスカスペーストで埋めます」

「帰りまちゅ!」


 その言葉を聞いた瞬間、メル子は扉から逃げ出そうとした。もちろん黒乃に捕まり、あっさりと連れ戻された。


「やっぱり無理でちゅ! ドリルは無理でちゅ!」

「もう、子供じゃないんだから」

「ゼロ歳児でちゅ!」


 その時、プチメル子がベッドに横になった。涙を流しながら、大きく口をあけた。


「おお! プチメル子がやる気だ!」

「……!?」


 ベッドの上で震えるその手を、プチ黒が握りしめた。プチメル子は親指を立ててみせた。


「すごい! メル子見て! プチメル子が頑張っているよ!」


 ブラックジャッ栗太郎はすかさすドリルでロボ虫歯を削った。ダマスカスペーストを塗布し、あっという間に治療は終わった。

 プチメル子とプチ黒はしっかりと抱き合った。黒乃とメル子、ブラックジャッ栗太郎はその勇気を拍手で称えた。


 そして、一同の視線がメル子に集中した。メル子は目を閉じ、精神を集中させているようだ。皆、黙ってそれを見守った。


「いいですとも! ご主人様、先生! 私やりまちゅ!」


 目を見開き宣言するメル子。その顔からは先ほどまでの怯えは微塵も感じられなかった。


「それを聞きたかった」


 浅草一の名医は速やかに治療を行った。





 すっかり治療を終え、生まれ変わったかのような表情を見せるメイドロボに、黒乃は安堵のため息をついた。


「まったく、一時はどうなることかと思ったよ」

「なにがですか? たかがロボ虫歯ですよ。ちょちょいと治療をしたらいいのですよ。なにを心配することがありますか」

「まったく調子がいいなあ。まあでもこれで、ロボ虫歯で最悪なお誕生日パーティーにならなくてすんだよ」

「はい!」


 黒乃とメル子もしっかりと抱き合った。


「ああ、ところで黒乃さんも虫歯がないか診てみましょうか」


 ブラックジャッ栗太郎がライトを黒乃の口に向けた。


「せっかくだから、診てもらおうかな。まあ生まれて一度も虫歯になんかなったことないんだけどね。あーん」

「あ、一本虫歯がありますね」


 黒乃は診療室のガラス窓をぶち破って浅草の町へと消えた。


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