第364話 秋葉原です!
秋の静かな夜。小汚い部屋の薄暗い灯りの下で、黒乃は懸命にデバイスを操作していた。薄いシートの表面は真っ黒で、八つの小さな円と『コノハナ電子』のロゴが印字されている。
画面にはなにも映っておらず、印字された円からレーザーが照射され、直接眼球に映像を送り込む仕組みだ。その表面に必死に指を這わせた。
「あれ〜? やっぱりだめだなあ」
「ご主人様、故障ですか?」
メル子は洗い物を終えて、黒乃の前に座った。黒乃はデバイスを照射モードから、ディスプレイモードへと切り替え、メル子に画面を見せた。メル子は首を捻らせてそれを覗き込んだ。
「ほら、動作がカクカクしてるよ」
「本当ですね」
「デバイスを酷使しすぎたからなあ」
「色々ありましたからねえ」
黒乃は無念の表情でデバイスを床に置いた。両手を合わせて目を閉じる。メル子もそれに倣った。
「じゃあ明日、秋葉原にいって新しいの買おうか」
「はい!」
——翌日。二人は秋葉原の町を歩いていた。
浅草から秋葉原までは車で十分ちょいである。メル子自慢のキッチンカー『チャーリー号』を駐車場に入れ、町に繰り出した。
「おお、おお、相変わらず人が多いねえ」
「浅草とはまた違った混雑ぶりですね!」
二十二世紀の浅草と秋葉原。ほとんどお隣同士の観光地ではあるが、その雰囲気は大きく異なる。片やレトロな雰囲気の浅草、片やモダンな秋葉原。浅草はそのレトロな景観を保つことに心血を注いできたが、秋葉原は変わることを厭わなかった。
二人はそんな秋葉原の電気街を歩いた。
「なんか綺麗な町になっちゃったなあ」黒乃はしみじみと感じた。
「昔はなんというかこう……怪しいパーツショップとかさ、アンダーグラウンドな雰囲気があったじゃない」
昭和の秋葉原はまさにそれで、戦後の焼け野原から始まった。組み立てラジオが人気になり、露天商が生まれた。テレビ、冷蔵庫、洗濯機の特需により、多くのメーカーが参入してきた。
続いて高度成長期。日本全体が豊かになっていく時代。ありとあらゆるものを買い揃えるために人々は秋葉原に集まった。
そしてパソコンの登場。ここから秋葉原はマニアックな道へと進むこととなる。マルチメディア社会の到来と共に、パソコンと相性がいいオタク文化の普及にも一役買った。
次にきたのは秋葉原再開発。マニアックなオタクの町を払拭するべく、この町は生まれ変わった。ITを活用した次世代のビジネスを創造するべく、その象徴としてUDXが建てられた。
古き良き秋葉原は消滅の危機にあった。そして二十二世紀の秋葉原はどのような変貌を遂げたのであろうか?
「ご主人様はその時代、生まれていませんよね……ご主人様! ここに入りましょうよ!」
メル子は倉庫のような見た目の小汚い店に黒乃を引っ張り込んだ。
「ええ? ここなんの店よ?」
「ネジ屋ですよ!」
メル子が言う通り、店の棚には金属製のネジやボルトが山ほど積まれていた。
「うわー! 見てください! ツマミナットですよ! ヘクサロビュラネジもあります!」
「え? 納豆つまんで屁が臭い? なんのこっちゃ?」
メル子は大喜びでネジを手に取った。キラキラと輝くそれを電灯に照らして眺めている。
「そんなデカいパーツ、メル子のどこに使われているのよ?」
「こんなものがロボットに使われているわけないでしょ!!!」
「うるさっ。もう、お店の中で大声出さないでよ」
「ハァハァ、失礼しました。これは二十一世紀に使われていた古のネジです」
メル子はネジを黒乃に見せた。
「ご覧ください。ネジ穴が星の形をしていますよね?」
「本当だ、だからなにさ」
「宇宙を感じますでしょう?」メル子はうっとりと星を眺めた。
「感じないけど」
結局メル子は数種類のネジと発光ダイオードを購入した。
「発光ダイオードはなにに使うのさ。それも古の技術でしょ?」
発光ダイオード、英語にするとLight Emitting Diode。つまりLEDのことである。
「これは蘭丸君へのプレゼントですよ。最近めいどろぼっちの開発で忙しそうですから」
「メル子は優しいねえ」
二人は再び電気街を散策した。目的のデバイスなど、大手量販店にいけばすぐに手に入るものではあるが、せっかく秋葉原にきたのだ。パーツ屋巡りを楽しみたいではないか。
「お、ここなんてよさそうじゃない?」
黒乃は隣のビルとの隙間が数十センチメートルしかない、うらぶれたビルを指差した。その店先には、ケースに入ったパーツがずらりと陳列されていた。
「ずいぶん小汚いビルですけど、大丈夫でしょうか?」
「こういうところがいいんだよ。掘り出し物があるかもしれないしさ」
薄暗い店内には商品棚が並び、様々なパーツが敷き詰められていた。狭い通路では数人の客がなにやら物色しているようだ。店の奥のガラスディスプレイには、各メーカーのデバイスが並んでいた。
「お、あるある。最新モデルがあるじゃんよ」
黒乃は店主のジャンク屋ロボを呼んでデバイスを見せてもらった。
「ほほー、状態がいいね」
「フォウフォウフォウ、お客さん、それお買い得。中古だけど、一日しか使ってない。フォウフォウフォウ」
「へー、じゃあ安いし、これにしようかな」
黒乃はケツの財布に手を伸ばした。ブリンと勢いよくケツを捻ったため、背後でしゃがんでいた人物の頭部にケツがヒットし、頭から棚に突っ込んでしまった。
「イヤァー! ナンデス!?」
「あ、すんません……ん?」
基板の山に頭を埋もれさせているのは、見た目メカメカしいロボットであった。頭の発光素子が……消えていた。
「あ、FORT蘭丸じゃんよ」
「蘭丸君! 大丈夫ですか!?」
二人はFORT蘭丸を引っ張り起こした。
「イヤァー! ドウして黒ノ木シャチョーがイルの!?」
「こらこら、落ち着け」
「蘭丸君、頭の発光素子が割れていますよ」
どうやら黒乃のケツの一撃で粉砕されてしまったようだ。FORT蘭丸は死んだように店の床に横たわった。
「モウ、おしマイデス……」
「ご安心ください」
メル子は割れた発光素子を引っこ抜くと、先ほど購入した発光ダイオードを代わりにブッ刺した。それは見事に輝きだした。
「女将サン! アリガトウゴザイマス!」
「いえいえ、どういたしまして」
「早速役に立ったな」
FORT蘭丸は勢いよく立ち上がると、肘と膝を同時に曲げ伸ばしした。それに合わせて発光ダイオードが勢いよく明滅した。
「まぶしっ! 相変わらずゲーミング仕様だな、お前は」
「シャチョーはナニしにコンナ店にきたんデスか!?」
「いやね、デバイスが壊れちゃってさ。新しいのを探しているんだよ。新品は高いから中古でさ」
黒乃は手に持った最新のデバイスを手渡して見せた。それを確認したFORT蘭丸は、おもむろにデバイスをカウンターの上に置き、黒乃とメル子を店の外に引っ張りだした。
「なになに、どうしたのよ。あれ買おうかと思ってたのに」
「シャチョー! あれはパチモノデスよ!」
「そうなん!?」
ガワだけ本物で、中身は海外製チップに置き換えられた改造品だ。
「秋葉原デハよくありマス!」
「いや〜、アンダーグラウンドだわ〜」
結局FORT蘭丸行きつけのショップに案内してもらい、訳あり品を格安で手に入れることができた。
「よかった〜、これどこが訳ありなのよ」
「間違エテ、チップを360度回転サセてつけてしまったんデス!」
「へ〜、そうなんだ」
FORT蘭丸と別れた時にはお昼を回っていた。人の波はますます大きくなり、大通りは人で埋め尽くされた。周囲にはステーキ屋、ケバブ屋、そば屋が立ち並ぶ。
二人は腹を鳴らした。
「ご主人様、そろそろお昼にしましょうよ」
「そうだね」
秋葉原での食事。昭和から平成にかけて、秋葉原は食の不毛地帯であった。個人店があるにはあったが、買い物にきたド素人がスッと入れる雰囲気ではなく、有名店はどこも行列、もしくは庶民には厳しい値段をふっかけられた。
再開発と共にその状況は一変。二十二世紀現在では、グルメタウンに変貌を遂げていた。UDXには食事処が詰め込まれ、電気街もチェーン店で溢れた。
「サラリーマンが増えたからね〜。ランチも困らなくなったよね」
「どうしましょう? UDXにいきますか? ロボ島食堂とか、ロボぱりステーキもありますよ!」
「ふふふ。じゃあ、あの店にいこうか」
二人は駅前までやってきた。改札からはひっきりなしに人が溢れ出てくる。この人達はそんなに急いでどこにいくのだろう? 無限に続く行進に、黒乃は目が回った。
「ご主人様、駅なかで食べますか?」
「ううん、駅そとだね。ほら、ここだよ」
改札のすぐ近く。駅ビルのすぐ横に添えられるように佇む小さなお店。一見すると屋台のように見える、吹けば飛ぶようなお店。カウンターと椅子が八個、食券機。吹きざらしで食べている姿が丸見えだ。
頭の上には赤い庇に描かれた『ラーメンろぼず』の文字。観光客はほとんど立ち寄らない、サラリーマン憩いの店だ(いや、戦場かも)。
黒乃とメル子はサラリーマンに紛れて行列に加わった。
「ご主人様、こういう店好きですねえ」
「うん。昭和テイスト大好き」
二人は座席に着いた。カウンターの中ではラーメンロボ二人が、いかめしい顔でラーメンを作っている。ものすごい手際のよさであっという間に丼が到着した。
「うわぁ……」
「ああ……」
ラーメン。
このように表現するしかない、ザ・ラーメン。透き通った濃いめの醤油スープ、チャーシュー、ネギ、多めのメンマのシンプルな構成。これがいわゆる東京ラーメンと呼ばれるものであろうか。
レンゲでスープをすくいすする。醤油の香りと生姜の香りが鼻を突き抜ける。麺はどうだ? ごく普通の麺だ。普通だがスープとの相性が抜群だ。
「なんだこれは?」
「なんでしょう?」
無性に美味い。その理由がわからないが無性に美味いのだ。食べながら『また明日食べにこよう』と思わせる味だ。いつまでも残ってほしい味。おじいさんおばあさんになっても食べにきたい味だ。
「ごちそうさま」
「ごちそうさまです」
二人の前には空になった丼があった。余韻には浸っていられない。食べた者はさっさと去る。それが掟だ。
二人は駐車場に向かって歩いた。
「ご主人様! すごく美味しかったですね! 秋葉原にあんなお店があったなんて知りませんでした!」
喜ぶメル子の目をちらりと見やり、黒乃はフッと息を漏らした。
「いや、もうないよ」
「え!?」
「あの店は再開発の煽りを受けて閉店したんだよ」
「もしかして、妄想ラーメン屋シリーズですか!?」
今はなきラーメン屋。食の砂漠で、確かにサラリーマン達を潤したオアシス。時代の変化と共にオアシスは干上がり、後にはなにが残ったのであろうか?
「おや?」
「あれ?」
駐車場についた二人は、真っ赤なキッチンカーの前に奇妙なものが座っているのに気がついた。
「FORT蘭丸じゃん!」
「蘭丸君! こんなところでなにをしていますか!?」
大量に荷物を抱えたFORT蘭丸は、それを放り出して黒乃の足にすがりついてきた。
「シャチョー!」
「なんだ!?」
「どうしました!?」
「車に乗せてくだサイ! 荷物が多スギて運べまセン! 買いスギて電車代もなくなりまシタ!」
「なにやっとんじゃ!」
我が社員のあまりに情けない姿に憐れみを催した二人は、渋々FORT蘭丸を乗せることにした。
「シャチョー! アリガトウゴザイマス!」
「でもキッチンカーは二人乗りだからな。乗りたいならAIをシャットダウンして、荷物として乗れ」
「イヤァー!」
チャーリー号は秋葉原を後にした。
時代と共に変化する町、秋葉原。あなたはどの時代の秋葉原がお好きだろうか?




