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第32話 ラーメン大好きメル子さんです! その二

「ホントごめん」


 黒乃は謝り倒していた。メル子はプイとそっぽを向き、朝食の洗い物に精を出している。


「あれはホラ、事故だよ。停止スイッチって知らなくてさ」


 先日黒乃は誤ってメル子の緊急停止ボタンを押してしまい、シャットダウンさせてしまったのだ。大慌てでメル子を再起動しようとしたが方法がわからず、一晩中右往左往していた。


 結局、浅草工場の職人ロボであるアイザック・アシモ風太郎に連絡をとり、再起動方法を教えてもらった。その方法とはTM NETWORKの『Get Wild』を熱唱したあとに、緊急停止ボタンがある反対側の耳の中の起動ボタンを押すというものだった。

 これはもちろんアイザック・アシモ風太郎のいたずらで、実際は歌わなくてもご主人様の音声認識をすればいいだけなのだが、黒乃はすっかりそれを信じてしまった。

 黒乃は夜中にもかかわらず『Get Wild』を熱唱、いや絶唱した。これ以降、黒乃はメル子を再起動するたびに『Get Wild』を歌い出すという、わけがわからない状態になってしまった。


「ねえ、メル子許して。ね? 許して」

「……」

「ご主人様が美味しいお店連れていってあげるから。ね?」

「……」

「『アスファルトタイヤを切り付けながら』?」

「……『暗闇走り抜ける』」

「『チープなスリルに身をまかせても』?」

「……『明日におびえていたよ』」


 二人は抱き合って仲直りした!!


※TM NETWORK『Get Wild』1987年 作詞:小室みつ子

より引用


「今日はお詫びに、私がうまいラーメン屋に連れていってあげるからさ」

「本当に美味しいのですか?」

「クソうまだよ」

「きたなっ」


 こうして二人は、ラーメン屋にいくことになったのだった。



 今は休日のお昼。既に浅草は人でごった返しているだろう。しかし今日の目的地はいつもと逆方向、秋葉原だ。浅草からは歩いて三十分で着く。散歩するにはいい距離だ。


「今日はどんなラーメン屋に連れていってくださるのですか?」

家系(いえけい)だよ、家系(いえけい)

「おうちで食べるラーメンですか?」

「違うんだなー」


 浅草を西に歩くとすぐに浅草っぽさは消え失せ、近代的なビルが多くなってくる。道路は広くなり、オフィスビルが立ち並ぶ。まもなく遠くに電気街が見えてきた。いつぞやの家電やコンピュータが隆盛を極めた時代は終わり、オタクの街を経てオフィス街、グルメ街へと変貌を遂げつつある。

 今日は電気街のずっと手前が目的地だ。

 

「着いたよ、メル子」

「ここですか。『壱ロボ家』って書いてありますね」

「そそそ。伝説のラーメン店『吉村家(よしむらや)』から派生した店だよ」


 吉村家は横浜に店舗を構える『家系ラーメン』の元祖であり、総本山と呼ばれている。現在存在するすべての家系ラーメンは、この吉村家を起源としている。家系とはおうちで食べるラーメンという意味ではなく、吉村家の『家』からとられているのだ。


「この前のロボ二郎よりは敷居が高くないから、気軽に食べられるよ」

「楽しみです!」


 二人は暖簾をくぐった。

 店内は明るく清潔感がある。カウンター席が十二席、テーブル席が四つという構成だ。壁には筆で荒々しく書かれた詩が飾ってある。筆書きの割に詩の内容は女々しい。店内ラジオから流れる曲が居心地のよさを演出していた。

 二人はテーブル席に座った。


「ご注文を伺いまぁーす」


 席に着くやいなや、男性の店員がオーダーをとりにきた。ものすごく早い。ここで注文がまだ決まっていないからと一旦送り返すこともできるが、黒乃は躊躇わずオーダーを告げた。


「味玉海苔ラーメンの麺柔らかめ、油多め、味濃いめ。あと半ライス」

「承りましたーあ」

「え!? ちょっとお待ちください。私はまだメニュー表を見てもいないですよ!」

「落ち着きなさい、メル子。ラーメンはご主人様と同じでいいよね?」

「ああ、はい」

「味玉海苔ラーメン二人前いただきましたーあ」

「さらに味をカスタマイズできるんだよ」


 家系ラーメンでカスタマイズできるパラメータは『麺の硬さ』、『味の濃さ』、『油の量』の三種類である。


「えーとえーと。麺硬め、味は普通、油多めでお願いします」

「承りましたーあ」

「半ライスは二つください」黒乃は勝手にオーダーを追加した。

「承りましたーあ」

「ラーメンとご飯の両方を食べるのですか!?」


 オーダーを受け取ると、店員は厨房に下がっていった。


「家系はラーメンとライスを一緒に食べるのが常識なのだ」

「炭水化物と炭水化物がダブってしまっているではないですか」

「それのなにが悪い。関西出身のご主人様をなめるなよ」

「関西出身だったのですね。初めて知りました」

「兵庫県の尼崎だよ」

「はあ、どうりで」

「どういう意味じゃい」


 間もなくすると、店員がライスを運んできた。小ぶりの茶碗にライスがほどよく盛られている。


「お先にライス失礼しまぁーす」

「お、きたきた」


 黒乃はテーブル備え付けの壺を手にとり、中に入っている匙を使って、おろしニンニクを山盛りライスの上に乗せた。さらにその上から醤油をたらりとかける。


「それはどういう儀式なのですか」メル子は青ざめた顔で聞いた。


「なにって、このまま食べるんだけど」


 ニンニク醤油ご飯をヒョイヒョイ口に運ぶ。黒乃はメル子のライスにも山盛りニンニクを乗せた。


「さあ、メル子もいきなよ」

「なに勝手にニンニクを乗せているのですか!?」

「美味しいから」


 メル子は恐る恐るニンニク醤油ご飯を口に運んだ。辛さのあまり悶絶しているようだ。


「よし、おかわりしよっと」

「は?」


 黒乃は茶碗を持って席を立ち、店の角のテーブルに置かれている巨大な炊飯器の前まできた。炊飯器を開けると、ホカホカのライスがこれでもかと湯気を立てている。


「家系はライスおかわり無料の店が多いのだ。これを無限ライスと呼ぶ」

「まだラーメンがきていませんけど!? どれだけライスを食べるのですか!?」


 いよいよラーメンが到着した。麺固めでオーダーしたメル子のラーメンからだ。


「うわー、美味しそうです!」

「そうだろう、そうだろう」

「豚骨醤油なのですね。それになにか独特な香りがします」


 豚骨スープに醤油ダレを加えた茶褐色の濃厚スープである。鶏から抽出した『鶏油(チーユ)』が表面を覆っている。麺は太く、普通より短くカットされているのが特徴だ。また海苔が丼を取り囲む壁のようにそそり立っている。


「海苔が多すぎませんか?」

「海苔をスープに浸してから、ライスを巻いて食べるのだよ」

「どれだけライスを食べさせたいのですか!?」


 メル子はレンゲでスープをすくい、具合を確かめたあと麺をすすった。太麺のもちもちとした食感と濃厚スープが絡まり、脳にガツンとくる衝撃を与えた。


「この麺いいですねえ! すごくしっかりとした歯触りです」

「これ酒井製麺のやつ。真の家系はここの麺使う。ほいニンニク」

「勝手に人のラーメンにニンニクを入れないでください!」


 そうこういっているうちに黒乃のラーメンも到着した。すると黒乃はライスの上にラーメンの具である味玉、海苔、チャーシュー、ネギ、ほうれん草を乗せた。その上からスープをレンゲで注いでいく。さらに壺からおろしニンニク、豆板醤、おろし生姜、胡椒も投入した。

 これが地獄の家系丼である!!!


「これよこれこれ。これが食べたかった」

「なんなのですか、その悪魔のような丼は……」


 黒乃は家系丼をガツガツとかきこむと、再び炊飯器の元へ向かった。どうやらまたライスのおかわりをするようだ。


「へへ……へへ……家系丼、さいこー」

「目がいっちゃっていますね」


 再びライスを平らげると、麺だけになったラーメンスープにおろし生姜を大量に投入した。


「最後は生姜でさっぱりと麺をいく。これがデザート」

「正気とは思えません……」


 とはいえ、二人ともしっかり完食をした。



「いやー、でもなんだかんだで美味しかったです。連れてきてくれて、ありがとうございます!」

「気に入ってくれたようでなにより。じゃあ帰ろう。ヤバい苦しくて動けない……」


 ヨロヨロとする黒乃を支えながら、メル子は店の扉まできた。


「メル子。どうだった?」

「え? いやだから、美味しかったですって」

「ふぅふぅ、今日のご主人様どうだった?」

「え?」

「かっこよかった?」


 メル子はクスクスと笑った。


「なんですかそれ」

「今日はご主人様のかっこいいとこ見せようと頑張った」

「ライスを食べまくるのがかっこいいのですか?」

「うん」


 メル子は少し呆れてしまったが、黒乃は本気のようだ。


「まあ、それなりにかっこよかったですよ」

「ふぅふぅ、そうかそうか」


 背後から店内ラジオのDJが曲を紹介する軽妙な声が聞こえた。


『それでは次のナンバーです。TM NETWORKで「Get Wild」』


 二人は扉を開け秋葉原の街へ飛び出した。


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