第312話 ロボなる宇宙 その十三
アキハバランド機国首都UDXは騒然としていた。
突如現れた国王である美食ロボと、アサクサンドリアから亡命してきたハイデン騎士団。ラジオ大聖堂の前は、一瞬にして戦場と化した。
しかしその戦いも、程なくして終わりを迎えたようだ。
「ぐううう、ばかな……暗黒神ソラリスよ、今こそ加護を……」
ハイデン騎士団の団長ハイデンは、その長い黒髪を床に這わせながら逃げようとした。自慢の磨き抜かれた鎧も、魔剣も、暗黒神の加護も失った。彼女にはもう、すがるものはなにもない。
「ううう……ソラリスよ。私を神の世界へ……お導きください」
ハイデンは震える手を前に伸ばして必死に床を這った。
「さあ、喋ってもらおうか」
丸メガネののっぽがその行く手に立ち塞がった。ハイデンは怯えた表情でその丸メガネの奥に潜む目を見つめた。
「いったい、お前は……お前はなんなんだ!?」
丸メガネが光った。
「ご主人様さ」
ハイデンは力を失い、床に頬をつけた。
——UDX内の町工場。
ここはFORT蘭丸が隠れ潜んでいた場所で、こつこつと戦車を作っていた場所でもある。
ハイデンは腕を後ろで縛られた状態でベッドに座らせられていた。その周りを黒乃、桃ノ木、FORT蘭丸、マッチョメイド、ブータンが取り囲んだ。
「ぐへへへ、尋問の時間だぜぇ」
黒乃は両手の指をイソギンチャクのように動かした。
「くっ、無駄だ。私は暗黒神ソラリスに仕える暗黒巫女。簡単に口を割ると思うな」
「ぐっふっふっふ」
黒乃はハイデンの頭の上に右手を掲げた。人差し指を伸ばす。
「ぐっきょっきょっきょ」
「貴様! なにをするつもりだ!?」
その指先から一粒、水滴が垂れた。それはハイデンの頭頂部のつむじに滴った。
「なんだこれは!? 毒か!? バカめ! 暗黒巫女は毒が効かないジョブ……ぐわああああああ!」
ハイデンはベッドの上で悶絶した。
「ぎゅぽぽぽぽ、気がついたようだな」
「やめろ! ベタベタする! お肌が荒れる!」
黒乃が垂らしたのは、甘辛いタレであった。
「次は背中に垂らしちゃおうかな〜?」
黒乃はハイデンの首筋に指を這わせた。真っ青な顔で大汗を流す女騎士。
「やめろ! やめてくれ! わかった! 話す! 話すからやめてくれ!」
黒乃は問答無用でタレを背中に垂らした。
「ぐあわああああああ!」
「黒乃 あそんでないで はなしきく」
「おっと、そうだった。つい楽しくて」
ベッドの上には昇天したハイデン。黒乃はその隣に座った。
「まず、お前らの目的を聞こうか。ハイデン騎士団はソラリスをばら撒いて、戦争を起こして、なにを企んでいたんだ!?」
ハイデンはニヤリと笑った。
「全ては神の世界へ至るため」
「神の世界ってなんなのかしら? ひょっとして現実世界のことかしら?」
ソラリスに取り憑かれたAIは、現実世界でボディを乗っ取られてしまう。そのようにして現実世界に行くことを『神の世界に至る』と表現しているのではと、桃ノ木は推察した。
「ふふふ、バカめ。まさかお前らは、お前らの住む世界が、神の世界だとでも思い込んでいるのか」
「んん? 違うの? じゃあ神の世界ってどこさ」
「暗黒神ソラリスが住む世界だ!」
一同は顔を見合わせて首を傾げた。
「だから、その世界ってどこよ?」
「ではお前らは、お前らの神が住む世界がどこにあるのか知っているのか?」
「ジャア、結局ドコかわからナイってことデスね!」
「黙れ!」
「ヒィ!」
FORT蘭丸は頭の発光素子を明滅させた。
「じゃあ、戦争を起こした理由は? アキハバランドもウエノピアも、聖都アサクサンドリアを侵攻しようとしていたけど。聖都にはなにがあるの?」
「聖都になにがあるのかだと? はん! 決まっているだろう。巫女サージャだよ!」
「サージャ様が目的なの!?」
巫女サージャ。
聖都アサクサンドリアのサンジャリア大聖堂に鎮座する神の使い。アサクサンドリア教国の元首にして、三つの騎士団を束ねる存在。
「サンジャリア大聖堂は巫女の力の源なのさ。もっとも、肝心の巫女様は大迷宮に消えたがね」
「「!!」」
部屋が静まり返った。とうとう核心に近付いてきたからだ。
黒乃達はそもそも、巫女サージャを探しにタイトバースの世界へとやってきたのだ。タイトバースに囚われたAI達を救えるのはサージャだけだ。
巨大量子サーバによって作られた超AI『神ピッピ』。タイトバースはこの量子サーバ、つまり神ピッピの中に存在する。そして神ピッピに対するアクセス権を持つのは、サージャだけだ。
「大迷宮にサージャ様が……そしてメル子もダンジョンで消息を絶った」
点と点が繋がってきた。全ては大迷宮に至るのだ。
「みんな! 大迷宮へ行こう! ダンジョンでメル子を助けて、サージャ様を見つけて、神ピッピからみんなを救い出そう!」
黒乃はベッドから立ち上がった。
「先輩!」
「シャチョー!」
「アネキ!」
「黒乃」
皆も黒乃を取り囲んだ。
「フフフフ」
ハイデンが不敵に笑った。しかしその瞳には自虐の念が込められている。
「なにワロとんねん」
「お前らでは大迷宮の攻略はできんさ」
「どうしてそう思うのさ」
女騎士は縛られた腕を震わせて叫んだ。
「大迷宮が今どんな状態か、お前らは知らないのさ! ダンジョンの赤竜は……」
暗転。
一瞬の明滅の後にホワイトイン。
「あれ? あれ? あ!」
徐々に明るくなる視界。今度は状況を瞬時に理解できた。手元の開閉スイッチを押すと、目の前のカプセルの蓋が自動で開いた。
「戻ってきた!」
「戻ってきましたのー!」
「なにが起きたのかしら」
黒乃はイマーシブ(没入型)マシンから起き上がった。隣のマリーと桃ノ木も、同様にカプセルから出てきた。
「や〜、お疲れだね〜」
三人を労ったのは、口髭がダンディなマッドサイエンティストロボ、ニコラ・テス乱太郎だ。
「ご主人様!」
心配そうに黒乃の顔を覗き込むのは、黒いメイド服の貧乳メイドロボだ。
「黒乃〜」
赤いサロペットスカートの少女が黒乃に飛びついてきた。
「黒メル子……紅子……」
黒乃はここは現実なのかと訝しんだ。イマーシブゲームは没入度が高すぎる故、長時間のプレイは推奨されない。そして推奨されない理由はもう一つ。
「あれ? 体に力が入らない……」
黒乃は紅子を抱きかかえたまま、床に膝をついてしまった。
「ねえ! どうして現実に戻ってきちゃったの!? 今いいところだったんだけど!?」
黒乃は黒メル子の肩を借りてようやく椅子に座った。
「ご主人様。現実世界でも相当時間が経ちましたので、これ以上のプレイは体が持ちませんよ」
タイトバースと現実世界では、十倍の時間差がある。ゲーム内で何日間も過ごした黒乃達であったが、現実ではただイマーシブマシンに寝転んでいる状態なのだ。
当然、疲労が溜まるし、空腹にもなる。
「そうかそうか。ゲームの中で飯食って腹一杯になってたつもりだったけど、実際はなにも食べてないのか」
「おなかペコペコですのー!」
「おトイレも行きたいわね」
黒乃は焦った。今こうしている間にもタイトバースでは十倍の速さで時間が進んでいる。メル子が待っているのだ。
「だからこそ、今は食べて寝てください。それが近道です」
黒メル子はプレイルームの休憩室に、ずらりと料理を並べた。
「うおお、うおうお」
「ご馳走ですのー!」
「先輩、食べましょう」
三人は黒メル子の手作り料理に飛びついた。熱々の料理を口一杯に頬張る。
「ぐううう、うまい!」
「うまうまですのー!」
「久々のメル子ちゃんのお料理ね」
そう、紛れもないメル子の味だ。黒乃の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「ご主人様……」
黒乃はメイドロボを抱きしめた。黒メル子もご主人様を抱きしめ返した。
「ううう、メル子……メル子……」
黒乃は一瞬、もうタイトバースへ帰らなくてもいいのではないかと錯覚した。メル子はここにいるではないか。
「ご主人様……」
黒メル子はプルプルと震える黒乃の頬を手のひらで挟み、涙を指で拭った。そしてゆっくりと口を開いた。
「ご主人様、必ずメル子を助け出しましょう」
その曇りのない瞳に照らされて、黒乃は顔が熱くなった。再び涙が溢れる。
「もちろんだよ。ご主人様に任せなさい!」
たらふく料理を腹に詰め込んだ後、三人は泥のように眠った。
黒乃は体を揺すられて、目を覚ました。丸メガネをまさぐり、装着する。目の前にいたのは黒髪のショートヘアが爽やかな褐色の美女であった。
「マヒナ!」
「やあ、黒乃山」
黒乃は飛び起きて月の女王に抱きついた。筋肉質の体から生き生きとしたエネルギーが伝わってきた。
「マヒナ〜、来てくれたんだね!」
「ああ、取り敢えずこっちの仕事が終わったからね」
マヒナやマッチョマスターは、現実世界で神ピッピの量子サーバの在処を調べていたのだ。
「仕事が終わったということは、量子サーバを発見できたの?」
マヒナは首を横に振った。
「見つからなかった」
「そうか……」
黒乃は肩を落とした。
量子サーバが見つかれば、タイトバースにログインしなくても、物理的な手段でAI達を解放できるのではないかという期待があったのだ。
「黒乃山」
「んん?」
「量子サーバなど最初から無かったんだ」
「んん!?」
その意味がわからなかったので、黒乃は周囲に助けを求めた。マリーと桃ノ木も既に目を覚ましていたようだ。全員休憩室に集まってきていた。
「黒乃〜、聞いて〜」
ずっと床に座ったままデバイスを操作していたのは、銀髪ムチムチのアメリカ人ルビーだ。
「ルビー、量子サーバが無いってどういうことよ? じゃあ神ピッピはどこにいるのさ? メル子達はどこにいるの?」
ルビーは立ち上がり、ふらふらと歩くとイマーシブマシンにもたれかかった。そのカプセルの中にはFORT蘭丸が寝ている。カプセルの蓋を手で撫でた。
「神ピッピはだーりんの中にいるよ〜」
「え!?」
その言葉に黒乃は目を丸くした。
「どういうこと!?」
「神ピッピはメル子の中にも、アン子の中にもいるよ〜」
「んん!?」
「アンテロッテの中にいるんですのー!?」
ニコラ・テス乱太郎が重々しく口を開いた。
「ズバリ言おうかね〜。神ピッピの正体は、ロボット達の多次元虚像電子頭脳を利用したグリッドコンピューティングだね〜」
「なにそれ!?」
グリッドコンピューティングとは、異なる場所に存在するコンピュータをネットワークを通じてリンクさせ、一つの仮想スーパーコンピュータとして動作させる仕組みである。
この方式であれば、巨大な量子サーバは必要ない。ロボット達の電子頭脳一つ一つが量子コンピュータであり、それらをリンクさせ膨大な演算を行うことができる。
「ロボット達の電子頭脳が、勝手に使われているってこと!? さすがにそんなん気がつくでしょ!?」
「そこが多次元虚像電子頭脳の画期的なところだね〜」
通常、コンピュータはなにかの処理をすればその分リソースを食う。CPU、メモリ、ストレージ。OSは常にそれらを監視し、管理する。
しかし、多次元虚像電子頭脳は『量子重ね合わせ』や『量子もつれ』といった現象を利用して、複数の次元で処理を行えるのだ。
ロボット達のAIが動いている別の次元で、別のなにかを動作させることができる。
「いったいいつの間にこんな仕組みが入り込んでいたんだろうね〜? アインシュ太郎の仕業か、それとも隅田川博士が設計段階で盛り込んだのか」
黒乃は頭を抱えた。話が難しすぎて理解ができない。
「えーと、えーと。つまり、神ピッピを止めたり、ぶっ壊したりとかはできないってこと?」
「神ピッピを止めるには、全世界のロボットを止めなくてはならないね〜。そして、ロボット達がイマーシブマシン無しで、タイトバースに引き摺り込まれた理由もこれだよ〜」
通常タイトバースにログインするには、イマーシブマシンが必要だ。しかし、浅草で動きを停止したロボットの多くは、イマーシブマシンを使っていたわけではない。
その理由は簡単だった。タイトバースはロボット達の頭の中にあったのだから。
「ロボット達の中に、もう一つの宇宙があったんだね〜」
黒乃はその言葉を、自分の中で幾度も反芻した。
「ロボット達の宇宙……ロボなる宇宙」
それは紛れもない、異世界。




