第31話 耳かきしましょう
いつもの夕食後。カモミールティーを飲みながら、黒乃はしきりに耳に小指を突っ込んでかいていた。
「ご主人様、お耳をどうかしましたか?」
「ああ、うん。なんか痒い」
「あまりかかない方がいいですよ。お耳の中はデリケートですので」
「そうだね」
黒乃は紅茶を一口すすり、ふぅと息を吐いた。指を耳の中に突っ込むと、グリグリ回転させた。
「ご主人様、あまりお耳は弄らない方がよろしいかと」
「ああ、そうだった」
黒乃は窓の外に視線をうつした。日もすっかり落ち、浅草の街に灯りが煌めいている。黒乃は耳に指を突っ込んで、グリグリした。
「ご主人様!?」
「わあ! なになに?」
「お耳をグリグリしてはいけません!」
しかし黒乃は痒くてたまらないようだ。痒みに耐えて悶絶している。
「しょうがないですね。私がお耳の掃除をして差し上げます」
「マジで! メイドさんが耳かきってそれ、お金が必要なプレイじゃん!」
「プレイではないです。お耳掃除は本来医療行為なのです」
「どっちにしろお金いるじゃん!」
黒乃はガハハと笑い、メル子はすっかり呆れてしまった。
「私はAI高校メイド科卒で医療補助の資格を持っていますので、今日は医療としてご主人様のお耳掃除をして差し上げます」
「なんだプレイじゃあないのか、残念」
メル子はダンボールで作った収納ボックス(以前作ったダンボール収納からさらに数が増えている)から、いくつかの道具を取り出した。
「へー、そんなんいつの間に揃えたんだろ?」
「『メル・コモ・エスタス』の収益で買ったのですよ」
「おお!」
自分で稼いだお金でご主人様のための道具を揃える。なんてご主人様思いの素晴らしいメイドロボなんだと黒乃は感嘆した。
メル子は道具を床に並べると、自身も床に正座をした。
「さあ、ご主人様。どうぞ」
「おおおお! とうとうメル子の膝枕を味わえるのか」
「変なふうに言わないでください。これは医療行為です」
黒乃は床に尻をつき、頭を倒してメル子の太ももに後頭部を乗せた。メル子の正面に向かってまっすぐ仰向けになる状態である。
「ふわわわわわ、やわらか〜い」
黒乃は後頭部から感じる感触を存分に堪能した。メイド服の袴越しではあるが、太ももの程よいエラスティシティ(弾力性)、レシリエンシー(復元力)、フリクショナル(摩擦力)、ヌクモリティ(温もり)が黒乃を次々と襲い、快楽の渦へと巻き込んでいく。
「あー、このまま十時間眠れるわ」
「ご主人様、問題が発生しました」
「どしたー?」
メル子のIカップの胸が大きすぎて、黒乃の耳が見えないようだ。
「そんな漫画みたいなことあるかい」
「ところがどっこい現実です」
確かに黒乃が目を開けて真上を見ても、メル子の顔は見えなかった。仕方なく頭を膝のほうにずらすことで対処した。
「では最初はお耳のマッサージから始めます」
メル子は乳液を瓶から少量手に出すと、両手を軽くすり合わせた。そのまま黒乃の耳たぶをクニクニと揉みほぐす。
「あわわわわわ、なんじゃこれ、気持ちえー」
メル子の小さくて柔らかい手のひらが耳たぶをこねるたびに、乳液がクチュクチュ音を立て、それがさらなるリラックス効果を生み出す。黒乃の体から緊張が消え、脱力状態になったようだ。
「ではお耳の中をお掃除しますので、左側を向いてください」
「ふぁい〜」
黒乃は体を真横に倒した。右の耳が上向になる。頬が太ももに触れることで、また新たな感触が黒乃を包み込む。
「オイルでお耳の中を柔らかくしますね」
あらかじめ湯で温めておいたカメリアオイルの瓶の蓋を開け、耳の中に垂らしていく。
「あったかくていい感じだわ〜」
オイルが浸透するまで数分かかる。その間メル子は再び乳液を使い、黒乃の手を揉みほぐしていく。
「メル子の手ってちっちゃいなあ」
「ご主人様の手は大きくて細いですね。でも爪のお手入れはした方がよろしいかと」
「でへへ、面目ない」
いよいよ耳かき棒を使った中の掃除である。竹製の耳かきをそっと穴に挿入する。
「痛くしないでね」
「お任せください」
耳の入り口付近から優しくかいていく。ザリザリという音が耳の中で反響して、頭蓋骨に直接振動を与えた。
「この音ってなぜか落ち着くよね。なんでだろうね」
「母の胎内の音と似ているから、という説もあります」
耳かき棒は入り口付近から、徐々に奥へと進んでいった。
「奥の方が見えにくいので、ライトをつけますね」
そう言うとメル子の目から光が照射され、耳の中を明るくした。
「それ攻撃用じゃなかったんだ」
「メイドロボは兵器ではありませんよ」
その後も耳の内壁をかきながら耳かき棒は奥へと進んでいく。ある地点に到達したところでメル子は気がついた。
「あ、ここにかさぶたがありますね」
かさぶたをつんつんつついてみる。
「うわわ、ゴソゴソいってる! 大物がいる!」
「これが痒みの原因ですね。お耳をかきすぎたのですよ」
耳かき棒を使って慎重に、優しくかさぶたを剥がしていく。そしてついに、かさぶたがバリバリと音を立てて剥がれた。
「うわー! すごい大きいの取れたでしょ! 十センチくらいあるやつ!」
「いえ、四ミリほどです」
「ああ、そう」
メル子はかさぶたを剥がした部分に、炎症を抑える薬を綿棒で塗りつけた。これで痒みは治るだろう。
「さあ、最後の仕上げですよ」
メル子は黒乃の耳に唇を近づけると、フゥと息を吹きかけた。
「あわわわわわわわ、ゾクゾクするぅ〜」
「では反対側のお耳に参りましょうか。ご主人様、180度回転してください」
しかし黒乃は下向きに90度回転して停止した。
「ご主人様、もう90度回転してください。なぜ下回りで回転しているのですか。人の股間に顔を埋めないでください。スゥースゥーするのもダメです! ご主人様!」
耳たぶを思い切り引っ張られて、しぶしぶ90度回転した。
左の耳も同じ作業を繰り返して耳掃除は完了した。
「お疲れ様です。終わりましたよ、ご主人様」
「あ〜、なんだこれ。気持ちよすぎて腰が抜けた。体が動かない」
「リラックスをしすぎましたかね」
しばらくしてからようやく上体を起こした。まだ夢うつつといった具合だ。
「こんなに気持ちいいなら、毎日お願いしようかな」
「メイドポイントを全部使いましたので、また貯まるまでは無理ですよ」
「やっぱり有料かい!」
黒乃は大きく伸びをしてから、メル子が使っていた耳かき棒を手に取った。
「よしじゃあ次は、ご主人様が耳掃除してあげるよ」
「え!?」
「さささ、私の膝枕を味わって」
「いやいいです。いらないです」
「なんでなんで、遠慮せずに」
「本当に結構です!」
結局激しい押しに負けて、メル子は黒乃の太ももに頭を乗せた。
「どうよー? ご主人様の膝枕は」
「結構広いですね。割と硬めです」
「うっ、肉付きが悪いからな。まあいい、始めよう。最初はなんだっけ? あー、乳液か」
黒乃が乳液の瓶の蓋を開けると、中から乳液がボトッとメル子の顔面に垂れた。
「ぶぇっ」
「ああ、ごめんごめん。どうしよう。まあいいや」
そのまま垂れた乳液をメル子の顔全体に塗りたくった。
「ええと、次は? そうだカメリアオイルを穴に塗り込むんだった」
オイルをメル子の耳穴に垂らす。しかし量が多すぎて溢れてきてしまった。
「オイルが溢れています! 目に! 目に入りました!」
「やべ」
黒乃はオイルが溢れるのを止めようと、メル子の穴に指を突っ込んだ。
「やべ、余計溢れるわ」
黒乃はジュッポジュッポ指を出し入れした。
「ジュッポジュッポしないでください!」
「さあ、いよいよ耳かき棒の出番だ」
「痛くしないでくださいよ!」
「任せとけ」
黒乃は優しくメル子の耳を掃除していく。
「具合はどうだい?」
「うーん……まあいい感じです」
メル子はようやく少しリラックスしてきたようだ。ふと耳の奥の方を見ると、なにやら丸いリング状の刻印が見えた。
「なんだこの丸いのは? かさぶたかな?」
「あ、それはダメです! 触ってはいけません!」
「どれどれ。かさぶたを剥がしてあげよう」
「ダメです!」
黒乃は丸い部分を耳かき棒で突っついた。慌ててメル子がやめさせようとするが、既に遅かった。キュイーンという音とともにメル子の体から力が抜け、まったく動かなくなってしまった。
「あれ? メル子どした?」
動かなくなったメル子をゆさゆさと揺する。しかしメル子はピクリともしない。
実は耳の中の刻印はロボットの緊急停止ボタンで、黒乃はそれを押してしまったのだった!
「メル子? メル子ォォォォ!!!!」
陰キャ女の絶叫が浅草の秋の夜にこだました。