第287話 好き嫌いを治します!
仕事終わりの小汚い部屋。今日はいつもと違い一段と賑やかな食卓となった。
「オーホホホホ! たまには天ぷらパーティもよろしくてよー!」
「オーホホホホ! お嬢様ー! ブロッコ天が揚がりましたわよー!」
食卓を囲む黒乃、メル子、マリー、紅子。キッチンで天ぷらを揚げるアンテロッテ。
「天ぷらすき〜」
赤いサロペットスカートに白いシャツの癖っ毛の少女は、箸を不器用に握りしめて天ぷらをつついた。
「紅子ちゃん、熱いのでフーフーしてさしあげます」
メル子は箸に刺さったブロッコ天に息を吹きかけた。白い細かな結晶が天ぷらを通り抜けて紅子の前髪を揺らした。
「つめたい〜」
八又産業のロボットに搭載された八色ブレスの一つ、フリージングブレスである。
「ふふふ、二人とも親娘みたいだなあ」
金髪メイドロボとくるくる癖っ毛の少女。黒乃はその様子をにやけ顔で眺めた。
「紅子ちゃんはご主人様の娘ですよ」メル子は少し頬を膨らませて反論した。
「黒乃さん、いつの間にこんなに大きな娘をお産みになったのかしらー!?」
「可愛らしすぎてとても黒乃様の娘とは思えませんわー!」
「「オーホホホホ!」」
口を揃えて小馬鹿にしてくるお嬢様たちに黒乃も鼻息を荒くした。
「なんでやねん!」
アンテロッテが次々と天ぷらを揚げていく。油が跳ねる音が耳に心地いい。エビ、イカ、アスパラ、カボチャ、椎茸。見事な揚がり具合だ。
「さあ、たんと食べてくだしゃらりらりませー!」
紅子の入学祝いにお嬢様たちがパーティを開いてくれたのだ。下の部屋は巨大なベッドが占拠していて大勢は入れないので、黒乃の部屋に料理を作りにきてくれたのだ。
「紅子ちゃんは天ぷらが好きなのですね!」
「天ぷらすき〜」
紅子は美味しそうに天ぷらを食べている。どうやら彼女は日本の伝統的な食べ物が好物のようだ。
一同はアンテロッテの天ぷらを大喜びで口に運んだ。
「うまうま。アン子は和食もいけるんだなぁ」
「当然ですわー!」
身が弾けそうなエビ天に、藻塩を振りかけてかじりつく。香り高い塩気に誘われて、エビが口の中で踊り出した。
椎茸天は天つゆでいただく。大地にそそり立つ巨木の下で、天つゆの雨をしのぐ。天ぷらの雨宿りだ!
「いくら食べてもまったく胃もたれしないな。不思議」
「いい油を使っているのですか?」
マリーとアンテロッテはニヤリと笑った。テーブルにドスンと大きなボトルを置いた。
「最高級の椿油ですわー!」
「椿油は黄金色に輝く希少な油で、これで揚げた天ぷらは『金ぷら』と呼ばれているのですわー!」
「あ、そう。うめうめ」
手の止まらない黒乃だったが、ふとあることに気がついた。
「メル子」
「はい」
「ごぼ天、食べなさいよ」
「はい」
メル子の皿にはごぼうの天ぷらが残されたままになっていた。メル子は箸を持つと、大皿の春菊天をつまんだ。
「ご主人様! 春菊天がパリパリですよ!」
「紅生姜天も最高ですのー!」
「メル子〜、れんこんちょうだい〜」
メル子は嬉しそうにれんこん天を紅子の皿に乗せた。
「メル子」
「はい」
「ごぼ天、食べようか」
「はい」
メル子は箸を伸ばして大皿からナス天を自分の皿に乗せた。
「メル子」
「はい」
「今こっそり自分のごぼ天を紅子の皿によけたでしょ」
「していません」
小汚い部屋が静まり返った。視線がメル子に集中する。
「メル子」
「はい」
「ごぼ天を食べなさい」
「いやです」
「……」
「……」
紅子は自分の皿のごぼ天をメル子の皿に戻した。
「紅子ちゃん、好き嫌いはいけませんよ」
「それはメル子でしょ」
メル子は目を閉じた。一回息を大きく吐いてから、吸い込んだ。
「お言葉ですがご主人様」
「なによ」
「ごぼうはロボットが食べるものではありません」
「なんでよ」
「これは食べ物ではなくて、『棒』です」
「いや、食べ物だよ」
「よしんば食べられるとしても、木の根っこです。どうして木の根っこを食べる必要があるのでしょうか? 世の中にはもっと美味しいものがいくらでもあるはずです」
「ごぼう農家さんに失礼でしょうが」
みかねたアンテロッテが助け舟を出した。
「メル子さん。ごぼうは水溶性食物繊維とオリゴ糖が含まれていて、とても腸にいいのですわ」
「アンテロッテのごぼ天は隠し包丁がいれられていて、とても食べやすいのですわよ」
「メル子〜、ごぼ天たべる〜」
皆口々に促した。しかしメル子は横を向いたまま聞こえないふりをした。
「メル子」
「……」
「メル子」
「……」
「とうとう知らんぷりを始めましたの」
「頑固ですの」
紅子は指でごぼ天をつまむと、メル子の口に押し当てた。
「ぎゃあ! 紅子ちゃん! なにをしますか!」
「メル子〜、たべる〜」
「いやです!」
メル子の顔は真っ青になっていた。プルプルと体を震わせ、全身で拒否を表現していた。
「どうしてそんなにごぼうが嫌いなのさ。別にアレルギーってわけでもないんでしょ?」
「棒だから嫌いなだけです!」
「時々割り箸食べてるくせに」
「割り箸は加工食品です。これは未加工品です!」
黒乃は立ち上がり、メル子の隣の椅子に座った。メル子の首に腕を回した。
「ご主人様、なにをするおつもりですか?」
黒乃はメル子の頭を自分の腋の下に抱えると、動けないように固定した。
「ぎゃあ! やめてください!」
「食べなさい!」
「なぜそこまでして無理に食べさせようとするのですか! ロボットには人権があります! 自分の好きなものを食べて、嫌いなものは食べない権利があります! ロボット裁判所に訴えますよ!」
「お黙りなさい」
「イタタタ! わかりました! 食べます! 食べるので無理矢理はやめてください!」
ようやく黒乃はメイドロボを解放した。息を切らして汗を滝のように流すその姿に、一同は憐憫の情を催した。
「ハァハァ、食べます。食べればいいのですよね!?」
「そうだよ」
「この棒を!」
「棒ではないけど」
ゆっくりとごぼ天に震える手を伸ばすメル子。
「メル子、がんばれですのー!」
「怖くありませんのよー!」
「おいしいから〜」
メル子は鼻を近づけてごぼ天の匂いを嗅いだ。
「ヴォエ」
「こらこら」
「土の匂いがします……これは本当に食べ物ですか?」
「食べられないものを天ぷらにするわけないでしょ」
「ヴォエ」
メル子は口を大きく開けた。綺麗に並んだ歯の間を赤い舌が暴れ回っている。
「ご主人様」
「なによ」
「食べたらご褒美をください。ご褒美があるなら食べられます」
「なにが欲しいのよ」
「最高級ボディに換装してください!」
「一億もするのに買えるわけないでしょ」
「じゃあ食べません!」
メル子はごぼ天を皿に置いた。
「わがままだなあ」
「どうしてそこまでして食べさせようとするのですか! 人には食べられないものがある! それでいいではないですか!」
黒乃は腕を組んでメル子を見据えた。メル子は憔悴して、目が血走っている。
「黒ノ木家では好き嫌いは許されないんだよ。全ての食べ物に感謝して、美味しくいただく。それが命に対する人間の責任なんだ。メル子も黒ノ木家の一員なんだから、その教えにならって欲しいんだよ」
「立派ですの」
「さすがですの」
メル子は紅子を見た。少女の邪念のない瞳には狼狽するメイドロボが映っていた。
「メル子〜、むりしない〜」
その言葉を聞いてメル子の背筋に電流が走った。こんな幼い子にまで心配されてしまっている。今の自分の姿はどれほど情けないものであろうか。
自分はメイドロボだ。どんな時でも冷静に、優雅に物事をこなす。それがメイドのあるべき姿だ。
「ハァハァ、そうです。私はご主人様のメイドロボです。世界一のメイドロボです。棒ごときに負けるはずがありません」
「棒ではないけどね」
メル子は覚悟を決めた。素手で棒を握りしめた。天つゆの海に潜らせて、口の中に放り込んだ。
「食べた!」
「食べましたの!」
メル子はハムスターのように頬を膨らませてごぼ天を咀嚼した。目から涙がこぼれ落ちる。
「泣いた!」
「メル子〜、がんばる〜」
ごぼ天を飲み込んだ。小さな鼻から鼻水が垂れた。プルプルと震える手で勝利のサムズアップを決めた。
「やった!」
「やりましたのー!」
「おめでとうですのー!」
「すごい〜」
小汚い部屋は勝利の拍手で満たされた。
「ハァハァ、どんなものですか。私だってやる時はやりますよ!」
「いや、お見事」
「さすがメル子ですの」
アンテロッテは涙と鼻水とよだれでデロデロになったメル子の顔をタオルで拭った。ようやく落ち着きを取り戻したメル子は黒乃の皿を眺めて言った。
「あれ? ご主人様。その舞茸天は食べないのですか?」
次の瞬間、黒乃は窓を突き破って小汚い部屋から飛び出した。四人は唖然と夜の浅草の町へと逃亡する白ティーを見送った。
「……紅子ちゃん、人間ああなったらおしまいですよ」
「黒乃〜、クズ〜」




