第270話 キッチンカーです! その四
兵庫県尼崎市。その工場地帯の一角に黒ノ木邸はあった。なんの変哲もない家屋から大きな笑い声が聞こえてきた。
「わぁぁあ! すごい! メル子とマリ助とアンキモがうちにいる!」大騒ぎをする黒ノ木家四女鏡乃。
「うおうおうお。金髪パラダイスじゃあ〜」サード紫乃はド派手な三人組の存在に悶えているようだ。
「お邪魔しますのー!」
「お庶民のおうちですのー!」
金髪縦ロールの少女とメイドロボは一般的な日本の家庭の雰囲気を存分に味わっているようだ。
「メル子さん! 今度は私がご馳走しますからね!」黒ノ木家次女の黄乃は鼻息を荒くして台所へと引っ込んでいった。
尼崎の森中央緑地での営業の後、一行は黒ノ木家へとやってきた。今日はここで一泊することになる。キッチンカーは父の丸メガネ工場の駐車場に停めてきた。
「黄乃ちゃん、私も手伝いますよ」
「ええから、ええから! メルちゃんは営業でがんばったんやから、今日は休んどきー!」
母黒子はそう言うと大量の食材を抱えて台所に向かった。
「ぐふふ。メル子、こっちこっち」紫乃に押されてメル子は居間のソファーに座った。そのどさくさに紛れてこっそりとお乳を揉まれた。
居間では父黒太郎と黒乃が寛いでいた。黒太郎はワイングラスにミネラルウォーターを注ぎ、ちびちびと飲んでいる。その手にはクルミが二個握られていた。黒乃はソファーに横になりケツをかいている。
「メル子さん、立派なキッチンカーだったね」
「お父様! ありがとうございます!」
「自分の城を持つということは思った以上に大変なものだ。よくがんばったね」
「お父様……!」
メル子は瞳を潤ませて感激した。黒乃はそのやり取りをケツをかいて眺めた。
「マリ助とアンキモはこっちこっち!」
鏡乃は二人を押して和室の畳に座らせた。和室には季節外れのコタツが設置されていた。鏡乃が居眠りする用だ。そのコタツの中にロボット猫が滑り込んだ。
「ニャー」
「おコタは初めてでございますわー!」
「今こっそりお乳を揉まれましたわー!」
コタツの上には二体のプチロボットが並んで寝ていた。プチ達は連日の移動でお疲れのようだ。
皆思い思いに黒ノ木家での団欒を楽しんだ。
日が暮れて夕食の準備が整った頃に来客があった。
「シューちゃん、いらっしゃい!」鏡乃は玄関へ走ってお客さんを出迎えた。
「ミラちゃん、こんばんは」
訪れたのは鏡乃の同級生である桃ノ木朱華だ。鏡乃のお嫁さん候補でもある。非常に小柄だが、赤みがかったショートボブと厚い唇のおかげで、大人びた雰囲気を持っている。ダボダボのピンクのパーカーにより、少女らしさも醸し出されている。
「おー、朱華ちゃん。いらっしゃい」
「黒乃さん、お姉ちゃんがお世話になっています」
出迎えた黒乃に朱華は丁寧に挨拶をした。彼女の姉はゲームスタジオ・クロノスの社員である桃ノ木桃智だ。
「シューちゃん! 今日はね、みんな来てるから! すごいでしょ!」
「ミラちゃん、すごかー」
黒ノ木一家六人、メル子、お嬢様二人、朱華、チャーリー、プチ二体の大人数での夕食が始まった。
「さあ、皆さん! 私と母ちゃんでご馳走を作りましたよ!」
「たんと食べてなー!」
「うひょー! 久しぶりの実家飯だぁ!」
「美味しそうです!」
「お好み焼きとたこ焼きですわー!」
「関西っぽいですわー!」
「ハッハッハ、さすが母さんと黄乃だ」
「ぐふふ、メル子〜。あーんしてー」
「自分で食べられますよ!」
「ミラちゃん、あーんして」
「あーん」
「うまうまですわー!」
「お嬢様ー! この肉うどん、うどんが入っていませんわー!」
「アン子さん、それは肉吸いです」
「ハッハッハ、メル子さん。食べているかね」
「はい! 串カツが最高です!」
「メル子ぉぉ! 今二度漬けしたでしょぉぉぉ!」
「三度目です」
「ぐふふ。メル子なら何回漬けてもいいよ」
「マリ助は普段なに食べてるの!?」
「アンテロッテの手作りおフランス料理ですわよ」
「当然ですわ」
「毎日フランス料理なんて、すごかー」
「鏡乃、アンタまたレンコン抜いとるやないの」
「だって穴が開いてるんだもん」
「皆さん、まだまだおかわりありますからね!」
「メル子ぉぉぉぉお!」
「なんですか!?」
「呼んでみただけぇぇぇえ!」
「ニャー」
こうして黒ノ木邸での賑やかな夜が過ぎていった。
——朝。
まだ工場も稼働していない静かな尼崎の町。その静かな一角に真っ赤なキッチンカーと、ド派手な金ピカのキッチントレーラーが並んでいた。
「じゃあみんな、クロちゃんいくからね」
「黒ネエ!」
「黒ネエ〜」
「クロちゃん!」
黒乃は妹達を順に抱きしめると、赤いキッチンカーの助手席に乗り込んだ。
「黒乃、メル子さん。旅の無事を祈るよ」
「ちゃんとご飯食べるんやでー」
キッチンカーは進み出した。
「皆さん! 行ってまいります!」メル子は運転席から別れの言葉を告げた。
プチメル子は窓に張り付いて手を振った。プチ黒はダッシュボードの上に寝そべりケツをかいた。
その後ろにキッチントレーラー『お嬢様号』が続く。
「オーホホホホ! 皆様ごきげんようですわー!」
「オーホホホホ! 楽しかったですわー!」
「マリ助ー! アンキモー! またねー!」
走り去るキッチンカーを皆で手を振って見送った。
「ご主人様! 次はいよいよ四国ですね!」
「ロボットの聖地四国! 一度は来てみたかった!」
二台のキッチンカーは明石海峡大橋に飛び乗った。
——四国。
日本列島を構成する主要四島の一つ。徳島県、香川県、愛媛県、高知県の四県を擁する。
日本のロボット史においてはロボットの聖地と呼ばれることもある。
その聖地をキッチンカーは走っていた。
2060年代に起こったロボット達の反乱。人権を求める彼らは、四国を拠点にして戦った。四国にロボット製造工場を作り、それが後の『八又産業』や『クサカリ・インダストリアル』になったのだ。
これらの工場は元々は島根県出雲市に本社を構える『イズモ研究所』の事業所であったのだが、クーデターを機に独立することになった。
「ご主人様! 実は私、四国の出身なのですよ!」
「ええ!? そうなの!?」
メル子のボディが製造されたのは八又産業の浅草工場であるが、AIが生まれたのはここ四国なのである。
四国には政府が管理するコンピュータ施設があり、全てのAIはこの中で生まれる。新ロボット法により独自のAIを作ることは禁止されているので、日本産のAIは全て四国出身と言えなくもない。
黒乃達とお嬢様たちは一旦ここで別れることになった。それぞれの本社工場へ赴くためだ。特にお嬢様号は風呂が壊れて浸水してしまったので、点検と整備が必要である。
メル子が運転するキッチンカーは山の中を進んだ。トラックがひっきりなしに狭い国道を往来している。前後をトラックに挟まれ視界が悪い中、木々の隙間から赤い壁が見えた。
「おー、見えた見えた」
「大きいです!」
八又産業四国本社。
世界最大規模のロボット製造工場。巨大な煙突、巨大なクレーン、巨大なタンク。森の中に見え隠れするその赤い姿は、神話に登場する古の竜の姿を彷彿とさせた。
工場の敷地内へと続く赤いトンネルに入る。それはぽっかりと開いた竜の口へ飛び込むかの如き恐れを二人に与えた。
トンネルを抜け無駄にだだっ広い駐車場に車を停めると、建物の中から一人のロボットが歩いてくるのが見えた。
「オ二人トモ、オ待チシテ、オリマシタ。私ガ工場長ノ、アーサー・C・クラー蔵之介デス」
「クラー蔵之介!? 語呂わるっ!」
「先生、初めまして! よろしくお願いします!」
「兄弟ノ、アイザック・アシモ風太郎カラ、話ハ聞イテイマス。今日ハ、オ二人ヲ、徹底的ニ、メンテナンス、イタシマス」
二人はクラー蔵之介に連れられて工場を歩いた。その桁が違う巨大さに二人は圧倒された。古い工場だが内部は最新の機材で溢れ、SFの世界に紛れ込んだと錯覚してしまうほどだ。工場内で働く人間やロボット。まるで未来人のようだ。
「ほえ〜、ここが世界一の生産量を誇る工場か〜」
「日本のロボット産業は世界のシェア五割を占めますから! その中でもここはナンバーワンです!」
工場の中には生産設備はもちろん、ロボットの病院や学校、保養所、飲食店や各種商業施設が備えられている。ここは一つの町だ。
「なんかドキドキしてきた」
「まさにSFの世界です!」
二人はメンテナンスルームに連れられてきた。ここでメル子は高精細な整備を受けることになる。
「ここは全ロボット憧れの最新メンテナンス施設です! ここでメンテナンスをするとボディがまるで新品のように生まれ変わるそうです!」
「ほえ〜」
メル子は元気よく検査ルームに入っていった。
「黒乃サンモ、検査ヲ、行イマス」
「え? 私も? 私はいいでしょ」
「アイザック・アシモ風太郎カラ、検査リストガ、届イテイマス」
黒乃はそのリストを受け取って目を通した。
「なになに? 動物ロボとの会話能力、大相撲パワー、メイドロボの更生能力、寄生したソラリス、封印されたオサゲパス、聖遺物オサゲカリバー、マスター観測者権限、無駄な生命力、無駄な行動力、無駄にデカいケツ、その他。なんのこっちゃさっぱりわからんな。これを検査するの?」
「ハイ。必ズ、コレラノ謎ヲ、解キ明カシテ、ミセマス!」
黒乃もメル子に続き検査ルームへと入っていった。
二時間後、二人は検査ルームから現れた。
メル子は顔を上気させ、夢見心地で歩いている。
「あ〜、気持ちよかったです。まさに生まれ変わった気分です。お肌がかつてないほど艶々になりました」
一方、黒乃はげっそりとした表情で現れた。
「あ〜、つらかった。熱かったり冷たかったり痺れたり。地獄を体験したよ」
「オ疲レ様デス」
「先生、それで検査の結果なにかわかったの?」
「ナニモ、ワカリマセンデシタ!」
アーサー・C・クラー蔵之介は地面に突っ伏して絶望した。プルプルと震えている。
「ひゃひゃひゃ! ここの設備を以ってしても解析不能じゃったか!」
突然甲高い笑い声が走った。二人は驚き、声の主を振り返る。
「えーと、あなたは……」
「アルベルト・アインシュ太郎博士!」
声の主は小柄な老人のロボットであった。伸び放題の白髪を後ろに撫でつけ、分厚いスーツの上からペラペラの白衣を羽織っている。
アルベルト・アインシュ太郎。理論物理学ロボット。近代ロボットの父、隅田川博士によって生み出されたロボットの一人。
「博士、コレガ検査結果デス」
「ふーむ」
アインシュ太郎はモニタに映し出されたグラフを流し見した。しばらく考え込むと、突然吹っ切れたように踵を返した。
「ひゃひゃひゃ! まあ焦らずやるとしようかの。ひゃひゃひゃ!」
アインシュ太郎は笑いながら部屋を去った。三人はそれを呆然と見送った。
メンテナンスが終わり、気分が一新されたところで本日の営業に入る。工場の中でキッチンカーをオープンさせるのだ。
「ご主人様! 元気よく営業いきますよ!」
「おうよ!」
今日も真っ赤なキッチンカーの前には行列が絶えることはなかった。