第262話 被せ道ですわー!
その日の晩、マリーはボロアパートの小汚い部屋にいた。
狭い部屋のど真ん中には巨大な天蓋付きのベッドがひとつ。あまりにも大きすぎて生活空間がベッドの上しかない状態だ。そのベッドの上でマリーは懸命にデバイスを操作していた。
すると部屋の扉が開き、金髪縦ロールのメイドロボが入ってきた。
「お嬢様、戻りましたの」
「アンテロッテ、お疲れですの。それでなにかわかりましたの?」
「はいですの」
アンテロッテはベッドに上がった。マリーの横までくるとマリーはその体をアンテロッテに預けた。
「調査の結果、明日の昼過ぎに行動に移るようですの」
「でかしましたわ」
二人は並んでデバイスを操作し始めた。
「わたくしのAIの計算によりますと、両国のA店に入る可能性が七十パーセント、B店に入る可能性が三十パーセントですの」
「その後のルートの予測はどうなっていますの?」
「お二人の行動パターンから考えて、お金をケチって公園でダラダラした後、国技館に向かうはずですわ」
「となると、攻めるポイントは限られてまいりますわね」
「さすがお嬢様ですの」
マリーは耳を澄ました。上の部屋から漏れてくる微かな物音に神経を尖らせる。
「オホホホ、見えてきましたのよ。必勝の策が」
「オホホホ、今回も勝ちはいただきましたわね」
「マリー家に伝わる『被せ道』を見せてさしあげますわよ」
「「オーホホホホ!」」
お嬢様の高笑いが闇夜を切り裂く勢いでボロアパートに響き渡った。
「お? 今日もお嬢様たち元気だねえ」
「本当ですね」
黒乃とメル子はその高笑いを浅草寺に鳴り響く鐘の音のように愉しんだ。
翌日の昼過ぎ、マリーとアンテロッテは隅田川沿いを歩いていた。
「ハァハァ、疲れましたの」
「お嬢様、大丈夫ですの?」
二人の前方には白ティー丸メガネ黒髪おさげの女性と、和風メイド服の金髪巨乳メイドロボが歩いている。
「あの二人はどうしていつも徒歩なんですの」
「ロボタクシーを使うお金がないからですわ」
浅草から両国までは隅田川を下ることほんの三十分程度ではある。しかし気が付かれないように尾行するのは、ただ歩くのに比べて何倍も体力を消耗してしまう。
「さすがお庶民ですのねー!」
「お貧乏もそんなに悪くはござんせんわよー!」
「「オーホホホホ!」」
「ん?」
その声に黒乃はふと後ろを振り返った。
「今お嬢様の声が聞こえなかった?」
「こんなところにお嬢様がいるわけがありませんよ! 早く両国に行きましょう!」
二人は再び両国へ向けて歩き出した。お嬢様たちは歩道の植え込みの中から顔を出して周囲を伺った。
「危ないところでしたの」
「危機一髪ですの」
黒乃達は両国の町にたどり着いた。両国国技館、相撲博物館を筆頭に、ちゃんこ屋など相撲をモチーフにしたスポットが並ぶ。他にも北斎美術館、刀剣博物館、江戸東京博物館といった美のスポットも満載だ。
「お嬢様。いよいよランチタイムですの」
「ここが最初の勝負ですわね。事前のデータによるとA店の確率が一番高いのでしたわね?」
「そうですの。A店は通りの向こうですわ」
マリーは綺麗な眉を歪ませて考え込んだ。そして踵を返して走り出した。
「こちらですわ!」
「お嬢様!?」
黒乃達に見つからないように別の通りから目的地を目指す。
「普通だったらお相撲観戦に備えて、ガッツリとしたA店の濃厚豚骨ラーメンを選びますわ! しかしお二人は食いしん坊なので、観戦をしながら国技館グルメを楽しみたいはずですの! つまりB店のあっさり塩ラーメンで胃腸に余裕をもたせるつもりですわー!」
「さすがお嬢様ですわー!」
お嬢様たちはB店へと走った。息を切らしながら店の中へ駆け込み、完璧なポジションを探る。
「お二人はいつもカウンター席ばかりに座るので、その背後の席が絶好の被せポイントですわ!」
「このテーブル席ですわねー!」
席についた時には二人とも汗だくになっていた。五月の陽気がシャルルペロードレスに熱気を与えた。
「しゃいしゃいませーぇ」
「うっちゃり塩ラーメンと勇み足塩ラーメンをくださいまし!」
「りゃいりゃいしたーぁ」
ムショワールで額に浮き出た汗を拭いつつ、乱れたドレスを整える。
間もなくすると黒乃とメル子が店に入ってきた。
「ご主人様! 今日は塩ラーメンなのですね!?」
「うん。国技館でもなにかつまみながら観戦したいからね。お昼はあっさりいこうよ」
「はい!」
案の定二人はカウンター席に座った。
「しゃいしゃいませーぇ」
「うっちゃり塩ラーメンと勇み足塩ラーメンをください」
「りゃいりゃいしたーぁ」
メル子はメニュー表を見ながら首を捻った。
「ご主人様。そのラーメンはメニュー表には載っていないのですが……」
「ふふふ、これは賄いメニューだよ。知る人ぞ知る逸品さ」
すると厨房の中でうっちゃり塩ラーメンと勇み足塩ラーメンが仕上がる声が聞こえた。
「お? ずいぶん早いな。あれ?」
しかし二つの丼は背後のテーブル席へと運ばれていった。
「オーホホホホ! 賄いメニューはわたくし達が先にいただきますわよー!」
「オーホホホホ! お二人の丼はしばらくお待ちくだしゃらんせー!」
「「オーホホホホ!」」
お嬢様たちは渾身の高笑いを炸裂させた。
「え? マリー!?」
「アン子さん!? どうしてお二人がここにいますか!?」
「このお店の常連だからですわー!」
「さすがお嬢様ですわー!」
「まさかのラーメン屋被りで、賄いメニュー被りとはなあ……」
「なんでも被せないでください!」
四人は仲良くラーメンを啜った。
食後、夕方まではまだ時間がある。黒乃とメル子は国技館の隣の公園でのんびりと過ごすようだ。
だがお嬢様たちに休息はない。胃に詰まったラーメンを消化しながら、次なる作戦の準備に入らねばならない。
お嬢様たちは一足早く国技館に入った。
両国国技館。東京都墨田区にある大相撲の興行を行うための施設。本日は五月場所が開催されている。既に前相撲が始まっており、幕下力士らが関取を目指して土俵で熱戦を繰り広げていた。
「アンテロッテ。黒乃さんの座席はどこですの?」
「お嬢様、こちらのマス席ですわ」
国技館の座席は、タマリ席、マス席、イス席に分かれる。
もっとも土俵に近いのがタマリ席で砂かぶりとも呼ばれる。座布団が敷かれているだけのシンプルな席ながら大人気で、チケットの入手は困難を極める。力士が突っ込んでくるので注意が必要である。飲食は禁止されている。
その後方にあるのがマス席だ。四角い枠に区切られ、中には座布団が敷かれている。タマリ席とは異なり、飲食をしながらのんびりと相撲を観戦することができる。
「お嬢様、今回はどういう作戦でいきますの?」
「ここはダブルブッキング作戦でまいりますわよ! 黒乃さんをギャフンと言わせてさしあげますわー!」
「「オーホホホホ!」」
夕方。黒乃とメル子は山ほど食べ物を抱えてマス席にやってきた。
「ご主人様! 買いすぎですよ!」
「えへへ、調子に乗っちゃった」
ホットドッグ、焼き鳥、ひよちゃん焼き。どれも国技館名物である。
「ご主人様! このマス席ですよ!」
「おお〜、いい席じゃん。大相撲ロボのやつ、気がきくなあ」
今日、黒乃達が国技館にやってきたのは浅草部屋の大相撲ロボの招待なのである。幕内力士である大相撲ロボの昇進がかかった大事な場所だ。
黒乃達はマス席に座り観戦を始めた。丁度幕内力士達の土俵入りの時間だ。
「見てください! 大相撲ロボがいますよ!」
「おお! 気合い入ってるなあ。でもちょっと顔が青いかも」
黒乃達は国技館グルメを堪能しながら力士達の熱いぶつかり合いを楽しんだ。
「お嬢様、そろそろ大相撲ロボの取組ですの」
「わかりましたの。作戦を始めますの」
国技館は巨漢の力士達の迫真の戦いにより熱気で満ち溢れていた。黒乃達もひよちゃん焼きを貪りながら大声で声援を送った。
「ああ! 私の推しのボンバイエ海が負けました!」
「あらら。納豆龍に期待だな」
するとそこにプルプルと震える子連れ家族が現れた。夫婦と幼い子供二人だ。
「あの〜、申し訳ないんですが……」
「ん? どしたの?」
「なにかありましたか?」
父親が持っているチケットを見ると、そこにはしっかりと黒乃達のマス席の番号が記されていた。
「あれ!? あれ!? なんで!?」
「私達のチケットもここになっていますよ!」
お互いのチケットをすり合わせてみたが、どうやらダブルブッキングが起きてしまっているようだ。
「ええ!? どうしよう!?」
「ご主人様……向こうはお子様がおられますし、我々が移動しましょうか」
「うーん、残念だけどそうしようか。イス席なら空いているし、スタッフに事情を説明したら座らせてくれるよね」
子連れ夫婦はペコペコと頭を下げた。メル子は子供達の頭を優しく撫でた。
二人がイス席に移動しようとしたその時、信濃の国に落ちる稲妻のような屈強な声が響き渡った。
オーホホホホ……オーホホホホ……。
「ぎゃあ! なんですかこの声は!?」
「オーホホホホ! お席が無くてお困りのようですわねー!」
「オーホホホホ! こちらのお席が空いてましてよー!」
「「オーホホホホ!」」
「またお嬢様じゃん!」
「大相撲被りさせないでください!」
その言葉にマリーはニヤリと笑った。
「被りは被りでも砂かぶりですわよー!」
「砂かぶり席にいらっしゃいなー!」
「ええ!?」
「タマリ席が空いているのですか!?」
お嬢様に案内されて黒乃とメル子は土俵の真ん前、最前列に座った。
「ご主人様! 一番前ですよ!」
「この席のチケットは売ってないでしょ!?」
「マリー家の力を使えばお茶の子シャイシャイですわー!」
なにはともあれ、四人は大相撲観戦を大いに楽しんだ。眼前で繰り広げられる大迫力の戦いに四人は手に汗握った。
そしていよいよ大相撲ロボが土俵に上がった。
「ご主人様! 大相撲ロボがきましたよ!」
「え? 結びの一番じゃん! 横綱と戦うの!?」
「相手は全勝ですわー!」
「勝てる気がしませんわー!」
「いや! 大相撲ロボの顔を見ろ!」
大相撲ロボは悟りの表情を見せている。迷いの世界を超え、真理を体得するかの如き威容だ。
「これは期待できるぞ!」
「大相撲ロボ! あなたの全力を見せてください!」
横綱と大相撲ロボが土俵の真ん中で激しくぶつかり合った。
「おお! 横綱を止めた!」
「すごいです! 一気に押してください!」
しかし次の瞬間、大相撲ロボはあえなく土俵の外まで吹っ飛ばされた。
「ギャフン!」
黒乃は吹っ飛ばされた大相撲ロボの下敷きになった。横綱の全勝優勝に会場の熱気はピークに達した。
「ご主人様ー!」
「あ、黒乃山。ごっちゃんです」
「オーホホホホ! 作戦成功ですわー!」
「オーホホホホ! お嬢様の勝利ですわー!」
巨漢の力士に踏み潰されてぺちゃんこになった黒乃はよろめいて起き上がると、大相撲ロボのマワシを力強く掴んだ。
「黒乃山!? なにしているッスか!?」
「貴様、折角応援してやったのにあっさり負けやがってー!」
黒乃は大相撲ロボをうっちゃった。派手に投げ飛ばされた大相撲ロボは地面に転がり動かなくなった。再び国技館に大歓声が巻き起こった。
大相撲観戦を終えた四人は隅田川沿いの歩道を歩いていた。
「あー、酷い目にあった」
「ご主人様、大丈夫ですか?」
「砂かぶりは力士に潰されるのを覚悟して見るものですの」
「本当に潰されましたの」
隅田川に冷たい風が吹き抜けた。熱い戦いで興奮した体にはそれが心地良い。
「しかし今日はマリー達と被りまくったなあ」
「偶然って怖いですね! でも楽しかったです!」
マリーとアンテロッテは顔を見合わせて微笑を浮かべた。
「被せ道には人生の大切なことが全部詰まっているのですわよ」
「え? なんて?」
「なんでもございませんわ。オーホホホホ!」
「さすがお嬢様ですわ。オーホホホホ!」
「「オーホホホホ!」」
お嬢様の高笑いは風に乗って隅田川を下り、大海へと溶けて消えていった。




