第25話 ラーメン大好きメル子さんです!
仕事終わりの夕方。黒乃とメル子はいつもの雷門ではなく、隅田川を渡った反対側にある、うんこ前で待ち合わせをしていた。雷門ほどではないものの、それなりに人はいるので、やはりメル子は注目の的だった。金髪巨乳メイドロボはどこにいても目立つ。
「あ、ご主人様、ここですよー」
「ははは、メル子は遠くからでもすぐわかるね。待たせたかい?」
「いえいえ、72分59秒だけですよ」
「ははは、細かいね。いこうか」
今日わざわざ川を渡ってきたのは、ある店に夕食を食べにいくからだ。いつも黒乃のために美味しい料理を振る舞ってくれるメル子に感謝して、どこへでも好きな店に連れていってあげるよ、と伝えてある。なんの店にいくのかは聞いていないが、おそらく南米料理の店だろうと思っている。
二人は隅田川に沿って歩き出した。川の流れにあわせて吹き抜ける夕暮れの風が心地よい。隅田川には水上バスが行き交っており、誰でも気軽に乗ることができる。船の中から子供達が手を振っている。メル子は嬉しそうに手を振りかえした。
「いい気分だね。今日はどんなお洒落な店をご所望かな?」
「ラーメン屋です」
「ラーメンかい」
メル子がラーメン好きなのは知らなかった。得てして年頃の娘(生後一ヶ月)というものはラーメンが好きなものだと納得し、微笑ましく思った。
「着きました。ここです」
「ほうほう。『ラーメンロボ二郎』!? なにそれ!?」
「知らないのですか? ラーメン業界の一大ブランドですよ。ここはその総本山です。ラーメンロボの『総帥』がいらっしゃいます」
黄色い看板にデカデカと『ラーメンロボ二郎 浅草本店』と書かれており、店の前には数十人の行列ができている。店自体はこじんまりとしており、なにか薄汚い印象を与える作りだ。
二人は行列の最後尾に並んだ。しかしなにか様子がおかしい。普通これからラーメンを食べようなんて人間は大抵楽しそうにするものだが、行列に並んでいる人々は皆一様に神妙な面持ちをしている。
「なんか妙な雰囲気だな……」
「さすがご主人様。お気付きになられましたか」
メル子が恐る恐る語り出した。
「ロボ二郎は飲食店ではないのです。戦場なのです……」
「どうした? AIの故障かな?」
「戦場なのです……」
「二回言ったな」
見たところ店内は狭い。テーブル席はなく、カウンターの十三席のみ。しかし行列は思ったよりも早く進んでいる。
自販機の前まで列が進むと、メル子は『黒ボ烏龍茶』を二本買い黒乃に片方を手渡した。
「ああ、ありがと」
「今飲んでください」
「え? 食べ終わってからでいいでしょ」
「今飲んでください!」
「ええ!? なんで?」
「死にたくなかったら、今飲んでください」
黒乃はメル子のただならぬ気迫に押されてペットボトルの蓋を開けて一口飲んだ。
行列が進み、程なくして二人は店内に入った。しかし店内にも行列は続いていたのだ。カウンター席の後ろ側の壁に張り付くようにして客が並んでいる。そして全員が緊張の面持ちで立っている。
店の入り口にある食券機で購入するシステムのようだ。しかしメニューが異常にわかりづらい。メル子は食券機のボタンを押して札を取り出した。
「私はこの通り『小』を買いました。ご主人様も……」
「今日はお腹減ってるし『大』ってやついくか」
「なにをしているのですか!!」
既に黒乃は『大』を購入した後であった。メル子はふらふらとよろけながら店内の列に並んだ。厨房では総帥が真剣な表情で茹で釜を見つめている。
「あれ? なにかまずかった?」
「いえ、買ってしまったものは仕方がありません。それよりも食券を見せる時に、麺のオーダーがありますので注意してください」
「どゆこと?」
ロボ二郎では店内で立って待っている間に、麺の量や硬さなどのカスタマイズを受け付けている。突然オーダータイムがくるので、並んでいる時も油断できないのだ。
「隣の方、食券見せてください」
「麺硬めでお願いします!」
「へい」
メル子は札を見せながら、速やかにオーダーを通した。
「さあ、ご主人様も硬めで……」
「私は麺は柔らかい方が好きだな」
「へい」
「なにをやっているのですか!!」
「ええ? またなにかやっちゃいました?」
メル子の顔が若干青ざめてきている。黒乃はこの後に訪れる地獄を知ってか知らずか、一種のアトラクションとして楽しんでいるようだ。
カウンター席が二つ同時に空き、二人は並んで座った。普通は連れ同士でも席が空いた順に座らなくてはならないため、席が離れ離れになるが、運が良かったようだ。
「いいですか、ご主人様、よく聞いてください。これからラーメンが出来上がる直前に『コール』と呼ばれる最後のカスタマイズがあります。よく覚えてコールしてくださいね」
カスタマイズできる項目は『ニンニク』、『ヤサイ』、『アブラ』、『カラメ』の四種類である。
ニンニクを乗せるなら『ニンニク』、乗せないなら『ニンニク抜き』、量を減らすなら『ニンニク少なめ』とコールする。増やす場合は『ニンニクマシ』、『ニンニクマシマシ』、『ニンニクチョモランマ』とする。
ヤサイは茹でた野菜の量だ。『ヤサイ少なめ』、『ヤサイ』、『ヤサイマシ』、『ヤサイマシマシ』、『ヤサイチョモランマ』で問題ない。
アブラは上から振りかける背脂のことで、こちらも同じで方式でいける。
カラメはスープのカエシを追加するかどうかだ。『カラメ』とコールするとスープが少ししょっぱくなる。しかしテーブルにカエシが備え付けてあるので、ここでコールしなくても後から追加できるので安心だ。
「ちょっとメル子が言ってること、全然理解できないんだけど。今日のメル子のAI壊れてるのかな」
「ご主人様の脳味噌がバグっているのですよ!」
「味噌味がなんだって?」
いよいよメル子のコールの時がきた。
「そちらのお客さん、ニンニク入れますか?」
「ニンニクヤサイ少なめアブラチョモランマ!」
「へい」
メル子は完璧なコールを炸裂させた。周囲でどよめきが起きる。次はとうとう黒乃の番だ。
「いいですか? ご主人様は明日仕事があるのですから、ニンニクは抜いてください。それから他のトッピングは少なめですよ。いいですね!」
「そちらのお客さん、ニンニク入れますか?」
「えーと、ニンニクモギモギ、ヤサイサクサク、アブラテカテカ、カラメマッターホルン」
「へい」
「なぜ通じているのですか!」
隣の客がブー!と吹き出した。メル子は天を仰いだ。
「もうダメだー。もうおしまいだー」
「どうしたのよメル子。ラーメンなんだからさ、もっと気楽に食べようよ」
「言ったでしょう。ロボ二郎は戦場だって」
ところが、黒乃の前に出てきたラーメンは、いたって普通の小盛りのロボ二郎だった。
「うっわー、超うまそー」
「あれ? なぜです?」
メル子は厨房にいる総帥の方へ顔を向けた。総帥は親指を立てて白い歯を見せた。
(メル子ちゃん、わかってるぜ。今日はご主人とロボ二郎を楽しんでくれよな)
「総帥……」
「メル子、この豚ホロホロでサイコー! 麺もワシワシとした食感がたまらんなこれ」
「もうご主人様、食べている時はお静かにお願いしますよ」
「おっけーおっけー」
こうして二人はロボ二郎を堪能して店を出た。
「ああ……やばい。お腹が破裂しそう」
「あれでもだいぶ少なめで出してくれたのですよ。少食ですねぇ」
「まあでも美味かったからペロリだよ」
二人はきた道を帰り始めた。遠くにはうんこが見える。まるでロボ二郎の上に振りかけられたアブラチョモランマのようだ。
隅田川にはまだ多くの水上バスが走り、その光が東京湾に次々に吸い込まれていく。風の流れが変わり、微かな潮の香りを感じられた。
「やっぱメル子はいい店知ってるね〜。またこようよ」
「そうですね、またきましょう。約束ですよ」
そういうとメル子は黒乃に向けて親指を差し出した。
「んん? なになに、なんの認証よ」
黒乃はメル子の親指に自分の親指を重ねた。
「ピッ。メイドポイントが一ポイント上昇しました」
「なんでよ。ラーメン食っただけで上がるなら、毎日きちゃうよ」
黒乃とメル子はニンニクの香りを漂わせながら、光の中へと紛れていった。




