第23話 猫型ロボットです!
メル子の南米料理店『メル・コモ・エスタス』のプレオープンを無事に終え、黒乃は解放された気分で休日を過ごしていた。
店の成功を疑っていたわけではなかったが、メル子の料理が大勢に評価されたのは純粋に嬉しい。家計の助けになることも含めて二重に嬉しい。
昨日あれだけ頑張ったのだから、今日はひたすらゴロゴロしてメル子とイチャイチャしてやるぞと意気込んでいる。
しかし当のメル子は朝早く出かけていってしまった。黒乃が手作りしたメル子の店の看板を持っていたので、廃棄しにいったのではと思ってしまった。
黒乃はふと窓に目をやった。お昼前の強い日差しが部屋に差し込んでくる。そういえば、この前は窓の下からメル子が迫り上がってきて心底驚いたが、さすがにそんなことは滅多にあることではな……。
「うわああああああッ! 猫だああああッ!」
突然、窓の桟に猫が飛び乗ってきたのだった。猫は窓を爪で引っ掻きながら、ニャーニャーと鳴いている。
「え? メル子? もしかしてメル子なのかい?」
黒乃はフラフラと窓に近づきガラガラと開け、猫をよく観察してみた。
全然メル子ではなかった。
「なんだ、野良猫か」
しかし野良猫にはまったく見えないほど美しいグレーの毛並みは、光の加減により青味がかって見える。メル子の目の色とそっくりだ。猫には詳しくはないが、ロシアンブルーと呼ばれる品種だろうか。体はそれなりに大きく、なにかふてぶてしさを感じる。
「なんだこいつめ、エサでももらいにきたのか?」
黒乃は猫の頭を撫でようと手を伸ばしたが、尻尾でペシッとはたかれてしまった。仕方なくエサで釣ろうと、今朝食べたエビフライの尻尾を目の前に置いてみた。しかし見向きもしない。
「こいつぅ〜、お高くとまりやがって。世間の恐ろしさなんて知らずに育ったお嬢様猫って感じか?」
黒乃は意地になり、冷蔵庫の中に大事に保管しておいた高級サーモンの燻製を取り出した。それをフォークに刺し、猫に差し出してみる。すると猫は先程とは違いお気に召したようだ。
「ほれほれ、食べたいか〜? どうだ〜? ここまで届くかな〜」
黒乃はフォークをわざと高い位置でフラフラさせ、猫が背を伸ばして立ち上がってサーモンを追いかける様子を楽しんだ。
しかし次の瞬間、怒った猫が黒乃の顔に飛びかかった。驚いた黒乃は後ろにひっくり返り、その勢いでサーモンを奪われてしまった。
「ニャー」
「ちくしょー! この猫やりおる」
その時、メル子が部屋に戻ってきた。今朝抱えていった看板はそのまま持って帰ってきたようだ。
「ただいま戻りました。あれ? ご主人様、床に転がってなにをしているのですか?」
「メル子〜! 聞いて〜。この猫が私をいじめるんだよ〜」
黒乃はメル子の足にしがみついて甘えた。
「まぁ! なんて可愛いロボット猫ちゃん!」
「え!? ロボットなのこいつ?」
「だって、IDが表示されているではないですか」
メル子に言われて初めて気がついたが、確かに首の後ろにユニークIDを示す記号が刻印されていた。
メル子が床に座りおいでーと手を広げると、猫は大喜びでメル子の膝の上に飛び乗った。
「このやろ〜、私でもメル子に膝枕してもらったことないのに〜」
メル子が毛を撫でると、ロボット猫は気持ちよさそうにゴロゴロと鳴いた。
「はい、猫ちゃんお手!」
「ははは、メル子。猫にお手は無理だよ」
ロボット猫が前足を前に突き出すと、メル子の胸にプニッと埋まった。
「貴様ー!!! 猫さんウィンナーにしてやろうか!!!」
「落ち着いてくださいよ。さっきからなんなのですかもう」
「ハァハァ。メル子、こいつの中身、絶対エロ親父のAI入ってる。叩き潰そう」
「逮捕されてしまいますよ!」
メル子は慌ててロボット猫を後ろに隠した。
「ハァハァ、そうか。ロボット猫とはいえ人権はあるのか」
「いえ、ロボット猫には人権はありませんよ」
新ロボット法によると、動物AI、動物ロボットは一般的な生物と同等の権利を有すると記されている。つまり人権はないが、保護されるべき対象である。
「この子、首輪がついていませんし、どうしたのですかね。捨て猫でしょうか」
「エロくて捨てられたんだよ」
「私がネットワークでIDを照会してみましょうか?」
「え? ああ、うん。お願い」
動物保護などの名目であれば、ロボットはネットワークにアクセスしてデータベースを参照することができる。
「わかりました。前の飼い主の女子大生が結婚を機に転居することになり、その際に男が動物嫌いだったため、動物保護施設に預けられるところを逃げ出してきたみたいです」
「わかりすぎだろ!」
ロボット猫はメル子の膝の上で安心したようにくつろいでいる。
「ご主人様……この子、うちで飼えませんか?」
メル子はロボット猫を撫でながら、恐る恐るといった様子で聞いてきた。
「ごめんね、メル子。このアパート、ペット禁止だからさ」
「そう……ですよね……」
メル子は一瞬悲しげな表情を見せた。
「そうだ! 冷蔵庫にサーモンの燻製があるのでした。食べますかね」
「え? あ、あの」
メル子は猫を床に置き、冷蔵庫を漁り始めた。
猫には猫の運命がある。この猫の運命に幸福はあるのか。黒乃は一抹の不安を覚えた。だが逞しく生き抜いてほしい。そう思い黒乃はロボット猫を撫でようとした。
「あれ? どこいった?」
ロボット猫はダンボールで作った収納ボックスの中のメル子の下着をゴソゴソと漁っていた。
黒乃はロボット猫をむんずと掴むと、窓から全力投球で空の彼方に投げ捨てた。
「あれ? 猫ちゃんどこにいきました?」
「……逃げた」
「あらら」
こうして黒ノ木家の平和は守られたのであった。