第22話 プレオープンです!
「よっこいしょ」
朝、メル子は料理が入った寸胴を慎重に抱きかかえ、窓の外に待機しているキャリアーの台に乗せた。これで必要なものはすべて乗せ終えた。
「ご主人様ー、下ろしますよー」
「オーライ、オーライ」
メル子は昇降リフトのスイッチを押し、台を下降させた。下で待機している黒乃はリフトがゆっくりと降りてくるのを見守っている。オートバランサーがついているとはいえ、少し怖い。
「戸締まりもできましたし、いきましょうか」
今日は仲見世通りに出すメル子の店のプレオープン(練習のためのオープン)の日だ。休日なので仲見世通りは人であふれかえるだろう。他の店にとっても稼ぎ時。その中でメル子の店はうまくいくのか、正直不安はある。
メル子はキャリアーの後ろにある操縦席の上に立ち前進を始めた。黒乃はその後ろを歩いてついていく。和風メイド服の少女がキャリアーで荷物を運んでいる姿は、なにかシュールだ。
「ご主人様、その手に持っている板はなんですか?」
メル子は黒乃が大事そうに抱えている布が巻かれたものを見て言った。
「ああ、うん。これね。これ看板だよ。メル子の店の看板」
「作ってくれたのですか!」
「もちろん。ダンボールにスプレーで色つけて、その上からペンで書いた簡単なやつだけどね」
「どんな名前になったのですか?」
メル子が後ろをチラチラ見ながら嬉しそうに尋ねる。キャリアーを操縦しながらなので、後ろがよく見えないのがもどかしそうだ。
「それは後のお楽しみだよ。南米ぽいの考えたからさ」
「はい!」
朝なので雷門付近の人出はまばらではあるが、正面からではなく裏通りから仲見世通りに入った。
店の前までくると、オーナーである調理ロボのクッキン五郎が出迎えてくれた。
「あ、クッキン五郎さん。お店を開けておいてくれたのですね」
「今日は俺は見てるだけだが、頑張れよ」
「ありがとうございます!」
「えへえへ、よろしくお願いします。えへ」
「おう! しっかりメル子ちゃんを支えてやってくれ!」
なにか主従逆転している気がするが、今日はそんなことを考えている場合ではない。
メル子は早速寸胴をコンロに設置している。店にある串をずらりと並べ、昨日からタレに漬け込んでおいた牛の心臓を刺していく。串焼きの準備だ。
調理はメル子に任せ、黒乃は小物を準備する。メニューの札を軒下に貼り付けた。といっても、メニューはシチューと串焼きとそのセットの三つしかないが。
料理の写真が貼ってある立て看板を地面に設置し、店の横に並べられているベンチ(ここで座って食べられる)には、南米アマゾンの伝統工芸である泥染め布のマットを敷いた。
カウンターにはエケコと呼ばれる陶器の人形を並べた。帽子を被り荷物をたくさん持っている謎のボリビアの人形なのだが、まったく可愛くない。
最後に持ってきた看板の布を解いて取り出した。我ながら出来が悪いがしょうがない。店の正面の軒先に看板を取り付けようとしたが、背が高い黒乃でもうまくいかない。クッキン五郎に手伝ってもらい、ようやく設置ができた。
「ご主人様! それが看板ですね。見せてください!」
メル子が店の正面に回り込んできた。下から看板を見上げる。
「『メル・コモ・エスタス』……」
メル子は目をキラキラさせて黒乃を見た。
「どう? 変かな」
「すてきです! メル子は元気です!」
メル子は黒乃の手をとってブンブンと振った。
「あーん? これ何語? どういう意味なんだい、黒乃ちゃん」
これは南米で広く使われているスペイン語をもじった言葉であり、無理矢理訳すなら『メル子ちゃん、お元気?』である。
「えへえへ、どう思います?」
「へえー、洒落てるねえ。メル子ちゃんにぴったりでいいじゃねーか!」
「ですです!」
どうやらメル子は気に入ってくれたようだ。黒乃は一安心した。
だがしかし、手作り看板は見た目がショボい。大工ロボのドカ三郎に作り直してもらおうと黒乃は決めた。
開店準備は滞りなく進み、後は時間を待つだけとなった。既に数多くの参拝客が仲見世通りを通り過ぎていった。
いよいよ開店時間がきた。メル子は準備中の札を営業中に回転させた。
「南米料理の『メル・コモ・エスタス』、オープンです!」
さあ、客はくるだろうか。黒乃は緊張の面持ちで待った。
最初の客はすぐにきた。
「メル子ちゃん。シチューを一つ、いただけるかしら」
洋装店『そりふる堂』の女主人だった。着物を着ていたのですぐにわかった。その後ろに控えているのは……。
「私はせっかくですので、セットでいただきますね」
クラシカルなヴィクトリア朝のメイド服を纏っているのは、メイドロボのルベールだ。
「お二人とも、きてくださったのですね!」
喜んでばかりはいられない。二人はすぐに調理に取り掛かった。メル子はアンティクーチョの焼きの仕上げに入った。
黒乃はカルボナーダを寸胴から小鍋によそい、煮崩れないように別の鍋に分けてあるジャガイモとカボチャを加えて加熱した。温まったら皿に移す。
黒乃の仕事はただこれだけだが、久しく料理をしていない黒乃にとっては難題だ。
「お待たせしました! 熱いのでお気をつけください!」
女主人はシチューを受け取ると看板を見上げた。
「あらまあ、ずいぶん洒落たお名前ね」
「そうなのです。ご主人様につけてもらったのですよ!」
「そうなんです、えへえへ」
女主人は黒乃ににっこりと笑みをくれた。
「なに!? 『メル子、萌え、酢足す』!?」
「あ、茶器千円で売ってくれた仙人だ!」
「おーい、メル子ー! 肉くれ肉ー!」
「キャキャキャ! 巨乳メイドロボがホントに店やってるー」
「近所のクソガキ達。お金は持ってきたのでしょうね?」
「メル子サン、串焼キ、十本クダサイ」
「職人ロボのアイザック・アシモ風太郎先生!」
「誰だよ!?」
「浅草工場でロボットを作っておられる方ですよ。私も作ってもらいました」
「メル子サンノオッパイ、大キサ、オマケシテ、オキマシタ」
「なんていいロボットだ!」
メル子の知人達が大勢集まってくれた。みんな店の前で、幸せそうにメル子の料理を食べている。それが呼び水となり、仲見世通りの通行人達も集まり出した。
さあここからが本番だと、二人は気合を入れなおした。
「そういえば、私も会社の子を誘ったのにまだきてないな」
「もういますよ、黒ノ木先輩」
「わああ! 桃ノ木さんいたのね。なんで店の裏から入ってるの?」
桃ノ木と呼ばれた女性。オフホワイトのスーツとニットの組み合わせがよく似合っている。赤みがかったふわりとしたショートの髪と、厚い唇に赤々と塗られたルージュが派手すぎるなと黒乃はいつも思っている。
「手伝おうかと」
「手伝いじゃないよ。食べにきてって言ったの」
「そうですか。ところで、あの子が先輩のメイドロボちゃんなんですね」
桃ノ木は舐めるようにメル子を見ている。
「じゃあ食べたら帰りますね。またオフィスで」
そういうと、桃ノ木は店から出ていった。
店の行列はずいぶんと長くなっている。手を休めてはいられない。黒乃は必死になって鍋を握った。
気がつくとカルボナーダの鍋は空になっていた。アンティクーチョもすべてはけたらしい。プレオープンは見事完売で終了した。
「やりましたね、ご主人様!」
「あああ〜、よかった〜。ほっとした〜」
ほんの数時間の作業だったが、慣れない仕事ということもあり、黒乃は立ち上がる気力もなくしていた。
だが本番ではメル子はこれを一人でやらなくてはならないのだ。小さな体のメル子は大丈夫だろうか?
「ねぇ、メル子。あんまり無理しないでね」
「なんですか急に。無理をしたらいけないのは、病み上がりのご主人様の方ですよ」
「あはは、まあそうか」
メル子は黒乃の横にピタリとくっついて座り体重をあずけた。お互い汗をかいていたので少しひんやりしたが、そのうち温かさが伝わってきた。
その後メル子は店の片付けをして帰ろうとしたが、黒乃が座り込んだまま動けなくなっていたので、キャリアーの台に寸胴と一緒に乗せてボロアパートまで運んだ。