第216話 フリーマーケットです!
——仲見世通り。
ここはメル子の南米料理店『メル・コモ・エスタス』。
休日で暖かい陽気ということもあって、開店前からできていた行列は途切れることがなく、正午を回った頃には料理は完売になってしまった。
店の片付けを終え、メル子は足早に仲見世通りをあとにした。向かう先は——。
——隅田公園。
隅田川を挟むようにして広がる寛ぎの空間。今日はその癒しの広場が活気で満ち溢れていた。
「すごい人です!」
公園内はシートや机で足の踏み場もないくらいに埋め尽くされていた。古着、陶器、楽器、靴、家電、おもちゃ。売っていないものを探す方が難しいと思わせるくらいになんでもありの狂騒。フリーマーケットである。
Flea Market。自由な市場ではなく『蚤の市』である。フランス発祥とされるこの文化は『物を長く大切に扱う』という精神に基づいて二十二世紀の今日まで受け継がれてきた。
見れば老若男女問わず店を開いている。子供達も社会勉強を兼ねて、かつての愛用品を机に並べている。
メル子は目を輝かせてそれを眺めた。
「やはりフリーマーケットはわくわくします!」
本日メル子がフリーマーケットを一人で訪れたのは買い物目的ではない。ご主人様の黒乃が出店をしているのだ。出店するには期日までに応募をしておく必要がある。
黒乃は今日この日に備えて、入念に準備を整えていたのをメル子は知っている。
「ご主人様のお店は売れているでしょうか? 楽しみです」
メル子は人ごみの中に足を踏み入れた。
——マッチョメイドの店。
「メル子 うちのみせ みていく」
声をかけてきたのは巨大な筋肉とゴスロリメイド服を纏った巨漢のメイドロボだ。
「マッチョメイド! マッチョメイドも出店していたのですね!」
「メル子どの じまんのロボプロテイン ためす」
「マッチョマスターも一緒ですか!」
マッチョメイドの横に座っているのは同じく巨大な筋肉をタンクトップと短パンで覆っている巨漢の男性だ。全身からオーラのように湯気が立ち上っている。マッチョメイドのマスターであるマッチョマスターだ。
「メル子 なにあじの ロボプロテイン のむ」
「飲ませてくれるのですか? じゃあ抹茶味でお願いします!」
マッチョメイドはロボプロテインの缶から茶杓で粉末をすくって茶碗に入れた。メル子はその鮮やかな手際をうっとりと眺めた。
「どうぞ」
「頂戴いたします」
メル子は作法にのっとりロボプロテインをいただいた。
「結構なお手前で」
結局メル子はロボプロテインを一缶買った。
——ゴリラロボの店。
「ウホ」
「ゴリラロボもお店を出しているのですか!?」
巨大な体躯のゴリラロボの隣には、着古した青い作業着に膝まであるゴム長を履いた女性が座っていた。ゴリラロボのマスターである飼育員のお姉さんだ。
「飼育員さん、こんにちは! なにを売っていますか!?」
机の上には黒っぽいごつごつとした石がいくつも並べられていた。メル子はそれを手に取り、しげしげと眺めた。
「ほえ〜、不思議な石ですね」
「コプロライトといいます」
「へ〜、コプロライト……」
「ウミガメのコプロライトです」
「ほほ〜、ウミガメのコプロライト……ってこれウンコの化石です!」
「ウホ」
結局メル子は恐竜のコプロライトを一つ買った。
——フォトンの店。
「……メル子ちゃん、一句どう?」
「フォト子ちゃん! 陰子先生も!」
椅子に座っているのは青いロングヘアが可愛らしい子供タイプのロボットのフォトンだ。その隣に座っている壮年の女性は影山陰子。フォトンのマスターで著名な書道家である。
机の上には短冊と筆が置いてある。
「フォト子ちゃん、なにを売っているのですか?」
「……するの」
「なんて?」
「フォトン、一句詠んであげなさい」
「はい! 先生!」
フォトンは墨汁をたっぷりと吸い込んだ筆を手に取ると、メル子の顔をじっと見つめた。その射抜くような眼差しにメル子はたじろいで硬直した。
するとフォトンは風を切る勢いで筆を走らせた。
「……詠めた」
「見せてください!」
メル子は短冊を手に取った。
『冬が去り 照らす火の輪に 耐へかねて お乳をこぼす パツキンメイド』
「どうして下ネタをぶっこみましたか!?」
「フォトン、よくやりましたよ」
「師匠には好評!?」
「……えへへ」
——FORT蘭丸の店。
「女将サン! 女将サン!」
呼びかけてきたのは見た目メカメカしいロボットのFORT蘭丸だ。
「蘭丸君もお店を出していましたか」
「見ていってくだサイ!」
「はぁ〜い、メル子〜」
「ルビーさんも!」
FORT蘭丸の隣にいるのは銀髪のムチムチお姉さんだ。死んだ魚のような目でメル子を見ている。彼女はFORT蘭丸のマスターであるルビー・アーラン・ハスケルだ。凄腕のプログラマーである。
「お二人はなにを売っていますか!?」
メル子は机の上を見た。小さい端子のようなものがずらりと並んでいる。
「これなんでしょうか?」
メル子はそのうちの一つを手のひらの上で転がして観察した。
「ボクの頭の発光素子デス!」
「キモッ!」
メル子は思わず発光素子を手からこぼしてしまった。
「女将サン! 売り物デスよ!」
「これ、なにに使うのですか!」
隣を見ると破れた黒い布が積まれていた。
「こちらはなんでしょうか? 雑巾でしょうか。クンクン。なにかアメリカンな香りがします。クンクン。癖になる香りです。クンクン」
「女将サン! それはルビーが着古したタンクトップデス!」
メル子は真っ赤になって布を元の場所に戻した。
「メル子〜、買わないの〜?」
ルビーは見た目に似合わぬ細く甲高い声で言った。
「いえ、うちは白ティーしか着ませんので」
——マリーの店。
「メル子ー! 見ていってほしいですのー!」
「お買い得ですのよー!」
「マリーちゃん!? アン子さん!?」
豪華なアクセサリーをずらりと机に並べているのはいつものお嬢様たちだ。指輪、ネックレス、イヤリング、ブレスレット。煌びやかな品々にメル子は心を奪われた。
「すごいです! これはどこから仕入れたのですか!?」
「全てお嬢様のハンドメイドですのよ」
「毎日コツコツ作りましたのよ」
「マリーちゃんの手作り!?」
メル子はキラキラと輝く青いカチューシャを手に取るとうっとりと眺めた。
「これ素敵ですね〜」
「さすがはメル子ですの」
「それはお嬢様渾身の一品ですの」
カチューシャを頭につけると机に置かれた手鏡で具合を確かめた。太陽の光が絶妙に反射し、複雑な色合いを描き出している。
「似合っていますの」
「メル子さんには特別価格でお譲りいたしますわよ」
メル子は財布を取り出し中身を確認した。しばらく迷ったのち言った。
「ください!」
「毎度ありですの」
「十万円ですの」
「……え?」
メル子は聞き間違いかと思ってもう一度言った。
「ください!」
「毎度ありですの」
「さっさと十万円払いやがれですの」
メル子は逃げるようにして店を離れた。
——黒乃の店。
メル子はようやくご主人様の店へと辿り着いた。
「ご主人様! お待たせしました! 売れ行きはいかがでしょうか!?」
メル子は元気に声をかけたことを後悔した。白ティー丸メガネ、黒髪ショートヘアのお姉さんは、かつてないほどどんよりとしたオーラを放っていた。
黒乃は椅子に座ったまま虚空を見つめている。
「あの、ご主人様……」
メル子は黒乃の隣に座り机の上を見た。そこには木彫りのメル子像がいくつも並んでいた。
「ご主人様……いくつ売れましたか」
「……ロ」
「え?」
「……ゼロ」
高さ二十センチの木彫りのメル子像。黒乃が毎日必死に彫って作り上げた品である。お世辞にも上手に彫れたとは言えないが、メル子は黒乃が心を込めて彫っていたのを知っている。
「あの、今日はほら、こんなお天気ですし」
「快晴だけど……」
「いや、寒いし出足もイマイチですよね」
「満員御礼だけど……」
メル子はかける言葉を失った。大勢の客が黒乃の店の前を通り過ぎるが、誰一人こちらには目もくれない。
気まずい時間だけが過ぎ去っていった。
「女将……この店は木彫りの店だな」
突然声をかけられた黒乃は呆然と目の前の恰幅の良い初老のロボットを見つめた。その着物を着たロボットは木彫りのメル子像を掴むとしげしげと観察し始めた。
「美食ロボ……ッ!?」
「女将、ちょっと聞くが……これは本物の木彫り像か?」
「もちろんまじりっ気なしの本物の木彫り像だよ」
「ほほう、では教えてくれ。本物の木彫り像とはなんなのだ?」
「えっ!?」
有名な美食の大家の登場に周囲にざわめきが起きた。店の周りに人だかりができ始めた。
「そもそも木彫りとはなんなのだ? インドでも木を使うのか? インドにも彫刻刀はあるのか? この店の木彫りが本物と言ったからには答えてもらおう。まず第一に木彫りの像とはなにか?」
「私がメル子を思いながら彫った像のことだよ!」
「では一つもらおう」
美食ロボはメル子像を着物の袖に仕舞うと、下駄を豪快に鳴らしながら去っていった。
「フハハ、フハハハハハハ!」
それを皮切りに周囲の客がメル子像に手を伸ばし始めた。一つ、また一つと売れていった。
「ご主人様!」
「メル子!」
二人は大慌てで客の応対を始めた。
「先輩、遅れてすみません」
「桃ノ木さん!」
「黒乃 おでも きぼりぞう ほしい」
「マッチョメイド!」
「ウホ」
「ゴリラロボ!」
「……ください」
「フォト子ちゃん!」
「シャチョー! ボクももらいマス!」
「FORT蘭丸!」
「わたくしもいただきますわー!」
「マリー!」
とうとう木彫り像は完売した。
黒乃とメル子は顔を見合わせた。冷えきっていた体が今や蒸気を放っている。二人は抱き合って喜んだ。
「ご主人様、やりましたね!」
「うん、頑張った甲斐があったよ」
黒乃は美食ロボが去っていった方を見つめて微笑んだ。
「明日アイツの屋敷に乱入して代金をもらいにいかないとな」
「ですね!」
小春日和の浅草の空に美食ロボの笑い声がこだました。
「フハハ、フハハハハハハ!」




