第208話 断髪式です!
浅草寺。
東京都内最古の寺。連日参拝客が押し寄せ活気に満ち溢れる浅草の象徴。
その本堂の控室に黒乃はいた。
「黒ネエ!」次女黄乃は叫んだ。
「黒ネエ〜!」サード紫乃は叫んだ。
「クロちゃん!」四女鏡乃は叫んだ。
黒乃が紋付袴で控室に現れると、学校の制服を着た妹達は長女に群がった。その黒乃の背中にあるはずのおさげはもうない。
「みんな……来てくれたんだね」
黒乃は妹達の頭を撫でた。皆一様に丸メガネの下に涙を溜めている。
「皆さん……」
黒乃の後ろに続いて現れた緑の和風メイド服を着たメイドロボが恐る恐る声をかけた。その声を聞いた瞬間、妹三人はメル子に群がった。
「メル子さん!」
「メル子〜、なにも言わなくてもいいんだよ〜」
「メル子〜、そんなに落ち込まないで。やっちゃったものはしょうがないんだから!」
「あ、いえ、言うほど落ち込んではいないのですが……あとおっぱいを触ったのは誰ですか」
今日は黒乃の断髪式を執り行う日である。正確には黒乃のおさげは既に切断されているので、おさげを浅草寺に奉納する『奉納式』である。
代々黒ノ木家では切断したおさげは神仏に奉納する習わしがあるのだ。結婚や出産、人生の大きな転機におさげを捧げて成功と安全を祈願するのだ。
太古の昔には丸メガネとおさげを捧げることで神の怒りを鎮める『丸メガネおさげ祭り』が催されていたという伝説もある。
「いったいこの儀式はなんなのでしょうか……」
「メル子くん、私から説明しよう」
メル子の背後からダンディな声を響かせたのは黒乃の父黒太郎だ。黒いスーツを着込んでいる。
「お父様!」
「メルちゃん、しっかり聞いておきやー」
黒太郎の横にいるのは母黒子だ。黒いワンピースを着込んでいる。
「お母様!」
本日、ここ浅草寺に黒ノ木一家が大集合した。
「いいかい、メル子君。黒ノ木家では大事を成す前にはおさげを落として成功と安全を祈願する習わしがあるのだよ」
「その時点で意味がわかりませんが、なんとなくはわかりました」
「しかし逆に、図らずもおさげを落としてしまった場合、それは災厄が降りかかる前兆とされているのだ」
「災厄!?」
黒ノ木四姉妹はその話を青ざめた顔で聞いた。
「私の母、つまり黒乃の祖母のおさげが落ちた時は母の実家に隕石が落ちたのだよ」
「隕石が!? アンディ・ウィアー先生に怒られますよ!」
「曽祖母のおさげが落ちた時はイナゴの大群が尼崎を襲い、大飢饉が発生したのだ」
「なにか、時代設定がよくわからないのですが……」
黒ノ木四姉妹は肩を寄せ合ってプルプルと震えている。
「では今回はご主人様のおさげが落ちたから悪いことが起きるということですか!?」
「ふむ。だからそうならないための断髪式なのだよ」
「一応この作品はSFですよね!? オカルト要素が強すぎですよ!」
「メル子君。オカルトとSFは紙一重なのだよ。断髪式だけに」
「やだもー! 父ちゃん、紙と髪をかけるなんてさすがやわー!」
「はっはっは」
その時、控室に神妙な面持ちをした大相撲ロボが入ってきた。紋付袴をしっかりと着込んでいる。
「黒乃山、そろそろ出番ッス」
「おう!」
呼ばれた黒乃は大相撲ロボに続いて歩きだした。全員で本堂の御宮殿の前に移動した。浅草寺のご本尊は聖観世音菩薩である。煌びやかな御宮殿の中にはご本尊の他に徳川家康の観音像も奉安されている。
その御宮殿の前に黒乃の切り取られたおさげが供えられていた。
既に他の出席者達は席についていた。黒乃は堂々と歩き、先頭に座った。その後ろに黒ノ木一家とメル子が座る。
「なにか独特の緊張感がありますね」
このような儀式はおろか、冠婚葬祭の経験すらないメル子は若干戸惑っているようだ。
「では、黒乃山の断髪式を執り行いたいと思うッス」
大相撲ロボが儀式の開始を宣言した。
「今回黒乃山の髷がアンエクスペクテッドなアクシデントによってカッティングされてしまったので、断髪式はリダクションして行いたいと思うッス」
「伝統的な儀式なのに英語を連発するのはやめてください。あとご主人様のおさげを髷呼ばわりするのもやめてください」
御宮殿の前に座った僧侶がお経を唱え始めた。父黒太郎が立ち上がった。黒乃の横にある台座に置かれた清められた鋏を手に取ると黒乃の背後に立った。
「黒乃、いいかね」
「父ちゃん……頼むよ」
黒太郎は黒乃の後ろ髪に鋏を入れた。ほんの数センチ切り取り、横にある炉に焚べた。
次は母黒子の番だ。
「クロちゃん、しっかりな」
「母ちゃん……まかしとき」
儀式は次々に進んでいった。姉妹三人が鋏を入れ終えると、次はいよいよメル子の番だ。
メル子は鋏を手に取った。
「ご主人様……」
「うう、メル子、ううっ」
黒乃の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。背後の出席者達から啜り泣く声が聞こえてきた。
「え? 泣く要素がどこにありますか?」
メル子は鋏を入れた。
その後も出席者達が順に鋏を入れていく。
「オーホホホホ! 災厄が祓えるとよござんすねー!」
「マリー……」
「オーホホホホ! お嬢様の神聖パワーも加わったので余裕でありんすわえー!」
「アン子……」
「黒乃 げんき だす」
「マッチョメイド……」
「ウホ」
「ゴリラロボ……」
「ニャー」
「チャーリー……」
「住職、このおさげは本物か」
「美食ロボ……」
「オーホホホホ! 災厄が祓えるとよござんすねー!」
「あれ、またマリー来た。あ、マリエットとアニーか」
ゲームスタジオ・クロノスの面々、浅草工場の面々、ニコラ・テス乱太郎一味が鋏を入れた。
「参加者が多すぎます! なぜこんなに無駄に規模が大きいのですか!? どこからかお金が出ていますか!?」
ようやく参加者が途切れた頃、異変が起きた。
「ご主人様、なにか……おさげが光っていますが」
僧侶のお経が激しさを増した。それを合図に本堂に坊主の一団がなだれ込んできた。手には独鈷杵や錫杖が握られている。御宮殿の前に供えられた黒乃のおさげを取り囲んだ。
「なにごとですか!? 法力僧ですか!?」
坊主達は念仏を唱えた。光を放つおさげに対抗しようとしているようだ。僧侶は木魚を必死に叩いている。本堂がガタガタと揺れだした。
「これなんですか!? 天変地異が起きていますか!?」
大相撲ロボが紋付袴を脱ぎ捨て、マワシいっちょになった。足を高く上げて四股を踏む。力士の四股には邪気を祓う効果があるのだ。
坊主達の念仏が最高潮に達した時、おさげの光が収まった。坊主達は床に倒れ、木魚の音だけが響いた。メル子は呆然とその様子を見つめた。
木魚の音が止み、本堂は静寂に包まれた。僧侶は立ち上がり、告げた。
「危機一髪ですが成功しました」
「断髪式だけに! そんなギリギリの戦いだったのですか!?」
黒乃は大きく息を吐いて安堵した。妹達が黒乃に群がった。タフな儀式を終え、生まれ変わったかのような爽やかさが長女から溢れ出した。
「これにてセレモニーはジ・エンドとなりましたッス。おさげはスペシャル呪物として宝蔵門に一ヶ月ディスプレイされたのち、五重塔にエンシュラインされるッス」
「英語を散りばめるのをやめてくださいと言ったでしょう。それに誰がご主人様のおさげを見にくるというのですか」
大相撲ロボの閉式の言葉をもって解散の運びとなった。黒乃は家族と別れを告げてボロアパートに向かった。
「今日は楽しかったですわー!」
「ナイスアトラクションでしたわよー!」
「「オーホホホホ!」」
お嬢様たちは伝統的な儀式に参加できてご満悦のようだ。
「お二人とも! 儀式はエンターテインメントではないのですよ!」
「まあまあ、メル子。楽しめたならよかったじゃないのさ」
その後ろからはニコラ・テス乱太郎と黒メル子、ワトニーがついてきている。メル子は彼らを恨めしい目で睨みつけた。
「なぜ変態博士達も儀式に参加したのですか!? あとワトニーを返してください」
「フフフ、同じ土地に住んでいる我々に災いが降りかかってもらっても困るからねえ」
「ご主人様、立派でしたよ!」
黒い和風メイド服に身を包んだ黒メル子が黒乃の腕にしがみついた。
「えへへ、そう?」
「くっつかないでください! あと紅子ちゃんはどこに行きましたか」
黒乃とメル子、お嬢様たち、ニコラ・テス乱太郎一味は路地を歩いた。そして立ち止まると無言で空地を見つめた。誰も言葉を発することができなかった。
呆然と立ち尽くし、二月の寒さが体の芯まで染み込んだ頃、ようやくメル子が口を開いた。
「さっそく災厄に見舞われています!」
ボロアパートがあった場所は更地になっていた。




